伯爵令嬢ですが、電話交換手をやってます。目標はバリキャリなのに、溺愛されちゃいました

yukiwa

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第三章 副局長になっちゃいました

18.この女を愛せるのですか?

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 出勤初日から、アンバーは時間外労働をする羽目になった。
 いや、なったというのは適切じゃない。どちらかといえば、人手不足にあえぐ現場を見るに見かねて、アンバー自ら現場に立ったのだ。それならこれは、自ら時間外労働に志願したというべきだ。
 午後六時までにピークは過ぎると局長は言っていたけれども、今日は八時になっても忙しかった。呼び出しランプの点灯は八時半を過ぎても続いた。
 結局、九時前までアンバーは交換台の前に座っていた。

「今日のあなたの働きには、心から感謝します。でも今後はできるだけ控えてください。現場に人が足らないのはいつものことです。どれだけあなたが優秀でも、所詮は一人力いちにんりきなのですよ。根本的な解決をすることこそ、副局長の仕事です」

 完了報告を上げたアンバーが交換台を離れた後、クラーク局長がそっと小さな声で言った。
 おっしゃるとおりだ。一言も言い返せない。

「申し訳ありません」
「いいえ、最初に言ったでしょう? 今日はありがとうと。とても助かりました。みんなも感謝しているでしょう」

 しゅんと萎れるアンバーに、クラーク局長は優しい微笑で応えてくれる。
 局長の勤務時間はとうに終わっているというのに、彼だってこの時間まで残っていたのだ。手こそ出していないけれど、気持ちはアンバーと同じだったのだとわかる。
 本当にいい上司だ。心が温かくなる。


 職場と同じ敷地内にある自宅、マクレーン邸に戻った時、アンバーはかなりヘロヘロだった。
 初日からとばしすぎた。
 食事はお昼に食べたきり。とても夕食をとる暇などなかった。
 ローリーはまだ起きているだろうかと思いながら、二階へ続く階段を上がっていると。

「あ、今帰ってきたんですか? 丁度良かったです。 軽いごはんを作ってあるんです」

 あー、今は勘弁してもらいたい声が階下から。
 ローリーが言うには、その声の主は二十二歳、アンバーよりふたつ上だという。

(その割にはなんというか幼い喋り方ね)

 夫ユーインは二十五歳だから、エイミーとは三歳違いかとぼんやりと思う。

「こんな遅い時間に厨房を起こすの、かわいそうじゃないですか?」

 エイミーはとととっと軽やかなステップで階段を上り、アンバーの前に彼女の「軽いごはん」を突き出した。

(え? これはなに?)

 どろどろの糊のような何かが、深い皿にたっぷり盛られていた。なんだか腐った魚のような、気持ちの悪い臭いがする。
 
(もしかしたらマクレーン領の郷土料理かもしれないし……)

 気持ち悪いと素直に口にしたら、また面倒なことになるとアンバーは思う。
 正直なところ空腹だった。けれどこれを食べるかと聞かれたら、迷わずNoだ。
 それにエイミーに気安く声をかけられるのには、いらっとしないではいられない。エイミーの立場なら、「若奥様」と呼ぶのが正しい。間違ってもアンバーの名を呼ぶなど、あってはならないのに。
 疲れて帰ってきて、一番最初に聞く声がなぜ彼女の声なのだ。
 ため息をつくのも腹立たしくて、ぐっとお腹に力を入れてアンバーは不快感に耐える。

(無視する?)

 アンバーはそう自分に問うた。
 マクレーン辺境伯夫人の立場なら、夫の愛人だか妹のようなものだとか、とにかく正式には認められない存在である彼女の無礼を、叱責してもいいはずだ。黙殺で赦してやるだけ寛容かもしれない。

(決めた。無視しよう)

 エイミーに一瞥もくれず、アンバーは階段を昇りきる。

「ひどいです。せっかくアンバー様のために作ったのに」

 思ったとおり、エイミーは涙声でぐすぐすやりだしたけれど、アンバーは足を止めなかった。
 叱責にせよ、注意にせよ、なにかしらの言葉を彼女に与えるのが面倒だった。
 泣きたければ泣いていろと、開き直ってもいた。
 だいたいどうしてエイミーが、ここ本館にいるのだ。東の館に住まわせると、ユーインは言っていたはずなのに。
 
(約束は約束だわ。明日にでもユーイン様に厳しく言わなくちゃ)

 おそらくはウソ泣きに違いないエイミーの涙声に、ただでさえ疲れた頭がズキズキと痛む。
 さっさと部屋へ帰ろうと足を速めた時、元凶である夫ユーインが現れた。


「なにを騒いでいる?」

 手燭を持ったユーインは、見慣れたナイトガウンを羽織った姿だった。

「ユーイン様、わたしアンバー様が帰って来るのに気がついて、食事を作ってきたんです。そしたら要らないって、ひどいことを言われて」

 ぐすぐすとしおらしく泣き続けるエイミーに、アンバーはあきれ果てる。
 
(全部が嘘とは言わないけど、かなり脚色してる。特に後半は、嘘だわね)

「夜食なら厨房が用意する。エイミー、おまえが心配することじゃない」

 冷ややかな声には苛立ちが含まれている。
 時々アンバーは思う。
 本当にエイミーは、ユーインとそういう仲なのかと。
 それにしてはユーインの態度が、やけに冷たいのだ。

「ここには近づくなと、俺はそう言わなかったか?」

 重ねて問いただすユーインに、エイミーは階段を駆け上がって抱きついた。

「だって母さんから、ユーインを頼むって。わたし言われ続けてきたんだもの。母さんは最後までユーインのこと、気にしてた。娘のわたしが母さんの言いつけに背けると思うの?」

 何度も「母さん」と繰り返すところをみると、どうやらそれがユーインには効果的な言葉なのだろう。
 ちらりと彼の顔を見ると、思ったとおりだ。苦し気に眉を寄せて、唇を引き結んでいる。
 
「ユーインは母さんを捨てたけど、母さんはユーインのことをいつも信じてた。私とユーインと母さんと、三人で暮らしてた頃が一番幸せだった」

 涙に濡れたエイミーの瞳は、いかにも純粋に養母のことを思っていますという風だったけれど、ユーインを呼び捨てにしてすがりつくあたり、絶対にわざとアンバーに見せつけている。
 そして急に敬語を外した昔語りは、当時の事情を知らないアンバーでさえ、それがユーインにとって思い出したくない過去なのだとわかる。その過去をほじくり返すことは、きっとユーインの罪悪感を刺激する。

(嫌な女だわ)

 アンバーは、本能的に嫌悪を覚える。
 相手の最も柔らかい弱いところに、確実に刃をつきたててぐりぐりと抉りとるような真似をする女。

(いったい何がしたいのかしら?)

 これでユーインの心が得られると思うのだろうか。
 アンバーが思うに、むしろ逆効果だ。弱いところを攻撃するような女を、好きだとか愛しているとか思えるものか。
 ユーインはきっと嫌悪感を露わにしているはず。
 そう思って彼の顔を見て、アンバーは驚いた。

 薄い青の瞳から生気が消えていた。
 感情も思考も投げ出したように、うつろな表情だけがそこにある。
 抱き着いたエイミーを突き放すでもなく、ユーインはただされるがまま棒立ちになっていた。
 まるで大きな人形のようだ。
 アンバーの背筋に、ぞくりと寒気が走った。
 
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