吸血鬼令嬢は血が飲めない

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160年目の拒絶

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「レギナお嬢様。160歳のお誕生日、おめでとうございます」

 冷淡な声で言うのは、わたくしの唯一無二の執事スアヴィスです。
 彼が指を鳴らすと、舞台のように巨大なオペラケーキが、どこからともなくテーブル上に出現しました。

 ケーキにはムラひとつ無く、中央には蝙蝠モチーフの繊細なチョコレート細工が飾られている。こんな丁寧な仕事、あの乱暴な料理長に出来るはずがない。
 崩すのが躊躇われる芸術品に、わたくしはタジタジになってしまいます。

「…あ、ありがとう、スアヴィス。あなたお手製のバースデーケーキ、今年は随分と気合いが入ってますわね」

 わたくしは斜め後ろに控えるスアヴィスに声を掛けます。

 蝙蝠の羽のような裾の燕尾服を纏う彼は、血の気の無い真っ青な顔で、わたくしをジッと見つめています。
 これが彼の普通だと分かっていても…わたくしは睨まれてる気がして、少し身を引いてしまうのです。
 かく言うわたくしも、彼以上に生気の失せた青白い顔をしているのだけど。

 わたくしの誕生日をお祝いしてくれるのは、この広いお城の中でスアヴィスただ一人だけ。それについては、純粋に感謝しなくてはいけません。

「…はぁ。“我が父”は永い眠りについたまま100年以上目覚めず。あなたは退屈じゃありませんの? わたくしのお守りばかりの毎日が」

 スアヴィスは表情を少しも変えることなく、首を横に振ります。

「お嬢様の一番近くで成長を見守る。それは、眠りにつかれたご主人様には得られない特権でございます」

「…そういうものかしら? でも、いつもこんなに豪勢なお料理を振る舞う必要ないんですのよ。嬉しくない…わけじゃないけど」

「お気に召していただき光栄でございます。今宵はお嬢様の、記念すべき160回目のお誕生日ですから。それに…、」

 スアヴィスが再度指を鳴らすと、テーブル上にもうひとつ品が出現しました。
 ただしそれはケーキではありません。
 曇り無きグラスになみなみと注がれた、赤くて鉄臭い液体。

「ヒィ!!」

 それを見たわたくしは飛び上がり…同時に、毎年恒例の台詞を思い出して冷や汗を流しました。
 スアヴィスはいつの間にか、わたくしにぴったりと寄り添って逃すまいとしています。

「お嬢様、今年こそは“血”を召し上がっていただきます。“吸血鬼”でいらっしゃる以上、血を召し上がらねば大人のレディにはなれませんよ」

「…ううっ…でも…!」

「お願いでございます。お嬢様に飲んでいただきたいのです。私が手ずから、丹精を込めて搾りました」

 スアヴィスは氷のように冷たい無表情で、問答無用に血液入りグラスを迫らせる。
 その背景に、獣の血で真っ赤に染まった彼の姿を想像してしまい、わたくしは小さく叫びました。

「そ、その顔と行動のどこかお願いですか! 脅迫でしょう! 怖いのよ!!」

「私の精一杯の懇願でございます。さあ、どうか。レギナお嬢様…」

「うぅぅ~!!」

 このスアヴィスという男は変わっています。
 100年以上、令嬢であるわたくしに仕え、その奇妙な献身ぶりは年々輪をかけて悪化しています。

 いくら我が父の命令だからって必要以上というか…とにかくわたくしに対して、執拗に血を飲ませようとするのです。
 吸血鬼特有の青白い顔と、仄かに鉄のにおいのする彼に迫られるのは、小心者のわたくしには刺激が強すぎますわ。

 そんなスアヴィスの言う通り、本来ならわたくしはとっくの昔に血を飲むべき。
 なぜならわたくしは、吸血鬼レギナ・バートランドなのだから。

 ーーーでも、いくらお願いされても、わたくしは屈するわけにはいきませんわ!

