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【3章】クララの願いと王を継ぐもの

必然と運命とコーエンの願い

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「クララ、待って……クララ!」


 遠くからコーエンの声が聞こえる。


(知らなかった……!わたしだけが、なにも!)


 クララは人の波に紛れるようにして、全速力で走っている。裾を捲り上げ、息を切らし、必死に足を動かす。
 淑女としての体面なんて、どうでも良かった。ただただ、この場から逃げ出したい。


(どうして気づかなかったんだろう)


 思い返してみれば、ヒントはずっと、与えられていた。
 コーエンもフリードも。クララが自力で気づけるよう、必要な情報を少しずつ与えてくれていた。
 完全にクララを騙そうと、そう思っていたわけでは無かったはずなのに。


(恥ずかしい!恥ずかしくて、もう、皆の顔が見られない!)


 燃えるように顔が熱い。涙が止め処なく流れるし、頭の中はぐちゃぐちゃだった。


「クララ!」


 コーエン――――いや、フリードの声が聞こえる。

 走って走って、いつの間にか騎士たちも文官もいない方向へ向かっていて。気づいたらクララは城から出てしまっていた。遮るものは何もない。最早追い付かれるのは時間の問題だった。


(無理!今はコーエンと会いたくない!)


 酷い顔をしている自覚がある。こんな顔、とてもじゃないが、コーエンには見られたくなかった。


「クララ!」


 その瞬間、勢いよく後から抱きすくめられて、クララは息を呑む。


「クララ」


 コーエンがクララの名を呼ぶ。
 胸が千切れそうなぐらいに痛い。
 ブンブンと頭を横に振ってみても、コーエンは腕の力を強めるばかりだ。


「話を聞いて。これまでのこと、ちゃんと説明させてほしい――――」

「無理!今はわたし、頭の中がごちゃごちゃで!訳わからないことになってて!」


 ボロボロと流れ落ちる涙が、コーエンの腕を濡らす。


「きっとコーエンに……殿下に酷いことばかり言っちゃう!だから、しばらく放っておいて」


 顔を見せぬようにして藻掻きながら、クララは頭を振った。


(もっと早くに打ち明けてほしかった。最初からちゃんと、コーエンが王子だって分かってたら、こんな風に悲しい思いをしなくてよかったのに)


 頭の中に浮かぶ、汚い言葉の数々。
 こんな言葉、コーエンに聞かせたくはない。
 どんなに傷ついていたとしても、コーエンの前では、可愛い女の子でいたかった。


「今までずっと、嘘を吐いてて――――本当にゴメン」


 背中に感じる温もり。クララは眉間に皺を寄せる。


「クララを傷つけた。悲しい思いをさせた。本当に、反省してる」

(ううん――――悲しいとは少し違う。ショックだったけど、でも)


 自分の気持ちがうまく整理できない。相変わらず涙はポロポロと零れ落ちるが、そこから前にも後にも進めずにいる。


「クララが気の済むまで、俺を詰って。幾らでも殴っていいから」


 縋るように抱き締めながら、コーエンが言う。心が切なく疼くような声音。


(そんなこと、するつもりない)


 けれど、どうすれば良いのかも分からない。
 ついつい救いを求めて、振り返りたくなる。コーエンの顔が見たくなってしまう。


「――――だけど、頼む。俺の側からいなくならないで。殿下じゃなくて、いつもみたいにコーエンって呼んで」


 トクンと音を立ててクララの心臓が跳ねる。
 

「絶対、絶対放さない。ようやく捕まえたんだ」


 切なげな声音が、心をかき乱した。


(コーエン)


 これまで、コーエンに貰った、たくさんの言葉たち。彼の立場を知らなかったが故に、素直に受け取れなかったものも多かった。

 けれど、今はもう違う。

 あまりにも大きな嘘が一つあったものの、それ以外は――――コーエンが口にしたことは皆、彼の本心だった。彼がクララを想う心には、何一つ偽りが無かったと信じたい。


「ねぇ……どうして、嘘を吐いたの?」


 ポツリと、呟くようにクララが尋ねる。
 振り返りはしない。けれど、コーエンの腕をそっと抱き返しながら、少しずつ少しずつ、自分の心が落ち着いていくのを感じていた。


「――――――俺さ、クララと出会うまで、王太子になりたいって思ったことが無かったんだ」


 コーエンはクララの肩に顔を埋めつつ、そう口にする。


「国のことはすごく大切に思っているし、公務も好きだ。多分、他の王子と同じかそれ以上に、その想いは強いと思う。だけど、俺には王太子なんて役職は必要ない。今のままでも仕事はできるし、そのままで良いって、そう思ってたんだ」


 聞きながらクララは、以前シリウスが、フリードに王位を継ぐ意志がないと話していたことを思い出す。


(そっか……そうよね。あれは、コーエンの話をしていたんだ)


