616 / 893
日常
第五百七十九話 オニオングラタンスープ
しおりを挟む
相変わらず、今日も平和だ。空はすっきりと晴れ渡り、吹く風は心地よく、幼稚園からは子どもたちの明るく生気にみなぎった声が聞こえてくる。小さい子どもって、生命力の塊だ。悪いものも寄り付かなさそう。
今日はこれといった行事もないし、特別気を付けないといけない授業もない。何もないというのは、心地よい。頬杖を突き、ぼんやりするこの時間は、何と尊いものだろうか。
「あー、やっべぇ、落ち着かねぇ……」
そんな穏やかな空気とは裏腹に、そわそわとした様子のやつが一人。いつもの余裕そうな笑みはどこへやら、勇樹は、朝からずっとこの調子だ。
「お前どうした。挙動不審にもほどがある」
「そりゃ落ち着かねぇよ。座ってらんねえ。あぁ、どうしよう。いや、俺がどうかできることではないんだけど、いや、でも……」
「何なんだ、いったい……」
朝課外の時から妙にそわそわして、当てられたのに気付かなかったり、板書ではとんでもない誤字をしたりで、いつもの勇樹とは大違いだ。何かあるのは明白だが、それが何なのかは聞いても教えてくれない。
勇樹は手をせわしなく動かしながらうろうろし、時折教室後ろの黒板に手をつき、掃除用具入れの扉を無意味に開け閉めし、窓を開け、閉め、また開けて、一つくしゃみをして閉じた。
何をやっているんだ、こいつは。
「調子悪いなら保健室行ったらどうだ」
「保健室……保健室……」
「……お前、大丈夫?」
「あのさ」
勇樹は急に真顔になると、中村を追いやって、背もたれを前にして椅子に座った。先ほどからの勇樹を見ていた中村は少し警戒するような表情を浮かべ、大人しく椅子を勇樹に明け渡す。そして後ずさるようにして、俺の後ろに来た。
「お前らに聞きたいことがあるんだ」
「おお」
「あのな……」
いつになく低く、真剣みのある声音の勇樹に、俺も中村も固唾を飲む。勇気は一つ深呼吸をして言った。
「プロのバレー選手と、何を話せばいいと思う……?」
……ん?
「何て?」
「プロの、バレーボール選手と、いったい何を話せばいいと思う?」
「聞き間違いじゃなかったか……」
思わず、中村と視線を合わせる。勇樹は顔の前で手を組み机に肘をつき、うつむいたまま続けた。
「なんかさあ、顧問がさあ……スポドリのキャンペーンに応募したらさあ、当たっちゃったらしいんだ。プロのバレーボール選手が、学校訪問、一緒に練習、みたいな」
「すげーじゃん」
「いやほんと、ラッキーだな、とは、思う。思うけどさ……」
勇樹は長いため息をついて言いきった。
「すっ……げえ緊張する」
「だろうな」
中村と相槌が重なる。中村は楽しそうに笑って言った。
「へえー、でもいいなあ。プロ選手と一緒に練習できるなんてめったにないだろ? 楽しめばいいじゃん」
「簡単に言うなよ」
「それって見に行けるやつ? 俺、見てみたいなあ」
確かに、ちょっと気になる。
勇樹は人に話して少しすっきりしたのか、膨らんだ風船から空気が抜けるようなため息をついた。
「外廊下からなら、見学可だって。まあ見に来るといいさ」
今日はちょっと早めに帰れる日、少しくらい見に行く時間はありそうだ。何事も百聞は一見にしかず。咲良に声かけて言ってみるかな。
放課後、体育館の外廊下に集まった人の数はそれほど多くなかった。
「興味あるやつ、少ないのかね」
咲良はうきうきした様子で言った。
「まあ……野球みたいにしょっちゅう中継がある競技ではないよなあ」
「俺、割とバレーボール好きだけどなあ。中継やってたら見るし。選手の名前よく知らんけど」
「俺も同じようなもんだ」
でも、何人かテンション上がってるやつらもいるみたいだ。どれ、いったいどんな……
「おお……」
体育館をのぞき込むと、すぐに分かった。なんつーか……でかい。オーラもあるし、なんか、でけぇ。遠近感狂いそうだ。
「何食ったらあんなでかくなるんだろうな」
