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第一章 貧乏くじは引きません
4.パウラ、貧乏くじ人生を悔やむ
「茅の実のお粥です。白虎の方々がおいでになるかもしれませんでしょう? 少し多めに作っておきましたわ」
ヘルムダール公家は、格式だけはやたら高い。
初代竜后を始祖にする家で、以降代々の竜后、竜妃はヘルムダール直系の姫から選ばれている。
けれどいかんせん、豊かではない。
公国の産業と言えば、農業とちょっとした畜産業くらい。
国の者は皆、普段はとても質素に暮らしている。
大公である母だって、普段は黒いライ麦パンとチーズの昼食をとっているのだ。
(だから雑穀の煮炊きなんて、できて当然よ)
翡翠の瞳を見開いて、正直に驚きを顔に出すセスランに向かって、パウラはちょっとだけ得意気に笑った。
「わたくし、なんでも負けるのは嫌いなんですの」
料理でもなんでも、「できない」と言われるのが嫌なのだと言い足した。
本当はここで最初から作りたかったのだけれど、現地での作業はなるべく少ない方がいい。
だから今回はあらかじめふやかした茅の実を持ってきたのだと、言わなくていいことまでつい口を滑らせてしまう。
(言わなきゃよかったわ)
ちょっと後悔していたら、セスランがふわりと微笑した。
貴公子然とした冷たい美貌が柔らかく見える。
翡翠の瞳には賞賛ともうひとつ。
少なくとも悪い感情ではないなにかが映っていて、それがパウラの心臓をどきんとさせた。
「パウラはそんな表情もするのだな」
ため息とともにこぼれだしたような言葉は、少し掠れて甘いテノールの声で響く。
どきん……とまたひとつ、パウラの胸が大きく鳴った。
続いてきゅうっと、音のしたあたりが痛くなる。
(なに、これ? どうしたの、私。なんだか変じゃない?)
初めての体感に、パウラは戸惑った。
それがどういう感情ゆえか、なんとなく察した。
そしてすぐに、その先の思考にぱたんと蓋をした。
考えてはいけない。
気づいてはいけない。
パウラは竜妃、聖女の候補なのだから。
そうやって押し込めて、知らん顔をして過ごして……。
そのすぐ後。
エリーヌ・ペローが、聖女選抜試験を棄権した。
セスランとそういうことになったからと。
信じられなかった。
けれどセスランは、当代聖女の前で事実だと認めたのだ。
その瞬間、パウラは自分が貧乏くじをひいたのだと気づいた。
一生懸命の努力や責任感は、すべて名ばかりの妻、聖女を引き受けるためにだけ利用されたのだと。
そしてもっと悪いことが起きる。
あれはセスランが火竜の聖使を退任する時のことだった。
聖女となったパウラの前に、セスランは頭を垂れていた。
退任した後は、エリーヌと共に人の世界へ降りると言う。
側に貼りついたエリーヌは、頭を下げることすらしていない。
楽し気ににこにこと笑って言った。
「ヘルムダールの当主様に言ってもらえない? セスランと私を迎えるようにって」
いけしゃあしゃあと。
「ゲルラ公国に頼んでも良いんだけど、セスランがいた頃とはなにもかも変わってるでしょう? ヘルムダールなら、聖女オーディアナの頼みを無碍にはしないと思うの。私だって、元は聖女候補だったんだし」
確かにそのとおりだ。
セスランの生国ゲルラ公国に下ったとしても、そう粗末にはされないと思う。
けれど親切かといえばそうじゃないだろう。
ゲルラはもともと気位の高い、どちらかといえばエラそうな家だ。
セスランが聖使として召喚されたのは、もう何百年も前のこと。
昔々の先祖にあたるセスランを表向きは丁重に扱うだろうけれど、正直なところ面倒で厄介な存在だと思うに違いない。
当然エリーヌも厄介者扱いされるだろう。
確かに彼女はヘルムダールの貴族ではあるけれど、地方の男爵家の娘に過ぎないのだから。
一方ヘルムダールはもう少し柔らかい。
階級制度があるにはあるが、かなり自由で気さくな風土の国である。
地方の男爵家の娘とは言え、かつて聖女候補として召喚されたエリーヌを粗末に扱うとは思えなかった。
まして当代聖パウラからの頼みであれば、必ずや厚遇してくれるだろう。
「セスランも、そのように希望しますか?」
聖女であったパウラはエリーヌには応えず、あえてセスランに問いかけた。
この図々しく自分勝手な願いを、良しとするのか。
「妻の願いを、どうかお聞き届けくださいますように」
聖女候補時代にあった淡い淡い思いは、この瞬間蔑みと軽い憎しみに変わった。
もうすっかりエリーヌの言いなりで、シャープで美しかった頬のラインもいささかたるんで見える。
心中で深いため息をついて、パウラはともかく彼らの希望をかなえてやった。
温情からではない。
とにかくさっさと、目の前から消えてほしかったからだ。
そしてその後、気の遠くなる時を、パウラは清らかに高潔に生きた。
あー、思い出すだけでなんとも忌々しい!
ほんとに、貧乏くじ人生だったと思う。
その前世をふまえた今生の目標は、なんといっても飼殺しの竜妃、聖女にならないことだ。
一番のポイントは、エリーヌを逃がさないこと、これに尽きる。
そのためにはまずセスランに注力しなくてはならない。
エリーヌよりも好かれ、まかり間違ってもヤらせないこと。
当然他の三人の聖使にも同じことが言えるけれど、前世エリーヌはセスランを狙ったのだ。
一番マークすべきはセスランだろう。
「でもどうしたら、好かれるのかしら」
まずは、そこからか。
前世一度も考えたことのない課題を前に、誰か指導者が必要だと、八歳の小さな眉間にシワをよせた。
いる!
ごく身近に、二人も適任者がいるではないか。
いささか鬱陶しいほどの、はた迷惑な夫婦が。
「今日も美しいね、私のアデラ」
毎日朝食のテーブルで、心底うっとりと妻を見つめてパールシュガーの雨を降らせる、パウラの父である。
男心は男に聞かなくては。
少し高過ぎる椅子から飛び降りて、まずは父のもとに向かうことにした。
ヘルムダール公家は、格式だけはやたら高い。
初代竜后を始祖にする家で、以降代々の竜后、竜妃はヘルムダール直系の姫から選ばれている。
けれどいかんせん、豊かではない。
公国の産業と言えば、農業とちょっとした畜産業くらい。
国の者は皆、普段はとても質素に暮らしている。
大公である母だって、普段は黒いライ麦パンとチーズの昼食をとっているのだ。
(だから雑穀の煮炊きなんて、できて当然よ)
翡翠の瞳を見開いて、正直に驚きを顔に出すセスランに向かって、パウラはちょっとだけ得意気に笑った。
「わたくし、なんでも負けるのは嫌いなんですの」
料理でもなんでも、「できない」と言われるのが嫌なのだと言い足した。
本当はここで最初から作りたかったのだけれど、現地での作業はなるべく少ない方がいい。
だから今回はあらかじめふやかした茅の実を持ってきたのだと、言わなくていいことまでつい口を滑らせてしまう。
(言わなきゃよかったわ)
ちょっと後悔していたら、セスランがふわりと微笑した。
貴公子然とした冷たい美貌が柔らかく見える。
翡翠の瞳には賞賛ともうひとつ。
少なくとも悪い感情ではないなにかが映っていて、それがパウラの心臓をどきんとさせた。
「パウラはそんな表情もするのだな」
ため息とともにこぼれだしたような言葉は、少し掠れて甘いテノールの声で響く。
どきん……とまたひとつ、パウラの胸が大きく鳴った。
続いてきゅうっと、音のしたあたりが痛くなる。
(なに、これ? どうしたの、私。なんだか変じゃない?)
