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第三章 シモンの章(シモンEDルート)
36. 君の望みをかなえてあげる
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ドキドキ、わたわた、とにかく動揺しまくって、何をどう話したのか。
ここ数時間のことを、パウラはまるで覚えていない。
ボクハモウ、キミヲニガシテアゲラレナイ。
意味をなさない音の連続にすぎないフレーズが、頭の中をぐるぐる回る。
「……ラ。
パウラ」
耳元に暖かい湿度を感じて、はっと我に返る。
「着いたよ、そろそろだ」
その声に下を見ると、なるほどそこは陸の孤島と化した被災地だった。
四方を山に囲まれた山間の集落は、そのほぼ中央を流れる小さな川に沿って畑があったようだ。
ところどころにかろうじて残る小麦の穂が、無残に水浸しになって、かつてはそこが麦畑だったのだと教えてくれる。
川から少し離れた場所に建てられた家屋には、それほど大きな被害がないようだ。
多少の汚れやひび割れはあるのだろうが、ほぼ無傷に見えた。
土砂崩れも、幸い村を襲ってはいない。
「一番の問題は、山の幹線路が崩れたことですのね?」
資材を運び込むことが難しいため、復旧にはかなりの時間が必要だろう。
川の水はまだ濁っていて、そのまま飲み水にするのは難しい。
濾過して煮沸すればなんとかなるだろうか。
井戸水はある?
あったとして、使えるのだろうか。
酷い現実を目の前に、パウラの頭は冷静さを取り戻す。
持ってきた水や食糧では、到底足りるとは思えなかった。
火をおこして、大鍋を用意しなくては。
水を煮沸して、それから炊き出しの用意をして……。
「明日から少しづつでも、こちらの方々に避難していただきましょう」
物資を運んできた飛竜3頭に、それぞれ2人づつ乗せてもらって、セスランたちのいる集落まで運ぶ。
あちらはここよりも、かなりマシだ。
じきに大公家より救援物資と人手が届くだろう。
「そうだね。
そうしよう」
いまだ飛竜の背にあるパウラとシモンは、向かい合って話すことができない。
けれど声だけでわかる。
シモンは今、きっと笑っている。
とても素直に。
「とりあえず今夜の野営地を決めないと。
水かさは落ち着いてきてるようだけど、まだ安心できないからね。
川から離れた高台にしよう」
飛竜を下りた二人は、被災地域のはずれにある小高い丘の上に、幕営を張った。
3人用のテントは非常用のとても小さなもので、雨風をしのぐだけがやっとの粗末さだったが、贅沢は言えない。
被災地支援の物資を持って集落を訪れた後、村長と明日からの打ち合わせを済ませる。
日も暮れかかる頃になって、ようやく野営地に戻った。
火に鍋をかけて息をつくパウラの背を、シモンがそっと抱きしめた。
「ああ、やっと邪魔されない。
僕がどれだけこうしたかったか。
パウラは知らないよね?」
ビーズの玉のような携帯燃料が、図体に不似合いの大きな炎をあげる。
ぱちんと爆ぜるビーズの玉が、花火のように小さな光を飛ばして夕闇に溶けてゆく。
「じっとしてて、パウラ。
少しだけ、このままで」
言われなくとも、動けない。
これが敵であれば、師匠のナナミに教わったイッポンゼオイをかけていたところだ。
けれどどうしてだか、腕はおろか指先すら動かせない。
シモンの胸に触れた背中が熱くて、身体全部がガチガチに硬直している。
「良かった。
嫌われてはいないようだ」
ほうっとシモンが吐いた小さなため息が耳をくすぐって、体中の血が一気に頭に上る。
「っっっ………。
あのシモン様、その……、離れていただけませんか?」
うわずった声、やっとの思いで口にする。
「いやだ」
即座に返される。
「す……少しだけと、おっしゃいましたわ」
「また後で、こうしていいと言ってくれるなら。
だったら離してあげるよ。
いい?」
とにかく頭を冷やしたいパウラは、反射的に頷く。
離れなければと、そればかりが頭を占める。
「約束だからね、パウラ」
あからさまに残念そうに腕をといたシモンは、何を思ったかテントの前に置いた荷物をごそごそと探り始めた。
「ああ、これだ」
シモンが取り出したのは、小さな小さな金色の缶。
それがパウラの遠い記憶を刺激した。
見覚えがある。
でもどこで?
