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40 神にまで見放されている男
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レナードが戴冠式を終えて大聖堂を後にした頃には、バケツをひっくり返したような激しい雨が降っていた。
馬車に乗ろうとしただけで全身ずぶ濡れになるし、足元には泥が跳ねて散々な気分になった。
戴冠式が始まる前まで空は青く晴れ渡っていたのに、これではまるで天上にいる神までもがレナードの即位を拒んでいるようだった。
そして民衆の抗議の怒号はこんな雨の中でも止む気配がなく、王都中に響き渡っていた。
「裏切り者の王など、モルゲンロートにはいらない!」
「正統なる王位継承者を玉座に!」
「裏切者は全員断頭台へ送れ!」
雷鳴が轟くなかでも、激しさを増す民衆の抗議活動。
その中には処刑を望む声まで混じっていて、レナードは恐怖にぶるりと身体を震わせた。
そして通常なら、戴冠式を終えた国王は馬車の窓から顔を覗かせ民衆に手を振って挨拶する。
だがレナードは窓の外を見ようともせず、ただじっと一点を見つめブツブツとなにかを口にするだけ。
そんなレナードに、隣に座るアリーシアは苛立ちを覚えていた。
「レナード様、いったいどうなさったのです? 窓を開けて民に手を振ってあげませんと……」
「窓を開ける!? そんな危険なこと、できるわけないだろう! 石を投げられるか、窓から引きずり出されて嬲り殺されるのが目に見えているんだぞ! お前は私に……死ねというのか!」
「まさかそんな。いくらなんでもそんなこと、ありえませんわ。それに民が少々騒いでいるくらいで……王たるもの、もう少し余裕をお見せにならなくてどうするのですか?」
そんな二人が王宮に戻ると、レナードの即位を祝う夜会が王宮の大広間で催された。
頭上には豪奢なシャンデリアが美しく煌めき。
楽団の奏でる楽しげな音楽が響き渡る大広間は貴族達の笑い声でとても賑やかで、外の喧騒を一瞬だが忘れてしまいそうになる。
そして華やかな衣装を身に纏う貴族達が、にこやかな笑顔を浮かべて新王を迎え入れた。
けれどそのにこやかな微笑みはどこか冷ややかで、誰もレナードを祝福などしていないことが明らかだった。
しかしレナードが第二王女アリーシアを伴って大広間に姿を現すと、貴族達は談笑を止めて一斉に頭を垂れた。
「陛下、本日は誠におめでとうございます」
「新王陛下の新たなる時代の幕開けを、心よりお祝い申し上げます」
「この良き日に立ち会えましたこと、嬉しく思います」
貴族達は代わる代わるレナードの前に顔を出して、祝福の言葉を口にする。
その挨拶をレナードは心ここにあらずとでもいうように、ぼんやりと聞いていた。
そんなレナードの視線の先にあるのは、男たちに囲まれて楽しそうに笑うアリーシアの姿だった。
次の王妃、モルゲンロートの第二王女。
そしてフランツェスカの腹違いの妹。
どうしてこうなってしまったのか。
前はそれでもいいと思っていた。
だが今は男達に囲まれて、笑っているアリーシアのことが汚らわしく感じてしまう。
フランツェスカならきっと自分の側にずっといてくれただろうし、何人もの男を周りに侍らすこともなかったはず。
それにさっきだって、アリーシアは落ち込む自分を励ますどころか侮蔑の視線を向けてきた。
馬車の窓を開けて民に挨拶しなかった、たったそれだけのことで。
もしもあの時フランツェスカを裏切らずにいれば、そんな後悔だけがレナードの中に募っていく。
――その時。
夜会の楽しげな空気を切り裂くように、大広間の扉が勢いよく開かれた。
衛兵の声が、大広間に高らかに響く。
