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8.女騎士アビゲイルの失態

4.

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 その晩。ロゼッタがアビゲイルの部屋を訪れた。


「アビー、私よ。少し話しをさせてほしいの」


 あれからアビゲイルは、誰とも会話を交わしていない。あまりにも気まずく、顔を見ることも憚られて、逃げるように自室に籠っていたからだ。

 アビゲイルはロゼッタを中に入れると、そっと視線を彷徨わせた。


(どうしたら良いんだろう)


 先程の発言から、アビゲイルにはロゼッタがこの恋を思い出にしたくないのだと分かった。だからこそ、婚約者がいることを打ち明けたし、気持ちを言葉にした。

 国に仕える人間としては、ロゼッタの行動を諫めるべきなのだろう。

 この婚約がなくなれば、同盟は立ち消え、国の平和が脅かされる。ロゼッタの背には何千万人もの人間の命が託されているのだ。

 けれど、それと同じぐらい、アビゲイルはロゼッタの恋を応援してあげたかった。主の幸せを守りたかった。


(いっそのこと――――このまま私たちの無事が伝わらなければ、王女様は自由に生きられるのかもしれない)


 いけないことと分かりつつ、アビゲイルはそんなことを考える。

 その時、部屋に入って以降、ずっと黙っていたロゼッタが、徐に口を開いた。


「あのね、ライアン様にも私と同じように……婚約者がいらっしゃるんですって」


 消え入りそうな程、小さな声。ロゼッタの身体が小刻みに震えている。アビゲイルは思わず息を呑んだ。


「心配しないで、アビー。私、ちゃんと姫として生まれた責務を果たすわ。でも、でも……」


 静かに涙を流しながら、ロゼッタは顔をクシャクシャに歪めた。


「あの方もね、私が婚約者だったら良かったのにって。そう仰って下さったの。私はそれが嬉しくて……悲しくて」

「王女様……」


 ロゼッタはアビゲイルの胸に顔を埋め、涙を流す。
 まるで自分のことのように心が痛くて堪らない。

 その晩二人は一緒になって涙を流しながら、眠れぬ夜を過ごした。




 それから数日後のこと。

 アビゲイルは買い出しと称し、最寄りの町で国や敵国の情報を集めていた。荷物持のトロイも一緒だ。

 本当はロゼッタを一人森に残すことに不安はあったが、ライアンはああ見えて相当な手練れらしい。安心して任せることにした。

 あの後もロゼッタとライアンとの関係は変わらなかった。二人はとても仲睦まじく、いつも楽しそうに笑いあっている。

 けれど互いに二度と、婚約者について打ち明けることは無いし、二人の関係がそれ以上進むことも無かった。


「この国って案外栄えてるのな」


 町を見回しながら、トロイがポツリと漏らす。


「どうだろう?私もこの町を訪れるのは初めてだから――――」


 言いながらアビゲイルは、妙な違和感を覚えてその場に立ち止まった。


「おまえ、この国のものではないのか?」


 思わぬことにアビゲイルが首を傾げた。


「あぁ……っていうか、あの森は――――――」


 トロイが徐に口を開く。

 けれどその時。アビゲイルの耳に、もっと重要な情報が飛び込んで来た。


「うちの姫様、婚約を破棄されそうなんだってよ」

「は?姫様の婚約のお相手ってのは確か、隣国の王子だろう?そりゃまたどうして?」


 アビゲイルたちのすぐ側で、少し年配の町人たちがそんなことを話している。

 うちの姫様というのは言わずもがな。ロゼッタのことだ。


(まさか……どうして王女様が)


 隣国にロゼッタが行方不明なことが伝わったのだろうか。だとしても、生死不明なだけでこんなにも早く婚約破棄されるとは思えない。


「それがな、なんでもお相手に、添い遂げたい女性ができたとかで……」

「おいっ!その話は本当か!?」


 気づけばアビゲイルは、町人に詰め寄っていた。その恐ろしい剣幕に、町人たちが後ずさりする。


「おい、落ち着けって」


 トロイはアビゲイルを宥めながら、平然とした表情を浮かべている。


「落ち着けるわけがないだろう!婚約破棄されたのは王女様なんだぞ!」


 アビゲイルは興奮していた。

 ロゼッタが王女であることはトロイにも、ライアンにも打ち明けていない。こんな風に取り乱しては主人が誰なのかバレバレではないか。頭のどこかでそう思っているはずなのに、止められなかった。


「私の王女様が!婚約を破棄されるだなんて!あの方が国のため……どれほどの想いで、自分の気持ちを押し殺す決心をしたと――――」

「アビー」


 我を失ったアビゲイルを、トロイがそっと抱き締めた。ふわりと漂う甘い香りに心が落ち着きを取り戻す。途端に目の奥がツンと熱くなって、アビゲイルはトロイの胸に顔を埋めた。


「大丈夫だから。絶対、全部丸く収まる。俺を信じろって」


 トロイはポンポンとアビゲイルの背を叩きながら、ニコリと微笑む。


「だけど、だけど――――」


 その時、二人の側を一台の馬車が通りがかった。

 とても造りの良い、高級感溢れる馬車だ。幾人もの従者が馬車の周りを取り囲み、護っている。まるで、王家の人間が乗っているかのように――――。


「アビゲイル!」


 馬車の中からそんな声が聞こえた。聞きなれた、主の声。馬車に乗っていたのはロゼッタとライアンの二人だった。


「おっ……ロゼリア様?」


 目を丸くして驚くアビゲイルを、ロゼッタは困惑の眼差しで見つめた。


「悪いけど、二人も後から付いてきてくれるかな?」


 そう口にしたのはライアンだった。アビゲイルとトロイに目配せをしながら、優しく微笑む。


「――――ナイスタイミングです、殿下」


 トロイはそう言ってニヤリと笑うと、颯爽とアビゲイルの肩を抱き、移動を促した。


(は?殿下?)


 何故ライアンに対し、そのような敬称を用いるのだろう。これまで全く、そんな素振りは無かったというのに。


(わけが分からん)


 そう頭を抱えつつも、アビゲイルは黙ってロゼッタの乗っている馬車の後に続いた。
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