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第11話(後編2)過去からの解放と新たな役割
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水没した実家からの帰還は、予想以上に体力を消耗させた。
機械スーツ(アシストギア)の補助があったとはいえ、崩れかけた家屋をよじ登り、暗い二階の部屋を探索するのは、精神的にも肉体的にも負担が大きかったのだ。
ボートを漕ぎ、坂道を登りきって病院に戻ったときには、もう夕闇が迫っていた。
ベッドに倒れ込むように横になると、疲労感が全身を支配した。
しかし、それ以上に僕の心を占めていたのは、”探していたアルバムも、家族が残していったはずの記録端末も、何一つ見つからなかったという事実”だった。
どこかで覚悟していたはずなのに、胸の奥にぽっかりと穴があいたような気持ちが残った。
両親がきっと、新しい土地に持っていったのだろう。
でも、その寂しさの奥には、不思議と心が軽くなるような感覚があった。
「もうここには、必要なものは残っていないんだ」
そう理解した瞬間、これまでの僕を縛り付けていた、過去への執着が薄らいでいくのを感じた。
”僕の帰る場所は、もうここにはない”その現実を静かに受け入れることで、僕は初めて、現在と未来へと目を向けることができるような気がした。
病室の窓からは、遠くの水没した街並みが、僅かに残る夕日の光を反射してきらめいている。それはまるで、僕がこれから歩むべき、まだ見ぬ世界を暗示しているようだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
翌日、僕はリハビリ室で桐野さんと黒川先生に呼び止められた。桐野さんはいつもの穏やかな笑顔で、僕の顔色を心配そうに見ていた。
「朔也くん、無理はなかった?昨日の外出の後から少し疲れてるみたいだけど」
「大丈夫です。……ただ、収穫はありませんでした」
僕は正直に答えた。探していたものが見つからなかったことを告げると、桐野さんは少しだけ寂しそうな顔をした。
「そっか……。でも、気持ちの整理はできたかな?」
その言葉に、僕は小さく頷いた。僕の中で何かが終わり、何かが始まったような、そんな確かな感覚があった。
黒川先生は事務的な口調で、僕の体調を軽く尋ねた後、本題に入った。
「綾瀬くん、君の回復は目覚ましいものがある。機械スーツ(アシストギア)の操作も習熟してきた。そこで、君に頼みたいことがある」
先生はカルテのページをめくりながら、淡々とした口調で説明を始めた。
「この病院に残された患者たちは、自分で動けない者がほとんどだ。桐野さん一人では、どうしても手が足りない場面が多い」
桐野さんは、頷きながら付け加える。
「食料や薬も、限りがあるの。病院の備蓄は数年分あるとは言われているけど、このままじゃ永遠には生きていけない」
それは僕も薄々感じていたことだった。都市移住のバスが去ってから、病院は本当の意味で静かになった。
残された患者の多くは、点滴や吸引器が命綱で、ベッドから動くことすらできない人もいると聞いていた。
「そこで、君の力を借りたい。患者の見回り、簡単な備品の運搬、清掃の補助など、君にできることはたくさんあるはずだ」
先生の言葉に、僕の胸に熱いものがこみ上げてきた。それは、以前「誰かの力になりたい」と、僕自身の「やりたいことリスト」にそっと書き加えたばかりの言葉だった。
「僕に、できることがあるなら……ぜひ、やらせてください!」
僕は迷わず答えた。
「自分にできることなら、何でも」
僕がそう言うと、桐野さんは優しい表情で僕の手を握った。
「ありがとう、朔也くん。助かるわ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
その日から、僕の新しい役割が始まった。
朝食を済ませると、僕は機械スーツを装着し、病棟の見回りを始めた。廊下をゆっくりと歩き、各病室の患者たちの様子を確認する。
「田島さん、おはようございます。今日の気分はどうですか?」
僕が声をかけると、田島さんはわずかに目を開き、小さく頷いた。他の患者たちも、喋れる人は少ないけれど、僕の存在に気づくと、わずかにまぶたを動かしたり、指先を震わせたりして反応を示した。それはまるで、「誰かが見守ってくれる」安心感を表しているかのようだった。
桐野さんと一緒に、点滴の残量を確認し、ベッド周りの簡単な清掃も行った。医療行為に触れない範囲で、患者さんの枕を直したり、窓を開けて新鮮な空気を入れたりもした。
最初はぎこちなかった動きも、日を追うごとにスムーズになっていく。
黒川先生は、僕の仕事ぶりをじっと見守っている。そして、僕が患者さんの点滴の残量を確認し終えると、事務的な口調で指示を出す。
「綾瀬くん、備蓄倉庫の整理も手伝ってくれるか。どの物資がどれくらい残っているか、正確に把握しておきたい」
僕は頷き、先生と共に備蓄倉庫へ向かった。山積みにされた段ボールや物資の山を、機械スーツの力を借りて整理していく。薬の種類や使用期限を確認し、食料の在庫をリストアップしていく作業は、病院の“命”を支える大切な仕事だと感じた。
リハビリで培った体力と、機械スーツの操作能力が、こんな形で役に立つとは想像もしていなかった。
「生きる」と決意し、「やりたいことリスト」を書き出したあの日の僕は、ただ個人的な願いを並べていたに過ぎなかった。
しかし、今は違う。病院という小さな共同体の中で、僕は「選定外」として見捨てられた自分ではなく、この場所に必要な存在として、確かな居場所を見出していた。
夜、自分の病室に戻った僕は、ベッドサイドのノートを手に取った。
「誰にも言えないリスト」と記された、僕だけの秘密の場所。
そこに、今日一日感じたことを、そっと書き加える。
”誰かの力になりたい”
この言葉は、もはや漠然とした願いではなかった。それは、今日僕が実際に行った行動であり、明日からも続けていくべき、僕にとっての「生きる意味」そのものだった。
窓の外では、今日も波の音が響いている。
終末に向かう世界の中で、それでも僕は、この小さな病院で、確かな希望を見つけていた。僕の「やりたいことリスト」は、個人的な欲求の羅列から、この共同体の生存に貢献するための、「希望の羅針盤」へと変化し始めていたのだ。
機械スーツ(アシストギア)の補助があったとはいえ、崩れかけた家屋をよじ登り、暗い二階の部屋を探索するのは、精神的にも肉体的にも負担が大きかったのだ。
ボートを漕ぎ、坂道を登りきって病院に戻ったときには、もう夕闇が迫っていた。
ベッドに倒れ込むように横になると、疲労感が全身を支配した。
しかし、それ以上に僕の心を占めていたのは、”探していたアルバムも、家族が残していったはずの記録端末も、何一つ見つからなかったという事実”だった。
どこかで覚悟していたはずなのに、胸の奥にぽっかりと穴があいたような気持ちが残った。
両親がきっと、新しい土地に持っていったのだろう。
でも、その寂しさの奥には、不思議と心が軽くなるような感覚があった。
「もうここには、必要なものは残っていないんだ」
そう理解した瞬間、これまでの僕を縛り付けていた、過去への執着が薄らいでいくのを感じた。
”僕の帰る場所は、もうここにはない”その現実を静かに受け入れることで、僕は初めて、現在と未来へと目を向けることができるような気がした。
病室の窓からは、遠くの水没した街並みが、僅かに残る夕日の光を反射してきらめいている。それはまるで、僕がこれから歩むべき、まだ見ぬ世界を暗示しているようだった。
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翌日、僕はリハビリ室で桐野さんと黒川先生に呼び止められた。桐野さんはいつもの穏やかな笑顔で、僕の顔色を心配そうに見ていた。
「朔也くん、無理はなかった?昨日の外出の後から少し疲れてるみたいだけど」
「大丈夫です。……ただ、収穫はありませんでした」
僕は正直に答えた。探していたものが見つからなかったことを告げると、桐野さんは少しだけ寂しそうな顔をした。
「そっか……。でも、気持ちの整理はできたかな?」
その言葉に、僕は小さく頷いた。僕の中で何かが終わり、何かが始まったような、そんな確かな感覚があった。