「――クーゲル帝国よりの使節団、たった今ご到着にございますっ!」
その声に、大広間の空気が一瞬で張り詰めた。
貴族達には動揺が走り、楽しげな音色を奏でていた楽団は手を止めて困惑の表情を浮かべる。
そして人々の視線が、一斉に大広間の入り口へと注がれた。
現れたのは、赤の外套を纏ったこの世の者とは思えぬほど恐ろしく端正な顔立ちの青年で。
貴婦人や令嬢達が、その美しい姿に黄色い声を上げて頬を赤らめた。
そして青年のその胸元には帝国の勲章がいくつも輝いており、位の高い人物なのだと一目でわかった。
「帝国の使者がなぜ? いったい誰が呼んだのだ……」
レナードの隣に控えていた宰相が低く呟く。
帝国など呼んだ覚えはない。
というか帝国なんぞ呼ぶわけがない。
……なのに、なぜ。
困惑を隠せない宰相やレナードの元へ。
帝国からやってきた青年は、にこやかな笑みを浮かべて軽やかな足取りで歩いてくる。
そして、レナードの前で止まった青年は。
「モルゲンロートの新しい風、フランツェスカ女王陛下にお目通り願いたい」
「え……」
大広間に緊張が走った。
ここにフランツェスカはもういない。
彼女から王位を簒奪し、和平の人質としてシュヴァルツヴァルトに差し出したのだから。
「本日貴国で新国王の戴冠式が行われると風の噂にお聞きしまして。残念なことに帝国は戴冠式に招待いただけなかったのですが、ぜひともフランツェスカ女王陛下に直接お会いして祝いの言葉を申し上げたく」
「フ、フランツェスカは、その……ここにはいないのです」
口篭るレナード。
その様子に青年は訝しげな視線を向ける。
「ここにいない……? ああ、お疲れになられてもう奥に下がられましたか。では帝国からアクセルが来たと、女王陛下にお伝えください。きっと喜んでお会いしてくださるはずです」
「大変申し訳ないが、フランツェスカはこの国にはもういません。彼女はシュヴァルツヴァルトに輿入れしましたので」
「……は? フランツェスカがシュヴァルツヴァルトに輿入れ……それはいったいなんの冗談でしょうか? 戴冠式が行われたということは、フランツェスカが女王に即位した……ということですよね?」
アクセルと名乗った青年はそう言ってじっとレナードを見据えた。
そして見据えたアクセルの瞳は、フランツェスカと同じ紫紺色で。
レナードの心臓が、びくりと跳ねた。
「紫の瞳、もしや帝国の……?」
「申し遅れました。私はクーゲル帝国の皇太子でアクセル・フォン・クーゲル」
「て、帝国の皇太子……なぜ、ここに?」
「ああ、フランツェスカは私のいとこなので」
「いとこ、ですか……?」
「ええ。フランツェスカの母アダルハイダは、我が父……皇帝の同腹の妹。そして父は幼くして母を亡くしたフランツェスカをずっと気にかけていましてね。それに私もフランツェスカとは幼い頃から手紙を交わしていたので仲はいいんですよ、誕生日には贈り物を贈り合ったり……」
「こ、皇帝……?」
「それで、話を戻しますが……フランツェスカがいないというのはどういうことですか? シュヴァルツヴァルトに輿入れ? 意味がわからない。モルゲンロートは我が国と交わした条約を破るということでしょうか?」
「条約? それはいったいなんのことでしょう……初めてお聞きいたしますが」
レナードはなにを言われているのかわからない。
そしてそこにいる誰も、そんな条約は聞いたことがなかった。
「モルゲンロート国王にアダルハイダ皇女を嫁がせ、その子に王位を継がせる。その代わりに帝国から多額の資金援助を受ける。もしそれを破れば……モルゲンロートを帝国の属国にしてもかまわない」
「なっ、属国!?」
「ええ、モルゲンロート国王と帝国で今から二十年ほど前に取り決められています……条約文はそちらにもあるはずですが?」
