上 下
13 / 56
第一章 後宮の中でも外でも事件だらけ

溺愛とは恐ろしい

しおりを挟む
 後宮に来て初めてそこを出る日がやってきた。
 その機会は降ってきたようなものであるが、寿樹にとっては初めてのことだ。
 後宮に一度入れば、そこを出るのは罪を犯した時か、陛下から嫁にいけとお達しがある時のみ。貴族の中でも高い位だとそれ以外の理由もあるらしいが、それは異例のことだ。それほどに、後宮という場所は情報が漏れないように気を配る場所だ。まして、下っ端宮女なら2つのうちのどちらかであれば、9割方は前者の可能性が大きいだろう。
 
 しかし、寿樹はそういうわけではなく、言うなれば、彼女の行為が実を結んだ結果が返ってきたのだ。

「さて、行きますか。」

 陽が昇るのがだんだん早くなるとは言っても、まだまだ差し始めたばかりでうっすら明るい時間に寿樹は部屋を出る。大衆部屋であるために決して足音や扉の音を立てないようにすることが難しいが、そこは彼女も対策済だ。まず足音に関してはほとんど元々問題ない。なぜなら、寿樹は辺境出身であるため大きな部屋の中で扉の隙間風で不人気の扉に一番近い場所を割り当てられているからだ。他の宮女は新人いじめ、よそ者いじめと思っているようだが、寿樹は特に気にしたことはない。
 辺境の尼寺でもそこを出てから住んだ家も隙間風はあたり前のようにあり、冬は凍えるような寒さだからだ。ここはそんな環境に比べればとても恵まれている。
 扉の音に関しては扉の溝の部分に昨夜滑扉の滑りをよくするために周南からもらった少量の油を塗っておいたことで、古い建物にありがちの奇妙な音を出すことはない。それにより扉同士がぶつかる音さえなくせば、静かにほとんど無音で寿樹は外に出ることができる。ここまで気を配るのは、他の侍女に見つかった時に面倒になるからだ。

 寿樹の予定通り誰も起こさずに後宮と皇帝や貴族が仕事をする中央宮とをつなぐ門まで行くと、若い青年が立っている。普段着なのか、見たことがない服を着ており、言うなれば庶民のような服装をしているので何の仕事をしている人かわからない。年は立悠ぐらいで武術をやっていた人のように体がしっかりしているとは思えない。ただ、雰囲気からしていいところのお坊ちゃんという感じがする。なんというか、女性遊びが激しそうな感じだ。不審に思いながらゆっくりと彼に近づくと、向こうが顔をあげて軽く手を振る。

「お嬢さん、待ってたよ。」

 と、軽く言う彼はやっぱり雰囲気そのものだ。それも、色男だからなおさら質が悪い。多くの女性を泣かしてきたに違いない、と寿樹はとっさに思う。

「初めまして。えっと、あなたが言われていた”監視兼護衛”ですか?」

 寿樹が確認すると、青年は驚いている。寿樹の方がそんな心持ちなのだが、彼は少しだけ考えるように顎に手を当てる。

「そうだな。確かにそんな者か。俺の名前は信だ。家名はここでは名乗らない。あまり、そっちで呼ばれるのは好きじゃないんだ。じゃあ、早速だが行こうか?」
「私は寿樹です。どうぞよろしくお願いします。信さん。」

 話してみると青年、信は真面目に返すので寿樹は安心して彼とともに次の門も下り、都に入る。

 朝でも太陽が顔を出したような時間だったため静かだと思いきや、市場という小さな商店が並ぶ通りはすでに品出しをする人が動き出している。

「こんな時間に歩いたのは初めてだな。」

 そんな周囲に彼は感心する。確かに、こんなに早くから働いているのは見て感心する。寿樹はただ黙ったままに聞いていると、信が急に足を止めて口をとがらせる。

「何ですか?」

 急に何か言いたそうにこっちを向かれたので寿樹が尋ねると、信はため息を吐く。

「いや、話しかけているのに全く話してくれないから。もしかして、俺って嫌われてます?」
「いえ、そんなことはないですけど。」

 初対面の人に対して嫌いとか思うほどに寿樹は自分をできた人間だと思ったことはない。それに、目上だろう人から急に丁寧な言葉遣いで来られると対応に困る。

「なんで急に丁寧に言うんですか?」
「あ、いや、何となく。嫌われているなら丁重に対応して仲良くなれないかな、と。」

 アハハ

 信の理由はとってつけたような言葉であり、寿樹は怪しむがそれ以上に何も問わない。

「良いですけど、できるなら、普通に話してください。なんか、そうして丁寧に話されるのはあまり慣れていないんです。私が育った場所ではみんな平等と言う感じでしたから。ちなみに、私のこの口調は癖なので見逃してください。」
「へえ、癖。」

