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第一章 最推し幸福化計画始動
10.婚約者は黒狼をしめあげたい(SIDEラーシュ)
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「王妃殿下、それにリヴシェ王女殿下には、お身体の具合がよろしくないとか。
心よりお見舞い申し上げます」
ぷっと噴き出しそうになった。
謁見の間に入ることを許されなかったラーシュは、続きの間に忍び込んで細く開けた扉の隙間から中の様子を伺っている。
あの皇子、なかなかやってくれる。
ラーシュの大切なリーヴに、いろいろとやらかしてくれるジェリオ親子だ。
あの程度ではまだ甘い。
もっと恥をかかせてやれば良いのにと、唇の端を緩やかに上げる。
「ラーシュ、おまえラスムス殿下と面識があるのか?」
控えの間に戻ってきた父が、怪訝な顔をしていた。
「殿下が、おまえに会いたいと。
そうおっしゃった」
まさか続きの間でのぞき見していたことが、バレたわけでもあるまいが。
ラーシュにはもちろん、ラスムスと面識などない。
だが王族に呼ばれたとあれば、理由の詮索など無駄なことだ。
「わかりました」
即座に、指定された皇子の部屋へ向かった。
「ラスムスだ」
長い脚を組んで、ノルデンフェルトの第二皇子は短く名乗った。
薄い青の瞳には、どんな表情も映っていない。
さすがに大陸一の大国の皇族だと、ラーシュは気持ちを引き締めた。
「ラーシュ・マティアス・ラチェスと申します。
お召しにより、参上いたしました」
定型の挨拶を終えても、ラスムスは何も言わなかった。
表情を消した瞳が、じっとラーシュの瞳を捉えている。
かなり長い沈黙の後、ラスムスがようやく口を開いた。
「リヴシェ王女に会った」
唐突に出てきた婚約者の名に、さほど驚かなかった。
それどころか、どこかでやはりと思ってさえいる。
「さようでございますか」
「単刀直入に言う。
王女との結婚、あきらめてもらいたい」
相変わらずラスムスは無表情だったが、ラーシュも鉄壁のポーカーフェイスを保つ。
動揺した方が負けだと、本能的に察している。
「理由をお伺いしても?」
「俺が望むからだ」
あっさりとラスムスは認める。
それはもう、当然のことのように自然に。
「おそれながら、私におっしゃることではないかと」
リヴシェとラーシュの婚約は、王妃の肝入りで決まったことだ。当然国王や、ラーシュの父ラチェス公爵も了承している。
当事者同士の好き嫌いで決められた約束事ではない。当事者であるラーシュに、あきらめろと恫喝したくらいで変わらぬことは承知だろうに。
「もちろん国王陛下にはお願いしよう。
わが父、ノルデンフェルトの皇帝より正式にな。
おまえにあきらめろと言ったのは、いわば仁義と思ってくれて良い。
あの愛らしくも美しいリヴシェを取り上げられるなど、酷なことだと思うからな」
宣戦布告ということか。
ふざけるなと心の内で吹き荒れるブリザードを、ラーシュは完璧に抑え込んだ。
綺麗な弧を描いた唇で、くすりと笑ってみせる。
「なんともお返事いたしかねますね。
父から何か申しつけられることがありましたら、またあらためて。
今日のところは、下がってもよろしいでしょうか」
「ああ、かまわない」
扉が閉まるまで、完璧に内心の思いは隠した。
だからこの勝負、ラーシュは負けてはいない。
「良い度胸だよ、ノルデンフェルトの第2皇子殿下。
この僕相手に、リーヴを争おうだなんて」
王宮に与えられたラチェス家の部屋へ戻りながら、ラーシュはぼそりと漏らした。
だがあの様子では、まんざら戯れ事でもなさそうだ。
ほぼ間違いなく、ラスムスはリーヴに会っている。
それもごく親しい距離で。
じりりと、ラーシュの胸の奥が焦げついた。
だからあれほど言ったのだ。
知らない男と口をきいてはいけないと、何度も繰り返して。
リーヴ、彼の愛しいリーヴは、どうしてあんなに無防備なのだろう。
とりあえず正確な情報を集めなくては。
判断はその後。
まずは北の別荘に行こう。
王宮への義理は、既に果たしたから。
「どうしたの?」
愛しいリーヴが目を丸くしている。
ああ、驚いた顔もかわいい。紫の瞳がなにかあったのかと、少し心配そうだ。
心配してくれているのかと思うだけで、ラーシュの血流速度は2倍に上がる。
「もう半月だよ。
僕だって限界になるよ」
白い手袋の指に唇を落とすと、そのままぎゅうっと抱きしめた。
「会いたかったよ。
僕のリーヴ、変わりはなかったかい?」
こうして誰憚ることなく彼女を抱きしめられるのは、ラーシュだけの特権だ。
リーヴの小さな手がそっと背中に回されると、ラーシュは腕の力をさらにぎゅうぎゅうと強くする。
痛いはずなのに、リーヴは何も言わない。困ったわねなどと大人びたことを言いながら、そのままにしてくれていた。
「ねえ、リーヴ。
本当に変わったことはなかった?
