死にたがりと真の終焉

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三章

友愛とデストルドー

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あれ以降、学校が始まってから、高峰は再び俺の側に引っ付くようになった。
あのいざこざは何だったのかと思うくらいに、交流に過去との大差はなかった。周りが別にそれを気にする事はなかったが、きっと俺が見ていないだけで高峰には何かしら事を尋ねたのだと予想している。
何と答えたのかはあまり予測出来ないけど。
そして当然例の行事(じゃま)も引き続き行われた。それが今度はまた一層厳重になり、朝、自殺行為の件に加えて、腕だけだが自傷行為で付けた傷が無いかチェックされたり、見つければ早急に絆創膏や包帯などが施された。治るまで解いたら承知しないと煩く言われている。そんなの、と抗った時には恐ろしい程の無言で直されてしまう。それも一度だけではなく、再び抗えば飽き足らず何度だって反撃をする為、今は腕はほとんど傷つけられない。彼はまだ腕以外を傷つけている事は知らない。その内気づかれて足や腹までチェックされ始めたら、もう全身絆創膏と包帯まみれになってしまうだろう。そうならないよう、でも言いなりにならないよう、バランスを保たないといけない。
無論、自殺行為だって同じ。しかし、もう今までと同様に実行する事は不可能になっていた。計画は立てて形だけは成形するのだが、作るだけ作って、高峰を誘き寄せてそれを壊させた。
言いなりにならないと強気になりつつもそれを逆に利用して、とにかく以前からの自分の顔を崩さぬようにしていた。
しかし、その限界を見ると余裕もぶつりと切れて、自分自身をこれまで以上に嫌いだと罵った。そしてその代わりに、現在の自分が高峰に対しての煩わしさなどの嫌悪感をほとんど感じなくなっている事をいたわった。
最近の高峰とは自殺だのという間柄を除けば、穏やかで緩く、冗談を投げ合えるような関係にいた。まだまだ疑いも用心も怠れはしないし、出来る限り容易に感情を晒さぬように努めているけれど、それに反して高峰は前よりずっと優しく俺に接するようになった。気遣いからやっているのだと思いながらも、彼の笑顔がこっちに向く回数も明らかに増えていて、それがわざとらしい愛想に見えないのが、頑なに彼への批評を妨げるのだ。だからこそ余計に自殺行為への躊躇と罪悪感が働いて、フリでもとてつもなく苦しくなった。
コハクはそれが正常なのだと言った。それから、あの欲は保ったままで、とも。
こんな想いをしながら、言われなくともこの欲が全く消える事はなかった。
これが正常なのかと、疑問にはある。
しかし、だからといってこのまま生きていても自分がマシに生きられる可能性など無い。正常になっていても、性格や人としての価値も変わらないのだ。
疑問には目を瞑るが、高峰という巨大な存在には、背すら向けられなかった。
そう遠くない内には、遠くならないように、恐怖と高峰を捨てなければならない。
それはきっと、『希望』を捨てることに等しいのだ。
あぁ、きっと俺は死んだら地獄に突き落とされる事だろう。
『希望』という意味は何も将来に対しての事に限った話ではないと俺は思っている。『希望』には、色々と隠された意味があるのだ。
高峰が戻ってきたことで、一時期のライフスタイルも崩れつつあった。
彼はあれからも時折食事に誘ってきた。その大半は外食なのだが、彼の家に呼ばれて手作りをご馳走される事が最近は増えた。本当は毎日どうかとも誘われたが、流石に悪いと断った。恐らく栄養の偏りを回避する為なのだろうが、何もここまで至れり尽くせりを受ける必要などない。
・・・残念ながら、何をしたって俺は変わらない。変わる事など、それだけは認められない。
「と言っても、身体の状態は見違えるくらい変わっちゃってるけど」
風呂上がり、洗面台の鏡で頬の肉をつまみながら、情けなく呟く。
栄養のある食事を摂取したことで体重も少し増したようだった。
良い事のような、悪い事のような、どちらでもないような。不自然な気分に陥る。
リビングに戻ると、ソファーに逆さになって寛ぐコハクの姿があった。贅沢にアイス片手にテレビを眺めている。
「ここが他人の家だって自覚してるかな」
「最近はもうしてないねー。しかもおじいちゃんもいないからやりたい放題だし」
「そうかいそうかい」
そう適当に言って隣に座ると、コハクは急に何か思い立ったように顔を上げた。
「そうだ。明日にでも、また別の自殺現場に行ってみない?」
「え。また?」
「参考程度にさ。君が今度こそ確実に成せるようにね」
「・・・。次はどこに行くんだ?」
「隣の県の、臨海側にある〇〇公園」
「公園?」
「ほとんど知られてないけど、そこで自殺した人がいるんだと」
「ふーん。でも何に乗って行くんだ?行き方知らないぞ」

「それはもう調査済み。普通にあの駅から汽車で行けるみたいよ。そこまで往復2200円だって」
「高いなぁ・・・」
「まー、小旅行だと思ってさ」
宥めるように言って、コハクはソファーから降りて食べ終わったアイスの棒をゴミ箱に放り込む。
「こういう事も大事よ」
「そういえば、コハク自身もやった事あるのか?」
「一度だけだけどね。でもその時には周りにそんなの無かったから、遠い所まで行って跡地を見物したね」
コハクの故郷の地では他と比べると人口も少なく、県内でも自殺のニュースを聞く事はなかったらしい。それは良い事なのだろうが、矛盾にもいじめの件数は多く、どこの学校にも何人もの被害者がいるという。
「君は恵まれている方だよ」
「こういう事に関してはな」
苦い笑みを浮かべると、コハクは「そーかな」とリモコンを手に取って、別のバラエティー番組に変える。
それから二人して特に笑うこともなく黙ってそれに集中していると、彼女がふんわりとこんな事を言い出した。
「高峰クンは相当君のこと好いてるみたいだね」
「・・・さぁ」
今までの事を思えば否定出来ず、曖昧に答える。
それを見たコハクが穏やかに口角を上げた。
「もういっそ、あの人にぱっくり心を開いてみたら?」