その瞬間、レナードは己がいったいどんな過ちを犯してしまったのかを知ったのだった。
レナードが戴冠式を終えて大聖堂を後にした頃には、バケツをひっくり返したような激しい雨が降っていた。
馬車に乗ろうとしただけで全身ずぶ濡れになるし、足元には泥が跳ねて散々な気分になった。
戴冠式が始まる前まで空は青く晴れ渡っていたのに、これではまるで天上にいる神までもがレナードの即位を拒んでいるようだった。
そして民衆の抗議の怒号はこんな雨の中でも止む気配がなく、王都中に響き渡っていた。
「裏切り者の王など、モルゲンロートにはいらない!」
「正統なる王位継承者を玉座に!」
「裏切者は全員断頭台へ送れ!」
雷鳴が轟くなかでも、激しさを増す民衆の抗議活動。
その中には処刑を望む声まで混じっていて、レナードは恐怖にぶるりと身体を震わせた。
そして通常なら、戴冠式を終えた国王は馬車の窓から顔を覗かせ民衆に手を振って挨拶する。
だがレナードは窓の外を見ようともせず、ただじっと一点を見つめブツブツとなにかを口にするだけ。
そんなレナードに、隣に座るアリーシアは苛立ちを覚えていた。
「レナード様、いったいどうなさったのです? 窓を開けて民に手を振ってあげませんと……」
「窓を開ける!? そんな危険なこと、できるわけないだろう! 石を投げられるか、窓から引きずり出されて嬲り殺されるのが目に見えているんだぞ! お前は私に……死ねというのか!」
「まさかそんな。いくらなんでもそんなこと、ありえませんわ。それに民が少々騒いでいるくらいで……王たるもの、もう少し余裕をお見せにならなくてどうするのですか?」
そんな二人が王宮に戻ると、レナードの即位を祝う夜会が王宮の大広間で催された。
頭上には豪奢なシャンデリアが美しく煌めき。
楽団の奏でる楽しげな音楽が響き渡る大広間は貴族達の笑い声でとても賑やかで、外の喧騒を一瞬だが忘れてしまいそうになる。
そして華やかな衣装を身に纏う貴族達が、にこやかな笑顔を浮かべて新王を迎え入れた。
けれどそのにこやかな微笑みはどこか冷ややかで、誰もレナードを祝福などしていないことが明らかだった。
しかしレナードが第二王女アリーシアを伴って大広間に姿を現すと、貴族達は談笑を止めて一斉に頭を垂れた。
「陛下、本日は誠におめでとうございます」
「新王陛下の新たなる時代の幕開けを、心よりお祝い申し上げます」
「この良き日に立ち会えましたこと、嬉しく思います」
貴族達は代わる代わるレナードの前に顔を出して、祝福の言葉を口にする。
その挨拶をレナードは心ここにあらずとでもいうように、ぼんやりと聞いていた。
そんなレナードの視線の先にあるのは、男たちに囲まれて楽しそうに笑うアリーシアの姿だった。
次の王妃、モルゲンロートの第二王女。
そしてフランツェスカの腹違いの妹。
どうしてこうなってしまったのか。
前はそれでもいいと思っていた。
だが今は男達に囲まれて、笑っているアリーシアのことが汚らわしく感じてしまう。
フランツェスカならきっと自分の側にずっといてくれただろうし、何人もの男を周りに侍らすこともなかったはず。
それにさっきだって、アリーシアは落ち込む自分を励ますどころか侮蔑の視線を向けてきた。
馬車の窓を開けて民に挨拶しなかった、たったそれだけのことで。
もしもあの時フランツェスカを裏切らずにいれば、そんな後悔だけがレナードの中に募っていく。
――その時。
夜会の楽しげな空気を切り裂くように、大広間の扉が勢いよく開かれた。
衛兵の声が、大広間に高らかに響く。
「――クーゲル帝国よりの使節団、たった今ご到着にございますっ!」
その声に、大広間の空気が一瞬で張り詰めた。
貴族達には動揺が走り、楽しげな音色を奏でていた楽団は手を止めて困惑の表情を浮かべる。
そして人々の視線が、一斉に大広間の入り口へと注がれた。
現れたのは、赤の外套を纏ったこの世の者とは思えぬほど恐ろしく端正な顔立ちの青年で。
貴婦人や令嬢達が、その美しい姿に黄色い声を上げて頬を赤らめた。
そして青年のその胸元には帝国の勲章がいくつも輝いており、位の高い人物なのだと一目でわかった。
「帝国の使者がなぜ? いったい誰が呼んだのだ……」
レナードの隣に控えていた宰相が低く呟く。
帝国など呼んだ覚えはない。
というか帝国なんぞ呼ぶわけがない。
……なのに、なぜ。
困惑を隠せない宰相やレナードの元へ。
帝国からやってきた青年は、にこやかな笑みを浮かべて軽やかな足取りで歩いてくる。
そして、レナードの前で止まった青年は。
「モルゲンロートの新しい風、フランツェスカ女王陛下にお目通り願いたい」
「え……」
大広間に緊張が走った。
ここにフランツェスカはもういない。
彼女から王位を簒奪し、和平の人質としてシュヴァルツヴァルトに差し出したのだから。
「本日貴国で新国王の戴冠式が行われると風の噂にお聞きしまして。残念なことに帝国は戴冠式に招待いただけなかったのですが、ぜひともフランツェスカ女王陛下に直接お会いして祝いの言葉を申し上げたく」
「フ、フランツェスカは、その……ここにはいないのです」
口篭るレナード。
その様子に青年は訝しげな視線を向ける。
「ここにいない……? ああ、お疲れになられてもう奥に下がられましたか。では帝国からアクセルが来たと、女王陛下にお伝えください。きっと喜んでお会いしてくださるはずです」
「大変申し訳ないが、フランツェスカはこの国にはもういません。彼女はシュヴァルツヴァルトに輿入れしましたので」
「……は? フランツェスカがシュヴァルツヴァルトに輿入れ……それはいったいなんの冗談でしょうか? 戴冠式が行われたということは、フランツェスカが女王に即位した……ということですよね?」
アクセルと名乗った青年はそう言ってじっとレナードを見据えた。
そして見据えたアクセルの瞳は、フランツェスカと同じ紫紺色で。
レナードの心臓が、びくりと跳ねた。
「紫の瞳、もしや帝国の……?」
「申し遅れました。私はクーゲル帝国の皇太子でアクセル・フォン・クーゲル」
「て、帝国の皇太子……なぜ、ここに?」
「ああ、フランツェスカは私のいとこなので」
「いとこ、ですか……?」
「ええ。フランツェスカの母アダルハイダは、我が父……皇帝の同腹の妹。そして父は幼くして母を亡くしたフランツェスカをずっと気にかけていましてね。それに私もフランツェスカとは幼い頃から手紙を交わしていたので仲はいいんですよ、誕生日には贈り物を贈り合ったり……」
「こ、皇帝……?」
「それで、話を戻しますが……フランツェスカがいないというのはどういうことですか? シュヴァルツヴァルトに輿入れ? 意味がわからない。モルゲンロートは我が国と交わした条約を破るということでしょうか?」
「条約? それはいったいなんのことでしょう……初めてお聞きいたしますが」
レナードはなにを言われているのかわからない。
そしてそこにいる誰も、そんな条約は聞いたことがなかった。
「モルゲンロート国王にアダルハイダ皇女を嫁がせ、その子に王位を継がせる。その代わりに帝国から多額の資金援助を受ける。もしそれを破れば……モルゲンロートを帝国の属国にしてもかまわない」
「なっ、属国!?」
「ええ、モルゲンロート国王と帝国で今から二十年ほど前に取り決められています……条約文はそちらにもあるはずですが?」
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