 信は目を細める。その目は人の奥底を見ようとしている目であり、それを見て彼の役割を寿樹は思い出す。

 (なるほど”監視”ではあるみたい)

 護衛にしては弱そうな男なので信頼できないが、もとより寿樹は彼を当てにしていないし、そんな事態になるつもりもない。ただ確認してすぐに去るだけだ。

「あ、あそこですね。」

 梅の実家である国で2番目に大きい商家を見つける。商いを行う家は別にあるらしいが、貴族たちがいる高級住宅街に居を構えている。それは宮女として働いていたら、彼女の勝手に始まる自慢話で知ったことだ。ただ、家族はみんなこの居から出たことがなく、商いの家は別の人が管理しているとも聞いている。

「ちょっと、寿樹。ここに行かないのか?」

 あっさりと、家の前から移動する寿樹に信は声をかける。寿樹は肩をすくめて呆れてため息を吐く。

「こんな朝早くから訪ねたら迷惑に決まっていますし、私たちが行ったところで追い払われるのは確実です。」
「確かにな。」

 信は自分の恰好を眺めて納得する。

「だから、作戦を練るためにまずは別の場所に移動します。」
「どこに?」
「貴族たちの家に入るのにちょうどいいことですよ。」

 寿樹は迷いなく歩いて庶民用の街に戻りキョロキョロと通りを見渡して、少し奥に位置する店を見つける。

「おはようございます!」

 寿樹が言うと、すでに店の中にはたくさんの人が働いている。そんな中、店主らしい女性が出てくる。

「おはようございます。元気なお嬢さんに顔の良いお兄さん。」

 上品な女性は和やかに挨拶をする。

「実はここで1日体験ができると聞いて、1日だけ働かせてくれないかと思ってきたんです。」
「え?」

 パシッ

 信が困惑して何かを言う前に口を手でふさぐ。

「あら、そうなの。嬉しいわ。人手が足らないからどうしようかと思っていたのよ。最近は、自分のところで雇っている人より極めている人に任せた方が安心だという声が大きくなっていますからね。特に、経済力がある方からわね。」
「そうですよね。家に来た人にきれいな家をみてもらいたいですし。実は、私たちは掃除が得意なんですよ。ちなみに、こちらの男性には力もあります。ただ、私たちは2人1組がいいんですが、大丈夫ですか?最高の相棒という感じなんです。どんな大きさでも早くきれいにしますよ。なんといっても、私たちは唯一無二のパートナーですから。」

 寿樹は信の首の後ろに腕を回して肩を組む。
 こういう飛び込みの職を手に入れるためには向こうにどれだけのインパクトを与えられるかが勝負なのだ。そのインパクトは絶大だったようで一発了承を得られる。

「それでどこに行けばいいですか?」
「そうね。能さんところから依頼が来ているのよ。お断りをしようと思っていたんだけど、任せてもいいかしら。」
「はい!お任せください。掃除道具はそのおうちから借りるんですよね?」
「ええ、そうよ。」
「ちなみに、私が作ったものもあるので、持ち込みも大丈夫ですか?」

 これです、と寿樹は小さな棒に布をつけた、疑似はたきを包みから取り出す。

「それは道具なの?まあ、特に危なくはなさそうだし、別に構わないわ。よろしくね。あそこは最終確認が厳しいから。奥様は気難しい方なの。まあ、今は息子さんが大きな成果を上げたらしく機嫌がいいから問題ないと思うのだけど。八つ当たりされそうになったらすぐに逃げるのよ。」

 お客人と口論にならないように、ではなく、まさかの”逃げろ”と言われて寿樹は笑って頷く。

「かしこまりました。」
「まだ時間があるから休憩していて。少しバタバタしているけど気にしないでね。」

 店主に案内された小さな部屋で座って待つことになる。

「寿樹、なんか俺、すごいことになっている気がするんだけど。え?一体どうやってここが能家と関わりがあるって知ったの?それに、なんで仕事を手に入れて能家に入れることになっているの?とんとん拍子に話が進みすぎて頭が痛くなってきたんだけど。」
「まあ、信さん。そんなにない頭で考えると頭が痛くなりますよ。まだ、半刻ほど暇なんですから今のうちに寝てください。私も仮眠を取ります。昨日は寝るのが遅くなりましたし。」
「なんか貶された気がするんだけど。ねえ、寿樹、ちょっと。」

