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《その後》二人で見た海であなたを待つ

初めて感じるもの 14

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 着ているものを脱ぎ捨てる春日井さんの身体を、月明かりが照らす。優しくて穏やかな、春日井さんの中に隠し持つ熱情をそのまま表したいたみたいな身体に、目を奪われた。浮き出た鎖骨、厚いのにどこか儚げな胸板、無駄なものを削ぎ落したような腰に、大人の男の色香を感じる。春日井さんの方が、よっぽど綺麗だ。心も身体も、私なんかが触れてはいけないと思うほど。

 私の素肌に春日井さんの素肌が重ねられた瞬間、これまで感じたことのない強烈な快感が突き抜けて行った。

これ、何――?

まだ、肌を重ねただけ。それなのにもう身体中が甘くとろけ出していく。重なって少しでも擦れれば、もう声も快感も抑えられない。恥ずかしくても、耐えられなくなる。あっという間に乱れていく自分が怖くなる。

「――押えないで。聞かせて。君の声、聞きたい」

咄嗟に自分の口元を塞いでいた手のひらを、春日井さんが掴む。

「は、ずかしい、んです。こんな、私――」
「恥ずかしいなんて思うな。声も、表情も、全部知りたい」

私の口元から離した手を、春日井さんが握りしめ、優しく手の甲に唇を寄せる。

「たまらなく綺麗だから、もっと見せて」

唇を寄せながら、艶めかしい視線を私に向ける。そんな目で見られたら、それだけで身体の真ん中が溶けだす。

こんな私、淫らだと思われる――。

そう思うと怖いのに、身体中で感じる心地よさの波に抗えない。

「――んっ、はぁ……っ」

手の甲から腕を伝い、胸元へと移って行く熱く濡れた唇に、はしたなく声を上げた。

「私ばっかり、そんな風に、優しく触れられたら――」

さっきから、もうとっくにおかしくなっている。絶え間なく触れる唇も指も、焦らすように優しくて。こんな触れられ方をしたことがないのだ。高まって行く身体にこれでもかこれでもかと愛撫が押し寄せる。

「優しくなんかないよ。君を僕のものにしようとしているんだから――」

そう言って私の唇を深く塞ぐ。そして、私の手を握りしめた。

 ゆっくりと押し入って来る感覚が、身体中に伝わって行く。

「だいじょう、ぶ? 辛く、ない?」
「ん、平気、です」

呼吸がより荒くなる。必死に見上げると、快感に悶える表情があった。たまらなく扇情的で、別の感覚が身体を襲う。

「好きだよ」

一つになった瞬間に、春日井さんが濡れた吐息を漏らした。そして何度もキスをくれた。

「未雨」

繋がっている時に、名前を呼びながら労わるように囁くようにくれるキスに、初めての幸福感を味わっていた。身体を繋げる時にこんなにも心が満たされる初めての感覚に、感情が溢れ出す。胸の疼きと身体の疼き、両方の快感に溺れて、すべてを曝け出すように身体をのけぞらせた。
 春日井さんがそんな私の身体を優しく包み込んでくれる。互いに汗ばんだ身体が心地よくなじんで。私を抱きしめてくれるこの身体が、愛おしくてたまらない。

 汗で貼り付いた私の前髪をかき上げ、春日井さんが額にそっと唇を落とす。そして見つめ合った視線は、互いにどこか気恥ずかしい。それを誤魔化すように笑ってしまう。

「――可愛い」

私を見つめながら、少し頬を赤くして言う。近付いた距離に、自然とその身体に甘えてしまう。

「そんなこと言わないで」

まだ激しく上下する春日井さんの肩に顔を埋める。私の髪を優しく梳きながら抱きしめる。

「言いたい。今、無性に言いたい」

そう言ってぎゅっとより腕の力を込める。

「可愛くて、愛おしくてたまらない。君をこうして抱き締めていると、もう、身体も脳もとろけてどうにかなりそうだ。一体、どうしてくれるの」

春日井さんが強く抱きしめながら私の首筋に顔を埋める。

「――いいです。どうにかなってください。私の前でだけなら、どんなあなたになってもいい」
「君以外の誰に、こんな顔見せられる?」
「どんな顔してるの?」

春日井さんの胸を強く押して身体を離そうとした。でも、その身体は硬く私を囲っていてびくともしない。

「見せてください」
「やだ」
「見たい!」

春日井さんの腕の中で力一杯もがいていると、身体が回転して、春日井さんの身体の上に載せられていた。そして、春日井さんを見下ろす形になっている。少し真剣になった眼差しで私を見上げて、春日井さんの手が私の長い髪を耳にかける。

