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Intermission
9.エリーヌ・ペローという少女
エリーヌ・ペローは、ヘルムダール公国の中原地方に領地を持つ男爵家の娘として生まれた。
ペロー家は爵位こそ男爵だけど、遠くたどればヘルムダール公家と縁続きだという旧い家だ。
――――ほんとかしら。
エリーヌはつい斜めにかまえてしまう。
でもそうだったら嬉しい。
嬉しいけど不満でもあって。
ヘルムダール公家といえば、五公家筆頭の大公家だ。
黄金竜の妻、竜后や竜妃聖女は、必ずヘルムダールの出身だ。
その高貴な血が自分にも流れていると思うと、誇らしく嬉しい。
(でももしわたしが直系の公女だったら、お姫様らしい贅沢ができてたのに)
黄金竜の泉地や他の公国のお城に招かれたりするし、結婚相手だって外見も中身もとびきりの貴公子が相手だ。
でも遠い昔に遡って、ちょっとだけ縁があります程度のエリーヌでは無理だ。
(不公平だわ。わたしだって直系の公女様に負けてないわ。キレイだしかわいいもの)
ふわふわした白銀の髪に、ミントをソーダで溶かしたみたいだと言われる明るい緑の瞳。
ふっくらとした頬は、まるで瑞々しい桃みたいだし、唇だってぷるんぷるんでかわいらしい。
なかなか見ない美少女だと、みんな言うし自分でもそう思う。
それなのに今のエリーヌの暮らしときたら。
平民より少しだけマシという程度じゃないかと思う。
朝起きたら廊下の突き当りにある洗面所へ行って、顔を洗う。
水道の引いてある洗面所なんて、この辺りでもペロー家だけだと母は自慢している。
でも小さな白い洗面器の上に、蛇口から冷たい水が出るだけの簡素なものだ。
綺麗な彫刻も絵も、なにもついてない。
エリーヌにはこれがそんなに贅沢なものだとは、どうしても思えなかった。
その後自分で髪をとかして、食堂へ降りる。
朝食はいつも同じで変わり映えしない。
山羊や牛の乳と焼いたパンにチーズ、運が良ければ茹でたたまごやソーセージがつく。
近所の農家から朝晩手伝いにきてくれる女性は、エリーヌが赤ん坊のころからの通いのお手伝いさんだ。
食事の世話の他、掃除や洗濯をしてくれていた。
その彼女に見送られて学校へ行く。
学校は近隣の、まあそこそこお金持ちの子女の通う私立の学園だ。
そこでのエリーヌの成績は、下から数えた方が早い。
午後学校から帰ると、家庭教師から淑女教育を二時間受ける。
その後彼女の厳しい監視下で食事をする。
いちいち作法を正されて、食べた気がしない。
この淑女教育でも、エリーヌの成績はあまり良いものではない。
(でもだからどうしたっていうの?)
勉強なんて、少しも役には立たない。
女は綺麗でかわいらしいのが一番で、優劣は学業ではなく容姿や性格で決まるのだ。
学園でのエリーヌは、男の子たちにいつも囲まれている。
成績が悪くても、お作法を心得ていなくとも、そんなことは誰も気にしていない。
「女の子はね、綺麗でかわいらしいおばかさんが一番なのよ」
いつも母に言い聞かされてきたとおりだ。
母はこのあたりでも有名な敏腕領主だ。
ぱっと目を引く華やかな美人で、娘のエリーヌが見ても艶っぽい。
でもデキる女感があふれ出ているから、たいていの男では敵わないと引いてしまうだろう。
ヘルムダール公国では、どの貴族家もまあまあ貧乏だ。
大公家を頂点に一応爵位による序列はあるけど、侯爵家も男爵家も内情はそう変わらない。
領主とは言っても名ばかりで、領地から上がる租税など微々たるものだ。
ひとたび天災にみまわれたら租税などたちまち吹っ飛んで、むしろ地面に食い込むほど足りない。
それは大公家以外の、どんな爵位の家でも似たようなものらしい。
落ちた橋の架け替えや道路の復旧、がれきの後始末等々。
いざという時のためにと、領主はいつも質素な生活をしていた。
だから領民は、自主的に自治会積立金なるものを作っている。
大きな天災や、まとまった金額の必要な事態には、領主とともに物資や金銭を供出しているような有様だ。
そんな中でペロー家は、近隣領主に比べるとまだマシな方だと評判だ。
デキる領主が家を切り盛りするようになって、領地の上がりは格段によくなったのだと。
けれど悪口もしょっちゅう聞かされた。
あまり大きな声ではいえない事業にまで手を出しているとか、血も涙もない女だとか。
それでもその母のおかげで、エリーヌは貴族令嬢として最低限の教育を受けられた。
社交の場に出て恥ずかしくない身だしなみも、調えてもらったのだ。
「おかあさんは血も涙もないって言われたわ」
外で侮辱されたのが悔しくて、母に泣きついたことがある。
「言いたいヤツには言わせておけばいいの」
母は平然としていた。
(ふつうのおかあさんなら、慰めてくれるんじゃないの?)