折り畳みの三脚に吊るされた鋳物の鍋に、シモンは視線をやった。
派手に白い湯気を上げる青い鍋から湯をすくうと、簡易な小ぶりのポットに注ぐ。
「はい、どうぞ」
差し出された鋳物のカップには、琥珀色の液体がたぷんと揺れていた。
果物のようなさわやかな香りが、パウラの鼻腔をくすぐった。
これ……。
「ヴェストリーで手に入れたんだ」
ヴェストリーで手に入れたお茶の葉。
その地名と茶葉を、パウラは覚えている。
遠い遠い記憶。
これは前世の記憶。
「シモン……、まさか、あなたも……」
思わずこぼれた問いかけ。
「君、僕を見てるの?
なんのために?」
薄紅の形の良い唇が、ゆるりと歌うように言葉を紡ぐ。
「喜ばせたいの?
僕を?」
白い光が、パウラの頭の中で弾けた。
輝く銀の宮。
あれは聖女オーディアナとして暮らした、パウラの宮の四阿だ。
大理石のテーブルに白磁のティーセット。
カップには、ヴェストリーのお茶が揺れている。
「ほ……かに……、誰を喜ばせるんですの?」
記憶の中の自分の言葉を口にした。
ああ、間違いない。
シモンは、あれを覚えている。
「ひどいね、パウラ。
僕をおいて、一人で行こうとするなんて」
冷たい指が、パウラの顎を捕らえる。
泣きだしそうな淡い緑の瞳が、射るような激しさと熱をもってパウラを貫いて。
その腕がパウラをかき抱く。
まだ少年の匂いを残す、しなやかにほっそりとしたシモンの身体。
どこにこんな力があるのかというほどに、彼の腕の力は強く。
「許さないよ。
もう次は、絶対に許さない」
熱に浮かされたようなシモンの激情に、パウラは翻弄されるばかり。
思い出したお茶の記憶。
あの場面が、シモンの執着の理由だとは理解した。
けれど彼は、一度もそれらしきことを、彼女に告げたことはない。
どうしてこんな、長い長い時間離れていた恋人に会えたような、そんな激しい気持ちを向けるのか。
「なぜですの?
なぜそんなに。
わたくしとあなた、そんな関係ではありませんでしたわ」
腕の中から顔を上げて、淡い緑の瞳に問いかける。
途端、シモンの顔が歪んだ。
「言ったら受け容れてくれた?」
「…………」
「こんな気持ちになるの初めてだったから。
すぐに忘れてしまうんだろうと、僕だって思ってたよ。
それまでそうだったように、すぐに忘れるって」
自嘲気味に苦笑して、シモンは続けた。
「でもね、忘れなかった。
黄金竜の泉地を出て、黄金竜の郷に行っても、忘れられなかった。
毎日、毎日、君を見ていたよ、パウラ」
どくん!
心臓が跳ね上がる。
これ以上はないほど真剣な、思いつめたシモンの顔。
初めて見た。
告白されるとは、こんなにもドキドキするものか。
そして嬉しいものなのか。
「好きだよ、パウラ。
僕の……」
言いかけたその先を、パウラは首を振って拒んだ。
「わ……たくし、もう黄金竜の泉地にも黄金竜の郷にも、関わりたくありませんの」
シモンの告白にぐらぐらしている理性を、パウラはなんとか立て直そうと足掻く。
ほだされてはならない。
初めての告白に、ちょっとばかりのぼせているだけなのだ。
近い未来に水竜となる男にほだされれば、黄金竜の郷に縛り付けられる。
そんなことになれば、黄金竜や竜后オーディアナに関わらないで穏やかに生きる望みは、永遠に断たれてしまう。
「関わらせなければいい」
低温の抑揚のない声が降る。
「何万年も好きにしてきたんだ。
やつらに文句は言わせない」
辺りの空気の温度が一気に下がる。
ぞくりとする冷気と殺気が、パウラの肌をビシビシと叩いた。
シモンはいったい何を言っているのだろう。
やつらとは、黄金竜と竜后オーディアナのこと?
