俺にとってはあなたが運命でした

ハル

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職場で

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 瑞穂は晴哉と遭遇してから彼の顔を少しだけ思い出すことはあったが、片親はそんなことをいつまでも考えている暇がなかった。翔と遊んで保育園の話を聞いたり家事も母にばかり頼ることはできなかったので、瑞穂がすることは毎日山のようにあった。晴哉も何年も会っていない瑞穂の顔などにあまり会いたくはないだろうから、家周辺に来る用事を作ることはないだろう。だから、日本に滞在する残り数か月の間、晴哉と顔を合わすことはないだろうと思っていた。

「浅野さん、こちらわが社の顧問弁護士を担当していただいている遠月弁護士、遠月弁護士、こちら本社から出向していただいている浅野です。」
「よろしくお願いします。浅野さん。」
「よろしくお願いします。遠月弁護士。」

 瑞穂はまさか職場で晴哉と対面することになるとは夢にも思わなかった。支社長に呼ばれて用事が分からなかったがまさか偶然訪問していた彼と鉢合わせすることなど予想する方が難しいだろう。そのままお互いに挨拶をすることになり瑞穂は普通を装い、二人は初対面風だったはずだ。

「わざわざ浅野さんに来ていただいたのは、あなたが作成した教育システムですが、あれを本稼働させたいと思ったのです。それと、今後は改良していただき今後製品化を目指したいと思っています。その際の商標などを彼、遠月弁護士に相談していたところです。」
「そうなんですね。私はただ土台を作成しただけであとは日本支社にいる優秀な社員の皆さんでされるのがいいでしょう。そのあとは本社の合意が取れれば製品化もできるはずです。」

 暗に瑞穂は今後関わらない旨を伝えた。
 しかし、それを支社長が良くは思っていないようだ。

「確かにわが社の社員は優秀です。しかし、あなたが開発した教育システムについて理解できる社員はいないようです。中井でさえ、私に対して無理だとはっきりと言いました。プライドが高い彼がそんなことを言うのは初めてなんです。」
「問題ありません。私は会社から教育も含めて一年の出向を命令されておりますから、あと数か月で開発できるように成長させますから。それができないなら、私の実力はそれまでであり本社でクビにされるだけです。」
「それは聞いていた以上に厳しいですね。」
「それがあの国ですから。」

 日本ではあまりないことだろう。成長を期待し育成にお金と時間をかけるのがこの国の基本的な方針であるが、あの国は自分の成長は自分でするものであり、会社が期待する以上の成果を残さなければすぐにクビである。そこがこの国との明確な違いだろう。だからこそ、本社の給料は日本支社の給料の数倍だった。瑞穂もこの国にいる間は年収でいえば同年代と比べたら高い、と断言できるほど。

「話がそれだけであれば、私は失礼します。」
「ああ、時間を取らせて悪かったね。そうだ、ランチはまだかな?今日は一緒にどうだろうか?」
「ありがたいことですが、弁当があるので。」
「さすが、息子を育てる親だね。」

 弁当を持ってきたことがなぜ親であることとつながることが瑞穂にとっては謎だったが、瑞穂はいつものことだと笑った。しかし、そこに晴哉がいることを思い出して瑞穂は慌てて部屋から出た。

「危ない危ない。」
「浅野さん!」

 仕事部屋に戻る途中で中川が追いかけてきた。それに驚いて立ち止まり少し興奮したような彼から話を聞いた。

「先ほど社長から話はお聞きになりましたか?」
「あ、教育システムの話ですか?聞いたけれど、中井さんたちに任せるようになるようです。中井さんたちがさらにスキルアップして活躍できる幅を広げることを願っていますよ。」
「え?じゃあ、浅野さんは断ったんですか?」
「そうですね。」

 瑞穂の返事に中井はガクンと頭を下げて落胆していた。困ったな、と思いつつ瑞穂は日本に長居したくないし、できれば今日はこのまま退社したい気分だった。

「中井さん、私は仕事よりも子供のことを優先しています。彼の今後を考えると向こうの方が良いと思っているんです。」
「そうですか。確かに、浅野さんのお子さんなら賢そうですね。」
「はい、賢くて優しい子です。私にとっては一番の幸福ですね。」
「羨ましいですね。私は相手もいませんから。」
「そうですか。」