 まるでパズルのピースを組み立てるかのような――――最後のピースを見つけたかのような緊張と高揚感。クララはゴクリと唾を呑んだ。


「だけど、父上は存外、俺が王太子になることを望んでいるようだった。ジェシカを監視役に置いて継承戦に参加させる程、俺に適性があると思っている。俺の考えとは裏腹に」


 コーエンは一度深呼吸をすると、クララの身体を抱き締めなおした。


「だから俺は、『本当に俺が王太子に相応しい人間ならば、王子としての身分を隠しても、そうと望まれるはずだ。逆に、そうでないなら、俺には次期王としての資格はない』……そう伝えたんだ」


 何故だろう。その途端、クララの目頭が熱くなった。


「最低なことは重々承知のうえ、俺はクララに嘘を吐いた。『やっぱり俺には王太子としての資格はない』って。そう確認するために」


(コーエン)


 心が熱くて、もどかしくて堪らない。
 クララは身体の向きを変えると、コーエンをギュッと抱き締めた。


「だけど、クララと一緒に過ごすうちに、俺はどんどん考えが変わっていった。王太子にならないと、できないこともあるのかもしれない。守れないものがあるのかもしれない。クララが王妃になったら、どんなに素晴らしい国になるだろう。……そう思った。そしたらクララが言ったんだ。『俺に王になって欲しい』って」


 コーエンの声が小刻みに震えている。心に直接響く、彼の言葉。先程までとは全然違う、温かな涙が、クララの頬を伝った。


「そんなこと、絶対に起こりっこないって思ってた。王子フリードではなく、俺自身を――――他でもない。クララが王として選んでくれた。望んでくれた。俺がどれほどビックリしたか……嬉しかったか分かる?」


 声も出せぬまま、クララはコクコクと頷く。苦しいほどに抱き締められて、クララはギュッと目を瞑った。


(わたしたちはきっと、よく似ているんだわ)


 必然と運命は、全く異なるところにあるようで、とてもよく似ている。

 コーエンは『己が王太子になる必然』を望んだ。自分じゃなければいけない、その理由と、それを見出してくれる誰かを探していた。それがクララだった。

 そしてクララは『運命の相手』を探していた。誰かに決められた誰かではなく、自分で自分の運命を選んでいく。その先にコーエンがいた。

 クララとコーエンは、出会うべくして出会い、そうして惹かれ合った。そう思わずにいられないのだ。


「――――クララが俺を変えたんだ。俺を選んでくれたクララのために、この国をもっともっと強く豊かにしたい。王太子として、引っ張っていきたいって。そう思った」


 コーエンがそっとクララの顔を上向ける。泣きぬれた青い瞳は美しく、クララは思わず手を伸ばす。けれど、彼の頬に触れる前に、クララの手のひらはコーエンの唇に優しく口づけられていた。


「クララじゃなきゃ、ダメなんだ」


 真剣な眼差し。クララの心臓が大きく跳ねる。


(忘れるわけがない)


 それはコーエンがクララに求婚したあの日、彼が口にした言葉と同じだった。

 コーエンの手のひらがクララの頭をそっと撫でる。指が探るように動いて、それからゆっくりと下に降りていく。


「んっ……」


 少しだけ皮膚が引っ張られるような感覚。見ればコーエンの手の中には、ヨハネスから贈られた髪飾りが収まっていた。


「これはもう、要らないだろう?」


 己の懐に髪飾りを終いながら、コーエンはクララに尋ねる。次いでクララの頬がほんのりと紅く染まった。

 コーエンが何を望んでいるのか、分からないクララではない。恥ずかしさを堪えながら、真っ直ぐにコーエンを見つめる。


「…………今度は断らないよな?」


 けれど、次に聞こえたのは、コーエンらしくない呟きで。
 いじけるように尖った唇に、自信なさげな表情。
 それがあまりにも愛おしくて、クララは声を上げて笑う。


「ちょっ……!笑い事じゃない!俺がどれだけ――――」


 その時。クララはそっと背伸びをして、コーエンの唇に己の唇を重ねた。
 甘くて、温かい口付けが、二人の心を満たしていく。
 そうしてゆっくりと唇を離すと、クララは真っすぐにコーエンを見上げた。


「わたしも。コーエンじゃなきゃ絶対、やだ」


 力いっぱいコーエンを抱き締めながら、クララは笑う。


「ずっとずっと、コーエンがもう嫌だって言っても、絶対に側にいる」


 コーエンはクララの望みを、願いを全て叶えてくれた。
 だから、今度はクララの番。
 彼の望む言葉を、願いを叶えるべく、クララは口を開く。


「だからコーエン。わたしを、コーエンのお嫁さんにして?」


 返事の代わりに降ってくる口づけの嵐。
 それはあまりにも甘美で、歓喜に満ちている。


(唇が触れる瞬間)


 僅かに見えたコーエンの表情はあまりにも幸せそうで。


(きっと、わたしも同じ表情をしているんだろうなぁ)


 クララは涙を流しながら、満面の笑みを浮かべたのだった。
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