初めての体感に、パウラは戸惑った。
それがどういう感情ゆえか、なんとなく察した。
そしてすぐに、その先の思考にぱたんと蓋をした。
考えてはいけない。
気づいてはいけない。
パウラは竜妃、聖女の候補なのだから。
そうやって押し込めて、知らん顔をして過ごして……。
そのすぐ後。
エリーヌ・ペローが、聖女選抜試験を棄権した。
セスランとそういうことになったからと。
信じられなかった。
けれどセスランは、当代聖女の前で事実だと認めたのだ。
その瞬間、パウラは自分が貧乏くじをひいたのだと気づいた。
一生懸命の努力や責任感は、すべて名ばかりの妻、聖女を引き受けるためにだけ利用されたのだと。
そしてもっと悪いことが起きる。
あれはセスランが火竜の聖使を退任する時のことだった。
聖女となったパウラの前に、セスランは頭を垂れていた。
退任した後は、エリーヌと共に人の世界へ降りると言う。
側に貼りついたエリーヌは、頭を下げることすらしていない。
楽し気ににこにこと笑って言った。
「ヘルムダールの当主様に言ってもらえない? セスランと私を迎えるようにって」
いけしゃあしゃあと。
「ゲルラ公国に頼んでも良いんだけど、セスランがいた頃とはなにもかも変わってるでしょう? ヘルムダールなら、聖女オーディアナの頼みを無碍にはしないと思うの。私だって、元は聖女候補だったんだし」
確かにそのとおりだ。
セスランの生国ゲルラ公国に下ったとしても、そう粗末にはされないと思う。
けれど親切かといえばそうじゃないだろう。
ゲルラはもともと気位の高い、どちらかといえばエラそうな家だ。
セスランが聖使として召喚されたのは、もう何百年も前のこと。
昔々の先祖にあたるセスランを表向きは丁重に扱うだろうけれど、正直なところ面倒で厄介な存在だと思うに違いない。
当然エリーヌも厄介者扱いされるだろう。
確かに彼女はヘルムダールの貴族ではあるけれど、地方の男爵家の娘に過ぎないのだから。
一方ヘルムダールはもう少し柔らかい。
階級制度があるにはあるが、かなり自由で気さくな風土の国である。
地方の男爵家の娘とは言え、かつて聖女候補として召喚されたエリーヌを粗末に扱うとは思えなかった。
まして当代聖パウラからの頼みであれば、必ずや厚遇してくれるだろう。
「セスランも、そのように希望しますか?」
聖女であったパウラはエリーヌには応えず、あえてセスランに問いかけた。
この図々しく自分勝手な願いを、良しとするのか。
「妻の願いを、どうかお聞き届けくださいますように」
聖女候補時代にあった淡い淡い思いは、この瞬間蔑みと軽い憎しみに変わった。
もうすっかりエリーヌの言いなりで、シャープで美しかった頬のラインもいささかたるんで見える。
心中で深いため息をついて、パウラはともかく彼らの希望をかなえてやった。
温情からではない。
とにかくさっさと、目の前から消えてほしかったからだ。
そしてその後、気の遠くなる時を、パウラは清らかに高潔に生きた。
あー、思い出すだけでなんとも忌々しい!
ほんとに、貧乏くじ人生だったと思う。
その前世をふまえた今生の目標は、なんといっても飼殺しの竜妃、聖女にならないことだ。
一番のポイントは、エリーヌを逃がさないこと、これに尽きる。
そのためにはまずセスランに注力しなくてはならない。
エリーヌよりも好かれ、まかり間違ってもヤらせないこと。
当然他の三人の聖使にも同じことが言えるけれど、前世エリーヌはセスランを狙ったのだ。
一番マークすべきはセスランだろう。
「でもどうしたら、好かれるのかしら」
まずは、そこからか。
前世一度も考えたことのない課題を前に、誰か指導者が必要だと、八歳の小さな眉間にシワをよせた。
いる!
ごく身近に、二人も適任者がいるではないか。
いささか鬱陶しいほどの、はた迷惑な夫婦が。
「今日も美しいね、私のアデラ」
毎日朝食のテーブルで、心底うっとりと妻を見つめてパールシュガーの雨を降らせる、パウラの父である。
男心は男に聞かなくては。
少し高過ぎる椅子から飛び降りて、まずは父のもとに向かうことにした。
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