「え、」
突然の一言に少し戸惑う。
「心を開くって・・・」
彼に対する意識は変わっていても、心を開いているかは別だ。それでもそれも、開いていないと言えば百パーセント嘘になるだろう。
「どうしたって君は死にたいという欲を消せないんだから、それならしっかり喜びを感じながら過ごしても良いんじゃないかな」
「そうだけど・・・」
「もうそこは妥協しても良いじゃん。せっかく笑えるようにもなってるんだから、好きなだけ笑いなよ」
「えっ、笑うって・・・」
「今更じゃん。高峰クンと話していても、いつも楽しそうじゃない」
コハクが鋭く的確な言葉を押した。その通りだし、またそれ以上もある。
「・・・そうだけどさ」
「色々と情緒も不安定だし、苦しいだろうけど、・・・難しい事は考えずに今は楽しく生きようよ。また死にたくなる前に、この幸せは精一杯味わった方が良い」
「・・・」
悶々としたような気持ちが膨れ上がりつつも、コハクも気を遣わせてこうして宥めてくれているのだと感じる以上、その言葉を信じようと考えて気持ちを抑えるしかない。
でも・・・やっぱり、引っかかる。
「なぁ」
思い切って、こんな事を訊いてみた。
「死にたいって思ってるのに、幸せを感じて良いのか?」
世の中には死を望まなくとも呆気なく死んでしまう人の方が多い。彼らの方がもっと幸福を味わいたかったと切に未練に思うであろうに、こんな底辺な貴族の戯れをするような気持ちでいて良いのであろうか。
コハクは朗らかに頷いてみせた。
「勿論。君は特殊だし、それでもその先を望めないって性分は知ってるから」
「そこまで俺の性分を信じてくれてるのか」
 「だからこそこう言ってるんだよ。それに、今の君は壊せない。死んでからの幸せがあっても、生きている内の幸せは死んだら味わえない。私の分もさ、せめて今ぐらい、ちゃんと生きていてもバチなんて絶対当たらないよ」
コハクがそっと俺の肩に手を置いた。
「きっと、望まず死んだ人達を思っているだろうけど、その人達も人生の内のどこかでは幸せだったんだから。それに、その人達にも運命があったわけよ。一生の中で生きて良い期間のね。それまでは、みんなしっかりそこで生きていたわけで。それって実は自殺する人も同じでね、自殺への道を辿っていても、ちゃんとそれまでは生きていないと拓けないんだよ。だからこそ正常でいなければいけない。死ぬ勇気が出なくても、そこに死ぬ運命があると見据えているなら、淡白に死を所望するんじゃなくて、生き物らしく強く覚悟を持つんだ、ってね」
温厚な面持ちでそう語ったコハクの言葉が、胸の最奥を揺らした。
同時に、コハクの悟りらしきものに対して、大きく疑問が生まれた。
「どうして、そんな考えに辿り着いたんだ?それに、いつから・・・?」
にっこりとコハクが微笑する。
「君といるようになってからね。個人的に考えてたんだよ。死の定義とかをね。そうしたら、こんな答えが出たってわけ」
「・・・コハク・・・」
名を呼びかけた瞬間、すっとコハクがソファーから立ち上がった。私先に寝るね、とそそくさと部屋を立ち去ろうとする姿を止められず、目で追う事しか出来なかった。
何かもう少し話さないとと焦るが、去る前に彼女がポツリと告げた。
「もう予測はナシにしよ。必ず君が納得するような死に方をさせてあげる。私みたいに、幽霊になんてならないようにね」

コハクがいなくなった後、全てが我に戻ったように何も無くなってしまった。ただただ聞き流していたテレビも、いつの間にかニュースへと移り変わり、大人しくなっていた。
ソファーに足を置いて深く座り込む。
遥か遠くを見つめ、目を閉じてみた。
俺は独りだと分かる。
だけど、こうしていると、安らかな心臓の音がした。
優しい心臓の音なんて今までほとんど聞いた事なかった。そもそも興味を示した事すらもない。
俺は死に失敗して、今、ここで生きている。
生きているという過程を経た、俺のアイデンティティーとは何なのだろう。
何も無い。とは断定出来ない。
だからといって、特別あったというには難しい。
俺は酷く不鮮明で中途半端な境界にいるんだと思う。
その整理に手が余り、結果として振り切った現在が、どんな未来を辿るかなんて分からない。
その先を決めるのは、どこの誰でもないここにいる自分自身で。
答えは決まっているのに、その未来はもうすぐ傍まで来ているのに。
眼中には、いつものものではない、また別の闇が濃い壁を何重にも隔てていた。
それに触れようとすると、文字列を滅ぼしかけた脳を掴んで離さない一つの白い光の影が背後に現れた。
背後だから、あくまで気配だけだが、その影は辛そうに笑っているのだ。
「・・・俺はどうあいつと接していれば良いんだ?」
乾き切った声が部屋に縮こまって消えた。
「・・・とりあえず、今は、生きていよう」
正常なのに、首を締め付けられているような狂気を感じずにはいられなかった。
不安混じりに、鏡に目を向けてみた。


その数日後。
冬休みはとうに終了しているというのに、未だに各自の思い出話を語る為に輪をかけたように騒がしくなっている教室の中は、心地の悪い熱気と臭味がしてろくにいられたものではなかった。
カバンを置いて、スマホだけを持って教室から逃げ出す。気の紛れになるかと図書館に行くと、打って変わったように静寂で、古い本の匂いが落ち着きを取り戻してくれた。
隅の方の一人用の席で、手慣れた手つきで耳にイヤホンを着ける。そしてアルバムでこの前の自称『小旅行』での写真を見直した。
予定通り、その翌日俺はコハクと共にその現場へと訪れた。臨海側とあって景色はそれなりに良く、潮風を受けながら、その公園の緩い起伏のてっぺんにある木を見つける。この木こそが現場らしい。コハク曰く、ここでは小学生の少女が親からの虐待での末で自殺したのだという。
以前見た家族に執着し過ぎた故でのものとはまた対照に、愛に飢えすぎた故のもの。
この子も死ぬ寸前までこの子なりの希望を抱えて生きていたのだろう。
ニュースもほとんど放映されず、知る人ぞ知る事件であるらしいこの事をコハクが知っていたのは、実はその少女に、幽霊としてでの形で面識があったからなのだという。詳しい事までは聞けなかったが、現在その子は親への復讐を果たす為に家に取り憑いてタイミングを見計らっている、らしい。
