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前編
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咲子の家の広い庭の奥には、すてきな泉があります。
立派な囲いなどはありませんが、こんこんと冷たい水がわき、中には咲子が縁日ですくってきたひらひらと赤いしっぽをゆらす金魚などがいて。
水草がおよぎ、まわりを囲んだ小さな小石が岩のようにおおきくみえて。
そこだけちがう世界のような、そう。まるで神さまのいらっしゃるような、泉でした。
だから咲子は嫌なことや辛いことがあるといつも決まってここへきては、スカートが汚れるのもかまわずに泉の前にすわりこんで、水の中を、神さまの世界をじっとみつめているのでした。
2日間のおおきな嵐が過ぎた次の日、咲子はとても怒っていました。
お母さんが町に買い物に出かけるのでお留守ばんを頼まれた咲子は玄関で見送るときに、お母さんに言ったのです。
「お母さん、お母さん。とってもきれいな赤のクレヨンを買ってきてちょうだい。わたし、泉の金魚をかきたいの。おねがいよ」
するとお母さんはエプロンのすそをつかんでいる咲子の頭をなでました。
「はいはい、わかりましたよ。さっちゃんはきれいな赤いクレヨンが欲しいのね?大丈夫。とびっきりきれいな赤を買ってくるわ」
やさしくそう言ってお母さんは出かけていきました。
咲子はまだとびっきりきれいな赤のクレヨンをもらったわけではないのに、うれしくてたまらなくなりました。
もし道を歩いていたら、すれちがったみんなに自慢したいくらい、いつもはこわくて通れないたくさんほえるポチのいる家の前もスキップで通れそうなくらい、咲子はうれしかったのです。
しばらくして、お母さんが帰ってきました。
咲子はガラガラと引き戸をあける音に、読んでいた絵本を放りなげ、とぶような勢いで玄関へと走っていきました。
玄関にいくとお母さんは両手の荷物を框へおいて、ひと休みしていました。
咲子にはその背中がおいで、といっているようにみえたので、かたわらにおかれた荷物に気をつけながらお母さんの背中にとびつきました。
「おかえりなさいっ、お母さん」
「もう、おどろいたわ。ただいま、さっちゃん。いい子にお留守ばんできたのね、ありがとう。」
一瞬ぐらり、と前へかたむきかけた体をもちなおして、お母さんはゆっくり咲子をぎゅっとしました。
咲子もぎゅっとしかえしてから、急いではなれるとはやる心をおさえきれず、お母さんにたずねました。
「お母さん、お母さんっ、とびっきりきれいな赤のクレヨン、買ってきてくれた? はやくちょうだい!」
咲子が言うと、お母さんは咲子が差し出した手を困ったようにみつめました。
「ごめんなさいね。クレヨン売り場に行ったのだけれど、あなたよりもずうっと小さな子がとびっきりきれいな赤を欲しがっていたものだから、譲ってしまったの。それがさいごのものだったらしくて。
だからね、かわりに、と言ってはなんだけど、とびっきりきれいな青のクレヨンを買ってきたのよ」
本当にごめんなさいね、とあやまるお母さんの手。その上にあるひとつだけ特別につつまれた茶色の紙袋からころん、とでてきたのはきれいなきれいな青色のクレヨンでした。
咲子はびっくりして目をぱちぱちとしばたかせた後、だんだん怒ってきました。
咲子がかきたいのはひらひらとしっぽまで赤い、金魚なのです。
とびっきりきれいな赤でかいた、泉にいる、金魚なのです。
この世のどこをさがしても、ましてや咲子の家の泉に、お母さんが買ってきたような青いクレヨンでかける金魚はいないのです。
だから咲子は泉に来ました。とっても怒り、大好きなお母さんに「大っきらい!」とさけんで、自分のサンダルをひっかけて、そのまま走ってきたのです。
わき出る水がかすかに音をたてる以外は静かな泉の前に両足をかかえこんですわるとき、お花がついたお気に入りの赤い、かわいいサンダルにどろがたくさんついて少ししょんぼりしてみえました。
このサンダルはお母さんと一緒に買い物に行ったときに2人で選んだものでした。
こんこんわき続ける泉をみていると、咲子は悲しくなってきました。
咲子はお母さんが大好きです。けして、けして、大っきらいなどではありません。
とびっきりきれいな赤を買ってきてもらえなかったことよりも、大好きなお母さんに大っきらいといってしまったことが、咲子には悲しかったのです。
それにちらりと考えました。もし、もしもお母さんが咲子をきらいになって、このまま捨てられてしまったら?
ううん。よけいに悲しくなってふるふると首をふると咲子はまた泉に目をむけました。
目にいっぱい涙をためてうるうるさせても、咲子はぜったいに泣かないんだから、とぐっとくちびるをかんでがまんしていました。
「お母さんが悪いのよ。だって、わたしがかきたいのはとびっきりきれいな赤い、金魚なんだもの。
うちのどこをさがしたって、ううん、世界中をさがしたって青い金魚なんかいやしないわ!」
にらみつけるように泉をみているとふいに泉のなかでなにかが青くきらり、と光りました。
それはお日さまが水をきらきらさせるのとはちがい、なにかがこちらをみているような、よばれているような。きらり、でした。
少なくとも咲子は泉のなかで青くきらり、と光るなにかを知りませんでしたし、いままで見たこともありませんでした。
なにかしら、と思っておもわず身をのりだしてのぞきこんでみると、泉のなかで、きらり、きらり、またなにかがつづけて2回、光りました。
それをよくみようとすーいすーいとおよいでいる金魚たちをかきわけ泉の中に手をいれた途端、
とぽーんと咲子は水の中へ落ちてしまいました。
音がへんに静かにひびき、それっきりでした。
咲子が落ちると広がった波紋をきれいによけた金魚たちが、またすーいすーいともどってきました。
立派な囲いなどはありませんが、こんこんと冷たい水がわき、中には咲子が縁日ですくってきたひらひらと赤いしっぽをゆらす金魚などがいて。
水草がおよぎ、まわりを囲んだ小さな小石が岩のようにおおきくみえて。
そこだけちがう世界のような、そう。まるで神さまのいらっしゃるような、泉でした。
だから咲子は嫌なことや辛いことがあるといつも決まってここへきては、スカートが汚れるのもかまわずに泉の前にすわりこんで、水の中を、神さまの世界をじっとみつめているのでした。
2日間のおおきな嵐が過ぎた次の日、咲子はとても怒っていました。
お母さんが町に買い物に出かけるのでお留守ばんを頼まれた咲子は玄関で見送るときに、お母さんに言ったのです。
「お母さん、お母さん。とってもきれいな赤のクレヨンを買ってきてちょうだい。わたし、泉の金魚をかきたいの。おねがいよ」
するとお母さんはエプロンのすそをつかんでいる咲子の頭をなでました。
「はいはい、わかりましたよ。さっちゃんはきれいな赤いクレヨンが欲しいのね?大丈夫。とびっきりきれいな赤を買ってくるわ」
やさしくそう言ってお母さんは出かけていきました。
咲子はまだとびっきりきれいな赤のクレヨンをもらったわけではないのに、うれしくてたまらなくなりました。
もし道を歩いていたら、すれちがったみんなに自慢したいくらい、いつもはこわくて通れないたくさんほえるポチのいる家の前もスキップで通れそうなくらい、咲子はうれしかったのです。
しばらくして、お母さんが帰ってきました。
咲子はガラガラと引き戸をあける音に、読んでいた絵本を放りなげ、とぶような勢いで玄関へと走っていきました。
玄関にいくとお母さんは両手の荷物を框へおいて、ひと休みしていました。
咲子にはその背中がおいで、といっているようにみえたので、かたわらにおかれた荷物に気をつけながらお母さんの背中にとびつきました。
「おかえりなさいっ、お母さん」
「もう、おどろいたわ。ただいま、さっちゃん。いい子にお留守ばんできたのね、ありがとう。」
一瞬ぐらり、と前へかたむきかけた体をもちなおして、お母さんはゆっくり咲子をぎゅっとしました。
咲子もぎゅっとしかえしてから、急いではなれるとはやる心をおさえきれず、お母さんにたずねました。
「お母さん、お母さんっ、とびっきりきれいな赤のクレヨン、買ってきてくれた? はやくちょうだい!」
咲子が言うと、お母さんは咲子が差し出した手を困ったようにみつめました。
「ごめんなさいね。クレヨン売り場に行ったのだけれど、あなたよりもずうっと小さな子がとびっきりきれいな赤を欲しがっていたものだから、譲ってしまったの。それがさいごのものだったらしくて。
だからね、かわりに、と言ってはなんだけど、とびっきりきれいな青のクレヨンを買ってきたのよ」
本当にごめんなさいね、とあやまるお母さんの手。その上にあるひとつだけ特別につつまれた茶色の紙袋からころん、とでてきたのはきれいなきれいな青色のクレヨンでした。
咲子はびっくりして目をぱちぱちとしばたかせた後、だんだん怒ってきました。
咲子がかきたいのはひらひらとしっぽまで赤い、金魚なのです。
とびっきりきれいな赤でかいた、泉にいる、金魚なのです。
この世のどこをさがしても、ましてや咲子の家の泉に、お母さんが買ってきたような青いクレヨンでかける金魚はいないのです。
だから咲子は泉に来ました。とっても怒り、大好きなお母さんに「大っきらい!」とさけんで、自分のサンダルをひっかけて、そのまま走ってきたのです。
わき出る水がかすかに音をたてる以外は静かな泉の前に両足をかかえこんですわるとき、お花がついたお気に入りの赤い、かわいいサンダルにどろがたくさんついて少ししょんぼりしてみえました。
このサンダルはお母さんと一緒に買い物に行ったときに2人で選んだものでした。
こんこんわき続ける泉をみていると、咲子は悲しくなってきました。
咲子はお母さんが大好きです。けして、けして、大っきらいなどではありません。
とびっきりきれいな赤を買ってきてもらえなかったことよりも、大好きなお母さんに大っきらいといってしまったことが、咲子には悲しかったのです。
それにちらりと考えました。もし、もしもお母さんが咲子をきらいになって、このまま捨てられてしまったら?
ううん。よけいに悲しくなってふるふると首をふると咲子はまた泉に目をむけました。
目にいっぱい涙をためてうるうるさせても、咲子はぜったいに泣かないんだから、とぐっとくちびるをかんでがまんしていました。
「お母さんが悪いのよ。だって、わたしがかきたいのはとびっきりきれいな赤い、金魚なんだもの。
うちのどこをさがしたって、ううん、世界中をさがしたって青い金魚なんかいやしないわ!」
にらみつけるように泉をみているとふいに泉のなかでなにかが青くきらり、と光りました。
それはお日さまが水をきらきらさせるのとはちがい、なにかがこちらをみているような、よばれているような。きらり、でした。
少なくとも咲子は泉のなかで青くきらり、と光るなにかを知りませんでしたし、いままで見たこともありませんでした。
なにかしら、と思っておもわず身をのりだしてのぞきこんでみると、泉のなかで、きらり、きらり、またなにかがつづけて2回、光りました。
それをよくみようとすーいすーいとおよいでいる金魚たちをかきわけ泉の中に手をいれた途端、
とぽーんと咲子は水の中へ落ちてしまいました。
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