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「……私の気持ちは、きっと誰にも分からない……村上くんにすら、分からないわよ……」


2人の背中を優しく照らす夕陽が、僕らの歩む道に2つの影を映す。

突然発された昭恵さんの脈絡のない言葉も、その影へと吸い込まれていった。


「えーと…昭恵さんは本当にずっと何のことを言ってるの?」

「私は……隼くんが好きなの。それは分かるでしょ?」

「う、うん…」

やっと目が合った昭恵さんは、これまでの散り散りな会話をようやくまとめてくれる気になったような表情をしていた。

「それで、隼くんは私の気持ちを知りながら弄ばれてるのかと思っちゃうくらい私の心臓に悪いことばかりしてくるの。」

「心臓に悪いこと?具体的には?」

「だから……距離を縮めてきたりとか…自分と話せて嬉しいかって聞いてきたりとか……今だって、こうして優しく話を聞いてくれてるじゃない。…そういうの全部よ…。」

「……近づきすぎたのはごめん。」

「いいのよ。私が意識しすぎてるだけだから。…それに、隼くんは別に思わせ振りな態度を取ってくるわけではないもの。隼くんにはいくらモーションをかけても、菜摘さんにしか関心が無いんだなって……誰の目から見ても明らかだもの。むしろ清々しいくらい、『あ、自分は無理なんだな』って思えるのよね。」


フッと、口元だけ弧を描いた昭恵さんの目は、遠い僕を見つめているようだった。

もちろん昭恵さんの目の前に僕はいるのだが、彼女が見ているのはもっと遠くにいる僕。

…恐らく、菜摘さんと話したり遊んだりしているときの僕。

そんな遠い方の僕を目に映して、昭恵さんは続きを話した。


「分かってるの。いくら頑張ったって、いくら自分を磨いたって、隼くんの気持ちは変わらないって。仮に菜摘さんがいなくなったとしても、隼くんはずっと菜摘さんを追い続けると思う。菜摘さんに叶う女性はいないんだって、嫌なくらいに分かってるの。でも……」


遠くにいる僕を見つめていた昭恵さんの目には、気がついたら大きくて透明な粒が浮かんでいた。

「でも、やっぱり寂しい……心の穴が塞がらないの。…キレイサッパリ諦められたらいいのに…諦めるしかないって分かってるのに、心からいなくならないの。だから寂しいの……虚しいの…もう発狂したくなるくらい、胸が苦しくて締め付けられるの……」


そう言って昭恵さんは自分の胸の前でキュッと小さく手を握った。

その手が少し震えているのが見えた。

小刻みに揺れ動く手が何を表しているのかを考えていると、隣で小さくしゃくり上げる声が聞こえてきた。

昭恵さんが、静かに涙を流していた。

その涙があまりにも静かなので、僕はまた思わずその頬に見入ってしまっていた。

彼女の両目から止めどなく溢れる涙は、彼女の両頬を静かに伝って落ちて行く。

その流れる様は、まるでいつものルートを辿っているようにも見えた。

丁度、晴れの日は乾いて跡だけが残っている砂の溝が、雨の日だけ、小さな小川になるかのように。

雨の日に自分たちが流れるべきルートをきちんと知っている水たちが、静かに、そして規則正しく彼女の頬を流れている。


この様子を見るに、彼女は何度も泣いたのかもしれないなと思った。

そしてその原因は自分にあるのだなと、僕はぼんやりと考えていた。
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