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23.白龍と武官と華凛(1)
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翌日、今度は何があったのか、憂炎の機嫌はすっかり直っていた。
昨日とは正反対の満面の笑みで出迎えられたもんで、わたしはほっと胸を撫で下ろした。
(まったく、憂炎の奴……昨日は一体どうしたんだろう?)
別にあいつは元々聖人君子みたいな人間ができた奴じゃないし、寧ろ物凄く子どもっぽい。
だけど、昨日の憂炎は、そういうのを通り越して様子がおかしかった。ムカつきはすれど、なんだか心配してしまう。
「そこ、右です」
静かで抑揚のない声にそう言われ、わたしはハッと息を呑む。
仕事中だというのに、つい考え込んでしまっていたらしい。
「申し訳ございません」
書類の山を抱え、横並びに進む白龍に頭を下げつつ、わたしは小さくため息を吐いた。
ダメだ。
憂炎に振り回される生活とおさらばしたと思ったのに、これでは何も変わっていない。
せっかく華凛に戻ったのに、相変わらず憂炎のことばかり考えている。
首を横に振りつつ、わたしは前を向いた。
「――――主のことですか?」
「えっ……?」
尋ねたのは白龍だった。彼は憂炎のことを『主』と呼ぶ。
正直、白龍と会話を交わした回数は少いし、華凛がわたしと入れ替わった後、彼とどんな関係性を築いたのかは知らない。
(本当は前みたいにゆっくり引継ぎができたら良かったんだけど)
人払いをしているとはいえ、いつ誰が来るかわからない環境の中、華凛とゆっくり話す時間は取れなかった。
かといって、今から華凛に男の名前が記された手紙を書かせるわけにも行かず、わたしが再度後宮に行くつもりもない。
こればかりは会話をしながら探っていくしかなかった。
「そうですわね……あんなふうに怒っている憂炎を見るのは初めてでしたから」
しょんぼりと肩を落としてそう答える。
白龍は小さく首を傾げつつ、わたしのことを見下ろしていた。
(いや、どういう感情なの、それ)
無表情のせいで、白龍が何を考えているのかまったく読めない。移動中とはいえ、会話もなく、ただ見られてるだけじゃ居た堪れなかった。
「一体、憂炎に何があったのでしょう。貴方は何か御存じですか?」
これ以上、沈黙に耐えきれない。悩んだ挙句、そんなことを尋ねてみた。
「それは当然、『凛風』さまのことでしょう」
「わたっ……姉さまの?」
すると、至極あっさりとそう返され、わたしは驚きに目を見開く。
(危ない危ない。これから先、わたしは『華凛』として生きていくんだから。間違えないようにしないと)
ふぅ、と息を吐いていたら、隣で白龍がコクリと頷いた。
「はい。主の様子がおかしいときは、十中八九、凛風さまが絡んでいます」
(そうなの?)
今のわたしには他人事だけど、少しぐらいは興味がある。
「そうかしら?」と尋ねたら、白龍はまた、コクリと頷いた。
「元々、表情豊かな方だとは思いますが、主は凛風さまのことになると喜怒哀楽が顕著になります。
例えば、お二人が初夜を迎えられた朝などは、あまりにも嬉しそうに――――――」
(はぁ!? 待って!? 待って待って! そういうの聞きたくないんですけど~~~~!)
初夜とか!
お願いだから! 涼しい顔してそんなこと言わないで!
わたしは堪らず耳を塞いだ。
(っていうか憂炎の奴、なんでバレてんの⁉ 監視役は仕方ないとしてもさ。普通隠すでしょ!)
チラリと横目で見遣れば、白龍は無表情のまま、何やら語り続けていた。
淡々とした口調。中身まで聞かないようにしているけど、朝からする会話の内容じゃないことだけは、何となく伝わってくる。
「その件については十分すぎるぐらい分かりましたわ!」
これ以上こんな会話が続いたら身がもたない。わたしは必死に白龍を止める。
「でも、白龍。憂炎が怒っていたのが姉さまのせいだとしたら、何故わたくしに怒りをぶつけたのでしょう? 二人は喧嘩でもしたのでしょうか?」
正直言って、華凛が憂炎と喧嘩をするとは思えない。わたしと違って面倒事を避けるタイプだもん。あの子なら、喧嘩に発展する前に、何かしら手を打っているに違いない。
「それは俺には分かりません。ただ――――」
白龍はそう言って、ほんの少しだけ目を伏せる。
「俺が仕え始めてすぐの頃にも一度、主があんな風に憤っているのを見ました。ちょうど、凛風さまが入内した頃です」
「まあ……! そんなことがありましたの?」
相槌を打ちながら、わたしは密かに息を呑んだ。
(じゃあ、やっぱり憂炎と華凛の間に何かあったのかな?)
