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24.その一言が聞けなくて
1.
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窓際の特等席でオレンジ色に染まりつつある本のページを捲りながら、ノエミはそっと顔を上げた。
広々とした図書館。その席の殆どが空いている。けれど、いつからか、ノエミの隣にはいつも一人の男子生徒――――侯爵令息のジュール・ドゥ・コンドルセが座るようになっていた。
柔らかなブロンドヘア、宝石のように明るく透き通った碧い瞳、彫刻のように整った目鼻立ちに、女生徒のみならず誰もが目を奪われる。
どこか近寄りがたい雰囲気の彼だが、ひとたび声を掛けられれば、相手がどんな身分だろうと平等に接するし、人当たりも良い。文武両道で、将来は同級生であるジャスティン殿下の側近になることが期待されている。
そんなジュールに対し、ノエミは入学当初から、憧れにも似た感情を抱いてきた。
彼に近づくたび、優しく微笑まれるたび、たった一言言葉を交わせただけでも、心臓がドキドキとときめいたし、嬉しくて堪らなかった。胸に広がる砂糖菓子のような優しい甘さを、誰にも打ち明けることなく、大事に育て、胸にしまおうとそう思っていた。
そんな二人の関係が変わったのは、入学をして、二度目の春を迎えた頃のことだった。
「ここ、座っても良い?」
ノエミがいつも放課後を過ごす図書館で、ジュールがそんな風に声を掛けてきた。思わぬ出来事に息を呑みつつ、ノエミはニコリと微笑んだ。
「もちろんです! だけど、珍しいですね。ジュール様が図書館にいらっしゃるなんて」
ジュールは講義中、放課後を問わず、ジャスティン殿下の側に居ることが多い。こうして単独行動している彼を見掛けるのは珍しいことだった。
「これまでも時々は本を借りに来ていたんだよ? 短時間しか居られなかったけど、ノエミ嬢がいつもここに居るのは知っていたんだ。とても勉強熱心だよね」
ジュールはそう言って微笑みながら、ノエミの顔を覗き込む。ノエミの心臓がトクトクと大きく鳴り響いた。
「熱心だなんて……わたしが今読んでるの、恋愛小説ですよ? 単に読書が好きなんです。不真面目な生徒ですから、好きなことばかりして過ごしてるんですよ」
ノエミは隣に腰掛けたジュールへ控えめに目を遣りつつ、ケラケラと笑って見せる。
けれど、それは半分本当で半分は嘘だった。
ノエミの両親は超がつくお人好しで、困っている人が居ると放っておけない質だ。
領民たちのために手を貸すだけならまだしも、素性の知れない人間にまでお金を貸し、持ち逃げされることもしばしば。そんなことが続いた結果、ラヴァリエール伯爵家は財政難に陥っていた。
だからノエミには、他の令嬢のような刺繍や外国語といったお金のかかる習い事はできない。持参金も碌に期待できないノエミには縁談も来ないため、卒業後、自力で生きて行けるように、今の内に出来る限り知識を身に着ける必要があった。
「そっか。俺も好きだよ、小説」
そう言ってジュールは屈託なく笑う。普段見せる隙のない雰囲気とは違っていて、ノエミはドギマギしてしまう。
講義以外でジュールと会話を交わすのは初めてだった。こんな風に隣り合って座ることだって、当然初めてのこと。手を伸ばせば触れ合えるような近しい距離。互いの心臓の音まで聞こえてしまいそうだ。
「――――そろそろ閉館の時間です」
けれど、幸せな時間は長くは続かなかった。
ジュールが訪れたのは閉館も間際のこと。二人はすぐにここを出て、寮に帰らなければならない。
(ツいてない。折角ジュール様とお話しができたのになぁ)
こんな偶然、二度とないだろう。ノエミは小さくため息を吐きつつ、ジュールの方をチラリと見上げる。
「――――仕方がないから出ようか」
困ったように笑いながら、ジュールはごく自然にノエミへと手を差し出す。驚きに目を見開くノエミを前に、ジュールは優しく微笑み続けた。
(ここは……手を繋ぐのが正解、なんだよね?)