俺の手にある写真には、海をバックに例の木が映っている。この木を舞台にどう自殺したのかは、まぁお察しの通りだろう。
ついでに海も主役にした写真も撮った。その日は快晴に恵まれていたため、周辺の風景もくっきりとよく写っていた。
海の限りある水辺線の彼方に一点に集中していると、隣から突然現れた手と、イヤホン越しにゴソゴソ聞こえる声で現実へと引き戻された。
イヤホンを外すと、「またイヤホンして・・・」という文句が頭から降ってきた。
「あぁ、おはよう」
彼がこうして来るからか、軽い挨拶をする事が容易くなった。言った俺に、高峰は穏やかに返す。
「何を見てたんだ」
近くの席の椅子を引っ張り出して、隣に座りながら、彼が訊いた。
どうしようかと微量の時間の中考え、海の写真だけをそっと目の前に露にした。
「これだよ」
「これは、海か。綺麗だな」
お前が撮ったのかと訊かれ、うん、と短く返答した。
「ここ、見たことあるな。どこだっただろうか・・・」
「隣の県の〇〇市ってとこ」
「〇〇市。あぁ、毎年牡蠣の祭りやってるとこか」
その情報については知らなかったが、知ってるフリをしておく。
「この休みの間に行ったのか?」
「そうだよ。息抜きに」
間違いであるような否か、しかし理由としては成り立つだろうと思ってそう答えたのだが、高峰はすんなりと鵜呑みにはしなかった。あらかさまに疑惑の念をかけた目をしている。
「な、何さ。その疑わしげな目は」
「お前のその『息抜き』は紛れもない実話に聞こえん。海でまた良からぬことをしでかそうとしてたんだろ」
「今回はほんとに、本っ当に違いますからっ。証拠にほら、生きて帰ってきてるじゃないか」
大袈裟に手を広げてアピールする。だが、まだ高峰の表情は硬い。
「リスカとかは」
彼の瞳がぎらりと光った。例の、自傷有無チェックが始まった。
いつものように両方の袖を捲って、包帯だらけの腕を見せる。
「誰かさんのせいで今の所は出来てません」
忠実に率直に、しかし残念な気持ちを全面に出して、答えた。
「ん。よろしい」
全面を確認して、高峰が頷いた。
「毎朝面倒くさくないの、これ」
「命が一つ消えてしまうくらいならどうって事ない」
「わぁ、素晴らしいお返事。流石高峰君だね」
コハクを真似てわざとらしくリアクションすると、すぐに「やめろ」と鋭く制止された。
再び話題が戻る。
「そんな事より、お前意外と写真撮るの上手いんだな」
「え。・・・そうかな」
今の今まで写真など撮る機会がなかったから、正直上手さなど二の次にもいれなかった。
「ああ。海もその周りもくっきりで綺麗だな。良いと思うぞ」
「・・・・・・そっか」
本気で口にしたのではないと考えるが、それでも褒められたと一瞬でも思ってしまうと、照れくさくなった。
照れくさい、だって。
あぁ。また見慣れない感情。
「そうだと良いけどね」
笑ったつもりで言ってみた。多分口角は上がっていたと思うけど、どうだろうか。
「お前はずっと謙虚だな。もっと喜んだって良いのに」
高峰が温厚な微笑を浮かべて言った。
俺は首と手をゆっくり振る。
「そこまでにはなれないよ。自分を褒めたりなんて出来ない」
「でも、案外傍から見ると良い物に見えているものだぞ。俺は結構好きだな、この写真」
そんな事ないとまた否定しようとしたが、写真を眺める高峰の表情はふつふつと愉楽を滲ませていた。それを見ると、どうにも体温が安らかに温度を上げるのだ。
ここは一つ、らしくない言葉を投げてみようか。
これは無論自らの意志だ。
「それなら、ありがたいね」
そして、無意識的に手に持っていた写真を高峰に差し出した。
「良ければあげるよ」
「良いのか?」
「欲しければ、ね」
普段冷たい奴からこんな異質な事を言われているからか、高峰は非常に驚いていた。
だけどすぐ目元を緩めて写真を受け取ってくれた。
「ありがとう」
「受け取って良かったの?」
「ああ。本当に気に入ったからな。それにお前に物を貰うなんて中々ないからな」
「今まで一度もなかったかもね」
「いや、あると思うぞ。修学旅行の時に菓子をくれただろ」
「あれ、そうだったっけな」
なんて慎ましやかな会話は凄く楽しくて。世間じゃ当たり前なこの光景が何よりも幸せで。
────でも。
本当に、本当にこんな事していいのだろうか。
自殺志願のある者が本来ならこんな反比例な生活をするなど到底許されるべきではない。
こうして生きて、笑う度に、大事に守られている素性の闇は呻き声を上げて心を叩いている。
だけど、この闇を満足させる為にはこれが近道なのだ。そう言い聞かせて、反対にフランクな自分でいるのだ。
それに、今は壊したくない。余計な事も考えたくない。
身体が受け付けなくても、心ではずっとこうして高峰と話がしたいと願っている。
昔の自分に文句を言われても知らない。俺は、今は、今の俺だから。

まだ朝礼までの自由時間は十分にあった。人影もさほど無いので、声量を気にせず適当な会話を途切れ途切れに続ける。
「なぁ、自分を傷つけるって、痛くないのか?」
「え?何、急に」
先程まで、最近各地の動物園でパンダや猿とかの赤ちゃんが産まれた、なんて話だったのに。相応しくない急激な温度差だ。
「だってお前は腕や首元にいつも傷を付けてるだろ。あんな事、本来なら異常な行動なんだからな」
「ヘビーな話だね。全然。元から自分の事が嫌いだからね。嫌いなものが傷ついてるのって、ちょっと愉悦を感じるから」
きっと異常な自分ならこれが素直な回答なのだろう。確かに現在も嫌いなことは嫌い。自傷だってしてる。しかし、その痛覚はこの頃どうしようもなく辛いと思うようになっていた。全然なんて、真っ平の嘘だ。
「・・・分からんな。嫌いなものにはまず手は出さんからな」
「あぁ、ほっとくタイプね」
無論その行動こそが正当であり賢い事であるが。
俺自身も自分以外の嫌いなものには手を出したりはしない。その行為が出来るような器の人間でもないわけだし。
「嫌いだからといって、何でもして良いわけではないんだぞ」
「それは分かってるよ。あくまで自分限定」