だれか、訪ねてきたりとか」
叔母である王妃への挨拶もそうそうに、サロンでリーヴと二人にしてもらう。
王都から運んできた大量の焼き菓子に、リーヴは目を輝かせている。
聞こえていないなと思ったラーシュは、もう一度聞いた。
「誰か、来なかった?」
「ああ、神官長がいらしたわ」
神官長が?
リーヴに寵力が発現した時のことかと、思い至る。
あの件はまだ伏せられていて、その場にいた王妃とラチェス公爵、それに神殿関係者以外には知らされていない。
ノルデンフェルトの使節が帰ったら、大々的に発表するつもりだと父は言っていた。
けれどそれとラスムスは、関係ないだろう。
「寵力が出た時のことだよね?
お祝いが遅くなってごめんね」
正直なところ、寵力のことなど忘れていた。ラーシュにとって、リーヴに力があろうとなかろうと、大したことではなかったからだが、お祝いを告げなかったのは失態だった。
かなり取り乱していたらしい。
「神官長以外にも、だれか来たんじゃない?
実はね、リーヴに会ったって言う人がいてね。
僕だってこんなに我慢しているのにって、すごく悲しかったんだよ」
リーヴには、多少しょんぼりしている様子をみせた方が効く。
長い付き合いだから、その加減はよく承知している。
すぐに効果は表れた。
「嘘なんてついてないわ」
リーヴは慌てて、ケーキを食べる手を止めた。
「でも……。
人じゃないけど、子犬なら来たわよ。
湖で溺れてるの、わたくしが助けたの」
少し得意げな表情も、かわいらしい。
と、見惚れている場合ではないと気を取り直す。
「子犬?
どんな犬だったの?」
「黒い子犬よ。
しゅっと鼻先が長くて、薄い青の目をしたハンサムな犬。
毒にやられて溺れかけてたの。
1週間くらい、わたくしのお部屋でお世話していたんだけど。
突然いなくなっちゃったの」
間違いない。
それだ。
ラーシュは隣国のノルデンフェルトが、黒狼を始祖とすることを学んでいた。
ほとんどの者は人型からの変化へんげはできない、普通の人間だ。
けれどごく稀に、王族の中に先祖返りの力をもつ者が生まれるという。
先祖返りの力を持つ王族は、自在に獣形へ変化へんげすることができる。高い戦闘能力と魔力を合わせ持ち、その存在は帝国の至宝と呼ばれ、必ず帝位に就いた。
その黒狼、面倒な特性を持っている。
狼の習性をきわめて濃く継いで、伴侶に対する執着がとても強い。
番つがいと呼ぶ伴侶は、ほぼ本能で見分けるらしい。その番を、彼らは生涯ただ一人、大事に囲い込み独占し、愛してやまないのだとか。
厄介な相手に見込まれたな。
そうは思うが、ラーシュだって譲る気はない。
彼は狼ではないが、人間にだって本能はある。身体が、心が、リーヴ一人を求めてやまないのだ。
この想いが番へのそれに、劣るとは思えない。
ともかくだ。
リーヴとの結婚を、もっとゆるぎないものにしておかなくては。
叔母である王妃に、相談してみよう。
リーヴの薦めるケーキを口にしながら、ラーシュは叔母の予定を押さえなければと考えていた。
心よりお見舞い申し上げます」
ぷっと噴き出しそうになった。
謁見の間に入ることを許されなかったラーシュは、続きの間に忍び込んで細く開けた扉の隙間から中の様子を伺っている。
あの皇子、なかなかやってくれる。
ラーシュの大切なリーヴに、いろいろとやらかしてくれるジェリオ親子だ。
あの程度ではまだ甘い。
もっと恥をかかせてやれば良いのにと、唇の端を緩やかに上げる。
「ラーシュ、おまえラスムス殿下と面識があるのか?」
控えの間に戻ってきた父が、怪訝な顔をしていた。
「殿下が、おまえに会いたいと。
そうおっしゃった」
まさか続きの間でのぞき見していたことが、バレたわけでもあるまいが。
ラーシュにはもちろん、ラスムスと面識などない。
だが王族に呼ばれたとあれば、理由の詮索など無駄なことだ。
「わかりました」
即座に、指定された皇子の部屋へ向かった。
「ラスムスだ」
長い脚を組んで、ノルデンフェルトの第二皇子は短く名乗った。
薄い青の瞳には、どんな表情も映っていない。
さすがに大陸一の大国の皇族だと、ラーシュは気持ちを引き締めた。
「ラーシュ・マティアス・ラチェスと申します。
お召しにより、参上いたしました」
定型の挨拶を終えても、ラスムスは何も言わなかった。
表情を消した瞳が、じっとラーシュの瞳を捉えている。
かなり長い沈黙の後、ラスムスがようやく口を開いた。
「リヴシェ王女に会った」
唐突に出てきた婚約者の名に、さほど驚かなかった。
それどころか、どこかでやはりと思ってさえいる。
「さようでございますか」
「単刀直入に言う。
王女との結婚、あきらめてもらいたい」
相変わらずラスムスは無表情だったが、ラーシュも鉄壁のポーカーフェイスを保つ。
動揺した方が負けだと、本能的に察している。
「理由をお伺いしても?」
「俺が望むからだ」
あっさりとラスムスは認める。
それはもう、当然のことのように自然に。
「おそれながら、私におっしゃることではないかと」
リヴシェとラーシュの婚約は、王妃の肝入りで決まったことだ。当然国王や、ラーシュの父ラチェス公爵も了承している。
当事者同士の好き嫌いで決められた約束事ではない。当事者であるラーシュに、あきらめろと恫喝したくらいで変わらぬことは承知だろうに。
「もちろん国王陛下にはお願いしよう。
わが父、ノルデンフェルトの皇帝より正式にな。
おまえにあきらめろと言ったのは、いわば仁義と思ってくれて良い。
あの愛らしくも美しいリヴシェを取り上げられるなど、酷なことだと思うからな」
宣戦布告ということか。
ふざけるなと心の内で吹き荒れるブリザードを、ラーシュは完璧に抑え込んだ。
綺麗な弧を描いた唇で、くすりと笑ってみせる。
「なんともお返事いたしかねますね。
父から何か申しつけられることがありましたら、またあらためて。
今日のところは、下がってもよろしいでしょうか」
「ああ、かまわない」
扉が閉まるまで、完璧に内心の思いは隠した。
だからこの勝負、ラーシュは負けてはいない。
「良い度胸だよ、ノルデンフェルトの第2皇子殿下。
この僕相手に、リーヴを争おうだなんて」
王宮に与えられたラチェス家の部屋へ戻りながら、ラーシュはぼそりと漏らした。
だがあの様子では、まんざら戯れ事でもなさそうだ。
ほぼ間違いなく、ラスムスはリーヴに会っている。
それもごく親しい距離で。
じりりと、ラーシュの胸の奥が焦げついた。
だからあれほど言ったのだ。
知らない男と口をきいてはいけないと、何度も繰り返して。
リーヴ、彼の愛しいリーヴは、どうしてあんなに無防備なのだろう。
とりあえず正確な情報を集めなくては。
判断はその後。
まずは北の別荘に行こう。
王宮への義理は、既に果たしたから。
「どうしたの?」
愛しいリーヴが目を丸くしている。
ああ、驚いた顔もかわいい。紫の瞳がなにかあったのかと、少し心配そうだ。
心配してくれているのかと思うだけで、ラーシュの血流速度は2倍に上がる。
「もう半月だよ。
僕だって限界になるよ」
白い手袋の指に唇を落とすと、そのままぎゅうっと抱きしめた。
「会いたかったよ。
僕のリーヴ、変わりはなかったかい?」
こうして誰憚ることなく彼女を抱きしめられるのは、ラーシュだけの特権だ。
リーヴの小さな手がそっと背中に回されると、ラーシュは腕の力をさらにぎゅうぎゅうと強くする。
痛いはずなのに、リーヴは何も言わない。困ったわねなどと大人びたことを言いながら、そのままにしてくれていた。
「ねえ、リーヴ。
本当に変わったことはなかった?