降ってわいた幸福に戸惑いつつ、ノエミはおずおずと手を伸ばす。ジュールは満足気に目を細めると、ノエミの手を取り歩き始めた。
広々とした図書館。その席の殆どが空いている。けれど、いつからか、ノエミの隣にはいつも一人の男子生徒――――侯爵令息のジュール・ドゥ・コンドルセが座るようになっていた。
柔らかなブロンドヘア、宝石のように明るく透き通った碧い瞳、彫刻のように整った目鼻立ちに、女生徒のみならず誰もが目を奪われる。
どこか近寄りがたい雰囲気の彼だが、ひとたび声を掛けられれば、相手がどんな身分だろうと平等に接するし、人当たりも良い。文武両道で、将来は同級生であるジャスティン殿下の側近になることが期待されている。
そんなジュールに対し、ノエミは入学当初から、憧れにも似た感情を抱いてきた。
彼に近づくたび、優しく微笑まれるたび、たった一言言葉を交わせただけでも、心臓がドキドキとときめいたし、嬉しくて堪らなかった。胸に広がる砂糖菓子のような優しい甘さを、誰にも打ち明けることなく、大事に育て、胸にしまおうとそう思っていた。
そんな二人の関係が変わったのは、入学をして、二度目の春を迎えた頃のことだった。
「ここ、座っても良い?」
ノエミがいつも放課後を過ごす図書館で、ジュールがそんな風に声を掛けてきた。思わぬ出来事に息を呑みつつ、ノエミはニコリと微笑んだ。
「もちろんです! だけど、珍しいですね。ジュール様が図書館にいらっしゃるなんて」
ジュールは講義中、放課後を問わず、ジャスティン殿下の側に居ることが多い。こうして単独行動している彼を見掛けるのは珍しいことだった。
「これまでも時々は本を借りに来ていたんだよ? 短時間しか居られなかったけど、ノエミ嬢がいつもここに居るのは知っていたんだ。とても勉強熱心だよね」
ジュールはそう言って微笑みながら、ノエミの顔を覗き込む。ノエミの心臓がトクトクと大きく鳴り響いた。
「熱心だなんて……わたしが今読んでるの、恋愛小説ですよ? 単に読書が好きなんです。不真面目な生徒ですから、好きなことばかりして過ごしてるんですよ」
ノエミは隣に腰掛けたジュールへ控えめに目を遣りつつ、ケラケラと笑って見せる。
けれど、それは半分本当で半分は嘘だった。
ノエミの両親は超がつくお人好しで、困っている人が居ると放っておけない質だ。
領民たちのために手を貸すだけならまだしも、素性の知れない人間にまでお金を貸し、持ち逃げされることもしばしば。そんなことが続いた結果、ラヴァリエール伯爵家は財政難に陥っていた。
だからノエミには、他の令嬢のような刺繍や外国語といったお金のかかる習い事はできない。持参金も碌に期待できないノエミには縁談も来ないため、卒業後、自力で生きて行けるように、今の内に出来る限り知識を身に着ける必要があった。
「そっか。俺も好きだよ、小説」
そう言ってジュールは屈託なく笑う。普段見せる隙のない雰囲気とは違っていて、ノエミはドギマギしてしまう。
講義以外でジュールと会話を交わすのは初めてだった。こんな風に隣り合って座ることだって、当然初めてのこと。手を伸ばせば触れ合えるような近しい距離。互いの心臓の音まで聞こえてしまいそうだ。
「――――そろそろ閉館の時間です」
けれど、幸せな時間は長くは続かなかった。
ジュールが訪れたのは閉館も間際のこと。二人はすぐにここを出て、寮に帰らなければならない。
(ツいてない。折角ジュール様とお話しができたのになぁ)
こんな偶然、二度とないだろう。ノエミは小さくため息を吐きつつ、ジュールの方をチラリと見上げる。
「――――仕方がないから出ようか」
困ったように笑いながら、ジュールはごく自然にノエミへと手を差し出す。驚きに目を見開くノエミを前に、ジュールは優しく微笑み続けた。
(ここは……手を繋ぐのが正解、なんだよね?)
降ってわいた幸福に戸惑いつつ、ノエミはおずおずと手を伸ばす。ジュールは満足気に目を細めると、ノエミの手を取り歩き始めた。
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