 寿樹はまだ聞きたそうにする信をほおってゴロンと横になり包みを枕にして夢の中だ。別に無視をしたわけではなく、彼女はただ本当に寝不足だっただけだ。確かに彼が不審がるのは仕方ないが、寿樹もあの家に行けるとまでは思っていなかったのだから説明のしようがない。取引がなければ理由をつけて取りやめ、取引が合ってもそこに行くことができなければ担当を変わってもらうように取り計らってもらう。色々な場合を想定していたのだが、まさか、そんなことをする必要がないと思わなかった。おかげで、寿樹は安心してゆっくりと寝ることができる。

 出る時間には起き、能家に向かう。
 すっきりとした顔で歩く寿樹とは反対に信はすでに疲れた顔をする。

「信さんは寝なかったんですか?」
「うん、何も説明がなかったから気になって。」
「そうですか。倒れないように気を付けてください。私はあなたを抱えて歩けませんから。」
「いや、それは大丈夫。」

 心配をしている寿樹の言葉に信は苦笑する。
 能家にたどり着くと、すぐに2人は会話を止めてただの清掃員となる。

「ああ、清掃員の方ですね。よろしくお願いします。本日は多くの貴族の方がお見えになりますからいつもよりさらにきれいにしてください、と奥様が仰せでした。最終確認はいつもより厳しいですし、できなければ、いつもより辛い罰が与えられます。今度は腕の骨だけではすまないかもしれません。」
「わかりました。丹精を込めて掃除をさせていただきます。」

 (腕って何?こわっ。そんなパワハラ聞いたことがない)

 見分けがつかないほどに清掃員に無頓着のようで出迎えてきた傍仕えらしい男性に脅されるが、平然と対応し寿樹は信を連れて掃除を始める。信はやはりというかなんというか掃除をしたことがないようで、寿樹は彼を作業場所から追い出してお屋敷の中で重い荷物を持つのに苦労している女中を見つけるたびに彼に手伝いに行くように言う。彼は女性の扱いに慣れているため声をかけられた女中は頬を赤くする。それを見送りながら寿樹は汚れ1つないようにきれいに掃除をしていく。

「あれ?母上はいないの?」

 部屋の1室を掃除している時に扉が開いて声がする。そこを見ると、寿樹と同じぐらいの男子が着物を少しだけ着崩して立っている。彼の恰好はよそ行きでとても高価な着物だとわかるほどだ。それも、青い刺繍は皇族の色だから庶民が使うのは失礼に値するのに、それをふんだんに用いられている。日に焼けたような肌に少しぽっちゃりとした体形をしている。南の血が混ざっていることを示しているようだ。こんな人はこの屋敷では1人しか寿樹には思い当たらない。

「お坊ちゃま、ここに奥様はおられませんよ。来客用の部屋で本日迎える方たちのための準備をしているはずです。」

 寿樹が声をかけると、少しだけ口をとがらせ両手を上下にブンブンと振る。幼さの残るその行動に寿樹は彼の年齢を疑う。

「お坊ちゃまと呼ばれるのは嫌いなの!僕はもう14歳で翡翠細工師なんだから!もう1人前なんだよ!母上が僕をそうしてくれたの。僕の為なら母上はなんでもするんだよ。この家も母上がくれたし、この衣類もね。」

 彼は嬉しそうに着物を見せびらかす。ただ、それに寿樹は悲しさを覚える。溺愛というのは子供にとってこれほど悪影響を与えるものかと。

「そうですか。申し訳ございません。とても良いお母様ですね。」
「うん!母上はこの世で僕を愛してくれるただ1人の人だから。僕には母上だけ、母上には僕だけなの。」
「そうですか。それなら、早く母上様をお探しせねばなりませんね。」

 寿樹は彼の期限が治ったところで、彼のことをさらに褒めることにする。

「ところで、翡翠細工師なんてすごいですね。努力されたんですね。」
「努力?それは下の者がすることだろう?僕は上に立つ者だからそんなことはしないよ。翡翠細工師なんて成るのは簡単だよ。翡翠細工師に翡翠細工を作ってもらえばいいんだから。この家にいるのは、母上が連れてきたこの国で最も高い技術を持つ人だって。」
「そうですか。そんな人を連れてくるなんてすごいですね。」
「うん。その人にとって宝物を手に入れられるようにしてあげるって言ったら言うこと聞いたよ。」
「そうですか。あ、女中さん、奥様のところに案内してあげてください。お話をしていただきありがとうございました。」

 寿樹は知ることができたので、もう十分と思い近くを通りかかった女中に彼、翡翠細工師となる男子を預ける。それから、掃除をして順調に時間をいくらか残して終わったことを最初に対応してくれた傍仕えの男性に告げる。彼が女主人を呼びに行っている間に、信も帰ってくる。

「終わったの?」
「はい、。あとは向こうから証拠でもあればと思うんですが、それは向こうが勝手に自白すると思います。」

 ??

