灰色の迷宮

浦原 風見

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7 扉の向こう

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十数分後



「全然だめだね」

 ティーナさんの判断は早かった。

 俺は、椅子に座ってコーヒーを啜っていた。

 指先から火を出すのは、魔法使いたちが幼稚園などで勉強するものらしい。

 俺はそれを何度か試したのだけれど、これっぽっちも上手くいかない。

 ティーナさんは、「体内に流れる魔素に意識を傾けて、指先に集めて放つイメージ」だと言っていたけれど、そもそも俺の体には魔素なんてものは流れていない。

 そういったものの代わりに、俺は、自分の脈拍と血管を流れる血に意識を傾けてみたけれど、それでも、指先がなんだかじんわりあったかくなってきた気がする以上の変化は得られなかった。

「ユートは、想像力とかが足りないのかな」ティーナさんは、ビールを飲みながら言った。ティーナさんの前には、大量の缶ビールが転がっていて、そのほとんどはすでに空っぽだった。すべて、レストランの冷蔵庫から取り出したもので、気に入ったらしい。ちなみに彼女は、俺と同じ十五歳。良いのだろうかとか思ったけれど、外国では飲める年なのかもしれないし、夢だから良いのかもしれない。ティーナさんは、俺を見て、パチパチと瞬きをした。「そうか、常識の影響が強すぎるんだね」

「うん?」

 ティーナさんは、両方のこめかみに人差し指を当てて、うーん、うーん、とうなった。彼女のほっぺは赤く染まっていて、彼女の表情は緩んでいた。なんだか楽しそうだ。「ユートは今こう考えてるね。わたしも十五歳なのにお酒なんか飲んで良いのかって。わたしの故郷でも飲んじゃだめだよ。人間のために作られた法律ではね。わたしは天使だから人間のために作られたお酒をこんくらい飲んだだけじゃ酔わないの。ちょろっと酔いが回ってきたかなって程度だよ。それと、この世界での経験は、ただの夢なんかじゃないよ」

「なんで考えてることがわかったの?」それを聞いた次の瞬間には、俺の頭に答えが浮かんだ。「わかった、思考を誘導したんだね。それか、あてずっぽうか」

「わかった。じゃあ、あれだ。テキトーな数字頭に思い浮かべて。三桁以上」

 百五十六。

「百五十六。じゃー、好きなアルファベット」

 A。

「A。単語」

 フィレオフィッシュ。

「フィレオフィッシュ。じゃー、日本語の単語」

 焼肉定食。

「ヤキニクテイショク」

「おぉー。どうやってるの」

「魔法だよ。全能の天使だからなんでも出来るの」ティーナさんは、ビールを飲み干した。彼女の手の平の中の空き缶は、ブラックホールに吸い込まれたかのように潰れ、小さな球になってしまった。「常識とか法律なんてものは、道徳心や倫理観が未熟な人のためにあるの。わたしたちの世界にも法律はあるよ。人を傷つけちゃいけないとか、既存の文化を尊重しなくちゃいけないとか。でも、タバコのポイ捨てをしちゃいけないとか、そんな法律はない。そんな事言われなくても、みんなわかってるから。わかってない人がいても、あー、あの人はわかってないんだなー、って思われるだけ」

「自由なんだね」

「っていうか、学園で習うの。地球に住んでいる魔法族はみんな学園で学ぶの。地球での過ごし方とか、人間との関わり方とか」

「それで大人になったら宇宙にでも行くの?」

「行くよ。月とか火星とか。でも、ほとんどは並行世界とか鏡の中とか影の中とか、あとはここみたいな夢の世界とかに住むようになる。地球は人間のための場所で、わたしたちが過ごすには脆すぎるから。始祖の天使たちが、あっちこっちに魔法族の世界を作ったの。地球にいる魔法族のほとんどは、人間が暴走しないように活動したり、科学技術が発展しすぎないように抑えたり、自然を増やしたり、カウンセラーをしたりしてる。わたしらって人間よりも知能も身体能力も高いから、あっちこっちで縁の下の力持ちをして世界の平穏を保ってるの。わたしたちはそうすることで平和の作り方を勉強している」