「い、嫌なものは嫌です!! こんなもの、早くわたくしの見えない所へやって!!」

 グロテスクなその液体を口にするだなんて、想像するだけで恐ろしい!
 吸血鬼ならば当然血を好むものでしょう。
 しかしわたくしには無理だった。できるはずがありませんでした。

 なぜならわたくしの“前世”は、真っ当で善良なごく普通の日本人OLなのだから。


 ***


 わたくしが前世の記憶を取り戻したのは、10歳の頃でした。
 吸血鬼はある一定の年齢までは人間と同じ速度で成長し、大体10代半ばから外見の成長が緩やかになります。

 当時10歳のある日の晩餐で、スアヴィスが食後にとっておきの一杯を用意してくれたのです。

『お嬢様。仔山羊から採ったばかりの新鮮な血液です。お嬢様がこれから永遠に健やかな吸血鬼として育ちますよう、願いを込めて搾り尽くしたのですよ』

『ギャー!!』

 燕尾服を獣の血で真っ赤に染め、薄ら笑いを浮かべるスアヴィス。そのショッキングな光景を見た衝撃で、わたくしの前世の記憶は蘇ってしまいました…。
 世の中の何たるかも分からない少女の時分で、もし血を飲んでしまったなら、わたくしは今頃、血に飢えた残虐な吸血鬼令嬢として昇華していたことでしょう。


『イヤッ!! のみたくない!!』


 …しかし、そんな未来は訪れませんでした。
 10歳のわたくしは、生まれて初めての吸血を激しく拒絶したのです。
 その時のスアヴィスの絶望しきった顔…今でも夢に見るほどに恐ろしかったわ。

 記憶を取り戻したわたくしの衝撃はそれだけではありません。

 ここは辺境の森の奥に建つバートランド城。
 一年中晴れない灰色の霧が、弱点である日光を遮る。
 我が父…通称“ヴァンパイア・ロード”が棲み、一度足を踏み入れた人間は二度と生きては出られないという悪魔城。
 そんな城に仕える吸血鬼執事スアヴィスと、残虐令嬢レギナ・バートランド…。

 これらすべての“設定”に、わたくしは覚えがありました。

 作品名は『死霊城 -コープス・フォート-』。
 一体前世のわたくしが何をしたと言うのか。
 転生した先は、前世において永遠のトラウマとなった、ホラーゲームの世界だったのです…。

 ジャンルは、スリラーサスペンスアドベンチャー。
 恐怖をとことん追求したシーンのため、18歳未満はプレイ不可。お酒に酔った勢いで手を出してはいけない部類のゲームでした。

 そんなゲームのストーリーは、森の奥の古城に迷い込んだヒロインが、血に飢えた吸血鬼達に命を狙われながら、罠だらけの城内をひたすら彷徨い、最深部で待つヴァンパイア・ロードを退治するというシンプルイズベスト。

 しかも、ヒロインの命を狙う敵というのが、何を隠そう執事スアヴィスと…

『…それでは、レギナお嬢様。気を取り直して、私と一緒に食後のゲームなどなさいますか? 吸血鬼の得意な“人間狩り”を教えて差し上げます』

『イ、イヤー!!』

 残虐非道な悪役令嬢レギナ・バートランド。
 …すなわち、わたくしのことなのです。


 ***


 毎年吸血を拒み続け、わたくしは気付けば160歳。外見年齢は人間で言う16歳ほどで、吸血鬼の中ではまだまだヒヨッコですわ。

 吸血鬼が血を飲まないで死にはしないかしら?と不安になった時期もありましたが、わたくしの場合はたまたま牛乳が養分として体に合っていました。

「………レギナお嬢様。こちらをどうぞ」

「…あ、ええ、ありがとう」

 スアヴィスは顔に不満を浮かべ、拒まれた血の代わりに、グラスに注がれた真っ白な牛乳を差し出しました。
 わたくしのパニックもやっと落ち着き、飲み慣れた牛乳をちびちびと口にします。

「あぁ、美味しい…。安心しますわ」

 けれど、やはり吸血鬼の体に最適なのは“血”なのでしょう。

「…ウッ…」

 ふと視界が眩みます。
 椅子から転げ落ちそうになったところを、すかさずスアヴィスが抱き留めてくれたおかげで、大事には至りませんでした。

「…ウゥ、ありがとうスアヴィス。頭がフラフラしますわ…」

「…お嬢様。年々貧血が酷くなっておいでです。いくら牛乳を召し上がったところで、血液の完全な代用にはなりません」

「…ち、血を飲むくらいなら、貧血でカラカラになったほうがいくらかマシだわ…」

 転生したわたくしレギナは、160歳の今なお、ひどい小心者なのです。
 正直、我が家であるバートランド城のおどろおどろしさも怖いし、一番そばで仕えてくれる執事の存在も、得体が知れなくて決して慣れません。

 原作のレギナ・バートランドは、サディスティックな性格の吸血鬼だった。
 けれど今のわたくしは、血を見るのも飲むのも無理な、臆病な貧血鬼ひんけつきと成り果てていたのでした。

