雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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《その後》二人で見た海であなたを待つ

初めて感じるもの 11

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 自分からこんなことをするとは思わなかった。でも、どうしてもそうしたいと思った。春日井さんの胸に顔を埋めると、が激しく鼓動しているのが分かる。

「……未雨さん」

春日井さんの手のひらが、ぎこちなく私の背中に置かれる。それは本当にそっと置いただけのもの。それがもどかしくて、春日井さんの水色のシャツをぎゅっと強く握り締めた。

「私、心から春日井さんとそうなりたいって思ってる。だから――」

どうか私の気持ちを受け止めてほしい。決死の告白をしてしまった自分は、もうどこにも行き場はない。戻ることも出来ない。

「急にどうしたの? 何か、あった……?」

背中にあった手のひらが、ゆっくりと優しく撫でる。それは、少しも性的なものじゃない。本当に慰めるような手つきだ。それが悔しくて、私は春日井さんの胸に顔を埋めながら何度も頭を振る。

違う。ただ、私は――。

「無理、しないで。ゆっくりでいいよ。僕は、君とこうしていられるだけで十分――」

穏やかな声と激しいまでの鼓動に、私の心はかき乱される。

「私、無理なんてしてません。春日井さんは、イヤですか……っ?」

こんな風に追い詰めたいわけじゃないのに。言葉が止まらない。

「春日井さんはイヤなの? 私とそういう関係になるの、イヤだと思ってる? 私のことそんな風には見られない? どうしてですか!」

こんなこと、言いたかったわけじゃない。この時、心の奥底にあった得体の知れない不安の正体を悟る。これが怖かったのだ。こんな風に、拒絶されるのではないかと。私が近付こうとすると、壁を作られてしまうんじゃないかと怖かったのだ。それを目の当たりにするのが怖くて、会うのが怖かった。

「こんな風に二人で会っていても、いつもどこか私を突き放す。春日井さんはいつも遠いです!」

感情のままに言葉を放ってしまっていた。見上げた先にあったその表情に言葉を失う。苦痛に歪んだ顔。その苦しそうな表情に、自分のしたことの浅はかさを思い知る。自分の感情ばかりをぶつけてしまった。春日井さんの気持ちも考えずに。

”他の男との最中の声なんて聞いちまったら、その女は絶対無理だろ。普通の趣向の男なら受け付けないよ”

樹の声がふっと聞こえて来る。何度も、繰り返し繰り返し聞こえてくる。春日井さんは、再会してからも、いつだって私に優しくしてくれていた。

”君だけを、ずっと、好きだった”

春日井さんが私をどれほど大切に想ってくれているのか、私が一番知っているのに。それなのに、春日井さんにこんな葛藤をさせているのは、私のせいだ。あんなものを聞かずにすんでいたら、春日井さんは苦しまなくてよかった。

春日井さんを苦しめているのは私なのに、その私が追い詰めるなんて間違ってる――。

「……ご、ごめんなさいっ」

慌てて春日井さんの身体から離れた。

春日井さんの心が本当に私を求めてくれるまで――。

こんな風に二人で過ごせるだけで十分。どうして私はこんなにも欲張りになってしまったんだろう。

「す、すみません。調子に乗りすぎました。『からかうんじゃない』って、また怒っちゃいますよね? 本当に、ごめんなさい」

ちゃんと笑えているだろうか。冗談に出来ているだろうか。

「そうだ。紅茶持って来たんだった。私、何やってるんでしょうね。冷たくなったかもしれません。もう一度、入れ直して来ます」

とにかくこの場から離れたい。もう春日井さんの顔を見られない。私は、一人捲し立ててキッチンへと逃げ出した。

 春日井さんに背を向けたまま、キッチンで固く目を瞑る。まだ、胸の激しい鼓動は収まらない。せっかく二人で会える時間なのに、私のせいでぶち壊した。後悔しても後悔しても、やりきれない。

「未雨さん――」

春日井さんの声に、肩がびくっと上がる。

「すみません。もう出来ますから」

何かを言われるのが怖くて、どんな言葉を向けられるか聞くのが怖くて、すぐに声を上げる。深呼吸をして、表情を作って、心を決める。そして、春日井さんの方へと身体を向けた。

「お待たせしました。お茶にしましょう」

ひたすらにティーカップを見つめ、春日井さんの顔を見ないようにする。

「未雨さん――」
「春日井さんが買って来てくれたお菓子、美味しそう。どこのお店で買ったんですか?」

今度は春日井さんの真向かいに腰を下ろす。

「あ……ああ、うん。ここの駅の改札出たところのすぐ脇にあるケーキ屋だよ」

何かを言いたげにしたけれど、それを飲み込むように春日井さんが答えてくれた。それに心から安堵する。

「ああ、あのケーキ屋さんですか? いつも通るのに、行ったことないです。でもまあ、一人暮らしで一人分のケーキを買うことなんてないのが当然ですよね」

乾いた笑い声をあげる。そして紅茶を口に運んだ。

「じゃあ、今度は、焼き菓子じゃなくてケーキを買って来るよ。二人分だしね」
「なら、一緒に選びましょうか」
「そうだね、その方がいい」

どうかこの笑顔が、眠りにつくまでもちますように――。

私はひたすらにそれだけを願っていた。


 その夜、私のシングルベッドで並んで眠りについた。そこに至るまでの時間、はっきり言ってどんな会話をしたのか自分が何を話したのか覚えていない。会話の内容なんてどうでもよかった。ただ、普通に過ごせることが大事だった。

「――未雨さん」

隣に眠る春日井さんに背を向けている。背後から呼ばれて、声だけで返事をした。

「まだ、眠れないですか? 明かりが気になるなら、スタンド消しますよ――」
「ああ、そうじゃなくて。今日のご飯、本当に美味しかった。ありがとう」

泣きたくなるくらい優しい声。きっと、女の私から馬鹿なことを言って自爆した私を気遣ってる。

「いつでも作ります。だから、また来てください」

私といること、嫌だと思わないで。昔の私を思い出さないで――。

これ以上気まずさを感じてほしくない、気を遣わせたくない。

「未――」
「おやすみなさい」

身体を丸くして小さくなる。そして固く目を閉じた。

「……おやすみ」

少しの間の後、春日井さんの声が聞こえた。狭い部屋に静寂が訪れる。そして閉じた瞼をゆっくりと開ける。背中には確かに春日井さんの気配を感じるのに、今夜はどうしても触れられない。

いつになったら、春日井さんは――。

ふと思って怖くなる。春日井さんの中にある忌まわしい私の記憶がいつまでたっても薄れなくて、私を求めてくれる日が来なかったら。それでも春日井さんは私といてくれるのだろうか。

抱くのに抵抗があるような女と、一緒にいようと思うだろうか――。

悪い方向にばかり考えてしまう。そんなことはないって思おうとすればするほど、悪魔の囁きのように余計な考えばかりが思い浮かぶ。ただでさえ春日井さんは、弟さんの事件のことで、幸せになることに葛藤がある。

私といることに辛くなったら――。

それでも嫌だ。春日井さんの傍にいたい。鼻の奥がつんとして、目に何かが溢れて来ようとするのをこらえた。



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