30 / 35
第三章
残された夏、このまま
しおりを挟む
そして、憎たらしいほどに清々しい朝を迎えた。夜明けの島に、虹がかかっている。一分一秒と時間が切迫していく。彼女の寿命が削られていく。やがて、虹も消えかけていく。
同じベッドの中。抱きしめても起きなければ、キスしても起きないのだろうか。寝落ちた後の目覚めは重くて、何時間経っても、ただ惰性のまま、眠り続ける白波を眺めていた。
「起きてくれなきゃ、困るよ。白波が僕のマスターなんでしょ。なんでもいいから命令してよ。このままじゃ何もできないし……このままで終わりたくない。白波がいなきゃ、僕がここにいる意味だってないじゃん。いつまでも寝てないでさ……」
喉から出る言葉を、ただ吐き出していく。それが届いているかは分からない。
「先、起きてるよ」
少しだけ雑に動きながら、足取りはゆっくりと部屋を後にする。廊下の窓からも虹が見えた。──雀の鳴き声に混じって、微かに、何かが聞こえた気がした。振り返る。
「……私も、起きます」
一瞬、遠い寝言かと思った。足早に寝室へと戻る。あの瞳に、朝日が鋭く射し込んでいる。呂律がはっきりしないまま、白波は指先を少しだけ伸ばして、僕を示していた。
「──虹、虹が見えるよ。起きてっ」
「はい。……ありがとうございます」
淡々とした喋り方で、どちらの白波なのかは分かっている。それでも、嬉しかった。起き上がろうとして起き上がれない、そんな彼女の背中を支えながら、僕はその手を引いてやる。寝起きで朦朧として、足取りは重い。けれど窓を覗くその横顔は、いつ見ても綺麗だった。
「綺麗、ですね」
「……白波のほうが綺麗だよ」
「お世辞として受け取っておきます」
照れ笑いをするその顔は、いつもの笑みに似ていた。たいてい寝起きにしか現れない、それからの彼女はどこか、態度が柔らかくなったような気がする。容姿を褒められただけで僕に気を許したのなら、チョロすぎて不安だ。……いつもの状態なら、まだしも。
ちなみに朝食は、白波のために作ったハンバーグ。もちろん懐柔には成功した。
◇八月二十七日
──残しておいたハンバーグを食べさせた次の日の夕食も、ハンバーグにさせられた。『覚えていないので』という、本当だか嘘だか分からない理由で、だ。たぶん嘘だと思うけど。
そんな彼女もハンバーグとあらば食欲には抗えないらしく、食器が上手く持てないにも関わらず、気合いだけで持とうとしてくる。危ないから僕がゆっくりと食べさせているが。
「早くハンバーグください……。フォーク噛んでソファの上で暴れますよっ」
「できるものならどうぞ。無理しない方がいいと思うけど」
「……マスターいじわるです。よわよわな女の子をいじめるなんて……」
「マスターがマスターのことをマスターって呼ぶの、おかしくない?」
「……どういうことですか。こんがらがるので、そういうのやめてください……」
非常に迷惑そうな顔で文句を言いながら、白波は口元に運ばれたそれを頬張る。
「えへへ、やっぱりこれです……。実家の味……」
「ここは君の実家じゃ……いや、実家か」
「はいっ! レモンソースがさっぱりしてて美味しいですねっ」
ところで、と白波は悪戯っぽく口を歪める。
「初恋はレモンの味っていうじゃないですか。なんでマスターは私を好きに……?」
「笑ってるところが可愛いから。愛嬌があるしね」
「じゃあ、笑ってない私は嫌いなんですか……?」
「それはそれで綺麗な子だなって……。恥ずかしいから言わせないで」
「んわっ、あぅ……!」
照れ隠しでフォークを白波の口に突っ込む。慌てたようなその顔も可愛い。
──残り少ない日常が、この一瞬に感じられた。このまま最後まで、僕は彼女のために、彼女は僕のために動くのだろう。それが唯一の覚悟であり、行く末への鎮痛剤、そして、沈みゆくこの島で過ごしたことを──二人の記憶に刻むための共同作業だ。