「自分だからでも駄目だけどな」
きっぱりと言い放たれ、僅かながら不服に思いながら机にうつ伏せる。大きく映る高峰の顔を見て、自分と比較していたら、不意にこんな事を言おうと思った。
「高峰は、絶対俺みたいなのにはならないだろうね」
だが、高峰はいつものような即答を返さなかった。うーん、と困った顔で唸りながら、答えを探しているようだった。
「・・・いや、分からないと思う」
やがて、小さく呟くように答えた高峰を見て、俺は目を見張った。
「どうしたの。急にそんな弱気になって」
いつもの高峰ならこんな事はまず口に出さないというのに。
「最近、時々自信が無くなることがあるんだ。また下手をしてお前を傷つけてしまわないか、俺のせいで死なせてしまわないかとか、考えたら・・・」
あぁ、その弱々しくて虞に憑かれたような表情。
以前の件があってか、その時以上に悄然となっているように思えるその様が酷く俺の胸をぎちぎちと締め上げる。
何かアドバイスでも、とは己の立場上言えたものではないし、第一、思いつきもしない。
最も不当で、最悪で。そして彼にはけして通用しない助言を添えるしかなかった。
「・・・なら、いっその事一緒に死ぬ?」
「馬鹿言え」
そんな状態でも彼は矛盾を唱えたりはしなかった。そこに少しだけ安心する。
「俺まで死んでどうする」
「でもさっき、どうか分からないって言ったじゃん」
「死なせないつもりだからな。俺が言うのはあくまでも、お前の性格とかの話だ」
俺の性格、というのはつまり、鬱っぽくて根暗でネガティブ第一思考のことだろうか。
・・・高峰の場合そこまででも無いと思うけれど。
彼の度合いなんてまだまだ蝿の体重にも満たない程軽いし、何より彼のことだ。すぐそんな自信喪失なんて忘れてしまうだろう。多分。
「死ぬかなんて言われたら、余計に生きたくなる」
高峰は自分に言い聞かせるように、囁かにそう言った。
「・・・ほんとにあんた、自信無くしてる?」
訊くと、高峰はすっと椅子から腰を上げて、
「自信を無くした時点で負けてしまってるようなものだ。もうこんな事考えないようにする」
などと表明した。
「あんたらしいね。・・・でも無茶はするなよな」
何か労いをかけようと、そんな事を言ってみた。
視界に黒雲のような靄がかかって、高峰の姿を見失ってしまいそうだ。
「俺も、今まで簡単に死なせてくれやしなかったんだ。どうせまだ死ねない。もう、毎回毎回本気にならなくて良いよ」
これはけして攻防を制止したい故に発言したわけではない。
気遣いでもあり、本心でもある。せめての良心として、高峰には余分な力を使わせないようにしてやりたかった。
若干疲れを含めた口調で告げると、高峰はまた驚いたようになって俺の顔を凝視した。
「・・・お前こそ、今日はどうしたんだ?」
視線を逸らし、「別に」とだけ答えた。






その放課後、俺は高峰を引き連れて病院へと向かった。実はつい二日前に見舞いに行ったばかりだったのだが、その後で病院で作った友達と本を読む為の老眼鏡を取ってこいと言われたのだ。
良いように自分の孫を利用して、自分は何もせず気楽に友達と交流なんてしてるだなんて憎たらしいものだ。仕方ないとはいえ、学校から病院に行くにも徒歩では中々距離がある。タクシーやバスを使って、駅まで戻って帰宅することを繰り返して、週一のペースで行くと、一日だけ帰りが夜の七時頃になってしまう。いつも平然としている顔をするからか、向こうからはらは苦が無いように見えるのだろう。昔からそれで関係を乗り切ってきたのだから。しかし、流石に今後もこんなことが続くようならこの調子で彼に思い切り不満をぶちまけてやろうか。
でも、それはやるべきではない。明白でもないくせに、何故かそれが確信ついていた。
「おい、北沢?疲れたか」
病院までの坂道を登る最中、足に疲労が溜まったのか足取りが重くなってきた。
ちなみに高峰までついてきたのは、何でもじいちゃんに、今度は春哉と一緒においでと言われたからなのだという。どうやらじいちゃんは高峰のことを気に入っているらしい。高峰側はどうか分からないが、ついて行って良いのなら行ってもいいかと尋ねてきたから、まぁまず警戒はしていないようだ。だからと言って何も律儀に来なくてもいいとは思うが。
その彼とは距離が空いていた。最悪なことに今日の六時限目が変更で体育になってしまった事が原因であり、しかもよりによって持久走なものだから、それを悪者にするには妥当である。
「ごめん。先行ってて」
一度足を止めて、深く息を吸った。冷たくなった体内に冷凍された風が入り込んで、汗ばんだ肌の空気もを浄化していく。だが、足の疲労は当分治まりそうにない。
高峰は言ったことを無視して、俺の側まで戻ってきた。そして、俺が歩けるようになるまでそこでひたすら待っていてくれていた。
病室に行くと、二日前と様子が何一つ変わっていないじいちゃんが出迎えた。
早速老眼鏡を差し出すと、暢気に礼を言いながらそこの棚に置いてくれと言った。
それ以降、俺はほとんど喋らなかった。何せ二日前に話したので真新しい話題も無く、適当に高峰に任せておいた。すると二人の会話は思いの外長く続いた。一体どんな話をしていたか覚えていないけど、じいちゃんが俺と話す時よりもずっと楽しそうだったことは確かだった。
(まぁ、そりゃ当たり前だわな)
じいちゃんだって所詮は他人と変わりない。
それが例え、本当に血が繋がっていたとしても。
二人で流暢な対話を交わす姿を見ると、俺は未だにじいちゃんとこんな風に話したことがないなと気づいた。
どうにもぎこちなくて、それでいて怒らせないよう言葉に気を配っても、彼とのキャッチボールはけしてスムーズに続かなかった。
ようやく病院から解放された時には、今更ながら複雑な気持ちが目にまで染みてきた。高峰とのやり取りも面倒で、疲れてあまり喋れないと言い訳してやり過ごした。
そして彼らの対談が終わるまで、極力二人から視線を逸らして、俺は直向きに自らの試練を思い詰めていた。
そもそも、これは試練なのだろうか?
きっと試練は試練でも、これは運命の為の試練だ。他に縋る宛もない。俺の限界。
それを乗り越えるには?