わたしが知らないだけ。
これから先もハッキリと理由は分からないまま。
だけどきっと、それで良い。
今後はきっと、華凛がうまくやってくれるはずだ。
わたしが立ち入るのはここまでにしよう。もう二度と、憂炎に振り回されないって決めたんだもの――――。
昨日とは正反対の満面の笑みで出迎えられたもんで、わたしはほっと胸を撫で下ろした。
(まったく、憂炎の奴……昨日は一体どうしたんだろう?)
別にあいつは元々聖人君子みたいな人間ができた奴じゃないし、寧ろ物凄く子どもっぽい。
だけど、昨日の憂炎は、そういうのを通り越して様子がおかしかった。ムカつきはすれど、なんだか心配してしまう。
「そこ、右です」
静かで抑揚のない声にそう言われ、わたしはハッと息を呑む。
仕事中だというのに、つい考え込んでしまっていたらしい。
「申し訳ございません」
書類の山を抱え、横並びに進む白龍に頭を下げつつ、わたしは小さくため息を吐いた。
ダメだ。
憂炎に振り回される生活とおさらばしたと思ったのに、これでは何も変わっていない。
せっかく華凛に戻ったのに、相変わらず憂炎のことばかり考えている。
首を横に振りつつ、わたしは前を向いた。
「――――主のことですか?」
「えっ……?」
尋ねたのは白龍だった。彼は憂炎のことを『主』と呼ぶ。
正直、白龍と会話を交わした回数は少いし、華凛がわたしと入れ替わった後、彼とどんな関係性を築いたのかは知らない。
(本当は前みたいにゆっくり引継ぎができたら良かったんだけど)
人払いをしているとはいえ、いつ誰が来るかわからない環境の中、華凛とゆっくり話す時間は取れなかった。
かといって、今から華凛に男の名前が記された手紙を書かせるわけにも行かず、わたしが再度後宮に行くつもりもない。
こればかりは会話をしながら探っていくしかなかった。
「そうですわね……あんなふうに怒っている憂炎を見るのは初めてでしたから」
しょんぼりと肩を落としてそう答える。
白龍は小さく首を傾げつつ、わたしのことを見下ろしていた。
(いや、どういう感情なの、それ)
無表情のせいで、白龍が何を考えているのかまったく読めない。移動中とはいえ、会話もなく、ただ見られてるだけじゃ居た堪れなかった。
「一体、憂炎に何があったのでしょう。貴方は何か御存じですか?」
これ以上、沈黙に耐えきれない。悩んだ挙句、そんなことを尋ねてみた。
「それは当然、『凛風』さまのことでしょう」
「わたっ……姉さまの?」
すると、至極あっさりとそう返され、わたしは驚きに目を見開く。
(危ない危ない。これから先、わたしは『華凛』として生きていくんだから。間違えないようにしないと)
ふぅ、と息を吐いていたら、隣で白龍がコクリと頷いた。
「はい。主の様子がおかしいときは、十中八九、凛風さまが絡んでいます」
(そうなの?)
今のわたしには他人事だけど、少しぐらいは興味がある。
「そうかしら?」と尋ねたら、白龍はまた、コクリと頷いた。
「元々、表情豊かな方だとは思いますが、主は凛風さまのことになると喜怒哀楽が顕著になります。
例えば、お二人が初夜を迎えられた朝などは、あまりにも嬉しそうに――――――」
(はぁ!? 待って!? 待って待って! そういうの聞きたくないんですけど~~~~!)
初夜とか!
お願いだから! 涼しい顔してそんなこと言わないで!
わたしは堪らず耳を塞いだ。
(っていうか憂炎の奴、なんでバレてんの⁉ 監視役は仕方ないとしてもさ。普通隠すでしょ!)
チラリと横目で見遣れば、白龍は無表情のまま、何やら語り続けていた。
淡々とした口調。中身まで聞かないようにしているけど、朝からする会話の内容じゃないことだけは、何となく伝わってくる。
「その件については十分すぎるぐらい分かりましたわ!」
これ以上こんな会話が続いたら身がもたない。わたしは必死に白龍を止める。
「でも、白龍。憂炎が怒っていたのが姉さまのせいだとしたら、何故わたくしに怒りをぶつけたのでしょう? 二人は喧嘩でもしたのでしょうか?」
正直言って、華凛が憂炎と喧嘩をするとは思えない。わたしと違って面倒事を避けるタイプだもん。あの子なら、喧嘩に発展する前に、何かしら手を打っているに違いない。
「それは俺には分かりません。ただ――――」
白龍はそう言って、ほんの少しだけ目を伏せる。
「俺が仕え始めてすぐの頃にも一度、主があんな風に憤っているのを見ました。ちょうど、凛風さまが入内した頃です」
「まあ……! そんなことがありましたの?」
相槌を打ちながら、わたしは密かに息を呑んだ。
(じゃあ、やっぱり憂炎と華凛の間に何かあったのかな?)
わたしが知らないだけ。
これから先もハッキリと理由は分からないまま。
だけどきっと、それで良い。
今後はきっと、華凛がうまくやってくれるはずだ。
わたしが立ち入るのはここまでにしよう。もう二度と、憂炎に振り回されないって決めたんだもの――――。
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