「なんでそんなことをしているの?」

「人間の存在が大切だからだよ。魔法族の世界では数十年に一回くらい大きな戦争が起きるんだけど、過去にそれで活躍した魔法族はみんな、人間に影響を受けて強い信念を得られた人たちばかりなの。わたしたち魔法族の中には、知能や身体能力にあぐらをかいて人間を見下す人達もいるんだけど、でも、精神の習熟については、人間と大した差があるようには思えないんだよね。わたしもユートも十五歳だけど、やっぱり同年代と話してる気がするし」ティーナさんは、ビールを啜った。「だから、人間に興味があったの。でも、わたしって自由に街歩いて人間と出会ったり出来ないから、今はこうしてユートに会えて嬉しい」ティーナさんはビールの缶を潰した。「ユートが、初めて出会った人間だからさ、色々教えて欲しいんだよね。人間は、素晴らしい理想を持ってるって、先生から聞いたから興味があるの」

 美少女からの熱い視線を受けた俺は、悪い気はしなかったものの、思ったことは一つ。

 勘弁しろよ……。

 素晴らしい理想なんか一つもないよ……。

 ふざけんなよその先生。

 しまった。

 俺は、ティーナさんの目を見つめた。

 彼女は俺の心が読めるのだ。

「心配しなくても、今は読んでないよ」

「なんでわかったの?」

「そういう目をしてたから。これが人間の感覚なんだね。相手の心が読めないから相手の目を見つめるんだ」ティーナさんは、幸せそうな顔でビールを飲んだ。

 俺は居心地の悪さを感じながらコーヒーを啜った。

 どうしたもんか。

 俺は語れるようななにかを持ってない。

 面白い思い出もない。

 雑談も苦手だ。

 目的のない会話が出来ない。

「別に良いよ」

 俺はティーナさんを見た。

「なにか話してくれなくても。関わってれば目の前の相手がどんな人かってなんとなく分かるし。目の動きとか呼吸のペースとか指とかつま先の動きとか」

 そう言われて俺の脳裏に浮かんだのは、何故かメンヘラの女の子だった。

 メンヘラに遭遇したことなんて別にないけど。

「隠そうとか思っててもなんとなくわかっちゃうんだよね。わたし天才だし。あー、この人なんか隠し事しようとしてるけど、この流れでそのサインを出してきたってことはなるほどニンジンが苦手ってことを隠そうとしてるんだなーとか。ほら、天才だから」

 俺はコーヒーを啜った。

 お引き取りいただこう。

 そんなことを言われちゃ落ち着いていられない。

 あ、その前に。

「この夢の世界からは、どうやったら出られるの?」

 ティーナさんは俺を見て、頷いた。「誰か魔法族に、ここに連れてこられた? 人間なら、多分そうだと思うんだけど」

「うん、魔女の人に」俺の脳裏に空さんのニヤけ面が浮かんだ。

 ティーナさんの瞳がはちみつ色に光った。「……、あ、ソラ」

「うん。知ってるの?」

 ティーナさんは、それには応えず、少し考えるそぶりを見せて、俺を見た。「夢からどうやって出るかっていう話だけど、わたしと出てみる?」

 頷きかけて、俺は少し悩んだ。「でも、目が覚めたらもうここに来れないとかは嫌だな」

「言ったでしょ。わたし全能の天使だから。ちゃんとここに帰してあげるよ。持って行きたい物持って。三分で準備しな」

 