 160年も吸血を拒んだものだから、その体は栄養失調のために虚弱。常に重度の貧血に悩まされ、スアヴィスの過保護を一層加速させる事態に…。

 そんなわたくしも、吸血鬼令嬢として生まれ変わったからには、果たすべき使命というものを密かに抱いておりました。
 ホラーゲームなら敵がいて、それに立ち向かう主人公がいるものです。

「…ではお嬢様。私がとっておきの品をご用意致しましょう。獣の血よりもずっと甘く美味な逸品を。きっとお嬢様のお口に合うはずですよ」

「……一応訊ねますけど、それはどういう意味かしら?」

 無表情だったスアヴィスに妖しげな笑みが浮かぶ。怖気と、嫌な予感を覚えるわたくしに対し、彼は平然と答えました。

「昨夜、使用人達が城周辺の森で新鮮な人間えものを捕らえてまいりました。16歳の瑞々しい娘です。それを使って、お嬢様のために極上の一杯を搾って差し上げますからね」

 そう。ゲームならば、敵に立ち向かう主人公がいて然るべき。

「…え!? そ、その子、名前は!? どんな子!?」

 目を見開いて詰め寄るわたくしの反応は予想外だったのでしょう。
 スアヴィスは驚いたような、かと思えば訝るような目を向けました。

「………名は、ラクリマ。忌々しい太陽のような金髪と、恨めしい海の底のような碧眼の娘です」

「!!」

 なんてこと。わたくしの予感は的中してしまいました。
 何を隠そう、スアヴィスの言う少女ラクリマこそ、『コープス・フォート』の主人公その人なのです。


 ーーーついに、ラクリマに会える!


「スアヴィス!! お誕生日のお祝いは無しよ! わたくしはその子に会いに行きます!」

 存外、わたくしの頭は冷静でした。
 10歳の頃に記憶を取り戻してから、ただこの時のために準備をしてきたと言っても過言ではありません。
 いくら血が飲めない吸血鬼でも、その体は人間を凌ぐ能力を備えています。変身ですとか、飛行ですとか、簡単な腕力の使い方は心得ていますもの。練習する時間もたっぷり100年以上ありました。

 ーーーわたくしなら、できる!!

「今のわたくしなら、ラクリマを守りながら、この死霊城から脱出させることができるはずだわ!」

「!?」

 小心者なわたくしがなぜ『コープス・フォート』をプレイできたのか。
 強い理由のひとつとしては、主人公兼ヒロイン“ラクリマ”への思い入れゆえ。
 100年以上待ち続けた想い人に会える。そして危険から救える!わたくしの興奮はどれほどのものだったでしょう!

 一人興奮するわたくしに反して、執事スアヴィスは冷徹な表情をさらに険しいものへと変えていきました。

「…お嬢様。ラクリマという人間をご存知なのですか?」

「ええ! ご存知よ! わたくしの人生は彼女のためにあると言って良いくらいにね!」

 神様の悪戯か、わたくしの強い想いが、ラクリマを唯一救える立場である“レギナ”への転生を叶えた。そう解釈する他ありません。

「スアヴィス! ラクリマは傷付けてはダメなの! 彼女の居場所を教えてくれる?」

 ヒロインの心配で頭が一杯なわたくしは、スアヴィスの目がみるみる冷たく恐ろしいものに変わっていったことに、少しも気付きませんでした。

「…理解致しました。レギナお嬢様」

「え?」

 突然、スアヴィスの燕尾服の裾が左右に大きく広がり、本物の蝙蝠の羽に変わりました。
 ひとりでに窓が開き、巻き起こった突風に、わたくしは身構えます。

「…あの娘。お嬢様を惑わす者の血など、一滴残らず搾り尽くしてしまわなければ…」

「…え? え? スアヴィス…?」

 彼が冷淡無表情なのはいつものこと。しかしこの時ばかりは様子がおかしい。
 なんというか…目が据わっています。
 嫌な予感を覚えたわたくしが止めるより先に、静かな怒りを湛えたスアヴィスは、その場からふわりと浮き上がりました。

「…しばしお待ちくださいませ、お嬢様。…私と、晩餐のメインを飾る新鮮な“ジュース”の帰りを…」

「ま、待って!! なんだか物騒なこと考えてない!? どこへ…!?」

 開け放たれた窓から外へ飛び立つと、わたくしの制止も虚しく、彼は灰色の霧の中へと姿を眩ませてしまったのです。

「…ままま、まずいわ…!」

 なぜ彼は急に怒ったのか、理由は定かではありません。
 しかし血の気立った彼が向かう先など、ラクリマの所以外にありましょうか?

 わたくしはいつも以上に顔を真っ青にします。得意な変身術で蝙蝠に姿を変え、暴走したスアヴィスの後を追いかけました。
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