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第一章 貧乏くじは引きません
7.パウラ、目的は忘れず
「八歳の誕生日だと聞いた」
パウラの前に膝をついたまま、セスランは微笑んでいる。
セスランが膝を折る。
そのことがまず信じられなかった。
前世のセスランは、誇り高い謹厳な男だった。
火竜の血を継ぐゲルラの一族らしい気位の高い男で、膝をついた彼など一度も見たことがない。
その彼がたった八歳の小娘の前に、膝をついているだなんて。
「どうした、パウラ。なぜ黙っている?」
わかってやっているとしか思えない。
白皙の美貌の貴公子が小さな少女の足下に跪いて、この甘い声はどうかしている。
「わ……わたくしごときのために、火竜の聖使様がおいでになるなど。ありえないことと」
やっと絞り出した言葉は、つまるし噛むし散々だ。
とても公女の礼儀作法にかなったものじゃない。
――――母! なぜ黙って見ている。
かわいい娘が困っているというのに、母アデラは微笑んで見ているだけだ。
「お母様……」
さすがに耐えきれず、パウラは母に助けを求めた。
「セスラン様、どうかそのあたりで」
苦笑を浮かべた母が、やっと止めてくれる。
やれやれという感じだ。
「おそれながらセスラン様、我が娘には少し刺激が強すぎたかと」
そのとおりだ。
今生のパウラはまだ八歳なのだ。
砂糖に蜂蜜を入れて煮詰めたような甘すぎる声と視線に、耐性があるはずない。
(黄金竜の泉地に長くいると、時間の感覚がなくなるのはわかる。でも八歳相手にやり過ぎでしょう)
「かまうな、大公。誕生日を祝うだけだ」
翡翠の瞳は変わらずパウラを捉えたまま。
だけど冷たい声と突き刺すように命じる口調で、それが母に対して向けられたものであるとわかる。
「ではセスラン様、早々にお祝いをいただけますか」
母アデラは、パウラを後ろからそっと抱き寄せる。
「我が娘は諸事不慣れでございます。そのようにわたくしども夫婦が育てました。わが夫など、目の中に入れても痛くないと申しておりますよ」
バチバチっ!
パウラの頭上で音がした……ような。
怖くて顔を上げられない。
「まあ良い」
パウラをかばう母をものともせず、パウラの小さな手をそっとおしいただくようにして、唇を落とす。
「遅くなった。誕生日おめでとう」
甘い甘い蜂蜜のような声と微笑。
くどいようだが、こんなセスランをパウラは知らない。
どうしてこんなことになっているのか。
ほんっとうにわからないけれど、もう考えても仕方ないことだけはわかる。
考えるには情報が無さすぎる。
(とにかく今は、この場をやりすごさなきゃ。後でゆっくり考えよう)
それにここへ来た本来の目的は、母に男心を誑し込む秘術というか秘策を教わるためだ。
そのターゲットである男が突然目の前に現れることは想定外だったから、慌てたけど。
たぶんだけど、セスランは今生のパウラを嫌ってはいない。
――――なんとかなる!
なんとかするやりかたは、まだわからないけど。
これはわからないですむ話じゃない。
なんとかしなければ、また貧乏くじ人生アゲインなんだから。
「お祝いのお言葉、感謝申し上げます」
少々かたっくるしいと思ったけれど、相手はパウラよりはるかに上の身分だ。
いくらセスランと名前で呼べと、特別な好意らしいものを示されていても、こちらから馴れ馴れしくするのは違う。
(そういえば……。馴れ馴れしすぎる女が好きだったわね)
舌ったらずの甘ったるい声をしたエリーヌを思い出して、イラっとした。
(その趣味に合わせるの? それは無理! 他の方法でなんとかしたい)
「またなにか、余計なことを考えているようだ」
ふっと息だけで笑ったセスランが、パウラの眉間に人差し指をあてる。
「わかりやすいな」
翡翠の瞳に複雑な色が浮かんで、それがパウラを困惑させる。
なんだか哀しげに、苦し気に見えるのは気のせいか。
「今年は火竜の祭典がある。また会おう、パウラ」
耳元で囁かれた声も、やはり哀し気で切なかった。
「パウラ、セスラン様はずいぶんお前をお気に召したようだね」
セスランを見送った後、母アデラは困惑した表情で言った。
「いきなり訪問されてパウラの誕生日だろうと、そうおっしゃったのにも驚いたよ」
母はただ座っているだけでも美しい。
騎士として鍛えた筋力のおかげか、ぴしりと背筋が伸びている。
「どこかでお目にかかっていれば、母である私が知らないはずはないんだけどね」
じっとパウラを見つめてくる母の目は、パウラとそっくり同じエメラルドの色だ。
「本当に初めてお目にかかったのだよね?」
「はい」
そう答えるしかない。
前世で会ってるなどと言えば、頭がおかしくなったのかと母に思われるかもしれない。
「ではセスラン様が、どこかでおまえをお見かけになったのかもしれないね」
ふむと、少し考えこむ風な母にパウラは思い切って尋ねた。
「あの……、お母様。今日お母様にお目にかかりたかったのは、お伺いしたことがあったからなのです」
「なんだろうね。パウラがあらためて、私に聞きたいなんて。珍しいね」
母の表情から困惑が消えて、好奇心がその座を占める。
早く先を言えと暗に促されて、パウラはやっと今日聞きたかったことを口にした。
「どうやってお父様を、あんなに夢中になさったのですか?」
これこそが今日の目的だ。
さあ早く教えてと、パウラはじりっと母ににじり寄った。
パウラの前に膝をついたまま、セスランは微笑んでいる。
セスランが膝を折る。
そのことがまず信じられなかった。
前世のセスランは、誇り高い謹厳な男だった。
火竜の血を継ぐゲルラの一族らしい気位の高い男で、膝をついた彼など一度も見たことがない。
その彼がたった八歳の小娘の前に、膝をついているだなんて。
「どうした、パウラ。なぜ黙っている?」
わかってやっているとしか思えない。
白皙の美貌の貴公子が小さな少女の足下に跪いて、この甘い声はどうかしている。
「わ……わたくしごときのために、火竜の聖使様がおいでになるなど。ありえないことと」
やっと絞り出した言葉は、つまるし噛むし散々だ。
とても公女の礼儀作法にかなったものじゃない。
――――母! なぜ黙って見ている。
かわいい娘が困っているというのに、母アデラは微笑んで見ているだけだ。
「お母様……」
さすがに耐えきれず、パウラは母に助けを求めた。
「セスラン様、どうかそのあたりで」
苦笑を浮かべた母が、やっと止めてくれる。
やれやれという感じだ。
「おそれながらセスラン様、我が娘には少し刺激が強すぎたかと」
そのとおりだ。
今生のパウラはまだ八歳なのだ。
砂糖に蜂蜜を入れて煮詰めたような甘すぎる声と視線に、耐性があるはずない。
(黄金竜の泉地に長くいると、時間の感覚がなくなるのはわかる。でも八歳相手にやり過ぎでしょう)
「かまうな、大公。誕生日を祝うだけだ」
翡翠の瞳は変わらずパウラを捉えたまま。
だけど冷たい声と突き刺すように命じる口調で、それが母に対して向けられたものであるとわかる。
「ではセスラン様、早々にお祝いをいただけますか」
母アデラは、パウラを後ろからそっと抱き寄せる。
「我が娘は諸事不慣れでございます。そのようにわたくしども夫婦が育てました。わが夫など、目の中に入れても痛くないと申しておりますよ」
バチバチっ!
パウラの頭上で音がした……ような。
怖くて顔を上げられない。
「まあ良い」
パウラをかばう母をものともせず、パウラの小さな手をそっとおしいただくようにして、唇を落とす。
「遅くなった。誕生日おめでとう」
甘い甘い蜂蜜のような声と微笑。
くどいようだが、こんなセスランをパウラは知らない。
どうしてこんなことになっているのか。
ほんっとうにわからないけれど、もう考えても仕方ないことだけはわかる。
考えるには情報が無さすぎる。
(とにかく今は、この場をやりすごさなきゃ。後でゆっくり考えよう)
それにここへ来た本来の目的は、母に男心を誑し込む秘術というか秘策を教わるためだ。
そのターゲットである男が突然目の前に現れることは想定外だったから、慌てたけど。
たぶんだけど、セスランは今生のパウラを嫌ってはいない。
――――なんとかなる!
なんとかするやりかたは、まだわからないけど。
これはわからないですむ話じゃない。
なんとかしなければ、また貧乏くじ人生アゲインなんだから。
「お祝いのお言葉、感謝申し上げます」
少々かたっくるしいと思ったけれど、相手はパウラよりはるかに上の身分だ。
いくらセスランと名前で呼べと、特別な好意らしいものを示されていても、こちらから馴れ馴れしくするのは違う。
(そういえば……。馴れ馴れしすぎる女が好きだったわね)
舌ったらずの甘ったるい声をしたエリーヌを思い出して、イラっとした。
(その趣味に合わせるの? それは無理! 他の方法でなんとかしたい)
「またなにか、余計なことを考えているようだ」
ふっと息だけで笑ったセスランが、パウラの眉間に人差し指をあてる。
「わかりやすいな」
翡翠の瞳に複雑な色が浮かんで、それがパウラを困惑させる。
なんだか哀しげに、苦し気に見えるのは気のせいか。
「今年は火竜の祭典がある。また会おう、パウラ」
耳元で囁かれた声も、やはり哀し気で切なかった。
「パウラ、セスラン様はずいぶんお前をお気に召したようだね」
セスランを見送った後、母アデラは困惑した表情で言った。
「いきなり訪問されてパウラの誕生日だろうと、そうおっしゃったのにも驚いたよ」
母はただ座っているだけでも美しい。
騎士として鍛えた筋力のおかげか、ぴしりと背筋が伸びている。
「どこかでお目にかかっていれば、母である私が知らないはずはないんだけどね」
じっとパウラを見つめてくる母の目は、パウラとそっくり同じエメラルドの色だ。
「本当に初めてお目にかかったのだよね?」
「はい」
そう答えるしかない。
前世で会ってるなどと言えば、頭がおかしくなったのかと母に思われるかもしれない。
「ではセスラン様が、どこかでおまえをお見かけになったのかもしれないね」
ふむと、少し考えこむ風な母にパウラは思い切って尋ねた。
「あの……、お母様。今日お母様にお目にかかりたかったのは、お伺いしたことがあったからなのです」
「なんだろうね。パウラがあらためて、私に聞きたいなんて。珍しいね」
母の表情から困惑が消えて、好奇心がその座を占める。
早く先を言えと暗に促されて、パウラはやっと今日聞きたかったことを口にした。
「どうやってお父様を、あんなに夢中になさったのですか?」
これこそが今日の目的だ。
さあ早く教えてと、パウラはじりっと母ににじり寄った。
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