一条春都の料理帖

藤里 侑

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第三百四十五話 とろろご飯

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 小雨の降る中、電車の駅へ向かう。雨の日に出かけるのはなんか好きだ。土砂降りだとテンション下がるけど、これぐらいの降り方だったら、程よく涼しくていいものだ。
 もちろん、傘は壊れていないものである。ちゃんと確認もした。
 二両編成の車内に人は少ない。それでもやっぱり隅の方に座ってしまう。落ち着くんだよな。
 発車するまでしばらく時間があったので、ぼんやりと窓の外に視線をやる。
 見えるのは年季の入った建物の裏側。壁は色あせ、草は生えっぱなし。さびて朽ちたフェンスは雨に打たれ、鈍い影を落としている。
 やがて電車はゆっくりと動き出した。ガタンガタン、と重々しい音が加速し始め、窓に打ち付ける雨の音が少し大きくなった。パラパラという雨音は、まるで花火が打ちあがった後の音のようにも聞こえる。
「いい天気だなあ」
 その言葉は、すっきり晴れた日にこそふさわしいのかもしれないけど、自然と口をついて出てきた。優しく町を濡らすしとやかな雨は、ただ淡々と降り続いている。
 このまま電車に乗っていたら、知らない場所に着くのではなかろうか。
 そんな思いにさせるような天気である。

 まあ、そんな超展開などなく、いつも通り駅に着いた。
 あ、あそこの看板、新しくなってる。こないだまで広告募集になってたけど、介護施設の広告になっている。写真を見る限りホテルみたいだ。町によって広告ってずいぶん違うよなあ。うちの町じゃ、整骨院の広告をよく見かける。
 改札を抜け、まっすぐ図書館に向かう。商店街はひっそりとしていて、誰も人が通っていない。
 図書館はそこそこ人がいるみたいだ。
 さて、何を借りようか。借りなくてもいいな。ここで読んでいってもいいかもしれない。それならやっぱり、図鑑とか読みたいな。自分じゃ買わないような高くて重い図鑑は、持ってみただけでワクワクする。
 星の図鑑とか、空の図鑑とかが特に好きだな。魚や動物の図鑑も見ていて楽しい。植物も、見たことないようなものを見つけるとワクワクする。
 ただ、虫の図鑑だけはちょっと気を付けないといけない。どうしてもクモが苦手なんだ。なんかよく分かんないけど、クモだけは、受け付けない。昔なんか嫌なことでもあったのだろうか。トラウマになるような出来事が。というか、そもそもクモは昆虫ではないのだから、虫の図鑑に載っているのは正しいのかと思ってしまうが。まあ、いいや。
 本を読めそうな場所を探す。いい感じの場所を見つけたけど、ちょっとそこはあるジャンルの本棚が近くて断念した。何とか見つけたのは、図書館の隅の方。外がよく見える席だ。
 腰を下ろし、本を開く。星空を手元で眺めることができるって、なんか不思議だ。
 トラウマかあ……トラウマといえば、あれもそうだな。幼稚園の頃のお化け屋敷。先生たちが頑張って作ったらしいということと、ギャン泣きして逃げ回った覚えがある。
 迷路みたいになっていて、お菓子を取って帰る、というシンプルなものだった。それで、椅子に扮した先生が追いかけて来るっていう。黒い布をかぶって、こう……ああ、なんか今思い出しても、その不気味さでぞっとする。
 おかげでホラーが大の苦手になった。さっき見つけた席の近くにあった本棚に並んでいたのは、ホラー系の本だったのだ。夏が近づくと、特集組まれたり、心霊番組増えたりして難儀だ。CMだけでも辛い。
 しかし辛いものばかり目にして落ち込むのも癪なので、意識して、楽しいものに目を向けることにする。
 夏といえば、今年は海にも行きたいなあ。花火大会も行きたい。前の花火大会は冬だったし。それはそれで楽しかったけど、やっぱ夏の熱気の中、花火を見たい気もする。屋台の飯も、夏だからうまいものとか、夏なのに熱々をとか、祭り特有の浮かれ具合で食べたいものだ。
「あ、夏の大三角形」
 小学生の頃、頑張って探したなあ。店の方で、庭に出て。蚊に刺されないようにって、じいちゃんとばあちゃんがいろいろしてくれたな。蚊取り線香の香りを鮮明に覚えている。
 もっと光のない場所で夜空を見上げれば、もっときれいに見えるのだろうか。
 それこそ小学校の宿泊訓練で行った場所は山の中で、そういえば夜空がきれいだった。ぶわっと星が広がっていたような。
 正直、カレー作った記憶の方が濃く残ってるけど。
 星の名前の一つや二つ、知っていればもっと見え方も変わるのだろうか。
「借りて帰るには重いな」
 もっと読みやすい形のものはないだろうか。探してみよう。

 本を読んでいると時間はあっという間に過ぎる。
 図鑑を読み終わって本棚に返却した後、探してみたら結構色々見つけた。図鑑って、重々しいものだけじゃないんだな。小さい辞書みたいな感じのがあった。
 ちょっと中身を見てるだけで、気づいたら三十分も経っていた。スマホ見ててもあっという間に時間は過ぎるが、本もなかなかだな。
 数冊借りて帰ることにする。
 腹が減ったのでどこか店に寄ろうかとも思ったが、そういえば朝のうちに昼飯の準備をしていたのを思い出したのだ。
 電車の中では読まない。酔う確率が高くなる。
「ただいまー」
「わうっ」
「うめず、留守番ありがとうな」
 部屋着に着替えて、本は自室に。
 朝のうちに準備しておいた昼飯は、冷蔵庫の中にある。
「いい感じに冷えてるな」
 すり下ろした山芋に、出汁を加えたもの――とろろだ。こういうシンプルな料理は、蒸し暑い時期にぴったりだ。すりおろすのはちょっと大変だけど。
 ご飯をどんぶりによそって、ネギと醤油も準備しよう。
「いただきます」
 まずはそのままの味で食べる。
 つるっとした口当たりに若干残る芋の感じ。爽やかで、出汁のうま味がよく効いている。あっさりとしたのど越しと味のようでいて、その実、結構まったりとした味わいでもあるのだ。食感もしっかりある。
 温かいご飯と冷たいとろろという温度差も癖になる。
 ご飯としっかり混ぜると、まったりとした味わいは如実に表れる。とろろをまとったご飯は、ふわふわとしていて食べ応えがある。
 そして味変に醤油を少し垂らし、ネギをかける。
 ネギが加わることで爽やかさが増した。ほのかな辛味がちょうどいい。醤油があることで味が引き締まり、うま味も増すようである。
 うどんやそばにかけてもうまいんだな、これが。麺類にかけるとのど越しの良さが桁違いだ。
 今度はかいわれ大根とかも買ってこようか。とろろそば、うまいんだよな。
 ご飯が少し冷えてきた。これはこれで、とろろとしっかりなじんでおいしい。
 山芋は食うと元気出る。さて、元気出たついでに、扇風機出してきて、昼寝でもするとしようかな。

「ごちそうさまでした」
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