 ティーナさんは、六時の門の前に立っていた。

 俺は、手ぶらでティーナさんの横に立った。

 この世界から持っていくものは、すでに決めていた。

 空さんからもらった指輪。

 それだけだ。

「この門開ければ夢から覚めるよ」

「ほんとにまた戻ってこれる?」

「約束する」

 俺は頷いた。

 木の扉を押し開ける。

 扉の向こうには、白い光が広がっていた。

 次の瞬間、俺は、薄暗い部屋にいた。

 ほんのちょっとの眠気。

 気分はスッキリしている。

 なんか、やる気に溢れている。

 俺は、視界に意識を傾けた。

 木目の天井。

 どこかの家の寝室。

 見覚えがない。

 俺は、ベッドに横たわっていた。

 見れば、すぐそばに、ティーナさんが立っていた。

 彼女は、壁のスイッチを押して、天井の照明を点けた。

 俺は、体を起こして、立ち上がった。

 夢から覚めた。

 その実感はあった。

「ここは?」

「ヴィリニュス。リトアニア。知ってる?」

「ううん。どこ?」

「北欧だよ。クソの隣。わたしの故郷の一つ」ティーナさんは、室内を見渡した。「行こ。案内してあげる」

「うん」俺は、ベッドから立ち上がった。

 服は、先日家を出たときと同じ物。

 手を見れば、そこには空さんからもらった指輪が光っていた。



その頃日本では



「む」

 ぼくは、ユートくんの髪を撫でる手を止めた。

 久々のショタに、ついつい欲望を抑えきれなくなっていたぼくだったけど、目の前で起こったとある異変を無視してまで自分の欲望を無視することなど出来なかった。

 ユートくんの体が透けている。

 ショタの体は徐々に透明感を増し、そして、消えてしまった。

 これはつまり……。

「移動したか」ぼくは呟いた。思考するときは、いつも独り言を口にしてしまう。盛り上がってしまうと独り言は徐々に大きくなっていき、これを現場でやると癇癪持ちと勘違いされることもある。「魔法族と接触したのか。ユートくん、中々のコミュ強じゃん。いや、違う。違う? 違うかな。魔法族が人間を犯罪に巻き込む? 犯罪なんてしようとするヤツが人間に利用価値を見出すかな。……見出すとしたら何を企んでるんだろ。いやいや、だめだなこの発想は。いけないよぼく。職業病だよ。バイアスからは逃れないと。いやでも、どっちにしろ、なんにしろ追わないとまずいか。生活安全課の連中に小言言われたくないし、今のところあの子の安全はぼくが預かってるわけだし、いや、小言は誰からも言われたくないんだけど……、いやいや、落ち着け落ち着け、別に焦ってないだろ? 想定していた事態のうちの一つじゃんか。落ち着けよ天才。そうさぼくは天才、大天才」

 ぼくは、まぶたを閉じた。

 ユートくんに預けた指輪に込めた、ぼくの魔力。

 その位置。

 急に離れたな。

 かなり遠いところ。

 でも、地球にある。

 西の方。

 ロシアを通り過ぎて、ラトビア、いや、これはリトアニア。

「……ヴィリニュスか」

 ぼくは、リトアニアの魔法族の情報を頭に思い浮かべた。

 あの国の魔法族人口はかなり多い。

 ぼくは友達が少ない。

 でも、ぼくを信じてくれている仕事仲間は多い。

 ぼくは自分の能力や人格を信じている。

 だから、そんなぼくの能力や人格を認めてくれる人たちを信じられる。

 それだけは断言出来る。

 ぼくは、スマホを取り出して、知り合いの一人に電話をかけた。

 電話は三コールで繋がった。「あ、ヨハンナさん。お久しぶりです。……。はい、あの、今からリトアニアに行きたいんですけど。……。ええ、仕事で。……。急ぎで、あの、三分くらいで、お手続きしていただいてもよろしいですか? ……。いえ、ヨハンナさんからの方がスムーズかと思いまして。……。はい、はい、すみません。……。ええ、今度一緒に。……。はい、そうですね、楽しみです。飲みましょう。……。すみません、お願いします。はい、はい、はいはい、はーい、お願いします。ったく、話なげーんだよ。急いでるっつってんだろ」ぼくは、マイペースを極めたようなヨハンナさんのことを脳裏に思い浮かべた。インターポールの彼女は名探偵を自称しながら、世界中の悪人を暗殺することに悦びを感じる異常者の側面も持つ変わり者の二重人格だ。そんな彼女と連絡先を交換しているのもまた、ぼくがぼく自身の人格や道徳心に信頼を抱いているからだった。ぼくは、スマホの画面に反射する自分のニヤケ面を見た。ちょろっと話しただけだけれど、変わりないようで良かった。

 ぼくは、ベッドに潜り込んで、眠りにつこうと思ったけれど、すぐに思い直して、ベッドに残ったショタの残り香をたっぷりと堪能してから眠りについた。
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