咲良のささやきに頷く。背が高いからバレーを始めたのか、それともバレーやってるから背が高いのか。どっちなんだろう。
と、呆気に取られていると、せわしなく外廊下を行き来している人に気が付いた。見覚えのあるその人は、矢口先生だった。そういや矢口先生、バレーボール好きって言ってたな。デジカメ持って縦横無尽に動くその姿は、体育館で練習に励むバレー部員に負けないほど、生き生きしていた。
晩飯までまだ時間があるが、小腹が空いた。そういえば食パンが余っていたな。今日までだったか……晩飯と何か合わせようかとも思っていたが、今使い切っておこう。
玉ねぎもあることだし、オニオングラタンスープが食いたいな。
玉ねぎはみじん切りにしてベーコンは程よい幅に切り分ける。玉ねぎをあめ色になるまで炒めたら、ベーコンも炒める。よく炒めたら水を入れ、コンソメも投入。そして、塩こしょうで味を調える。
グラタン皿にスープを入れたら、軽く焼いた食パンを切り分けて入れる。すでにうまそうだ。しかし今日はここで終わらない。チーズをのせ、予熱したオーブンで焼く。
よし、いい感じだ。
「いただきます」
チーズのとろけ具合もいい感じだ。オニオンスープをたっぷり含んだパンをすくう。ジュワジュワしていて、口をやけどしそうだ。あふれ出すオニオンスープは香ばしく、パンのトロッとした食感が程よい。
パンの耳はちょっと噛み応えがある。もちもちというか、みっちりというか、水分を含んだパンの耳って、どうしてここまでの味が出るのだろう。
チーズの風味がいい仕事をしている。ふうわりと香るチーズの香りが、コクを出してくれる。もちもちとした食感もいい。チーズを口いっぱいに含むとなんだかうれしい気分がするのはなんでだろう。
ベーコンのうま味もいいなあ。噛みしめると滲み出す塩気もいい。
普段、特に学校に行ったときなんか、こんな手の込んだ料理はなかなか作らないのに、今日はなぜか作る気分になった。やっぱりあれだろうか。プロ選手のバレーボールを見たから、知らず知らずのうちにテンションが上がっていたのだろうか。
普段通りも悪くないが、ちょっとした刺激があるのも、悪くないな。
「ごちそうさまでした」
今日はこれといった行事もないし、特別気を付けないといけない授業もない。何もないというのは、心地よい。頬杖を突き、ぼんやりするこの時間は、何と尊いものだろうか。
「あー、やっべぇ、落ち着かねぇ……」
そんな穏やかな空気とは裏腹に、そわそわとした様子のやつが一人。いつもの余裕そうな笑みはどこへやら、勇樹は、朝からずっとこの調子だ。
「お前どうした。挙動不審にもほどがある」
「そりゃ落ち着かねぇよ。座ってらんねえ。あぁ、どうしよう。いや、俺がどうかできることではないんだけど、いや、でも……」
「何なんだ、いったい……」
朝課外の時から妙にそわそわして、当てられたのに気付かなかったり、板書ではとんでもない誤字をしたりで、いつもの勇樹とは大違いだ。何かあるのは明白だが、それが何なのかは聞いても教えてくれない。
勇樹は手をせわしなく動かしながらうろうろし、時折教室後ろの黒板に手をつき、掃除用具入れの扉を無意味に開け閉めし、窓を開け、閉め、また開けて、一つくしゃみをして閉じた。
何をやっているんだ、こいつは。
「調子悪いなら保健室行ったらどうだ」
「保健室……保健室……」
「……お前、大丈夫?」
「あのさ」
勇樹は急に真顔になると、中村を追いやって、背もたれを前にして椅子に座った。先ほどからの勇樹を見ていた中村は少し警戒するような表情を浮かべ、大人しく椅子を勇樹に明け渡す。そして後ずさるようにして、俺の後ろに来た。
「お前らに聞きたいことがあるんだ」
「おお」
「あのな……」
いつになく低く、真剣みのある声音の勇樹に、俺も中村も固唾を飲む。勇気は一つ深呼吸をして言った。
「プロのバレー選手と、何を話せばいいと思う……?」
……ん?