この状態で、真正のデストルドーを手に入れるには?
願うだけではいけない。行動に、昔の自分の要領と同じ、でもそれとはまた異なる───そんな行動力を持たなければならない。
カバンから小さなカッターナイフを手にする。高峰に見られる事のないように、そっと指の腹を刃先に当てた。
(はぁ。やっぱり、怖い)
それが指ではなく首だとしたら、或いは心臓、頭。想像するとバチバチと電流のような脅威に加えた恐縮が走り、目を伏せながら静かにナイフをしまった。
帰りがけ、高峰がその事を指摘して叱った。隠れて行ったつもりが、どうやら見られていたらしい。しかし今回は途中で止めたのを見兼ねて、その時に言い出すのはやめたらしい。
俺は苦く表情を絡ませて、いつも通り対応してその場を凌いだ。
────それで今日一日を過ごしていたら、俺はこのままで生きていただろうか。




駅まで戻ってきて、まだこの時刻の汽車の時間には早いようだったのでしばらくベンチに座って待機する事になった。待合室の方は生憎満席だったので、冷風を唆す寒気に妥協して外にいるしか他なかった。
そんな中にいると当然身体は芯まで冷え込む。すぐさまそれに伴った腹痛が訪れてしまい、高峰を一人残して軽症の内にトイレへと駆け込んだ。
ある程度治まってから戻ると、待たせている筈の高峰がベンチにいなかった。彼もトイレに行ったのかと一瞬考えたが、荷物は俺の物を含んで全てそこに置かれたままだ。流石に全部を放置状態にしておくなど無防備すぎるし、高峰がけしてそんな事をするガサツな人種じゃない事は知っている。
ベンチの前に立って周囲を見回して、その後ゾクッと悪寒に似た震えがして、良からぬ予感を覚えてしまった。
(ど、どうしよう)
戸惑いと焦りがいっぺんに身体を走り、忙しない目で懸命に高峰の姿を探した。
「高峰・・・高峰?」
その時だった。ふと向いた先に、見慣れないものが落ちている事に気がついた。
焦点の向こうにはベンチの裏があった。そこに顔を近づけると、そこにはタバコの吸殻が二本転がっていた。
「これは・・・」
さっきまでは見なかった物なのは確実だった。先程ここに座った際にベンチの下に定期入れを落としてしまい、探す時に周りの状態を確認した記憶がある。
吸殻は高峰が座っていない両端の席の裏にあった。二つもあるという事は二人がここに座り、その二人の何らかに高峰が巻き込まれている可能性がある。
そう考えた途端に更なる不安が脳を巡り始め、俺は辺りを歩き回りながら弱々しく彼の名前を呼び続けた。
そうして案内所まで来たその時、裏の方から何やら揉めているような騒々しい声がして、身を潜めながらそっとその正体まで辿っていった。
案内所の裏には閑散とした駐車場が広がっていた。周りが図体の大きい建物で囲まれているせいで人目に付かず、疎らな車にひっそりと怪しい陰気が膜を張っているようだった。
そんな中では正体を探るのは案外容易な事で、ただでさえ人のいない空間に更に追い打ちをかけるように、隅の方に倉庫なのかどうかも不明な小屋が備え付けられているのだ。そこが余分に作る隅っこには人が数人は入れる余地のスペースがある。そこからの声である確率は高い。この小屋から案内所の玄関までは少し距離はあるものの、しんとしたこの場では僅かな人間の声も一段と際立つ。案内所も早くから閉まり、この位置も夜だと人通りはほとんど見られない。
そんな元で、しかも平穏には聞こえない声質がすれば、そこに高峰もいるとしか考えられなかった。そう思うようになっていた。
砂利の音を立てないようにして小屋に近づいていく度、その声が鮮明に特徴を現していく。
檻の中の猿のような無駄に張り上げられた弾圧的な奇声、ヒューマニティの欠片も感じられない汚らわしい言葉の整列、同時に聞こえる、ドブネズミの便乗の声。
───────あれ。
──この声に、異様なデジャヴを覚えた。
この醜悪な特徴が、俺の記憶の奥底を掻き分ける。
遠い、いや・・・近いのかもしれない、過去。そこで声は止まって、ぼんやりと揺らめく影の姿をした俺に、まったく同じ声で形を変えた言葉を浴びせていた。
声と言葉が脳から───勢いよく現実へ。
その瞬間、ハッとなって足が止まった。
(嘘だろ。・・・なんで、あいつらが)
もはや確認しなくたって正体ははっきりと掴められた。信じられないと首を振ろうにも、身体はすっかり真を悟って血の気を隠してしまっていた。
今すぐ逃げ出したいという欲望が溢れるが、高峰を見捨てるなんて行動は流石の俺にも不可能だ。
(いや・・・見捨てるなんて、なんて酷い事)
高峰は一度俺を切り捨てた。しかし間もなくして俺の傍に戻ってきた。
それを易々と裏切るような真似など。
唾を飲み込み、ゆっくり歩を進める。
小屋の壁に身体半分を押し付けて、恐る恐る顔を覗かせた。
そこには案の定想定していた『彼ら』がいた。着崩れた学生服に、派手派手しい金髪一人と赤色のメッシュ姿一人。格好こそ変わったものの、やはり背後からでも幼さの面影は全くもって消えていなかった。悪く言えば、何も変わらない、幼稚なままの姿。
二人が囲う奥に高峰の姿があった。彼の存在を確認すると、安堵すると同時に焦燥感にかられた。
「良いからさっさと金出せつっとんやろがぁ!」
「あのタバコ高いんだからよぉ、なぁ兄ちゃんよ。きっちり倍で返せよぉ」
浜本と田辺。確かそんな名前だった筈の、元同級生。俺の同級生時代の全てを泥と血で汚した、紛れもない、悪魔の張本人。
まさか彼らが高峰に因縁を付けて襲っているだなんて。
だが、高峰はそれでも至って冷静を努めているようだった。
「だからタバコが落ちたのはお前達がぶつかってきたからだと言ってるだろう。俺が金を払う義理などない」
「あぁ?!偉そうな事ほざいてんじゃねぇぞ!抵抗すりゃあどうなるか分かってんのか?ええ?」
体格のごつい浜本が高峰の胸倉を掴んで叫び散らした。隣の田辺はにやにやと気味悪く嘲笑して高峰の背後にまわった。
「元は兄ちゃんがそこにいたのが悪いよなぁ?俺らが足疲れて座ろうとしたら真ん中なんかに座ってやがるんだから」
 背水の陣の状態にも関わらず、高峰は恐れずぎっと睨みをかまして抵抗を続けた。
「他にもベンチはいくらでもあっただろう。わざわざ此方に座ってきたお前達に責任がある。第一高校生なのにタバコなど非常識な────」
「ガチャガチャうるせぇんだよ!!」
辺りに、ベシリと乾いた音が響いた。
その瞬間、肩が跳ね上がる。
浜本が高峰の頬を平手で叩いたのだ。次いで高峰の髪を掴み、顔を寄せた。
「クソ陰キャがでしゃばってんじゃねぇよ。これ以上痛めつけられたくないなら素直にさっさと金出せよ、あ?」
「・・・何をされようとも屈しない。どれだけ何をされようとも俺はお前達の言う事などきかない」
高峰の瞳はいつになく鋼の鋭利を携えていた。だがそうはなっていても彼が自らこの窮地から脱せられる可能性は極めて低い。遮られながらに映る彼の頬が、俺の全てに困惑と恐怖と催促を与えた。
「立場を弁えろ、このグズがよ」
「浜本、こりゃあ本気で身体で分からすしかねぇんじゃね?」
「どうもこいつは空気の読めない脳なしのようだしなぁ・・・痛めつけられても屈しないのなら、それを証明してみな───っと!」
浜本が高峰を殴りつけ、地面に放り込んだ。その光景に咄嗟に声が出そうになったが、慌てて口を塞いだ。今声を上げても気づかれて道連れだろう。彼らの背後に隠れたままで、足も竦んでしまっているのだ。
だがこのまま何もせず見守るだなんて許せない。そんなのあの二人と同レベルの悪行だ。共犯者だ。
・・・しかし、その気持ちとは裏腹にかつてない恐怖が身体を蝕んでいる。ゾワゾワと胸の奥がムカデが這うように蠢いている。
使用不能寸前の脳で考えた。
一体どうすれば良い?
敵は二人。ましてや因縁の相手で、戦力になってくれるコハクもいない。彼女や駅員を呼ぶという選択もあるが、それは自分自身によって速攻に阻止された。
そんな姑息な事ばかり。自分ではどうにもならないと決めつけて。
今の自分がそう言っているようで。
だけれど自分がそう叱責しても、簡単に足は動いてはくれない。目の前で広がる光景に目を震わせているだけ。
困惑している傍で、甲高い笑い声を上げながら二人が高峰を蹴りの殴りのと暴行を繰り返している。高峰の呻き声が耳にぐっ、と貫いて、このまま放置していれば命も危ういと察知した。
高まる心臓の鼓動が己に訴えかけ、急かす。多大なるエゴイズムの恐怖と無意識の使命感がごちゃ混ぜに葛藤し、息が苦しくなる。
「・・・!」
そんな時だった。突然、鏡の中の自分が幻覚として目の前に現れたような気がして、ハッとなった。
揺るぎない野望であり、自らが定めた義務───それは死。
かつての自分は、周りの環境以外にあの二人からも死の必要性を思い知らされた。仮初めの勇気の形成にもそれも少なからず素材となっているだろう。
しかし無駄だったのだ。それを知っている人間程しつこく生き延びてしまうのだ。
今の自分にはその勇気も無い。死にたいと願う気持ちをきちんと残しておきながら、根本の感覚を失っている。
それから、コハクの言った言葉が浮かんだ。
死ぬ為に、何にでも立ち向かえ。と。
でも俺が立ち向かう理由はそれだけではない。
高峰を救う為にも命を捧げると考えた。
死ぬ勇気と覚悟をここで転生させられれば、俺はあの二人の前に姿を現せられる。
無論それが高峰を助ける的確な方法となるかは保証が出来ない。それでも俺ならば彼らの気を引くには十分だ。その間に高峰だけでも助かれば良い。
標的が俺になれば、俺自身は殺されて結果的に此方の願いが叶う。
傍からは他殺だと思われるだろうが、これはあくまで自殺行為だ。本人が直接死ぬ間際に伝えよう。
誰かの為に、自殺してやろう。
俺なりの正常が答えた。
色めいた心がパシリと恐怖を撥ね除け、足を前へと向ける。
暴言にも暴力にも慣れているだろう?
潔く殴られながら死ぬが良い。
胸に手を当てて、その手で壁をバネにして、彼らの元へと駆け出して叫んだ。
「高峰に・・・何してるんだ!!」
俺は勢いよく浜本に突進した。賢い策なんて自分が考えられるわけがない。とにかく暴行を制止させたかった。
力は無くとも勢いのおかげで浜本を地面に転ばせる事が出来た。だがそれも一瞬の内だが。
浜本と田辺が並び、驚いた表情を浮かべながらも俺をぎっと睨みつけた。
「何だお前?てめぇもでしゃばりてぇのかァ?」
「浜本にタックルなんざぁ良い度胸やな。余程殺られてぇんだな!」
彼らは俺の正体に気づいていないのか単純なセリフを吐きながらジリジリと俺に近づいてくる。
俺は無言で睨みを返して、彼らが近づいてくるのを待つ。彼らが襲いかかる寸前で高峰に逃げろと言おうとしたのだが、その前に聞こえてきた奥からの声で状況が変わった。
「おい、北沢!!駄目だ、逃げろ!」
名前を呼ばれたのを聞いた二人が揃って「北沢?」と顔を見合わせた。
どうやら彼らは俺を覚えていなかったのだ。だが別にそれは構わない。奴らは知り合いだろうと他人であろうと軟弱には容赦無いのだから。
「もしかして中学までいたあの北沢か?あの、雑草みてぇに鬱陶しく生きてた奴?」
「そうだそうだ。その北沢じゃん、こいつ」
二人が獲物を捕え勝ち誇ったようににやけて俺に振り向く。
「よぉ、久しぶりだなぁ北沢君よぉ。まだ生きていたわけ?」
「しぶといねぇ。俺はてっきり自殺しちゃったのかと思った。残念だな、こんな所で出くわすなんて」
別に好きで生きてたわけじゃない。
お前らの望み通りになれればとっくにこの場にはいないだろうに。
「やめろ!!北沢に手を出すな!」
高峰が身を起こしてまで叫ぶ。二人はそれに全く耳を貸そうとしない。