 瑞穂は何もアドバイスできることはなかった。突然Ωになり、奇跡的に番った相手との子に恵まれただけであり、番とは別の道を歩むことになった、ただ目の前に起きたことを受け止めて進んだ結果に過ぎなかった。

「さて、仕事に戻りましょうか。」
「はい、浅野さん。あと数か月ですが、よろしくお願いします。」
「こちらこそ。」

 瑞穂と中井は並んで歩いていた。

「浅野さん!」

 歩き出したところなのにまた呼び止められ、瑞穂は立ち止まった。今度は何だと思いつつ振り向くと、晴哉が少し息を切らして立っていた。

「どうしたんですか?」

 瑞穂が尋ねると晴哉は一瞬同じように立ち止まっていた中井に視線をやってからこちらに視線を戻した。

「少しだけ話がしたいのですが時間はありますか?先日助けていただいた恩返しをしなければなりませんから。」
「いえ、別に。」
「そう言わないでください。よければ、終業時間の後でも構わないのですが。」

 晴哉の押しが強いのは過去と違わないけれど、その口調が丁寧だと気持ち悪さが強かった。彼を無下にできないが、この誘いに乗るのは危険だとわかっている瑞穂は策をを考えていたら、中井が二人の間に入って遮った。

「遠月弁護士、感謝をしているのは分かりますが、押し売りは相手に迷惑で喜ばれることはありません。」
「それはそうですね。恩人が目の前に現れたので焦ってしまいました。浅野さん、申し訳ありません。」
「いいえ、気にしていません。お話でしたら、二十分ほどでしたら今から取れます。そこの休憩スペースで構いませんか?」

 個人的に会うとかで約束をさせられるより職場関係者ばかりいる空間でさっさと終わらせた方が、瑞穂の心が落ち着かなくなるよりはよかった。会社の飲み会の時でさえ、翌日の翔の機嫌が少しだけ悪かったから外出は避けていた。

「では、それで。」

 心配そうにしている中井と別れて晴哉と休憩スペースに向かった。

 休憩スペースにはテーブル席とソファ席があり、二人掛けのテーブル席に先に瑞穂が座った。その正面に晴哉が腰かけるとふうっと息を吐いた。

「こんな場で会うとは思わなかった。」

 急に以前の口調に戻るので驚いたが、瑞穂は今までの姿勢を崩さなかった。

「私もあなたと会うとは思いませんでした。あんな場面に出くわすことも想定外でしたけど。」
「その口調を前に戻せないか?」
「ここは職場で今のあなたと私は初対面ですから無理です。私がそんな簡単に切り替えができないことはあなたが一番良く知っていると思いますけど。」
「そうだな。」

 晴哉はガシガシと頭をかいた。苛ついているサインは変わっていないようだ。日が出ている時に見るのは数年ぶりであり、目の下にはクマができていて疲れた印象があった。何事も要領よくこなしていたあの頃とは違い、今の彼は数年前に態度がおかしくなった頃と重なって見えた。運命の番と番としていないから、精神的に参っているのだろうか、と思ったが、そんなことを気にする資格など瑞穂にはなかった。すでに捨てたものだから。

「あんな場面を見られて恥ずかしかったな。悪いな、変なところを見せて。」
「いえ、別に。今まで何度かああいう諍いを見てきましたから。αとΩは特にもめることが多いですよ。」

 瑞穂は窓から外を見た。あまり顔を見ていると変な質問をしてしまいそうだったので目をそらした。
 ビルから見える景色は同じビルたちしか見えない。高い場所があまり得意ではない瑞穂は下を覗けないから当然ではあったけど。そこに視線を感じたので晴哉の方を見れば、彼はじっと瑞穂の方を見ていた。

「瑞穂は変わったな。」
「向こうに行って色々と経験しましたから。いちいち過去を振り返ってなどいられません。一人の子の親ですし。」

 すでに子持ちであることを暴露されているので瑞穂は平然と話題にできた。親権などを要求されない限りは瑞穂として別にどうでもよかった。法律の専門家である彼に裁判を起こされることが瑞穂にとって最悪のケースだった。しかし、そんな気は晴哉にはないようだった。