「変わらないものなんかない。
それは人の世も、竜の世も同じさ。
いつまでも黙って従うわけない。
そんなこともわからないんだからね」
「な……にをするつもりですの?」
「君の望みをかなえてあげる。
ただそれだけのことだよ」
ここ数時間のことを、パウラはまるで覚えていない。
ボクハモウ、キミヲニガシテアゲラレナイ。
意味をなさない音の連続にすぎないフレーズが、頭の中をぐるぐる回る。
「……ラ。
パウラ」
耳元に暖かい湿度を感じて、はっと我に返る。
「着いたよ、そろそろだ」
その声に下を見ると、なるほどそこは陸の孤島と化した被災地だった。
四方を山に囲まれた山間の集落は、そのほぼ中央を流れる小さな川に沿って畑があったようだ。
ところどころにかろうじて残る小麦の穂が、無残に水浸しになって、かつてはそこが麦畑だったのだと教えてくれる。
川から少し離れた場所に建てられた家屋には、それほど大きな被害がないようだ。
多少の汚れやひび割れはあるのだろうが、ほぼ無傷に見えた。
土砂崩れも、幸い村を襲ってはいない。
「一番の問題は、山の幹線路が崩れたことですのね?」
資材を運び込むことが難しいため、復旧にはかなりの時間が必要だろう。
川の水はまだ濁っていて、そのまま飲み水にするのは難しい。
濾過して煮沸すればなんとかなるだろうか。
井戸水はある?
あったとして、使えるのだろうか。
酷い現実を目の前に、パウラの頭は冷静さを取り戻す。
持ってきた水や食糧では、到底足りるとは思えなかった。
火をおこして、大鍋を用意しなくては。
水を煮沸して、それから炊き出しの用意をして……。
「明日から少しづつでも、こちらの方々に避難していただきましょう」
物資を運んできた飛竜3頭に、それぞれ2人づつ乗せてもらって、セスランたちのいる集落まで運ぶ。
あちらはここよりも、かなりマシだ。
じきに大公家より救援物資と人手が届くだろう。
「そうだね。
そうしよう」
いまだ飛竜の背にあるパウラとシモンは、向かい合って話すことができない。
けれど声だけでわかる。
シモンは今、きっと笑っている。
とても素直に。
「とりあえず今夜の野営地を決めないと。
水かさは落ち着いてきてるようだけど、まだ安心できないからね。
川から離れた高台にしよう」
飛竜を下りた二人は、被災地域のはずれにある小高い丘の上に、幕営を張った。
3人用のテントは非常用のとても小さなもので、雨風をしのぐだけがやっとの粗末さだったが、贅沢は言えない。
被災地支援の物資を持って集落を訪れた後、村長と明日からの打ち合わせを済ませる。
日も暮れかかる頃になって、ようやく野営地に戻った。
火に鍋をかけて息をつくパウラの背を、シモンがそっと抱きしめた。
「ああ、やっと邪魔されない。
僕がどれだけこうしたかったか。
パウラは知らないよね?」
ビーズの玉のような携帯燃料が、図体に不似合いの大きな炎をあげる。
ぱちんと爆ぜるビーズの玉が、花火のように小さな光を飛ばして夕闇に溶けてゆく。
「じっとしてて、パウラ。
少しだけ、このままで」
言われなくとも、動けない。
これが敵であれば、師匠のナナミに教わったイッポンゼオイをかけていたところだ。
けれどどうしてだか、腕はおろか指先すら動かせない。
シモンの胸に触れた背中が熱くて、身体全部がガチガチに硬直している。
「良かった。
嫌われてはいないようだ」
ほうっとシモンが吐いた小さなため息が耳をくすぐって、体中の血が一気に頭に上る。
「っっっ………。
あのシモン様、その……、離れていただけませんか?」
うわずった声、やっとの思いで口にする。
「いやだ」
即座に返される。
「す……少しだけと、おっしゃいましたわ」
「また後で、こうしていいと言ってくれるなら。
だったら離してあげるよ。
いい?」
とにかく頭を冷やしたいパウラは、反射的に頷く。
離れなければと、そればかりが頭を占める。
「約束だからね、パウラ」
あからさまに残念そうに腕をといたシモンは、何を思ったかテントの前に置いた荷物をごそごそと探り始めた。
「ああ、これだ」
シモンが取り出したのは、小さな小さな金色の缶。
それがパウラの遠い記憶を刺激した。
見覚えがある。
でもどこで?