だれか、訪ねてきたりとか」
叔母である王妃への挨拶もそうそうに、サロンでリーヴと二人にしてもらう。
王都から運んできた大量の焼き菓子に、リーヴは目を輝かせている。
聞こえていないなと思ったラーシュは、もう一度聞いた。
「誰か、来なかった?」
「ああ、神官長がいらしたわ」
神官長が?
リーヴに寵力が発現した時のことかと、思い至る。
あの件はまだ伏せられていて、その場にいた王妃とラチェス公爵、それに神殿関係者以外には知らされていない。
ノルデンフェルトの使節が帰ったら、大々的に発表するつもりだと父は言っていた。
けれどそれとラスムスは、関係ないだろう。
「寵力が出た時のことだよね?
お祝いが遅くなってごめんね」
正直なところ、寵力のことなど忘れていた。ラーシュにとって、リーヴに力があろうとなかろうと、大したことではなかったからだが、お祝いを告げなかったのは失態だった。
かなり取り乱していたらしい。
「神官長以外にも、だれか来たんじゃない?
実はね、リーヴに会ったって言う人がいてね。
僕だってこんなに我慢しているのにって、すごく悲しかったんだよ」
リーヴには、多少しょんぼりしている様子をみせた方が効く。
長い付き合いだから、その加減はよく承知している。
すぐに効果は表れた。
「嘘なんてついてないわ」
リーヴは慌てて、ケーキを食べる手を止めた。
「でも……。
人じゃないけど、子犬なら来たわよ。
湖で溺れてるの、わたくしが助けたの」
少し得意げな表情も、かわいらしい。
と、見惚れている場合ではないと気を取り直す。
「子犬?
どんな犬だったの?」
「黒い子犬よ。
しゅっと鼻先が長くて、薄い青の目をしたハンサムな犬。
毒にやられて溺れかけてたの。
1週間くらい、わたくしのお部屋でお世話していたんだけど。
突然いなくなっちゃったの」
間違いない。
それだ。
ラーシュは隣国のノルデンフェルトが、黒狼を始祖とすることを学んでいた。
ほとんどの者は人型からの変化へんげはできない、普通の人間だ。
けれどごく稀に、王族の中に先祖返りの力をもつ者が生まれるという。
先祖返りの力を持つ王族は、自在に獣形へ変化へんげすることができる。高い戦闘能力と魔力を合わせ持ち、その存在は帝国の至宝と呼ばれ、必ず帝位に就いた。
その黒狼、面倒な特性を持っている。
狼の習性をきわめて濃く継いで、伴侶に対する執着がとても強い。
番つがいと呼ぶ伴侶は、ほぼ本能で見分けるらしい。その番を、彼らは生涯ただ一人、大事に囲い込み独占し、愛してやまないのだとか。
厄介な相手に見込まれたな。
そうは思うが、ラーシュだって譲る気はない。
彼は狼ではないが、人間にだって本能はある。身体が、心が、リーヴ一人を求めてやまないのだ。
この想いが番へのそれに、劣るとは思えない。
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