 先ほどの男子との会話を聞いていない信は疑問符を浮かべる。
 正確に言えば、すでに過去形なのだが、全員の前ではないので何もない。
 少ししてやってきた女主人はとてもきれいな人だ。出るところは出て、引き締まっているところは引き締まっている。黒い肌がとても魅惑的な体をより一層大人の雰囲気を増長させている。彼女は1つ1つ確認してから息を吐く。

「とてもよくできているわ。今まで最高の仕事よ。それに呼吸もしやすいわね。」
「ありがとうございます。」

 呼吸がしやすいのは窓を開けて埃を払って空気を入れ替えたからだ。この国の掃除はただ床を拭いて終了がほとんどであり、窓を開けることはほとんどない。窓を開けるのは景色を楽しむためであり、それ以外の用途はないのだ。

「見たことない顔ね。」
「今日1日体験ですから。」
「そうなのね。また、今度も頼むわね。これからまだまだ色んな人がこの屋敷を訪れるわ。」
「それは朗報ですね。」

 寿樹は当たり障りのない返事をする。女主人の彼女は耳に着いた高価なイヤリングを手で軽く触ってなびかせ、指にはまるたくさんの指輪を見せびらかし、妖艶に笑う。

「あなたは掃除をしているわね。」

 急に話が自分に向き寿樹は驚くが冷静に頷く。彼女が寿樹を見下していることは間違いない。

「あなたにはそれがお似合いだわ。私のようには決してなれない。人は生まれ持ったものによって生き方が変わるのよ。そう思わない?人には分相応があるわ。」
「そうですね。人はそうだと思います。」
「そうでしょう。」

 寿樹の同意に女主人は満足げにほほ笑む。

「ただ、1つ訂正をするなら。人は望むことがあれば、何にでもなれると思います。生まれ持ったものだけに頼るのは堕落と同じです。一時の栄誉で終わりますから、人は努力をするのです。それをする権利は平等です。奥様も努力をなさってきたから、ここまでの成功を収めたのでしょう。申し訳ございません。口が過ぎました。では、失礼します。」

 女主人から何かを言われる前に寿樹はその場を立ち去る。
 その際に、行き違いに屋敷に入っていく男性にぶつかりそうになるが、彼は怒るどころか寿樹を気遣う。

「大丈夫かい?けがは?」
「申し訳ございません。大丈夫です。」
「それはよかった。」

 彼を見たのは初めてのはずなのに、彼の顔に見覚えがある。
 その男性からは高貴な人が使用する香が薫る。

 お店に戻ると、店主から本格的に雇うという話になったが丁重にお断りをして給金をもらい、その給金の少しでおやつを買ってから帰路につく。
 信はずっと黙ったままで時折じっと寿樹を見る。

「なんですか?」

 視線に耐えられなくなった寿樹が尋ねると、信は真剣な眼差しで彼女をとらえる。

「寿樹はいくつだっけ?」
「15歳です。」
「そうだよな。それなのに、さっきの言葉は人生経験豊富な大人の言葉に思えた。」
「まあ、辺境育ちですからそれなりの経験はありますよ。」

 ここで”人生で語るなら2回目です”とは寿樹も言えない。信なら信じてくれそうだが、信じられても困る。

「まあ、いいじゃないですか。」

 信の話を切って彼に今日の収穫について話す。彼は驚いていたが頭を抱えてもいる。

「それはすごい母子だな。」

 それは皮肉った言い方だ。信は脱力した後、後宮の門のところで寿樹と別れる。彼は主のところに報告に行かねばならないのだろう。
 そして、寿樹も。

 彼女は自分が管理する宮殿に向かう。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

子悪党令息の息子として生まれました

BL / 連載中 24h.ポイント:3,572pt お気に入り:438

露雫流魂-ルーナーリィウフン-

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:376pt お気に入り:1

女王特権で推しと結婚するなんて、はしたないですか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,100pt お気に入り:16

悪役令嬢は、友の多幸を望むのか

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,151pt お気に入り:37

《短編集》美醜逆転の世界で

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:404pt お気に入り:110

ひとりぼっち獣人が最強貴族に拾われる話

BL / 完結 24h.ポイント:4,444pt お気に入り:1,995

【完結】愛は今日も愛のために

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:16

処理中です...