折り畳みの三脚に吊るされた鋳物の鍋に、シモンは視線をやった。
派手に白い湯気を上げる青い鍋から湯をすくうと、簡易な小ぶりのポットに注ぐ。
「はい、どうぞ」
差し出された鋳物のカップには、琥珀色の液体がたぷんと揺れていた。
果物のようなさわやかな香りが、パウラの鼻腔をくすぐった。
これ……。
「ヴェストリーで手に入れたんだ」
ヴェストリーで手に入れたお茶の葉。
その地名と茶葉を、パウラは覚えている。
遠い遠い記憶。
これは前世の記憶。
「シモン……、まさか、あなたも……」
思わずこぼれた問いかけ。
「君、僕を見てるの?
なんのために?」
薄紅の形の良い唇が、ゆるりと歌うように言葉を紡ぐ。
「喜ばせたいの?
僕を?」
白い光が、パウラの頭の中で弾けた。
輝く銀の宮。
あれは聖女オーディアナとして暮らした、パウラの宮の四阿だ。
大理石のテーブルに白磁のティーセット。
カップには、ヴェストリーのお茶が揺れている。
「ほ……かに……、誰を喜ばせるんですの?」
記憶の中の自分の言葉を口にした。
ああ、間違いない。
シモンは、あれを覚えている。
「ひどいね、パウラ。
僕をおいて、一人で行こうとするなんて」
冷たい指が、パウラの顎を捕らえる。
泣きだしそうな淡い緑の瞳が、射るような激しさと熱をもってパウラを貫いて。
その腕がパウラをかき抱く。
まだ少年の匂いを残す、しなやかにほっそりとしたシモンの身体。
どこにこんな力があるのかというほどに、彼の腕の力は強く。
「許さないよ。
もう次は、絶対に許さない」
熱に浮かされたようなシモンの激情に、パウラは翻弄されるばかり。
思い出したお茶の記憶。
あの場面が、シモンの執着の理由だとは理解した。
けれど彼は、一度もそれらしきことを、彼女に告げたことはない。
どうしてこんな、長い長い時間離れていた恋人に会えたような、そんな激しい気持ちを向けるのか。
「なぜですの?
なぜそんなに。
わたくしとあなた、そんな関係ではありませんでしたわ」
腕の中から顔を上げて、淡い緑の瞳に問いかける。
途端、シモンの顔が歪んだ。
「言ったら受け容れてくれた?」
「…………」
「こんな気持ちになるの初めてだったから。
すぐに忘れてしまうんだろうと、僕だって思ってたよ。
それまでそうだったように、すぐに忘れるって」
自嘲気味に苦笑して、シモンは続けた。
「でもね、忘れなかった。
黄金竜の泉地を出て、黄金竜の郷に行っても、忘れられなかった。
毎日、毎日、君を見ていたよ、パウラ」
どくん!
心臓が跳ね上がる。
これ以上はないほど真剣な、思いつめたシモンの顔。
初めて見た。
告白されるとは、こんなにもドキドキするものか。
そして嬉しいものなのか。
「好きだよ、パウラ。
僕の……」
言いかけたその先を、パウラは首を振って拒んだ。
「わ……たくし、もう黄金竜の泉地にも黄金竜の郷にも、関わりたくありませんの」
シモンの告白にぐらぐらしている理性を、パウラはなんとか立て直そうと足掻く。
ほだされてはならない。
初めての告白に、ちょっとばかりのぼせているだけなのだ。
近い未来に水竜となる男にほだされれば、黄金竜の郷に縛り付けられる。
そんなことになれば、黄金竜や竜后オーディアナに関わらないで穏やかに生きる望みは、永遠に断たれてしまう。
「関わらせなければいい」
低温の抑揚のない声が降る。
「何万年も好きにしてきたんだ。
やつらに文句は言わせない」
辺りの空気の温度が一気に下がる。
ぞくりとする冷気と殺気が、パウラの肌をビシビシと叩いた。
シモンはいったい何を言っているのだろう。
やつらとは、黄金竜と竜后オーディアナのこと?
「変わらないものなんかない。
それは人の世も、竜の世も同じさ。
いつまでも黙って従うわけない。
そんなこともわからないんだからね」
「な……にをするつもりですの?」
「君の望みをかなえてあげる。
ただそれだけのことだよ」
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