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第五局
☖ 憧れ
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日本の将棋界には、男女の区別がないプロ棋士の制度と、女性だけがなれる女流棋士の制度の二つのプロ制度がある。
そして、『女流棋士』といえば、後者のことを指すことが多い。
私のお母さん――白銀菫も、女流棋士制度でプロになった棋士の一人。
そして、お母さんは、女流棋士界にある八つのタイトルのうち五つを抱えていた、『将棋界最強の女性』だったのだ。
「……ウィリアムズ君、女流棋士のことも知っとったんやね」
「制度だけは知ってたって感じかな。あの対局を見るまではね」
知ってたのは制度だけ、か。確かに、女流棋士の対局って、普通の棋戦に比べると、もっと話題になりにくいところもあるからなあ。
ただ、あの時の対局は、それなりに話題性があったから、ウィリアムズ君もネットニュースか何かでその話題を見て、対局動画を見てみようと思ったのかもしれない。
竜王戦は、プロ棋士のタイトル戦の中では唯一、女流棋士が参加できる棋戦だ。
竜王戦では、現役棋士全員と、女流棋士四名、奨励会員一名と、アマチュア五名が六つのグループに分けられて、予選トーナメントを行なう。さらに、各トーナメントの勝者で決勝トーナメントを戦って、優勝した人が竜王への挑戦権を得ることができる。
お母さんと、当時タイトルを持っていなかったお父さんが対局したのは、予選トーナメントの最終戦だった。そこで最終的にお母さんを下したお父さん、白銀飛鳥八段が、その年の竜王戦挑戦者となって、タイトルを獲得するにいたった。
女流棋士が予選トーナメントの決勝まで進んだだけでなく、公式戦でプロ棋士と女流棋士の夫婦対決が実現するとあって、この年の竜王戦は今までになく盛り上がっていた。
ウィリアムズ君は、たまたま、その対局を見ていたんだ。
「将棋は、女の人よりも男の人のほうが有利だっていうゾクセツは、聞いたことがあるよ。女の人は男の人よりも体力がない。だから、持ち時間の長い将棋では、男の人のほうにadvantageがある……」
「それは、あながち間違いでもないかもね」
将棋は、意外と体力勝負なところがある。長い持ち時間の対局を戦うには、よほど普段からきたえていない限りは、一般的に基礎体力で勝る男性のほうが有利になってくるのだ。
でも――
「でも、おれが見た対局は違ってた。体力がなくて不利なはずの女流棋士――白銀菫女流五冠が、その不利を感じさせないような力強い指し回しで、白銀飛鳥八段を圧倒してた。もしかしたら、白銀女流五冠のほうが勝っていても、おかしくないような対局だった」
知っている。
私だって、あの対局の様子は、リアルタイムで見ていたから。
お父さんとお母さんが死力をつくして戦っている様子を、どっちにも負けてほしくないと思いながら、パソコンの画面越しに見守っていたから。
「あの対局を見て、おれ、思ったんだ。あの二人の間には、すごく熱い空気が満ちていたんだろうなって。どっちの指し手からも、負けたくないっていう気持ちがすごくあふれてたけど、白銀女流五冠の気迫のほうが、もっとすごかった」
……知ってる。
だって、あの将棋は、お母さんにとって――
それを思い返しながら、ひざの上に置いた手を、思わずぎゅっとにぎりこんでいた。
「最後に実力でねじふせて勝ったのは、白銀飛鳥八段。でもね、おれが心を動かされたのは、白銀菫女流五冠のほうだったんだ。最後の最後まで勝ちをあきらめずに、相手にくらいつくような勢いで指し続ける……あんな情熱的な将棋、目の前で指されたら、どんなに楽しいだろうって思ったよ」
「……楽しい?」
お母さんの将棋を見て、楽しそうだと思ったの?
思わず目を丸くした私に、ウィリアムズ君は大きくうなずく。
「だって、あの時の菫さん、まるで命を燃やしているみたいに見えたんだ。すごく、かっこよかったんだ。本を読んで、定跡とか戦法を勉強しているだけじゃ、絶対に見えない世界だった。全力でぶつかり合える対局相手がいてこそ、将棋は面白いんだって。おれは、あの対局を見て、初めて知ったんだ」
「…………」
「だから、俺も、誰かと一緒に将棋を指したいと思った。将棋で、全力の勝負がしたい、って思ったんだ。ネットでも、実際の対局でもいい。あんなふうに、おれに最高の情熱をぶつけながら指してくれる相手と出会いたかった。そんな相手に、おれの将棋で勝ってみたいって思ったんだ」
弾むような声色で言うウィリアムズ君を見ていると、どこかやるせない気持ちがわいてしまう。
そうか。ウィリアムズ君は、お父さんとお母さんの姿を見て、将棋指しとして大事な気持ちに気付いたんだ。
最高のライバルと出会いたいという気持ち。
勝ちたいという気持ち。
それに気付いたのが、よりにもよって、あの対局だっただなんて。
「ねえ、サファイア」
くやしいような、悲しいような、複雑な気持ちで唇をかんでうつむく。そんな私に、ウィリアムズ君は遠慮がちに声をかけてきた。
「あの対局、白銀八段と白銀女流五冠の対決は、夫婦対決だって話題になってたよね。それに、さっきの写真にも写ってた……白銀女流五冠は、白銀竜王の奥さんで、君の――mumなんだよね?」
「…………うん」
写真を見たのだから、嘘もごまかしももう利かない。
観念してうなずく。
ウィリアムズ君がどんな表情をしているのかは、もう分からなかった。
「君、mumはいないんだって、言ったよね。それは……」
そこでふと、ウィリアムズ君の言葉が途切れた。これ以上は聞いてはいけないと、彼なりに察したのかもしれない。
けれど、ここまで踏みこんでこられた以上は、話すも話さないも一緒だ。どうせ彼にも、話の落ちは見えているだろうから。
「ウィリアムズ君、菫さん……お母さんのこと、気になる?」
「……うん」
すがすがしいほど正直な答えに、ほんの少しだけ笑いがこみあげる。気を遣いたいのか、本当のことを知りたいのか、どっちなんだろう。
「こっち。ついてきて」
立ち上がりながらそう言えば、ウィリアムズ君は、黙ったまま腰を上げた。
対局中継が流しっぱなしになっているパソコンをそのままに、私たちはリビングを出て、隣の和室に向かう。
画面の向こうのお父さんは、まだ次に指す手になやんでいるところだった。
そして、『女流棋士』といえば、後者のことを指すことが多い。
私のお母さん――白銀菫も、女流棋士制度でプロになった棋士の一人。
そして、お母さんは、女流棋士界にある八つのタイトルのうち五つを抱えていた、『将棋界最強の女性』だったのだ。
「……ウィリアムズ君、女流棋士のことも知っとったんやね」
「制度だけは知ってたって感じかな。あの対局を見るまではね」
知ってたのは制度だけ、か。確かに、女流棋士の対局って、普通の棋戦に比べると、もっと話題になりにくいところもあるからなあ。
ただ、あの時の対局は、それなりに話題性があったから、ウィリアムズ君もネットニュースか何かでその話題を見て、対局動画を見てみようと思ったのかもしれない。
竜王戦は、プロ棋士のタイトル戦の中では唯一、女流棋士が参加できる棋戦だ。
竜王戦では、現役棋士全員と、女流棋士四名、奨励会員一名と、アマチュア五名が六つのグループに分けられて、予選トーナメントを行なう。さらに、各トーナメントの勝者で決勝トーナメントを戦って、優勝した人が竜王への挑戦権を得ることができる。
お母さんと、当時タイトルを持っていなかったお父さんが対局したのは、予選トーナメントの最終戦だった。そこで最終的にお母さんを下したお父さん、白銀飛鳥八段が、その年の竜王戦挑戦者となって、タイトルを獲得するにいたった。
女流棋士が予選トーナメントの決勝まで進んだだけでなく、公式戦でプロ棋士と女流棋士の夫婦対決が実現するとあって、この年の竜王戦は今までになく盛り上がっていた。
ウィリアムズ君は、たまたま、その対局を見ていたんだ。
「将棋は、女の人よりも男の人のほうが有利だっていうゾクセツは、聞いたことがあるよ。女の人は男の人よりも体力がない。だから、持ち時間の長い将棋では、男の人のほうにadvantageがある……」
「それは、あながち間違いでもないかもね」
将棋は、意外と体力勝負なところがある。長い持ち時間の対局を戦うには、よほど普段からきたえていない限りは、一般的に基礎体力で勝る男性のほうが有利になってくるのだ。
でも――
「でも、おれが見た対局は違ってた。体力がなくて不利なはずの女流棋士――白銀菫女流五冠が、その不利を感じさせないような力強い指し回しで、白銀飛鳥八段を圧倒してた。もしかしたら、白銀女流五冠のほうが勝っていても、おかしくないような対局だった」
知っている。
私だって、あの対局の様子は、リアルタイムで見ていたから。
お父さんとお母さんが死力をつくして戦っている様子を、どっちにも負けてほしくないと思いながら、パソコンの画面越しに見守っていたから。
「あの対局を見て、おれ、思ったんだ。あの二人の間には、すごく熱い空気が満ちていたんだろうなって。どっちの指し手からも、負けたくないっていう気持ちがすごくあふれてたけど、白銀女流五冠の気迫のほうが、もっとすごかった」
……知ってる。
だって、あの将棋は、お母さんにとって――
それを思い返しながら、ひざの上に置いた手を、思わずぎゅっとにぎりこんでいた。
「最後に実力でねじふせて勝ったのは、白銀飛鳥八段。でもね、おれが心を動かされたのは、白銀菫女流五冠のほうだったんだ。最後の最後まで勝ちをあきらめずに、相手にくらいつくような勢いで指し続ける……あんな情熱的な将棋、目の前で指されたら、どんなに楽しいだろうって思ったよ」
「……楽しい?」
お母さんの将棋を見て、楽しそうだと思ったの?
思わず目を丸くした私に、ウィリアムズ君は大きくうなずく。
「だって、あの時の菫さん、まるで命を燃やしているみたいに見えたんだ。すごく、かっこよかったんだ。本を読んで、定跡とか戦法を勉強しているだけじゃ、絶対に見えない世界だった。全力でぶつかり合える対局相手がいてこそ、将棋は面白いんだって。おれは、あの対局を見て、初めて知ったんだ」
「…………」
「だから、俺も、誰かと一緒に将棋を指したいと思った。将棋で、全力の勝負がしたい、って思ったんだ。ネットでも、実際の対局でもいい。あんなふうに、おれに最高の情熱をぶつけながら指してくれる相手と出会いたかった。そんな相手に、おれの将棋で勝ってみたいって思ったんだ」
弾むような声色で言うウィリアムズ君を見ていると、どこかやるせない気持ちがわいてしまう。
そうか。ウィリアムズ君は、お父さんとお母さんの姿を見て、将棋指しとして大事な気持ちに気付いたんだ。
最高のライバルと出会いたいという気持ち。
勝ちたいという気持ち。
それに気付いたのが、よりにもよって、あの対局だっただなんて。
「ねえ、サファイア」
くやしいような、悲しいような、複雑な気持ちで唇をかんでうつむく。そんな私に、ウィリアムズ君は遠慮がちに声をかけてきた。
「あの対局、白銀八段と白銀女流五冠の対決は、夫婦対決だって話題になってたよね。それに、さっきの写真にも写ってた……白銀女流五冠は、白銀竜王の奥さんで、君の――mumなんだよね?」
「…………うん」
写真を見たのだから、嘘もごまかしももう利かない。
観念してうなずく。
ウィリアムズ君がどんな表情をしているのかは、もう分からなかった。
「君、mumはいないんだって、言ったよね。それは……」
そこでふと、ウィリアムズ君の言葉が途切れた。これ以上は聞いてはいけないと、彼なりに察したのかもしれない。
けれど、ここまで踏みこんでこられた以上は、話すも話さないも一緒だ。どうせ彼にも、話の落ちは見えているだろうから。
「ウィリアムズ君、菫さん……お母さんのこと、気になる?」
「……うん」
すがすがしいほど正直な答えに、ほんの少しだけ笑いがこみあげる。気を遣いたいのか、本当のことを知りたいのか、どっちなんだろう。
「こっち。ついてきて」
立ち上がりながらそう言えば、ウィリアムズ君は、黙ったまま腰を上げた。
対局中継が流しっぱなしになっているパソコンをそのままに、私たちはリビングを出て、隣の和室に向かう。
画面の向こうのお父さんは、まだ次に指す手になやんでいるところだった。
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