エリーヌは不満だった。
だってエリーヌには母しかいないのだ。
父はいなかった。
エリーヌがものごころついた時には、もう既にいなかったと思う。
母に尋ねると、「いるわよ。当たり前じゃない」と短い不機嫌な返事があった。
そこから先はとても聞ける空気ではない。
ヘルムダールでは女性が当主に立つのは当然のことで、母がペロー家を継いだから父は婿としてこの家に入ってきたという。
踊り場には肖像画が飾られているし、父の部屋は毎日掃除されている。
だから亡くなったわけではないらしい。
――――隣の領主と暮らしている。
風の噂でそう聞いた。
ああきっと、母はでき過ぎたのだ。
綺麗なだけなら良かったけど、でき過ぎたから父は出て行ったのだと思った。
綺麗でかわいらしいおばかさんじゃなかったから。
エリーヌは悔しかった。
皆が当たり前に持っている両親を、自分は持てない。
母が恨めしかった。
自分はけして母のようにはなりたくない。
エリーヌだけを溺れるほど愛してくれる男に、一生傅かれて暮らすのだ。
ヘルムダール大公夫妻には、エリーヌと同じ年齢の娘がいるらしい。
大公夫妻は美男美女でこれ以上ないくらい夫婦仲が良く、その間にできた娘を溺愛していると。
エリーヌは、なんだか腹が立った。
同じヘルムダールの血を継ぎながら、なんという違いだろう。
直系公女は両親に愛されて、大きなお城で贅沢三昧しているに違いない。
不公平だわ。
毎日毎日そう思い暮らしていた。
ある晩、夢をみた。
不思議な、不思議な夢。
目が覚めて、知った。
いや思い出した。
エリーヌの前世の記憶を。
ペロー家は爵位こそ男爵だけど、遠くたどればヘルムダール公家と縁続きだという旧い家だ。
――――ほんとかしら。
エリーヌはつい斜めにかまえてしまう。
でもそうだったら嬉しい。
嬉しいけど不満でもあって。
ヘルムダール公家といえば、五公家筆頭の大公家だ。
黄金竜の妻、竜后や竜妃聖女は、必ずヘルムダールの出身だ。
その高貴な血が自分にも流れていると思うと、誇らしく嬉しい。
(でももしわたしが直系の公女だったら、お姫様らしい贅沢ができてたのに)
黄金竜の泉地や他の公国のお城に招かれたりするし、結婚相手だって外見も中身もとびきりの貴公子が相手だ。
でも遠い昔に遡って、ちょっとだけ縁があります程度のエリーヌでは無理だ。
(不公平だわ。わたしだって直系の公女様に負けてないわ。キレイだしかわいいもの)
ふわふわした白銀の髪に、ミントをソーダで溶かしたみたいだと言われる明るい緑の瞳。
ふっくらとした頬は、まるで瑞々しい桃みたいだし、唇だってぷるんぷるんでかわいらしい。
なかなか見ない美少女だと、みんな言うし自分でもそう思う。
それなのに今のエリーヌの暮らしときたら。
平民より少しだけマシという程度じゃないかと思う。
朝起きたら廊下の突き当りにある洗面所へ行って、顔を洗う。
水道の引いてある洗面所なんて、この辺りでもペロー家だけだと母は自慢している。
でも小さな白い洗面器の上に、蛇口から冷たい水が出るだけの簡素なものだ。
綺麗な彫刻も絵も、なにもついてない。
エリーヌにはこれがそんなに贅沢なものだとは、どうしても思えなかった。
その後自分で髪をとかして、食堂へ降りる。
朝食はいつも同じで変わり映えしない。
山羊や牛の乳と焼いたパンにチーズ、運が良ければ茹でたたまごやソーセージがつく。
近所の農家から朝晩手伝いにきてくれる女性は、エリーヌが赤ん坊のころからの通いのお手伝いさんだ。
食事の世話の他、掃除や洗濯をしてくれていた。
その彼女に見送られて学校へ行く。
学校は近隣の、まあそこそこお金持ちの子女の通う私立の学園だ。
そこでのエリーヌの成績は、下から数えた方が早い。
午後学校から帰ると、家庭教師から淑女教育を二時間受ける。
その後彼女の厳しい監視下で食事をする。
いちいち作法を正されて、食べた気がしない。
この淑女教育でも、エリーヌの成績はあまり良いものではない。
(でもだからどうしたっていうの?)