同じベッドの中。抱きしめても起きなければ、キスしても起きないのだろうか。寝落ちた後の目覚めは重くて、何時間経っても、ただ惰性のまま、眠り続ける白波を眺めていた。
「起きてくれなきゃ、困るよ。白波が僕のマスターなんでしょ。なんでもいいから命令してよ。このままじゃ何もできないし……このままで終わりたくない。白波がいなきゃ、僕がここにいる意味だってないじゃん。いつまでも寝てないでさ……」
喉から出る言葉を、ただ吐き出していく。それが届いているかは分からない。
「先、起きてるよ」
少しだけ雑に動きながら、足取りはゆっくりと部屋を後にする。廊下の窓からも虹が見えた。──雀の鳴き声に混じって、微かに、何かが聞こえた気がした。振り返る。
「……私も、起きます」
一瞬、遠い寝言かと思った。足早に寝室へと戻る。あの瞳に、朝日が鋭く射し込んでいる。呂律がはっきりしないまま、白波は指先を少しだけ伸ばして、僕を示していた。
「──虹、虹が見えるよ。起きてっ」
「はい。……ありがとうございます」
淡々とした喋り方で、どちらの白波なのかは分かっている。それでも、嬉しかった。起き上がろうとして起き上がれない、そんな彼女の背中を支えながら、僕はその手を引いてやる。寝起きで朦朧として、足取りは重い。けれど窓を覗くその横顔は、いつ見ても綺麗だった。
「綺麗、ですね」
「……白波のほうが綺麗だよ」
「お世辞として受け取っておきます」
照れ笑いをするその顔は、いつもの笑みに似ていた。たいてい寝起きにしか現れない、それからの彼女はどこか、態度が柔らかくなったような気がする。容姿を褒められただけで僕に気を許したのなら、チョロすぎて不安だ。……いつもの状態なら、まだしも。
ちなみに朝食は、白波のために作ったハンバーグ。もちろん懐柔には成功した。
◇八月二十七日
──残しておいたハンバーグを食べさせた次の日の夕食も、ハンバーグにさせられた。『覚えていないので』という、本当だか嘘だか分からない理由で、だ。たぶん嘘だと思うけど。
そんな彼女もハンバーグとあらば食欲には抗えないらしく、食器が上手く持てないにも関わらず、気合いだけで持とうとしてくる。危ないから僕がゆっくりと食べさせているが。
「早くハンバーグください……。フォーク噛んでソファの上で暴れますよっ」
「できるものならどうぞ。無理しない方がいいと思うけど」
「……マスターいじわるです。よわよわな女の子をいじめるなんて……」
「マスターがマスターのことをマスターって呼ぶの、おかしくない?」
「……どういうことですか。こんがらがるので、そういうのやめてください……」
非常に迷惑そうな顔で文句を言いながら、白波は口元に運ばれたそれを頬張る。
「えへへ、やっぱりこれです……。実家の味……」
「ここは君の実家じゃ……いや、実家か」
「はいっ! レモンソースがさっぱりしてて美味しいですねっ」
ところで、と白波は悪戯っぽく口を歪める。
「初恋はレモンの味っていうじゃないですか。なんでマスターは私を好きに……?」
「笑ってるところが可愛いから。愛嬌があるしね」
「じゃあ、笑ってない私は嫌いなんですか……?」
「それはそれで綺麗な子だなって……。恥ずかしいから言わせないで」
「んわっ、あぅ……!」
照れ隠しでフォークを白波の口に突っ込む。慌てたようなその顔も可愛い。
──残り少ない日常が、この一瞬に感じられた。このまま最後まで、僕は彼女のために、彼女は僕のために動くのだろう。それが唯一の覚悟であり、行く末への鎮痛剤、そして、沈みゆくこの島で過ごしたことを──二人の記憶に刻むための共同作業だ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
せんせいとおばさん
悠生ゆう
恋愛
創作百合
樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。
※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる