闇を泳ぐ

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第三章 たった一人の大切な人

―春彦―①

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 寮の管理室でメイの姿を見た時、あまりの恐怖に身体が震えた。メイの小さな顔が、無残なほどに腫れあがり、痛々しいほどに変色していたからだ。
 一目でわかる。転んだとか怪我をしたとか、そんな類のものではない。誰かに殴られたものだ。
 うつろな表情で横たわっているメイは、今にも息が途絶えてしまうのではないか思えるほどにぐったりとしていて。我を忘れてその身体を掻き抱いた。

「メイっ! 一体、どうしたんだ!」

腕の中に閉じ込めたメイは、いつも見ているメイよりもずっと小さく見えて、今にも消えてしまいそうなほどに儚いものに感じられて、強く抱きしめそして大声を張り上げていた。

誰がこんな酷いことを……。

何か答えてほしくて、ちゃんと息をしているんだと確認したくて、メイの腫れあがった頬をさする。何か、反応してくれ。何か言って――。

「お……、お兄ちゃんっ!」

狭い喉をこじ開けるようになんとか声を絞り出したかと思ったら、堰を切るようにメイが泣いた。

「私の傍にいて、ここにいてっ!」

その細い腕が強い力でしがみついて来る。それがメイから出ている力なんだと実感出来て、それに応えるようにきつく抱きしめ返した。

 自分の部屋へと連れて行く間も、メイが必死に俺の身体にしがみついていた。
怒りとも哀しみとも分からない暴れ狂う感情が心の奥底から湧きがる。
 そして、その感情がさらに昂ぶり怒りに飲み込まれたのはその後だった。ベッドにそっと横たえたら、メイが突然呻いた。うずくまるように腹を押さえている。メイの顔には嫌な汗が流れ、痛みをこらえるような歪んだ表情だった。

まさか――。

さっきは、あまりに腫れあがった顔にしか目がいかなかったが、メイの衣服は不自然なほどに乱れていた。長袖のTシャツは皺だらけで、何かから守るようにメイは胸のあたりをぎゅっと掴んでいた。

 込み上げる嫌な予感で、どうにかなりそうだった。躊躇うことなくメイの服をたくし上げる。そして、目にしたものに我を忘れた。

「おまえ……、一体、何をされたんだ」

下着のホックは外されていて、いとも簡単にたくし上げたTシャツとともに剥がれた。目の前にある、露わにされた肌に、自分の血の気が引いて行くのに気付く。
 メイの身体など、メイが小学一年の時以来見たことはない。自分の全然知らない身体になっていたそこには、無数の痣が散らばっていた。もう子どもなんかじゃない、女の身体になっていた胸には、何かに何度も握りつぶされたかのように爪の跡がその白い肌にいくつも付けられて。

顔だけじゃなかったのか――?
こんな場所に、いくつも……。

あまりに凄惨なありさまに、その痣に震える指で触れた。

 考えたくはない答えが頭を駆け巡る。

メイは、身体を誰かに――。

「メイ!」

それは叫びになっていた。

この身体を? 俺の大事な妹の、俺の、大切な――。

 溢れ出す激情からメイの身体をきつく抱きしめた。自分の身体が震えているのが分かる。身体中をかけめぐる怒りが、とぐろを巻いて暴れ出す。この怒りをどこに向ければいいのか、もう自分でも制御できない。抱き締めた身体をすぐに離し、メイの目を見つめた。
 胸が千切れそうで、どうにかなりそうだった。圭太という、メイが一緒に暮らしている男だときいて、さらに、相手が複数だと聞いて、これまで感じたことのない激しい感情に完全に飲み込まれた。
 これまでいろんなことがあった。怒りも虚しさも悲しみも、いやというほどに味わって来た人生だ。それなのに、これまでのものなんてどれもこれもどうということもなかったのだと知る。今、自分にあるこの感情は、それらを全部遥かに凌駕する。

今すぐにもで、ぶっ殺してやる――。

もう正常な判断なんて出来ていない。自分を抑えられない。

「お、お兄ちゃん!」

そんな俺をメイの手が引き留めた。

「最後まではしなかった」

その言葉でメイに振り返る。

「本当か……? 本当のことを――」
「本当だよ。ぎりぎり助かったの。それで、ここに逃げて……。だから、だいじょう、ぶ……」

必死にそう訴えて来るメイを見たら、泣き出したくなった。そんな顔で大丈夫だというメイが、哀しくて。安堵しているのか、それでも苦しいのか、感情が揺さぶられてどうしようもない。最悪の結末ではなかったにしろ、メイの身体に付けられた跡はどれも現実のもの。

どうして、こんなことをされなければならなかった?

どうしてなんて思う自分に、怒りを覚える。相手は、メイと暮らして来た男だ。

これまでだって、これほどのことはなくても、きっとメイは何かに耐えてきたはず……。

「俺が……、俺のせいで――っ」

東京に出て来てからの二年という時間がめまぐるしく蘇る。

「俺は一体なんのために東京に出て来たんだ?」

こんなことメイに言うのは卑怯なのに。

 メイはいつも笑っていた。俺はメイの本当の状況を無理やりにでも問い詰めるべきだった。こんな男のいる家に置いたままにしていたんて。メイの身体をこんな風に傷付けたのは、誰でもない、俺自身だ。

「お兄ちゃんのせいじゃない! 私がバカだったから。全部、私のせい。あんな男たちに、いいように――」

首にきつく抱き付くメイの身体が急に震え出す。

男たちにされたことを思い出しているのか――。

「いやっ……!」

俺の首筋に顔を埋めているからその表情は分からない。でも、メイの肩が激しく上下する。ガタガタと身体が震えている。

「メイ――」
「私の身体、汚い。気持ち悪い――」

その言葉に、呼吸をするのを忘れた。それと同時に鋭い痛みが胸を貫く。

「私の身体、触られて、キスだって、あんなの、気持ち悪くて。なのに――」

苦痛に歪んだ声に、俺に別の感情が顔を出す。俺にしがみつくこの身体が、急に生々しく迫る。

「この先、一生もう消えない。もともと私なんて、汚くて要らない子で、それなのに余計に――」
「違う!」

その先は言わせなかった。

――あんな子、なんで産んじゃったんだろ。

あの薄汚れた女が嫌というほどに言っていた言葉。

「私は、生まれて来なきゃよかった子で、最初から薄汚れてる。だから、全部自分のせい」

違う。メイは、薄汚れてなんかいない。あの女とは違う。

たとえ、あの女から生まれてきたのだとしても、メイは違う――。

俺の中で、何かが切れた。

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