一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第五百七十六話 カツサンド

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 冬の体育で何が嫌って、持久走だ。小学生の頃みたいに大会があるわけじゃないけど、嫌だ。何が悲しくてこんなくそ寒い中で走らなきゃいけないんだ。暑い方がいいかといえばそうじゃないけど。しかも要は四時間目で、腹も減っている。
 せめて桜の咲く時期に、花見気分で走りたい。それならまあ、まだいい。殺風景な校庭を延々と走り続けるのは、結構しんどいものがある。
「準備体操が終わったら、俺が笛鳴らすまで各々のペースで走るように。無理はするなよー」
 二宮先生の指示の後、体育委員の号令に合わせて体操を済ませ、さっそく走り出す。淡々と走るやつもいれば、ほぼ歩きのやつもいる。小走り程度でいいかなあ。
「俺こないだ何周走ったっけ。結構いったよなー」
「小学校んとき、持久走大会結構好きでさあ」
「今年も持久走あってラッキーって感じ」
 隣を走り抜けていったやつらが、そんな会話をしながら遠ざかる。なんでみんなそんなに持久走に対して前向きなわけ? 俺がおかしいの? 人生で初めて憎しみという感情を覚えたのは、小学生の頃、持久走に出会った時だといってもいいくらいだ。徒競走は正直、短距離だし。持久走に比べたらまだいい。
「くっそ……」
 それにしても俺はこんなに体力がなかっただろうか。あっちこっち歩きまわるのは苦じゃないのに、持久走となるともうだめだ。やっぱり、歩き回る体力と走る体力っていうのは、違うのかなあ。
 体力測定でせっかく持久走がないと喜んでいたというのに。どうして冬の体育には持久走が組み込まれるんだ。
「大丈夫~? 一条」
 そう軽やかに隣に並んできたのは山崎だ。規則正しい呼吸で、にこにこ笑ってすらいる。
「大丈夫そうに見えるか……?」
「スピード上げたら気持ちいいよー。引っ張ってやろうか?」
「結構だ」
「えー、楽しいのに~」
 じゃっね~、と、山崎は跳ねるようにして行ってしまった。元気なやつだ。その元気を十分の一でいいから分けてほしい。
 次に来たのは中村だ。
「一条、それは走ってるのか」
「失敬な」
 遅くてすみませんでしたね。中村は淡々と、何でもない様子で走っているのが見えていたが、本当に息が乱れていないな。むしろ心地よさそうでもある。
「持久走はある一点を超えると、気持ちよくなるぞ」
「うっそだぁ……」
「嘘じゃねーよ」
 中村は爽やかに笑って、加速して行ってしまった。
 ちくしょう。気持ちよく走れないのがなんか悔しい。俺だって、軽やかに、心地よく、颯爽と走ってみたいのに。いいなあ、あんなふうに走りたいなあ。何が違うんだろう。運動に対する姿勢だろうか。
 あ、歌聞きながらとかだったらいけるか? でも今聞けない。頭ん中でなんか再生するしかないな。走るのに最適な歌かあ……あのアニメの主題歌かな。あれ見ると走り出したくなるから、いいかもしれない。
 ……うん、いい調子だ。そうかそうか、コツがあるんだな。きついのに変わりはないが、嫌だ嫌だと思いながら走るより、何か別のことを考えながら走ったほうがよっぽどいい。どうせ走るんなら、ちょっとでも楽しい方がいいよな。
「ふんふ、ふー……」
「おっ、ご機嫌だなー春都!」
 大股でやってきたのは勇樹だ。あ、宮野もいる。
「……ご機嫌ってなんだよ。てか、何で宮野は笑ってんだ」
「無自覚? 結構途中からペース上がってたよ。鼻歌も歌ってるみたいだし」
「えっ。聞こえてたか」
「隣に来たらね」
 ノリノリになるとつい、歌っちゃうんだよなあ。考え事してるときもそうだけど、つい口をついて出てきてしまう。気を付けないと。
 まあでも、歌はありだな。これからもうちょっと持久走はあるだろうし、対策が分かればどうってことない。
 きついことに変わりはないんだけどな……
 笛が鳴って集合した後、少しの休憩をはさんで再び走るらしい。今度は十分間かなり真剣に走らなきゃいけないらしい。何周走ったか記録するのだそうだ。えー、もういいじゃん。さっきまでのはウォーミングアップだったわけ?
「よし、それじゃ……スタート!」
 先生の合図で一斉に走り出す。おお、先頭集団が出来上がった。小学生の頃は頑張ってそこに入り込もうとしたけど、入れなかったなあ。今じゃまったく割り込む元気も勇気もやる気もない。成績に響かない程度、頑張ればいいか。
 みんな元気だなあ。しこたま走ったのに、まだ走れるなんて。陸上部とか他の運動部のやつらは、見ていて気持ちがいい走りをする。シャトルランもそうだ。俺は、そういうのを外から見ていたい。それで十分です。
 まあ、そうもいかないから、次々足を前に出す。頭の中のプレイリストが混乱しそうだ。
 あー早く終われー。

 昼休み。きついながらもなんとか着替えて、咲良と食堂へ向かう。今日の昼は一応買っておいた。カツサンドだ。
「はぁ~……くたびれた」
 咲良が列に並んでいる間、テーブルにうなだれて待つ。もう足がプルプルだ。これは放課後まで引きずりそうだな……家が近くてよかった。
「持久走か? お疲れさん」
 咲良が例のごとく、おぼんにかつ丼をのせてやってくる。
「ちょっと調子に乗り過ぎた」
「あはは、そういう日もあるよな」
 こんなときこそ、しっかり飯を食べないとな。
「いただきます」
 紙箱に入ったカツサンドは、なんだか魅力的だ。
 フワフワ、しっとりとした食パンに、ソースたっぷりのとんかつが挟まっている。キャベツが挟まっているのがもっと嬉しい。焼きたてパンにサクサクのとんかつ、ってのもいいが、このしっとり感がたまんねえんだよなあ。
 みちっとした感じの歯触りのパン、噛み応えのあるとんかつからはうま味がジュワッと染み出してくる。甘めのソースがたまらなくうまい。酸味強めのフルーティなソースもさっぱりしていいが、この甘いソース味、無性に愛おしくなる。
 キャベツもしっとりとしていて、青さはソースの香りに紛れ込んでしまっている。だが、そこにあるだけでいいのだ。わずかばかりのみずみずしさが、大事なのだ。
 からしをつけてもうまい。ピリッとした辛さで味が引き締まり、また違った味わいとなる。
 いやあ、ボリュームたっぷりだと思っていたが、ペロリだったな。一生懸命運動したら飯がうまい。
 とんかつ専門店のカツサンドも気になってんだよなあ。店によって全然違うし、今度、父さんと母さんが帰ってきたときにでも買いに行こうかなあ。

「ごちそうさまでした」
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