雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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《その後》二人で見た海であなたを待つ

君を守るということ、君を愛するということ 10

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(太郎さん? 田中さんと何の話をしたの? 私は、本当に大丈夫だから――)

繋がった瞬間に矢継ぎ早に吐かれる言葉を遮る。

「怪我したんだろ? 怖い目に遭わせて本当にごめん。守ってやれなくて、悪かった」
(そんなこと、気にしないでください。こんなの怪我でもなんでもないの。田中さんが大袈裟なんです。私が勝手に転んで少し捻っただけ。ねえ、それより、今、太郎さんはどこにいるの?)

未雨の声を聞いているとこの心はすぐにも脆く折れそうになる。振り切るように声を張り上げた。

「隣にいてくれている人、君がいつも話してくれている、先輩だよね?」
(うん、そうだけど、それがどうしたんですか?)
「申し訳ないけど、少し代わってくれないかな」
(え……? どうして?)

未雨が驚く。

「少し話をしたいだけだから、代わって」

ほんの少し強い口調で言うと、未雨は躊躇いがちに「分かりました」と言った。

(もしもし代わりました、向井と申します)

少しの間の後、女性の声がした。僕は、力を振り絞り口を開いた。

「初めまして、春日井です。いつも良くしてもらっていると、未雨から聞いてます」
(いえ、私の方がバカな話に付き合ってもらってるんですよ? あっ、でも、春日井さんのお話はよく聞いてます)

何故だか楽しそうに、向井さんという女性がそう言った。その声のおおらかさに、僕は少し救われる。

「――あの、今日起きたこと、未雨は向井さんに話をしましたか?」
(いえ。まだ、聞いていません)

未雨も言えないだろうし、そして何より、こうして訳も分からず隣にいさせられながら聞き出そうとしないこの人に、僕は気遣いと優しさを感じた。だから、未雨も信頼しているのだろう。

「こんなことお願いするのは、不躾だとわ分かっています。でも、一つお願いしていいですか」
(なんですか?)
「もし、未雨が向井さんに話をする時は、ただ聞いてあげてください。それから、未雨が何も話せなかったとしても、未雨に対して悪い印象を持たないでください。あなたを信用していないからじゃないんです。未雨はあなたのことをとても信頼しているし、心から慕っている。僕のせいで話せないだけなので、勘違いせずに彼女のそばにこれからもいてほしいんです」

こんな訳の分からないお願いはないだろう。でも、この先未雨が辛い時、支えになってほしいと思った。

(もちろんですよ。私は、未雨さんが私に話したいと思ってくれることを、聞きたいから。でも――)

明るい人柄を思わせる声が、少し変わる。

(未雨さんが一番に話を聞いてほしいと思うのも、そばにいてほしいと思うのも、それは全部春日井さんです。未雨さんにとって、あなたの代わりになる人はいませんから。あなたに会えるまでの二年間を見て来たから分かるんです)

冷たいコンクリートの壁を滑るようにしゃがみ込む。

(私は春日井さんには会ったことはないけど――)

「あっ、でも、ついさっきお会いしましたね」とそう言ってふっと笑った。

(話をしたこともないのに、もうあなたのこと、手に取るように分かったつもりでいます。未雨さんから聞く春日井さんの話はどれも温かくて、彼女の言葉や表情から伝わって来るんです。すごく温かい人なんだろうなって。それって、未雨さんがたくさんあなたから愛情をもらってるから、自然とそうなるんでしょうね。だから――)

簡単にぐらぐらと揺れそうになる自分の心に、僕は苦しくなって胸を押さえる。

(さっさと、本当の意味での『春日井』にしてあげてくださいね。私、ずっと報告を待ってるんですから)

向井さんが小声になってそう言った。

(あっ、田中が帰って来ます。そうだ。あの男、春日井さんに変なこと言っていませんでしたか?)
「い、いえ」

かろうじてそう答える。

(だったらいいんですけど……もし、何か言ったとしても、それは全部、負け惜しみですよ。いとしの未雨ちゃんがあなたにゾッコンだから、やっかみです。しょうがない奴です)

ふふっと笑う声を聞きながら、深く深呼吸をする。そして、口を開いた。

「ありがとうございます。あなたみたいな人が未雨のそばにいてくれてよかったです。これからも、未雨のことをよろしくお願いします」
(はい! あっ、じゃあ、未雨さんに代わりますね)

薄暗いビルの裏、僕はうるさく鳴り響く機械音の中で、目を閉じる。あの男には「未雨をよろしく」とはどうしても言えなかった。自分の中に残るみっともない感情に、己の醜さを知る。

(太郎さん――)
「未雨、よく聞いて」

未雨の声を聞いてしまう前に話してしまいたかった。

「田中さんから聞いた。あの記者には君と田中さんが交際していることにしたと」
(すみません! それは――)

すかさず声を上げた未雨を遮る。

「責めてるわけじゃない。それで良かったと思ってる。僕は何度もあの記者に君と僕はそういう関係じゃないと言ったけど、写真を撮られている以上僕の言葉だけでは無理があった。でも、今回田中さんと未雨が二人でいるところを見られて、そのうえ田中さんの方がそう発言したことは大きい。向こうも半信半疑になる。もう未雨のところには行かせないようにするつもりだけど、もしまた、あの記者が未雨のところに来るようなことがあったら、君も田中さんの嘘に合わせて」
(そんなの、嫌です!)
「お願いだ。僕には、もうそれしか君を守る方法がないんだ」

僕の声に、未雨が黙る。

「ただ嘘に合わせるだけ。そう記者に思い込ませることが目的だ。僕はただ、未雨を守りたい。こんな風に会社に押し掛けさせたくない。君の生活している場所を守りたい。分かってくれ」

誰かを利用すれば必ずその代償を払うことになると、そう思っていた。でも、未雨を守れるなら、その代償も払う。

(太郎さん……太郎さんの言うことは分かります。でも、本当にそれでいいのか分からない。心の中の私が、どうしても嫌だって、ダメだって言うの。とにかく、太郎さんに会いたい。私が行くから、どこにいるのか教えて)

未雨の必死な声に、僕は、今すぐ未雨の元に駈け出して行きそうになってしまう。

(ねえ、どうして黙ってるの? どうして、田中さんだけ戻って来るの? 太郎さんは? 太郎さん!)
「さっき、自分の身に起きたことを思い出せ!」

僕はたまらなくなって声を荒げた。

「怖かっただろう? 突然見ず知らずの人間に向けられる悪意は、怖くてたまらなかったはずだ。今回のことが何もなく収まったとしても、またいつ何時、こういうことが起きるか分からない。僕といるということは、そういうことだ。いつも怯えている。平穏な生活がいつ崩されるかと、その怯えがなくなることはない。一生だ」
(……太郎さん、でも、私は――)
「とにかく。今日は、二人でいない方がいい。そこにいてくれる人たちはみんな、未雨のことを考えてくれる人たちだ。僕はこのまま裏手から帰る。未雨、付いていてあげられなくてごめん。じゃあ――」

通話を切る。その無機質な物体を握りしめた。
 華やかな表通りとはまるで違う、ビルの裏の湿っぽく暗い空間で、僕は叫び出したくなる。
 そして、叫んだところで何も変わらないことも知っている。












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