黒川先生は事務的な口調で、僕の体調を軽く尋ねた後、本題に入った。
「綾瀬くん、君の回復は目覚ましいものがある。機械スーツ(アシストギア)の操作も習熟してきた。そこで、君に頼みたいことがある」
先生はカルテのページをめくりながら、淡々とした口調で説明を始めた。
「この病院に残された患者たちは、自分で動けない者がほとんどだ。桐野さん一人では、どうしても手が足りない場面が多い」
桐野さんは、頷きながら付け加える。
「食料や薬も、限りがあるの。病院の備蓄は数年分あるとは言われているけど、このままじゃ永遠には生きていけない」
それは僕も薄々感じていたことだった。都市移住のバスが去ってから、病院は本当の意味で静かになった。
残された患者の多くは、点滴や吸引器が命綱で、ベッドから動くことすらできない人もいると聞いていた。
「そこで、君の力を借りたい。患者の見回り、簡単な備品の運搬、清掃の補助など、君にできることはたくさんあるはずだ」
先生の言葉に、僕の胸に熱いものがこみ上げてきた。それは、以前「誰かの力になりたい」と、僕自身の「やりたいことリスト」にそっと書き加えたばかりの言葉だった。
「僕に、できることがあるなら……ぜひ、やらせてください!」
僕は迷わず答えた。
「自分にできることなら、何でも」
僕がそう言うと、桐野さんは優しい表情で僕の手を握った。
「ありがとう、朔也くん。助かるわ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
その日から、僕の新しい役割が始まった。
朝食を済ませると、僕は機械スーツを装着し、病棟の見回りを始めた。廊下をゆっくりと歩き、各病室の患者たちの様子を確認する。
「田島さん、おはようございます。今日の気分はどうですか?」
僕が声をかけると、田島さんはわずかに目を開き、小さく頷いた。他の患者たちも、喋れる人は少ないけれど、僕の存在に気づくと、わずかにまぶたを動かしたり、指先を震わせたりして反応を示した。それはまるで、「誰かが見守ってくれる」安心感を表しているかのようだった。
桐野さんと一緒に、点滴の残量を確認し、ベッド周りの簡単な清掃も行った。医療行為に触れない範囲で、患者さんの枕を直したり、窓を開けて新鮮な空気を入れたりもした。
最初はぎこちなかった動きも、日を追うごとにスムーズになっていく。
黒川先生は、僕の仕事ぶりをじっと見守っている。そして、僕が患者さんの点滴の残量を確認し終えると、事務的な口調で指示を出す。
「綾瀬くん、備蓄倉庫の整理も手伝ってくれるか。どの物資がどれくらい残っているか、正確に把握しておきたい」
僕は頷き、先生と共に備蓄倉庫へ向かった。山積みにされた段ボールや物資の山を、機械スーツの力を借りて整理していく。薬の種類や使用期限を確認し、食料の在庫をリストアップしていく作業は、病院の“命”を支える大切な仕事だと感じた。
リハビリで培った体力と、機械スーツの操作能力が、こんな形で役に立つとは想像もしていなかった。
「生きる」と決意し、「やりたいことリスト」を書き出したあの日の僕は、ただ個人的な願いを並べていたに過ぎなかった。
しかし、今は違う。病院という小さな共同体の中で、僕は「選定外」として見捨てられた自分ではなく、この場所に必要な存在として、確かな居場所を見出していた。
夜、自分の病室に戻った僕は、ベッドサイドのノートを手に取った。
「誰にも言えないリスト」と記された、僕だけの秘密の場所。
そこに、今日一日感じたことを、そっと書き加える。
”誰かの力になりたい”
この言葉は、もはや漠然とした願いではなかった。それは、今日僕が実際に行った行動であり、明日からも続けていくべき、僕にとっての「生きる意味」そのものだった。
窓の外では、今日も波の音が響いている。
終末に向かう世界の中で、それでも僕は、この小さな病院で、確かな希望を見つけていた。僕の「やりたいことリスト」は、個人的な欲求の羅列から、この共同体の生存に貢献するための、「希望の羅針盤」へと変化し始めていたのだ。
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