「何て?」
「プロの、バレーボール選手と、いったい何を話せばいいと思う?」
「聞き間違いじゃなかったか……」
思わず、中村と視線を合わせる。勇樹は顔の前で手を組み机に肘をつき、うつむいたまま続けた。
「なんかさあ、顧問がさあ……スポドリのキャンペーンに応募したらさあ、当たっちゃったらしいんだ。プロのバレーボール選手が、学校訪問、一緒に練習、みたいな」
「すげーじゃん」
「いやほんと、ラッキーだな、とは、思う。思うけどさ……」
勇樹は長いため息をついて言いきった。
「すっ……げえ緊張する」
「だろうな」
中村と相槌が重なる。中村は楽しそうに笑って言った。
「へえー、でもいいなあ。プロ選手と一緒に練習できるなんてめったにないだろ? 楽しめばいいじゃん」
「簡単に言うなよ」
「それって見に行けるやつ? 俺、見てみたいなあ」
確かに、ちょっと気になる。
勇樹は人に話して少しすっきりしたのか、膨らんだ風船から空気が抜けるようなため息をついた。
「外廊下からなら、見学可だって。まあ見に来るといいさ」
今日はちょっと早めに帰れる日、少しくらい見に行く時間はありそうだ。何事も百聞は一見にしかず。咲良に声かけて言ってみるかな。
放課後、体育館の外廊下に集まった人の数はそれほど多くなかった。
「興味あるやつ、少ないのかね」
咲良はうきうきした様子で言った。
「まあ……野球みたいにしょっちゅう中継がある競技ではないよなあ」
「俺、割とバレーボール好きだけどなあ。中継やってたら見るし。選手の名前よく知らんけど」
「俺も同じようなもんだ」
でも、何人かテンション上がってるやつらもいるみたいだ。どれ、いったいどんな……
「おお……」
体育館をのぞき込むと、すぐに分かった。なんつーか……でかい。オーラもあるし、なんか、でけぇ。遠近感狂いそうだ。
「何食ったらあんなでかくなるんだろうな」
咲良のささやきに頷く。背が高いからバレーを始めたのか、それともバレーやってるから背が高いのか。どっちなんだろう。
と、呆気に取られていると、せわしなく外廊下を行き来している人に気が付いた。見覚えのあるその人は、矢口先生だった。そういや矢口先生、バレーボール好きって言ってたな。デジカメ持って縦横無尽に動くその姿は、体育館で練習に励むバレー部員に負けないほど、生き生きしていた。
晩飯までまだ時間があるが、小腹が空いた。そういえば食パンが余っていたな。今日までだったか……晩飯と何か合わせようかとも思っていたが、今使い切っておこう。
玉ねぎもあることだし、オニオングラタンスープが食いたいな。
玉ねぎはみじん切りにしてベーコンは程よい幅に切り分ける。玉ねぎをあめ色になるまで炒めたら、ベーコンも炒める。よく炒めたら水を入れ、コンソメも投入。そして、塩こしょうで味を調える。
グラタン皿にスープを入れたら、軽く焼いた食パンを切り分けて入れる。すでにうまそうだ。しかし今日はここで終わらない。チーズをのせ、予熱したオーブンで焼く。
よし、いい感じだ。
「いただきます」
チーズのとろけ具合もいい感じだ。オニオンスープをたっぷり含んだパンをすくう。ジュワジュワしていて、口をやけどしそうだ。あふれ出すオニオンスープは香ばしく、パンのトロッとした食感が程よい。
パンの耳はちょっと噛み応えがある。もちもちというか、みっちりというか、水分を含んだパンの耳って、どうしてここまでの味が出るのだろう。
チーズの風味がいい仕事をしている。ふうわりと香るチーズの香りが、コクを出してくれる。もちもちとした食感もいい。チーズを口いっぱいに含むとなんだかうれしい気分がするのはなんでだろう。
ベーコンのうま味もいいなあ。噛みしめると滲み出す塩気もいい。
普段、特に学校に行ったときなんか、こんな手の込んだ料理はなかなか作らないのに、今日はなぜか作る気分になった。やっぱりあれだろうか。プロ選手のバレーボールを見たから、知らず知らずのうちにテンションが上がっていたのだろうか。
普段通りも悪くないが、ちょっとした刺激があるのも、悪くないな。
「ごちそうさまでした」
20
あなたにおすすめの小説
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる