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日常
第百九十話 麻婆豆腐
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「父さんと母さんの仕事始めっていつ?」
ハムエッグをご飯の上にのせながらそう聞く。
そっと箸で割り、そこに醤油をかけ、ハムとご飯、卵を一緒にほおばるのがおいしい。
「来週」
「またしばらく?」
「どれぐらいかな~。まあ、ちょっとかかるかもね」
「そっか」
半熟卵の、少しかたまったところを箸でつつく。母さんは笑って言った。
「ま、早めに終わらせるつもりではいるから」
「ん、分かった」
卵でまったりした口にみそ汁を含む。
香ばしいような、甘いような風味が鼻に抜けて、ようやく俺の朝が始まった。
来週にもなれば新学期が始まる。また目まぐるしい日々が始まるのかと思うと、今からもう疲れきってしまう。
「辛気臭い顔してんなー、春都」
そうケラケラと笑いながら前の席から声をかけてくるのは勇樹だ。
「何、なんか嫌なことでもあったの」
「別に、何も」
「つれないなあ」
勇樹は結露で曇った窓に落書きをしながら自分の話を始めた。
「俺さー、ずっと部活の練習あって、冬休み結局あんま休めてないんだよね」
「大変だったな」
「でも正月三が日はがっつり休みだったからさ、色々遊びに行った」
「どこ行ったんだ?」
そう聞けば勇樹は、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの笑みを浮かべ、自分のリュックサックを漁り始めた。
「これこれ」
やっとのことで引っ張り出したのは映画のパンフレットの様だった。
「これ見に行ったんだよね」
「あー、年末年始、宣伝してたな。ドラマであってたろ?」
「そうそう。テレビで放送されてた時、ずっと見ててさ。やっと映画化したから見に行ったんだ。めっちゃ面白かったぜ」
ドラマはそもそもあまり見ないのでストーリーはよく分からないが、俳優はアニメの吹き替えとかでよく出ているので名前は知っている。
「お前、映画とか見に行かねえの?」
一緒にパンフレットをのぞき込んでいたら、勇樹がそう聞いてきた。
「人並みに」
「何見るの? やっぱアニメ?」
「まあ。大体、興味があるのがそっちだから」
「へー。俺は逆にアニメ系は見ねえなあ」
あ、でも夏に四人で見に行ったのはアニメじゃなかったな。
「時代劇とかコメディもたまに見る」
「何そのラインナップ」
予鈴が鳴って、先生が入ってきた。一時間目は担任が担当する教科だ。
「お、なんだ本多。映画見に行ったのか?」
「はい。楽しかったですよー。人も多かったですけど」
勇樹は教師人気も高い。基本的に誰かがこいつの周りにいる気がする。こいつがわざわざ声をかけなくても、誰かがこいつのもとにやってくる。
というわけで俺はフェードアウトしようと思ったが「一条も一緒に行ったのか?」という担任の問いに、それはかなわなかった。
「いえ、俺は行ってないです」
「家族で行ったんですよ~」
「そうかそうか。一条は正月、何をしたんだ」
大して興味もないだろうにどうして聞くんだろうなあ、とぼんやり思いながら無難な答えを考える。
「家でのんびりしてました」
「いいなあ」
「先生は何してたんですか?」
勇樹のその問いに、先生は笑って話し始める。
こんどこそ俺はゆっくりと存在感を消し、窓の外に視線をやった。
透き通る水色の空には薄い雲がたゆたっていた。
そういえばあのアニメ、映画化の続報が出てたなあ。いつになるかはまだ分かんないけど、公開されたら見に行こう。
寒空の下、そんなことを考えながら家路につく。
映画はDVDで見ることが多くなった最近だが、やっぱり劇場で見る迫力というのも捨てがたい。好きな作品なら特に、あの臨場感というかアトラクションに乗っている感じを味わいたいものだ。
それにしても今日は冷える。底冷えするというか、骨の髄から冷え切った感じだ。
今日の夜は温かいものが食べたいなあ。
冬の夜。温かい食事といえば、やっぱり鍋だろうか。おでんもいいよな。
しかし今日は鍋の出番はないようだ。長いこと使っている土鍋は、いつもの場所で静かに待機している。
「はい、お待たせ」
待ちに待った今日の晩ご飯は麻婆豆腐だ。
「今日のはちょっと辛いかも」
「いつもの調味料じゃないんだ」
「おいしそうなのがあったから、買ってみた」
「確かに……山椒の香りがすごいなあ」
父さんはそう言って目をしばたいた。
「いただきます」
いつもより少し赤みも強いな。
まずは豆腐一つ食べてみる。うん、うま味たっぷりで風味がいい。思ったより辛くないかもしれない。
ああ、でも一気に食ったらまた違うか。
スプーンですくって口に含む。さっきよりも増す中華の香り、じわーっと広がる肉のうま味と豆腐のまろやかさ。
「あ、これあとから来るタイプか」
ひりひりと焼けるように熱い唐辛子の辛さと、じがじがと突き刺すような山椒の刺激。
でもだからこそご飯に合う。しっかり混ぜて食うのがうまいようだ。ご飯の甘みと痛烈で爽やかな辛さ、豆腐ののど越しがおいしい。
「辛いけどうま味があるね」
「山椒が……」
これは体の芯から温まる。
しっかりとろみもついているし、辛いし、温かい。なるほど、中華は冬にぴったりだ。
やっぱ寒さをしのぐのには、飯が一番だな。
「ごちそうさまでした」
ハムエッグをご飯の上にのせながらそう聞く。
そっと箸で割り、そこに醤油をかけ、ハムとご飯、卵を一緒にほおばるのがおいしい。
「来週」
「またしばらく?」
「どれぐらいかな~。まあ、ちょっとかかるかもね」
「そっか」
半熟卵の、少しかたまったところを箸でつつく。母さんは笑って言った。
「ま、早めに終わらせるつもりではいるから」
「ん、分かった」
卵でまったりした口にみそ汁を含む。
香ばしいような、甘いような風味が鼻に抜けて、ようやく俺の朝が始まった。
来週にもなれば新学期が始まる。また目まぐるしい日々が始まるのかと思うと、今からもう疲れきってしまう。
「辛気臭い顔してんなー、春都」
そうケラケラと笑いながら前の席から声をかけてくるのは勇樹だ。
「何、なんか嫌なことでもあったの」
「別に、何も」
「つれないなあ」
勇樹は結露で曇った窓に落書きをしながら自分の話を始めた。
「俺さー、ずっと部活の練習あって、冬休み結局あんま休めてないんだよね」
「大変だったな」
「でも正月三が日はがっつり休みだったからさ、色々遊びに行った」
「どこ行ったんだ?」
そう聞けば勇樹は、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの笑みを浮かべ、自分のリュックサックを漁り始めた。
「これこれ」
やっとのことで引っ張り出したのは映画のパンフレットの様だった。
「これ見に行ったんだよね」
「あー、年末年始、宣伝してたな。ドラマであってたろ?」
「そうそう。テレビで放送されてた時、ずっと見ててさ。やっと映画化したから見に行ったんだ。めっちゃ面白かったぜ」
ドラマはそもそもあまり見ないのでストーリーはよく分からないが、俳優はアニメの吹き替えとかでよく出ているので名前は知っている。
「お前、映画とか見に行かねえの?」
一緒にパンフレットをのぞき込んでいたら、勇樹がそう聞いてきた。
「人並みに」
「何見るの? やっぱアニメ?」
「まあ。大体、興味があるのがそっちだから」
「へー。俺は逆にアニメ系は見ねえなあ」
あ、でも夏に四人で見に行ったのはアニメじゃなかったな。
「時代劇とかコメディもたまに見る」
「何そのラインナップ」
予鈴が鳴って、先生が入ってきた。一時間目は担任が担当する教科だ。
「お、なんだ本多。映画見に行ったのか?」
「はい。楽しかったですよー。人も多かったですけど」
勇樹は教師人気も高い。基本的に誰かがこいつの周りにいる気がする。こいつがわざわざ声をかけなくても、誰かがこいつのもとにやってくる。
というわけで俺はフェードアウトしようと思ったが「一条も一緒に行ったのか?」という担任の問いに、それはかなわなかった。
「いえ、俺は行ってないです」
「家族で行ったんですよ~」
「そうかそうか。一条は正月、何をしたんだ」
大して興味もないだろうにどうして聞くんだろうなあ、とぼんやり思いながら無難な答えを考える。
「家でのんびりしてました」
「いいなあ」
「先生は何してたんですか?」
勇樹のその問いに、先生は笑って話し始める。
こんどこそ俺はゆっくりと存在感を消し、窓の外に視線をやった。
透き通る水色の空には薄い雲がたゆたっていた。
そういえばあのアニメ、映画化の続報が出てたなあ。いつになるかはまだ分かんないけど、公開されたら見に行こう。
寒空の下、そんなことを考えながら家路につく。
映画はDVDで見ることが多くなった最近だが、やっぱり劇場で見る迫力というのも捨てがたい。好きな作品なら特に、あの臨場感というかアトラクションに乗っている感じを味わいたいものだ。
それにしても今日は冷える。底冷えするというか、骨の髄から冷え切った感じだ。
今日の夜は温かいものが食べたいなあ。
冬の夜。温かい食事といえば、やっぱり鍋だろうか。おでんもいいよな。
しかし今日は鍋の出番はないようだ。長いこと使っている土鍋は、いつもの場所で静かに待機している。
「はい、お待たせ」
待ちに待った今日の晩ご飯は麻婆豆腐だ。
「今日のはちょっと辛いかも」
「いつもの調味料じゃないんだ」
「おいしそうなのがあったから、買ってみた」
「確かに……山椒の香りがすごいなあ」
父さんはそう言って目をしばたいた。
「いただきます」
いつもより少し赤みも強いな。
まずは豆腐一つ食べてみる。うん、うま味たっぷりで風味がいい。思ったより辛くないかもしれない。
ああ、でも一気に食ったらまた違うか。
スプーンですくって口に含む。さっきよりも増す中華の香り、じわーっと広がる肉のうま味と豆腐のまろやかさ。
「あ、これあとから来るタイプか」
ひりひりと焼けるように熱い唐辛子の辛さと、じがじがと突き刺すような山椒の刺激。
でもだからこそご飯に合う。しっかり混ぜて食うのがうまいようだ。ご飯の甘みと痛烈で爽やかな辛さ、豆腐ののど越しがおいしい。
「辛いけどうま味があるね」
「山椒が……」
これは体の芯から温まる。
しっかりとろみもついているし、辛いし、温かい。なるほど、中華は冬にぴったりだ。
やっぱ寒さをしのぐのには、飯が一番だな。
「ごちそうさまでした」
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