「ーー大事にするから」
「え……?」

ふざけ合っていたのが嘘みたいに、その声が真摯に響く。

「君を大事にする」
「もう、十分、大事にしてもらってます」
「もっとだよ。もう、泣かせたりしない」

その目がほんの少し、切なく細められる。

「私も……」

私も手のひらを春日井さんの頬に当てる。

「私も、あなたを大事にします」

カーテンがあいたままの窓ガラスからの明かりが、私たちを照らしている。

 まだ熱の残る春日井さんの身体を唇で触れる。この肩も腕も、胸も。私だけのものにしたい。その代り、大切にするから。

いつも傍にいて、大切にしたい――。

「未雨、さん――」

春日井さんの息が再び上がり始める。

「”さん”に戻ってる。未雨、でいいです……」

手のひらが私を止めようとするけれど、やめたりしない。引き締まってなめらかな肌に唇を滑らせて、そこにたどり着く。

「春日井さんの方がずっと綺麗です。心も身体も」

私のせいで負わせてしまったわき腹の傷。だいぶ薄くなっているけれど、まだ確かにそこに存在していた。そこに唇を這わせる。

「――そこはっ」

春日井さんが慌てて上半身を起こす。私は、指で撫でて、もう一度そっと唇で触れる。

「もうなんともないから。君は何も気にする必要はない」

春日井さんの手のひらが私の肩を掴む。そして、真っ直ぐに私を見つめた。

「この傷さえ、僕にとっては君との大事な思い出だから。唯一の僕の誇りかな」

その目が緩んで冗談ぽく言う。優しく見つめる目が、私の感情を揺さぶる。前みたいに耐えられなくなっている。触れたいという気持ちを抑えられない。

 その胸に身体を埋めた。

「春日井さん……」
「ん?」

私を胸に抱きながら、優しく背中を撫でる。

「これからは、触りたくなったら触っていいですか?」
「えっ」

撫でていた手が止まり、驚いたような声が漏れる。

「私が触りたくなったら、春日井さんに自分からくっついていい?」
「また君は、そういうことを――」
「ダメ、ですか?」

胸から顔を離し、春日井さんを見上げる。

「……もうっ!」

何故か怒ったように私の頭を乱暴に胸に引き寄せた。

「そんな目で見られて、ダメなんて言えるわけないじゃないか」
「良かった……」

ほっと息を吐くのと同時に言葉が漏れる。

「――もう、この先自分が理性を保てる自信がまるでない」

独り言のようにぶつぶつ言っている春日井さんにすぐさま言葉を返す。

「そんなの保たなくていいです。どうせ、私が崩壊させます」

自分からも温かい胸に頬を寄せた。

「もう、君には降参」

呆れたように困ったように、それでいてどこか甘い春日井さんの声に、猫みたいにすがりつく。

 私は知っている。私の中に入って来ようとした時、ほんのわずかな瞬間だったけれど、春日井さんの目が酷く仄暗く辛そうに遠くを見たこと。
 多分――。私には一生言うことはないだろうけれど、春日井さんは、私を抱くたびに罪悪感に苛まれるんだろう。その葛藤を胸に秘めて心の奥底に隠して蓋をして私を抱く。だったら、その苦悩を少しでも減らしたい。その罪悪感を少しでも私が背負えるように、私から春日井さんを愛するから。私が欲しがっているんだって、そう思ってほしい。

私がいつもあなたを抱きしめる。だから、どうか、もう自分を責めないで。それ以上、自分を苦しめないで――。

祈るように春日井さんの胸に抱かれていた。



「――ごめん、未雨さん」
「ん……」

どこか遠くから声が聞こえる気がする。

「朝早くに起こしてごめん」

優しく触れる手のひらを頬に感じる。そして頭の下には誰かの腕――。

「……春日井さん」

まどろむ瞼を無理やりあけると、細められた目で私を見つめる春日井さんの顔があった。

「あ……」
「本当は、もう少し寝かせてあげたかったんだけど、そろそろ電車に乗らないと仕事に間に合わないから。僕が出て行ったら、鍵だけ閉めて。心配だから」

そう言って、私の頭をそっと抱えて腕を外す。

「あっ、そうですね。春日井さんも今日は仕事があるんだ」

ぱっと身体を起こす。そして壁の時計を見ると、朝の五時を指していた。結局、春日井さんは一晩中私の隣にいてくれた。

「朝ごはん――」
「いいよ。君はまだゆっくりできるだろう。僕は、すぐ出て行くから」

骨張った大きな手のひらが、私の頭を撫でる。もう、その声も仕草も視線も、すべてが甘く思えて。嬉しくて幸せでたまらない。ただ一度、身体を重ねただけなのに、ものすごく、その存在が近くなった気がするのは気のせいだろうか。春日井さんとの心の距離が近くなったと思える。

「……分かりました。気を付けて帰ってください。それと、お仕事頑張って」

私からも額を春日井さんの肩に預ける。

「ありがと。君も仕事があるのに、昨日は――」

春日井さんが言いそうな言葉を察知して遮るように口を開いた。

「『ごめん』はなしですよ」
「あ……そうだな。昨日は”すごく嬉しかった”」

羽織っただけの水色のシャツからは、昨晩の名残を感じさせる春日井さんの胸板が見える。そんなことでも、どきりとする。

「私も、すごく幸せでした……」

呟く声をすくうように、ふわりと唇が重なった。

 その身体が消えて、ベッドが軋む。離れて行った身体にもう寂しさを覚えるなんて。あと一週間、どう耐えようか。愛しい人の背中を見つめながら、甘い溜息を零す。
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