一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第三百四十六話 おろしうどん

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 博物館の招待券をもらった。しかもペアチケット。
 なんでも、母さんが得意先からもらったらしい。特別展とやらで、期間限定の展示らしいのだが、父さんも母さんも仕事が忙しくて行けないとのことだ。じいちゃんとばあちゃんは店を空けるわけにはいかない、とのことで、俺がもらったというわけだ。
 ベッドに寝そべり、チケットを眺める。うーん、誰と一緒に行こうか。
 行くとしても明日ぐらいしか時間ないよなあ。そんな急に予定が開くやつっているだろうか。まあ、いるっちゃいるか。特に咲良とか。でも、あいつ、この手の展示興味ないしなあ。どうせなら一緒に楽しめるやつと行きたい。
「あ、そうだ」
 あいつはどうだろう。
 委員会とか部活とかで忙しいかなあ。ま、聞くだけ聞いてみるか。

 翌朝、誰もいないバス停で人を待つ。
「おはよー春都。今日は招待どうも~」
 白いシャツに淡い黄緑色のカーディガン、黒のスラックスという洒落た格好でやってきたのは観月だ。
「おはよう。急に悪いな」
「全然。むしろ良かったよ。暇だったし」
「そうか?」
 昨晩、観月に連絡してみたところ、ノリノリで承諾してくれた。
 博物館まではバスで向かう。座席はふかふかで、窓から見える景色がなんかいい。いつもより視線がずいぶん高いからだろうか。
「それでね、物販とかも調べてみたんだ」
 観月はワクワクした様子で話す。
「コラボグッズも売ってるんだって。残ってるといいなあ」
「何が売ってるんだ?」
「ファイルとか、ペンとか。僕はしおりが欲しい。金属製のやつでね、装飾がきれいなんだ~。あっ、図録とかも売ってたよ。春都はそっちの方が欲しいんじゃない?」
「図録か。それはいいな」
 あとでじっくり見返せる図録はいい。その場で見てるときはテンション上がってちょっとパニック、みたいな感じになってるからなあ。
「楽しみだねえ」
「そうだな」

 人が増える前の博物館はなんだか気分がいい。新しめの建物は鏡のように周囲の風景を映し、きらきらと眩しい。天満宮も近くにあって、なんだか雰囲気が厳かだ。
「……展示場所はどっちだ?」
「こっち。ほら、パネル出てる」
「ああ、そっちか」
 一人だったら、確実に迷ってんな、これ。
 展示室の入り口で、コラボしているゲームのキャラクターのパネルの写真を撮って、中に入る。
 薄暗い中で、展示物はぼんやりとした光を受けて静かに鎮座している。あ、これ写真撮っていいやつだ。
 写真撮れるやつは全部撮って、それからまたじっくり眺めよう。
 しばらく鑑賞に没頭していたが、ふと、観月のことを思い出した。そういや今日一人で来てるんじゃなかったな。
「観月」
 一生懸命展示台をのぞき込んでいた観月は、三度目の呼びかけでやっと気づいたようであった。
「あ、ごめん。何?」
「邪魔して悪い。ちょっと向こう行ってるな」
「ああ、ずいぶん時間が経ったかな? そろそろ出る?」
 そうは言うが、観月はまだ見足りないという様子だった。
「時間はあるし、ゆっくり見ててくれ」
 少しのどが渇いた。向こうの方にちょっとした休憩場所があったな。そこに自販機もおいてあったはずだ。
「そう?」
「こっちのことは気にすんな」
 休憩室は開放的で明るく、窓からはのっぺりと広がる住宅街が遠くに見える。自販機でお茶を買い、クリーム色の皮張りのソファに座る。
 昼飯どうすっかなあ。参道の方に行ったらなんかあるかな。
 歩いて行けるぐらいの距離だし、途中でいい感じの店があったら入るのもいい。その辺は観月と相談して決めよう。
 しかし……外は暑そうだなあ。
 お出かけ日和、なんて天気予報じゃ言ってたけど、この日差しはくたびれてしまいそうだ。
 正直まだ、博物館から出たくなかった。

 目当ての図録とグッズを買って、博物館を出たのは昼過ぎだった。どれだけ中にいたのだろうか。
 結局、天満宮まで歩いて、近くの食事処で昼食をとることにした。
 店内は広く、それでいてかしこまった様子もない。一番入りやすいと思った店だ。
「何にしようかなあ。春都はどうする?」
「んー……あ、これ」
 うどんやそばのラインナップが豊富な店で、かつ丼や定食もあったが、この蒸し暑い中食うならこれだろうという品を見つけた。
「おろしうどん? いいね。じゃあ僕、ざるそばにする~」
 ああ、それもいいな。しかし今日はなんだか、薬味がたっぷりのおろしうどんが食べたかった。
 提供スピードも速く、五分ほどで出てきた。
「いただきます」
 大根おろしにかいわれ、天かす、ネギ、とたっぷりのっている。ふわふわと揺れるかつお節に出汁をかけ、しっかり混ぜて食べる。
 つるんとよく冷えた麺はモチモチだ。出汁は甘めで、薬味とよく合う。
 大根おろしは辛くなく、爽やかな風味とみずみずしい口当たりがおいしい。天かすの濃いうま味がいいアクセントになっていて、かいわれのピリッとした辛さが味を引き締める。ネギの風味も程よく香って、実に涼しげだ。
「昨日のうちにいろいろ予習しといてよかった」
 満足そうな様子で、観月は笑った。
「予習って?」
「魅力を余すことなく堪能したいと思って、色々ね。ゲームやって、本読んで、見るべきポイント押さえて……」
 電話したのは夜のはずだったが……あれから色々やったのか。元気だなあ。
「春都はどうだった? 楽しかった?」
「そうだな」
 確かに、普段見ないようなものが実際に目の前にあるというのは、不思議な感覚だった。
「なんかこう……すごいとしか、言いようがない」
「分かる。表現しきれないよね」
 観月は笑うと、ざるそばをすすった。
 しんなりとしたかつお節がうどんにまとわりつく。噛みしめるとじんわりうま味が染み出してきて、出汁の味がより深くなる。
 大盛りにしといてよかった。うまいな、これ。
 さて、この後はどうするかな。時間はあることだし、ここでしばらくのんびりして、参道を歩くのもいいかもしれないな。
 餅、食いてえなあ。

「ごちそうさまでした」
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