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《その後》二人で見た海であなたを待つ
君を守るということ、君を愛するということ 8
しおりを挟む「未雨、こんな時間にどうした? 仕事中じゃ――」
(うん。今、少し抜け出してこの電話かけてるんだけど)
それが、事の緊急性を何より示している。
(さっき、出版社の記者だっていう人から会社に電話がありました)
まさか――。僕は呼吸が止まる。
(代表番号に、私宛てに掛かって来た電話だった。私の会社、知ってるみたいです)
その声は、不自然なほどに落ち着いて聞こえた。だからこそ僕には伝わる。本当は落ち着いてなんかいないということ。それもこれも全部、僕を気遣って普通を装っているということ。
「一体、なんと、言われたんだ……?」
この声が震える。
(ちょっと話を聞きたいって。でも、それ以上何も言わなかった。また電話しますって、それだけで切れてしまったの)
一体、どういうつもりだ――?
僕に対する脅しなのか。このまま引き下がることはないという意思表示か。
(それだけだったから大丈夫だとは思うんだけど、いちおう太郎さんにはすぐに知らせておいた方がいいかと思って。ごめんね)
「何がごめんなんだ? 未雨だって怖いだろう。無理するな!」
つい荒げてしまった声を引っ込める。
「ごめん、大きな声出して。とにかく、ここしばらくは気を付けて。何か少しでも気になることがあったら、何の遠慮もいらないから、すぐに僕に連絡して」
(うん、わかった)
未雨を守るには――。
電話を切った後、ただひたすらに考え続ける。考えろ考えろと叫ぶ。
約束の一週間を目の前にして相手は動いて来た。
もしかしたら、あの記者は未雨の会社に電話することで、未雨の所在を確かめたんじゃ――?
確かにそこに未雨がいるのかどうか。そんな予測が生まれる。
だめだ。
しらを切り通すだけでどうにかなることじゃない。完全に向こうは未雨を断定している。
もしかしたら、今日、未雨の会社に行くかもしれない。もう、既に待ち伏せている可能性もある――。
そう思ったら、居ても立ってもいられなくなって、僕は部屋を飛び出した。
絶対に、未雨に接触させたりなんかしない――。
それしか頭になかった。
行ったことはないが、未雨の会社がどこかは知っている。逸る思いに苛立つ僕にお構いなしに、電車は淡々と走り続ける。
もし記者が未雨の会社で未雨を待ち伏せていたとして。そこに僕が行くことは、記者に僕らの関係を真実だと告げるのと同じことになる。
じゃあ、だからと言って、このまま何もせずにいるのか――。
そんなこと、出来るわけがない。
未雨が、あの記者に問い詰められているところを想像するだけで気が狂いそうになる。未雨の元にあの記者がたどり着く前に、なんとしてでも記者をとっつかまえる。未雨の会社からどんな手を使ってでも遠ざけなければならない。過ぎていく時間を果てしなく感じながら、僕は最後の悪足掻きをしていた。
電車の中で未雨にメッセージを送る。
(できればいつもと違う出口から会社を出てほしい)
あの写真がある。記者は未雨の顔を知っている。でも、未雨は記者の顔を知らない。そして、僕は財布に入れておいたあの記者の名刺を取り出す。ない頭で必死に考える。これまでもずっと考えて来た。記者が現れた日からずっと。あの記者に提示するシナリオを。
どうか、間に合ってほしい――。
記者の携帯番号が繋がることはなかった。そして、ようやくたどり着いた未雨の会社がある駅から、僕は懸命に走る。
どうか、間に合ってくれ――。
未雨より先にあの記者を見つけ出す。もはや僕の願いはそれだけだった。でも、その願いすら、叶わなかった。
「未雨……」
たどり着いた未雨の会社の前で、酷く青ざめた顔をした未雨の姿を見つけた。オフィスビルの前にあるちょっとした広場。その脇に木々が植えられていて、ちょうどその真下にベンチがある。ベンチに座る未雨と、その隣に男がいる。スーツを着た男が未雨の肩を抱き、未雨の様子をうかがうように俯いた未雨を覗き込んでいた。その男は、記者ではない。記者の姿は見当たらない。仕事帰りの人たちの間を掻き分けるように、我を忘れて未雨の元へと走った。
「未雨っ!」
「太郎、さん……。どうして?」
その青ざめた顔が僕を見上げ、目を見開く。
「心配になって。未雨、一体、何があった――」
「あんたが、春日井さんですか?」
未雨の隣に座っていた男が立ち上がり、僕を鋭い視線で睨みつけて来た。
「田中さんっ!」
立ち上がった男に未雨が咄嗟に声を上げた。田中――それは聞き覚えのある名前だった。未雨との電話の向こうで聞こえた名前だ。
そして多分、未雨のことを思っている男――。
「すみませんが、向こうでちょっと話せますか?」
その目が怒りに満ちていることは見てすぐわかる。それを必死に抑えている声で僕に言った後、振り返り「糸原さんはここでちょっと待っていてくれ」と未雨に告げていた。
「田中さん、やめてください! 私は大丈夫なので――」
「何が大丈夫なんだ? 怪我までさせられて!」
「……怪我?」
その男の声に僕は血の気が引いて行く。深い闇に墜ちていくような不安と恐怖。身体中を震わせるほど激しい鼓動を繰り返す。
「そうです。糸原さん、足首を捻ってる。突然やって来た記者のせいで糸原さんは怪我をした」
僕のせいで、未雨に――。
その事実に身体中が強張る。そしてどうしようもないほどの怒りとやるせなさがごちゃまぜになって、どうにかなりそうで。
「そいつは――っ」
「大丈夫です、もうとっくに追い払いましたから。それに、怪我も大事には至っていないようです」
「未雨、大丈夫なのか?」
未雨に駆け寄ろうとした僕から未雨をかばうように、未雨の前に立ちはだかり、僕に言い放った。そして僕の腕を掴み上げる。
「そのことで、彼女のいないところで話がしたい」
僕に身体を寄せ低い声でそう言った。そして、射抜くような目が僕を捕らえる。
「――糸原さんに田中さん、どうしたの?」
その時、全然別の人間の声がした。
「向井さん……」
男から漏れた声に、振り向く。そこには一人の女性が立っていた。
「あ、れ……? あなた――」
その女性が僕の顔をまじまじと見ている。
「向井さん、悪いけど、ちょっと糸原さんのそばについていてあげて」
「え? な、なに?」
慌てるその女性に一方的にそう告げると、田中という男が僕にもう一度向き直り声を潜ませた。
「ここでは話せない話です。分かってますよね?」
「……分かりました」
「太郎さん――っ」
未雨の青ざめて不安そうな表情が、僕の心に矢みたいになって突き刺す。
「いいんだ。未雨はここで待っていて。万が一、僕と未雨が二人でいるところを見られてもよくないから」
なんとか未雨に顔を向ける。そして、僕の前を歩く男について行った。
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