伯爵令嬢ですが、電話交換手をやってます。目標はバリキャリなのに、溺愛されちゃいました

yukiwa

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第四章 経済支援は領主の務め 

24.毒、抜けましたか?

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 明日商工ギルドに出すラフ仕様を作るからと、フリーは案外早く帰って行った。
 お義母様は残念そうだったけれど、「仕事なら仕方ないわ」とアンバーと一緒に玄関で見送ってくださる。

「じゃあ、アンバー。明日また」

 アンバーの頬にキスを落とす。
 ヴァスキア様の前でもフリーは平気だった。だからアンバーにはいつものことだ。
 でもお義母様は「あらあら」と、嬉しそうな困ったような複雑な表情かおをなさっていた。
 遠ざかる馬車がだんだん小さくなって、夜の闇に消える。

「東の館、どうやらお客様のようね」

 ちらりと東の方へ視線をやって、お義母様は薄く微笑んでおいでだ。

「わたくしは先に休みます。アンバーは好きになさい」
「はい、お義母様。おやすみなさいませ」

 実は食事の間中、東へ向かったユーインをアンバーはずっと気にしていた。
 まだ毒の抜けていないユーインに、東の館は危険すぎると思ったからだ。
 お義母様の背中をお見送りして、アンバーは素早く玄関扉を開けて表に飛び出した。
 付き添いはつけない。
 おそらく誰かに見られていい現場ではない。簡単に想像がつくから。

 小走りで五分ほどの距離に、古い石造りの館があった。
 メンテナンスが行き届いていないらしく、壁のあちこちに苔が生えて雨や風の汚れがこびりついている。それでも十分すぎる広さと作りだ。少なくともアンバーが住んでいた官舎より、よほど立派だと思う。
 その玄関のすぐ側に、騎士のものらしい馬が五頭ほど繋いであった。
 
(マクレーンの騎士のものじゃない?)

 鞍についている紋章が違うのだ。マクレーン家のものではなかった。

(あれは……)

 王都の騎士団のものだ。
 嫌な予感がする。
 騎士団が本館を訪ねてこない理由はひとつ。人目をはばかることだからだ。
 その彼らが東の館にいるとなれば、エイミーが何かしでかしたにちがいない。


「だからわたしはなんにも知りませんって、さっきから言ってますよね?」

 玄関扉の向こうから、高いヒステリックな声がした。
 ああ、やはりだ。
 母といいエイミーといい、アンバーの苦手な女はどうして同じような声を出すのだろう。
 知らないうちに眉が寄り、嫌なため息が漏れる。だけど嫌だからといって、引き返すことはできない。
 この嫌な声を浴びせかけられているユーインが、アンバーにはとても心配だ。
 覚悟を決めて、扉を開けた。

「アンバー、なぜ来たんだ?」

 すぐにユーインが飛んできて、アンバーの視界を自分の大きな身体で覆い隠す。

「お客様がおいでになっているようなので、気になって」

 本館から見えたわけじゃないけど、「東のあたりが騒がしい」とお義母様は気づいておいでだった。だから嘘ではない。
 ……ということにしておく。

「私は王都第一騎士団長ディラン・アストファルガーと申します。お騒がせして申し訳ない」

 浅黒い肌に黒い瞳が印象的な騎士団長は、短く刈り込んだ黒髪がいかにも武闘派っぽい。
 年のころはおそらく三十少し前くらい。
 ユーインと同じくらいの背丈に、がっしりした筋肉質の立派な身体をしている。

「アンバー・ケイシー・マクレーンでございます。アストファルガー様には、お初にお目にかかります」

 第一騎士団長アストファルガー閣下のお名は、面識のなかったアンバーでも知っている。
 王都には3つの騎士団があってそれぞれに騎士団長がいるけれど、最上位は第一騎士団長だ。だから騎士団として何かを決めなければならない時には、第一騎士団長が決裁書類にサインをする。
 つまり今アンバーの目の前にいる騎士は、プレイリー王国で一番エラい騎士なのだ。
 確か生家は侯爵家。次男なので別に家を興して、現在の爵位は子爵だと記憶している。

「夫人には一度、協力をお願いしたことがあります。憶えておいでか?」

 笑うと目元に皺が幾筋か刻まれる。それが騎士団長のいかつい印象を和らげて、少し優しい感じにしてくれる。

「マクレーン辺境伯家あての通信についてです。誘拐事件の」
「はい。よく憶えております」

 あの時アンバーは騎士団長の署名の入った許可状を見せられて、捜査に協力したのだ。
 重大な犯罪に関わる事案なので、業務上知りえたことを余さず話してほしいという要請だった。

(あの時の誘拐事件の捜査でここに?)

 思いついて、ああそうかもしれないと納得する。
 エイミーの誘拐事件について、アンバーも変だとは思っていたのだ。
 誘拐犯はとても重い罪に問われる。同じ危険を冒すのなら、使用人ではなく家族を狙うはずなのにと。

「あの時の犯人を捕らえたのですが、共犯者としてこちらの女性の名が挙がってきたんですよ」

 語尾まではっきりした騎士団長の言葉は、聞いていて爽快だった。
 きっとこの人は、嘘に最も遠い世界で生きているのだろうとアンバーは思う。

「だから違うって言ってるでしょう? わたしは被害者ですよ? どうしてそんなひどい言いがかりをつけるの?」

 第一騎士団の屈強な騎士に、エイミーは腕をねじり上げられている。
 相当痛いだろうに、赤毛を振り乱してきゃんきゃん威嚇し続けている。

「わたしはマクレーン辺境伯家の恩人よ? とても親しい関係なの。たかが騎士風情がわたしに手を上げるだなんて、ユーインが黙っていないわ」

(うわ! すごい、この毒女)

 アンバーは怒るより、呆れた。
 恩人とか、とても親しいとか、極めつけは「騎士風情」だ。
 自分をどれだけ尊いと思っているのだろうか。自らを省みるとか、身の丈を知るとか、そういう言葉は彼女の辞書にはないのか。

(たぶんないんでしょうね)

 前世の職場にも、同じようなのがいた。
 他人のことをブスだとか頭が悪いとか言い散らす女。
 じゃあ自分はどうなのかというと、縦は小さく百四十センチそこそこだ。反対に横は大きくて、推定体重九十キロ近くあったと思う。
 頭が良いか悪いかは一概に言えないけれど、社内認定資格試験を連続で5回は落ちていた。
 ああいう手合いは自分に限りなく甘い。
 世界で一番美しいのはあなただと、そう言ってくれる魔法の鏡を心の中に持っているのかもしれない。

「たかが騎士風情の俺には、おまえを逮捕する権限がある。これ以上騒げばもう少し痛い目にあってもらうが?」

 皮肉な笑いを唇の端にためて、アストファルガー騎士団長は低い声で静かに聞いた。
 いや、聞いたなんて穏やかなものじゃない。脅しだ。

「この女には余罪があるかもしれません。ご当家に関わるデリケートな問題なので、できれば確証を得てからマクレーン閣下にお話ししたいのです。しかし少なくとも今回の誘拐事件については証拠が揃っていますので、このまま王都へ連行します」

 騎士団長はユーインの方へ向き直り、淡々と説明する。
 決定事項だ。そんな調子で。

「いやよ、ユーイン。わたしをこいつらに渡すの? 母さんを捨てたみたいにわたしのことも捨てるの? 誰が何を言っても、母さんやわたしだけはユーインを信じてたのに! そんなひどいこと、ユーインはしないわよね?」

 腕をねじ上げられたエイミーは、涙ながらにユーインに訴える。
 伝家の宝刀と、彼女が信じている「母さん」を連発して。
 びくりとユーインの身体が震えるのを、エイミーは見逃さない。

「母さんは死ぬ間際までユーインが助けてくれるって信じてたのよ。あの女、子供もないのに辺境伯夫人の座にい続けたあの女がどんなに虐めても、母さんはいつも言ってた。ユーインが必ず助けてくれるって。でもユーインはこなかったよね? わたしは恨んでないよ? 仕方なかったんだって思ってる。 あの女に逆らえなかったんでしょ? でも今度は違うよね? ユーインは辺境伯なんだから」

 たたみかけてくるエイミーの、耳を塞ぎたくなるほどの虚言と妄言に、アンバーの方が先にぷちんと弾けそうになる。
 頬を叩いて黙らせてやりたかったけれど、それをしてはいけない。
 もしアンバーがここで口を挟めば、ユーインの解毒は先送りになって、いつかまたエイミーに「母さん」を連発されて苦しむことになる。
 心を鬼にして放っておかなくては……。
 騎士団長相手に無理を通すようなら、ユーインはおしまいだ。
 マクレーン辺境伯である資格を、自ら捨てることになる。
 
(でもいきなり自分で毒を断てと言われても、苦しいわよね)

 いまだにハロウズの母の前で、手に冷たい汗をかくアンバーだ。
 毒とわかっていても、長年毒に侵された身ですぐに強気に出ることは難しい。
 だからユーインの震える指先にそっと手を伸ばす。
 きゅっと握った。

(大丈夫だから。きっとできるから)

 ぴくんとユーインの指先が反応して、少しずつ震えがおさまってゆく。
 ふうと、ユーインは大きく息を吐いた。
 
「アストファルガー騎士団長、連れて行ってくれ。この女は我が家とは無縁の者だ。虚言、妄言を喚き散らすが、そのあたりご配慮いただければありがたい」

 落ち着いたテノールの声は、いかにも辺境伯当主に相応しい謹厳なもので。
 はっきりとエイミーの存在そのものを否定した。
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