「何、お前こいつの友達?え、まずダチがいたわけ?ははは!面白い冗談だな!」
「笑わせんなよ北沢~、てめぇみたいなゴミに友達なんざ有り得ねぇだろ」
好き放題言われるが、ちっとも傷つく事はない。
何を言われようとも彼らは成長しない。それは俺も同様。だから気にしていては死ぬ気など起きやしない。
「逃げろ北沢っ!このままだとお前まで・・・」
「人の事気にしてる場合じゃないだろうが!」
高峰の言葉を無理矢理に遮り、何度目かの大声を張り上げた。
「自分の安全優先して早く逃げろよ!高峰!」
高峰はあちこちに傷を負っていた。顔や首に赤く腫れ上がった部位や黒い痣が生じ、髪もボロボロになってしまっていて既に安泰でない事は明瞭だった。
それを見ると胸の奥が締め付けられるようで、一刻も早く彼にこの場から離れてほしいと高峰をきつく見つめた。
なのに、高峰は中々そこを離れようとしない。
「俺らを無視して友情ごっこなんざ随分な余裕だな、北沢」
「ゴミ虫の分際でよぉ。そこまで俺らに殺されたいか?え?」
俺は奴らに振り返り、ずっ、と奴らの前まで歩んだ。
「ああ。そうだよ。殺されたいからこうやってでしゃばった」
夜の刃のような風が背中を激しく押してくる。
「早く殺りなよ。君らの望みだろ。好きなだけいたぶれば良い」
奴らが喜々として「へぇ・・・?」などと反応を示した。
「喋ってもやっぱりイラつく野郎だぜ。けど嬉しいねぇ。最期まで俺らに遊ばれたいだなんて」
「北沢ぁ、遺言を遺すなら今だぜ?」
「遺言なんか無い。モタモタしないでくれないかな。さっさとしろよ」
自暴をむき出して噛み付いた。「そうかよ」と二人仲良く揃って不快さと愉快さを兼ね揃えた舌打ちをした。
そして浜本が俺の胸倉をぐっと掴み、ギチギチに目を見開いた。
「そんじゃあ遠慮無くてめぇをぶっ殺してやるよ」
力強い拳が助走をつけている。間もなく此方に飛んでくるのだろう。その後は散々に暴力と罵倒を受けて、息の根もそのどこかで止められるのだろう。
そんなビジョンを滑走よろしく巡らせ、ぐっと目を閉じる。
高峰の叫び声がするが、それももう遠くに感じた。
そして次の瞬間。
事態は予想外の方向へと向きを変えてしまった。
「おい、お前達こんな所で何をしているんだ!」
そんな第三者の声が響いたと同時に、頬に拳がぶち当たって地面へ叩きつけられた。
突如の出来事を呑み込もうとするが、痛みを訴える身体が上手く利かずに声だけが後に続くのを眺める形となった。
「騒ぎ声がするとお客から通達があった。お前達は高校生だな。ちょっとこっちに来なさい!」
お客と言っている辺りでは、声の主は駅員か何かだろうか。あの二人はその正体を知ったからか途端に黙ってしまい、そして間もなくして「やべぇ、逃げるぞ!」と騒々しく足音を鳴らしてその場を去っていった。
「君、大丈夫か」
声の主が俺の身体を支え、起き上がらせた。その正体は案の定駅員で、俺が頷くとそのまま立ち上がらせてくれた。
二人で高峰の元へと駆け寄ると、高峰は静かに泣きながら俺を見つめた。身をボロボロにされ、俺の何倍も痛い思いをしている高峰をぐっと見つめ返して、有無を言わずに彼を支えた。驚きと落胆の感情を今は埋めて、一刻も早く彼を安全な姿にしたいという想いだけを抱えて駅員の後を追った。
その後駅員室にて処置を施してもらい、助けてもらった駅員に高峰の親に連絡を入れてもらった。高峰は幸い骨折などの重症はないものの、頭を強打していて後日に病院で診てもらう事にしたようだ。軽傷で済んだとは言えやはり高峰に絆創膏やガーゼがあちらこちらに痛々しく貼られているのを見ると、目の前の人間がまるで顔も知らぬ別人に思えて気の重さがのしかかってくるようだった。
高峰の親が迎えに来るまで、荷物を放置したままのベンチに戻って待機する事にした。あの駅員がこの部屋で待っていたらと更に親切をくれたが、高峰の希望でここで待つ事になった。希望する理由は俺と二人きりで話がしたいから、らしい。

「・・・もう何度目だろうな。こうやって二人だけで話すのは」
ポソリとそう口を開く高峰を直視するには少し勇気がいるようだった。
「数えたってしょうがないよ。その場を作ってるのは俺なんだからさ」
「でも今回は違うだろ」
固い声音でフォローをする高峰を、首を横に振って否定した。
「いや。あいつらは元々同級生で知り合いだったんだ。それが無関係の高峰に危害を及ばせたんだから、結局俺のせいなんだよ。ごめん」
「お前のせいなわけがないだろ!・・・それに謝りたいのは俺の方だ。お前を危険に晒してしまって本当にすまなかった。俺があの時きちんと追い払えていたらこんな事にならなかったのに」
「謝られても言える事は無いよ。今回も俺を恨めば良いんだ。いつも通り、俺が自殺行為に走ったんだって思えば良い」
すると、ここで高峰がピタリと黙ってしまった。何かあったのかと勇気も忘れて振り向くと、高峰は今までにない程の暗い表情で唇を噛み、涙を堪えているようだった。
どう声をかけたら最善かが分からず、落ち着かぬまま遠くの薄暗い建物の光を眺めるしかなかった。
「────北沢は、」
「え?」
静寂と寒気を遮るその声は、その時だけ掠れていた。
次の瞬間には彼は身を乗り出してまで俺にこんな事を言い出したのだ。
「北沢は、今の言葉を俺が冗談として、あるいは当たり前のように軽く受け取って終わりにするとでも思っているのか・・・?」
高峰がぐっと俺の服の胸部分をきつく握りしめた。
「・・・違うの?」
「違う!!」
そう叫ぶ高峰の涙目の眼差しが俺を捉えて離さない。
「お前がその事に本気なのは承知している。だからこそ今のが・・・とても辛かった。死んでほしくないのに、これだとまるで俺が俺の為に死んでくれと強要しているようだ!お前が思ってなくとも、俺はそれが許せない・・・」
限界に達した一筋の雫が、彼の瞼からすっ、と落ちた。