勉強なんて、少しも役には立たない。
女は綺麗でかわいらしいのが一番で、優劣は学業ではなく容姿や性格で決まるのだ。
学園でのエリーヌは、男の子たちにいつも囲まれている。
成績が悪くても、お作法を心得ていなくとも、そんなことは誰も気にしていない。
「女の子はね、綺麗でかわいらしいおばかさんが一番なのよ」
いつも母に言い聞かされてきたとおりだ。
母はこのあたりでも有名な敏腕領主だ。
ぱっと目を引く華やかな美人で、娘のエリーヌが見ても艶っぽい。
でもデキる女感があふれ出ているから、たいていの男では敵わないと引いてしまうだろう。
ヘルムダール公国では、どの貴族家もまあまあ貧乏だ。
大公家を頂点に一応爵位による序列はあるけど、侯爵家も男爵家も内情はそう変わらない。
領主とは言っても名ばかりで、領地から上がる租税など微々たるものだ。
ひとたび天災にみまわれたら租税などたちまち吹っ飛んで、むしろ地面に食い込むほど足りない。
それは大公家以外の、どんな爵位の家でも似たようなものらしい。
落ちた橋の架け替えや道路の復旧、がれきの後始末等々。
いざという時のためにと、領主はいつも質素な生活をしていた。
だから領民は、自主的に自治会積立金なるものを作っている。
大きな天災や、まとまった金額の必要な事態には、領主とともに物資や金銭を供出しているような有様だ。
そんな中でペロー家は、近隣領主に比べるとまだマシな方だと評判だ。
デキる領主が家を切り盛りするようになって、領地の上がりは格段によくなったのだと。
けれど悪口もしょっちゅう聞かされた。
あまり大きな声ではいえない事業にまで手を出しているとか、血も涙もない女だとか。
それでもその母のおかげで、エリーヌは貴族令嬢として最低限の教育を受けられた。
社交の場に出て恥ずかしくない身だしなみも、調えてもらったのだ。
「おかあさんは血も涙もないって言われたわ」
外で侮辱されたのが悔しくて、母に泣きついたことがある。
「言いたいヤツには言わせておけばいいの」
母は平然としていた。
(ふつうのおかあさんなら、慰めてくれるんじゃないの?)
エリーヌは不満だった。
だってエリーヌには母しかいないのだ。
父はいなかった。
エリーヌがものごころついた時には、もう既にいなかったと思う。
母に尋ねると、「いるわよ。当たり前じゃない」と短い不機嫌な返事があった。
そこから先はとても聞ける空気ではない。
ヘルムダールでは女性が当主に立つのは当然のことで、母がペロー家を継いだから父は婿としてこの家に入ってきたという。
踊り場には肖像画が飾られているし、父の部屋は毎日掃除されている。
だから亡くなったわけではないらしい。
――――隣の領主と暮らしている。
風の噂でそう聞いた。
ああきっと、母はでき過ぎたのだ。
綺麗なだけなら良かったけど、でき過ぎたから父は出て行ったのだと思った。
綺麗でかわいらしいおばかさんじゃなかったから。
エリーヌは悔しかった。
皆が当たり前に持っている両親を、自分は持てない。
母が恨めしかった。
自分はけして母のようにはなりたくない。
エリーヌだけを溺れるほど愛してくれる男に、一生傅かれて暮らすのだ。
ヘルムダール大公夫妻には、エリーヌと同じ年齢の娘がいるらしい。
大公夫妻は美男美女でこれ以上ないくらい夫婦仲が良く、その間にできた娘を溺愛していると。
エリーヌは、なんだか腹が立った。
同じヘルムダールの血を継ぎながら、なんという違いだろう。
直系公女は両親に愛されて、大きなお城で贅沢三昧しているに違いない。
不公平だわ。
毎日毎日そう思い暮らしていた。
ある晩、夢をみた。
不思議な、不思議な夢。
目が覚めて、知った。
いや思い出した。
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