「そうか。留学したんだったか?」

 晴哉の質問に瑞穂は一生会わないことを覚悟したあの話し合いの時に何も伝えていなかったことを思い出した。

「そうです。ちょうど姉妹校の留学する学生を募集していましたから書類を提出したら通りました。単位を優秀な成績で取得していたことと姉妹校から来ていた客員教授の授業を取っていたことが評価されまして何とか行くことができました。」
「大変だっただろう。学生の時に子供を産んで育てながら学校に通ったと社長に聞いた。」

 あの支社長は人が良いのだけど、人のプライベートのことを話すのは悪い癖だった。別に隠してはいないのだが、それを部外者晴哉に話すのはいただけなかった。

「大変でしたけど楽しかったですよ。私はとても恵まれていると思います。」
「そうか。」

 晴哉はそこで黙ってしまった。
 まだ時間は残っているけれど、晴哉の話がこれで終わりなら瑞穂がここに居る必要はない。番として晴哉に体が反応することを恐れていたがその兆候がないことに瑞穂は安堵した。

「遠月弁護士、話がないのであれば私はこれで失礼します。先日の夜の一件は気にしないでください。」

 瑞穂は立ち上がって出て行こうとしたら名前を呼ばれて手首を掴まれた。その瞬間、その手を振り払おうとしたが全く振り払えなかった。

「瑞穂、頼みがあるんだ。」

 そう言った晴哉の目は真剣だった。あの頃、告白をしてきた時と似ていて瑞穂は初めて怯えた。

「頼み?」
「そう。断ってくれても構わない。」
「何ですか?」

 断ってもいいと言いながら晴哉の顔は断らせまいとしていた。

「これからも少しで良いからこうして話す機会が欲しいんだ。前のように時間が取れないことは分かっているし、場所も気にしているだろうから、この会社でもいい。俺は定期的に訪問するしランチまでは時間があるから。」

 晴哉は瑞穂のことを考慮しているのはよくわかったが疑問があった。

「私と話すことなどありますか?」

 いまさら晴哉と話す話題など瑞穂にはなかった。番であっても嫌悪を感じたことで遠ざけられた過去が瑞穂の中にはちゃんと残っていた。そのことを恨んでいないけれど、そんなことがあった間柄の自分たちに話すことはなかったはずだ。しかし、瑞穂の思いと晴哉の考えは違うようだった。

「話すことはないかもしれない。でも、俺はお前に傍にいてほしいんだ。あんなことが会ったのに、と思うかもしれないけれど、瑞穂には傍にいてほしい、それが俺の気持ちだ。話をしなくていいし、距離も取ってくれて構わない。でも、目に見えるところにお前が居てほしいんだ。」
「私といて気分が悪くならないんですか?」

 ここまで近くにいて晴哉の顔色が変わらないことに気づいた。最後に会った時、瑞穂に対して嫌悪感を抱いたからあれほど辛そうにしていたのだろう。瑞穂に向けていた晴哉の目を瑞穂は忘れなかった。

「そうだな。俺は確かに運命と出会ってから瑞穂を遠ざけていた。気分が悪くなって自分の思いなんか関係なく言いたくもない言葉を言いそうで怖かったからな。それもだいぶ落ち着いたようで今ではΩに触れられても嫌悪感はない。」
「そうですか。ただ、私も仕事が忙しく時間がないことが多いので、時間を合わせられるかはわかりません。」
「会ってくれるのか?」
「あなたの相手が嫌な気分をされるなら断りますが。プライベートではなく仕事なので問題ないでしょう。あと、数か月しかいませんから、あなたと会うのも数回なので、あなたの願いを叶えることはありません。」
「数か月?そういえば、出向とか言っていたな。」

 晴哉は喜びからきょとんとして頭から記憶を引っ張りだしたようだ。数えるほどしかないから、瑞穂は了承したに他ならなかった。仕事上にしても他のΩが自分のαに近寄っているなど、相手に失礼だろう。晴哉の発言は一歩間違えれば不貞を誘うような文句だった。

「ええ、あと半年切りましたね。」
「そうか。」

 晴哉は何か考えるようなしぐさをしていたが、瑞穂はタイムリミットだと強引にその思考を切って彼と別れた。
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