それが俺の手の甲まで滴って、その温もりが俺の卑劣な口と心を慎ませた。同時にその温度に急に悲しみが込み上げて、こっちまで泣きたい衝動に駆られる。
今の高峰は俺よりずっと繊細でか弱い存在だ。
平常心と頑固な意思を保っているつもりなのだろうけど、内心はきっとその反面なのだ。
その原因を作ったのは紛れもなく自らで、その上で無自覚に更に傷を抉っているという事。
あの二人より酷い事をしているのだ。自分は。
彼の人間的ギャップと平坦が歪曲したような非人間的なギャップでは訳が違う。
彼は綺麗。だからこっちも辛くなる。
こんなにも真っ当な人間を狂わせようとしている、その自分を恨んでならない。
その手を握ろうにも、握る資格など俺には無いのだ。
「・・・高峰、」
 今度はこっちが涙を我慢しながら、か細く声を掛けた。
「・・・俺が自殺行為をしても、自分のせいだって絶対思わないで」
本来ならもっと言わなければならない言葉なんて幾つあっても足りない。
自分の限界の優しさと本心だけで、彼に向き合った。
「これが、俺なんだ。強要じゃない。さっきのも自らの意思で、あんたを救う代わりに死のうと覚悟しただけ。これが俺の純粋なんだ」
俺は高峰をじっと見つめ、そしてこっそりと笑った。
「それにあんたの為に死ねるのなら、それが本望だよ」
例え自分にある「高峰」という希望を人生から抹消しなければならないとしても。
それが野望を叶える条件で、且つ彼の今後の未来を後押しする事も出来るなら、それは一石二鳥だと考えよう。
───と。
刹那、人の体温をやたらと近くに感じた。
それだけの事に驚いている場合ではない。
「ちょっと高峰、」
高峰は俺の身体を腕で包み込んで、その力を強めて震わせていた。世間で言う、ハグというやつだろうか。強いと言っても痛みは無い。けれど余計に胸は苦しくなっていく。
・・・恐らく、これはハグではなく、俺を逃がさぬように拘束しているのだ。
「・・・死なないでくれ、どうか・・・っ!」
彼の傷心しきった懇願を聞いた瞬間、ほろっ、と涙が零れた。
「俺の為にも自分の為にも死なないで・・・生きていてくれよ、俺と・・・」
視界がぼやけて、彼の声だけが鮮明に身体の全てに響く。
だから次に彼から出る言葉を妨げる事も早かった。
「・・・それが無理なら俺も、」
「それは駄目だよ!」
どれだけ何を言われても構わない。でもそれだけは言って欲しくない。
追い打ちをかけられそうになって自分も限界がきたのだ。
悔しくて辛くて、これ以上に狂ってしまいそうだ。
「俺はあんたにそんな事言わせる為にあんな無茶したわけじゃないのに・・・っ」
言葉で伝えられなくても、心は既に傷で満たされていた。
どんな暴力や暴言よりもずっと痛くてたまらない。
「一緒に死ぬかって聞いたら否定しただろ・・・?死ぬって言われたら生きたくなるんだろ・・・?それなのに、手のひら返しして俺の本心を潰そうとしないでくれよ・・・っ」
「・・・北沢・・・」
「死なないって約束なんか出来ない。だけどあんたは生きていてほしい。今のがもし冗談であろうとも、そんな事絶対言わせない。死ぬのは俺一人で十分だ」
生きていてほしいから、彼の為に身を滅ぼす決意をしたのだ。
彼の希求を無下にする意図など無いが、それが彼を最悪な運命に引きずりこんでしまうのなら、初めから突き放してしまう方が良い。
その代わりに、俺は高峰の背に両手を回した。
「相変わらず酷い奴でしょ、俺。もしかしたら幻滅してるかもしれない。けど俺は・・・これでも今が人生の中で一番幸せな時間だって思ってるんだよ」
「・・・でも、まだ死のうとしてるだろ」
「それはもう手遅れ。でも・・・いくらろくでもない人生送ってても、こんな一時もナシに死ぬのは嫌かもね。高峰はそれをくれてる。あんたといるこの日常が、何よりね」
いずれこの日常を手放さなければならない日が来る。
でもそれは今すぐではない。
この時だから、幸福と感じられる。
「つまり何が言いたいかってね、高峰は普段通り自殺しようとする俺を止めながら、そうじゃない俺と色々話をしてほしいんだ。ゲームでも、勉強でも、何だって・・・」
昨日や一昨日の、何気ない談話の光景が脳にふっと浮かんだ。
これは周りから見れば何の変哲もないごくごく当たり前な光景だ。
その当たり前の光景は、俺には満天にかかった星の欠片を手に掴む程に貴重な体験で、そして忘れる事の無い大事な記憶。
この記憶に、余分な壁はいらない。
「・・・流石にこんな我儘、通らない事は分かってる。けど、もうこれ以上あんたに求めない。それからなるべく・・・せめて不安にさせるような言葉は言わない」
俺を包む高峰の手の力が一瞬だけ緩んで、再びきつくなった。高峰はそのまま、答えを考えているのか沈黙を貫いた。
そして、やがて彼がこう言った。
「・・・約束してくれるか」
「うん。俺が出来る限りの事は約束する」
高峰がおもむろに手を解き、俺から離れた。
高峰はいつの間にか泣き止んでいた。それどころか俺と目を合わせると、微笑んだのだ。
「お前は本当に酷い奴だ。これだけ言っても全然生きようとしてくれない」
「ごめん」
どういう表情をしていれば分からず、目を逸らす。
「だが、それがお前なんだな。お前がそんなだからこそ俺もお前に、生きる事の大事さを思い知らせたいと思うんだ」
寒く重々しい黒雲から月光が射して、辺りが少しだけ明るくなった。
「それにそうでなくても、お前といる事は俺にとって必要不可欠な事だ。お前がいないとつまらない。だからお前の我儘は俺の我儘でもある。こちらこそ頼む。これからも何も変わらず俺といてくれ」
まるで告白かと思うくらいの誠実な言葉を受け止める。
「高峰もそう望むなら、勿論」
俺は精一杯笑って応えた。



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