異世界で森の隠者のヒモになります。

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10.第二森人の再来

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 木の扉を開けると、湿度の高いひんやりとした風が入り込んで来た。雨が降ると言っていたのは本当らしい。ぽっかりと拓けた空間の真上にある空は灰色に曇っていた。

 手を大きく横に開いて大きく息を吸い、手の前でクロスさせて細く長く吐き出す。
 それを数回繰り返して、ぐるぐる空回るばかりの頭をリセットする。

 ついでに大きく天に向かって伸びをした。次はんーっと声を上げて、今度は左右に腕を伸ばす。
 軽くストレッチしただけでも、固まっていた身体とともにほんの少しリフレッシュが出来た気がする。
 謎魔法でいつも綺麗なシルの家の中は密室でも空気がこもることはないが、気分的な問題だ。

「…………ん?」

 そろそろシルは帰って来るだろうかと森の方に視線を移して、そこに変なものを見つけた。正確には、こんな場所にある――いるはずのない生き物。

「え、人間?」

 それなりの距離はあるからはっきりとは顔貌は分からないものの、明らかに人型の生き物だった。おそらく、それなりに体格のいい男。
 なんであんなところで止まってるんだろうと首を傾げ、そういえば許可のない人間は結界の中に入れないと言っていたことを思い出す。
 シルはセコムを兼ねてるんだなあ、なんてしみじみしてしまう。

 逃げるか否か。

 あそこにいる人間が善人かどうかを悠斗が判断する術はないし、そもそもこの結界はシルのものだからどうすることもできない。

「帰って来たシルに言えばいいか……?」

 はた、と思い出す。
 セコムといえば、警報音が鳴っていない。鳴っていないが、この間の警報音はあの人間なんじゃないかと。
 また来た時に面倒だから音をオフにしておくくらいの芸当はシルなら片手間にやってしまうだろう。音がしないで直にシルに情報が行くまである。

 ――と、いうことは。だ。



「――――悠斗、なんで外にいるの」



 そう。
 侵入者に気づいたシルが帰って来ることは、容易に想像が出来た。

 これはヤバい気がすると家の中に逃げ帰る前に、真横からシルの声が聞こえる。逃げ遅れた。ぎぎぎ、と軋んだ音を立てそうな仕草で隣に顔を向ける。聞こえた無感情な声がいつもよりも怒っているように感じられるのは、悠斗のやましさのせいだろうか。

「外の、空気が吸いたくて、扉開けるくらいなら、いいかなって……」

 フードの奥で微かに光って見える薄紫の瞳がじっと悠斗を見て、その視線のいつにない強さにごくりと喉を鳴らす。

「お、怒って……る……?」

 おずおずと問いかけた悠斗に、シルの白銀の睫毛に彩られた薄紫がぱちりと瞬いた。思いもかけないことを言われたとでも言いたげなその様子に、考えすぎかと詰めていた息をそっと吐き出す。
 この顔に怒られたら呼吸が止まりそうな気がした。この世界で助けてくれたシルは、ある意味で悠斗の推しと言える。顔も良いし。
 毎日顔の良さを浴びて来た悠斗は、いつでもシルに対して『顔が良ければ全てが許される』の理論を持っている。

「怒ってない」
「なら……よかった。ごめん、なんか人がいて、びっくりしちゃって」
「――――うん」
「あれ、この間の、警報の人?」
「――そう。追い返したんだけど、思ったより早かった」

 どうやって追い返したのか気になるところだが、それよりも結界の外で手を振っている男の方が問題だ。
 シルがいることに気づいたらしい男が見えない結界に拳をぶつけている。音の一つも聞こえないそれに効果があるとは思えなかった。とはいえ、放っておいていいのか、悠斗には判断がつかない。

「あれ、どうするの」
「――――悠斗は、どうしたらいいと思う」

 ちらりと男に視線を向け、すぐに悠斗に戻したシルからの想像もしていなかった返しに、悠斗はぽかんと口を開けて見上げた。シルから意見を求められるとは欠片も思っていなかったのだ。この間のように、シルは一人で対処すると思っていた。
 なんの心境の変化なのか。
 はく、と口を何度か動かしてみても、驚きすぎてうまい言葉は出てこない。

 黙ったままの悠斗を薄紫の瞳が変わらず静かに見ている。悠斗が答えるまで動く気はないように見えた。
 ならば、と、思ったままを口にする。

「……悪い、人じゃないなら、話は聞いてみたいけど……でも、シルが嫌なら別に……」
「――――……そう」

 ふう、と吐息が憂いを帯びたように薄く形の良い唇から零れ落ちる。不本意なのかもしれないが、尋ねて来たのは他でもないシル自身だ。

(なんかエロい。いや違うそうじゃない。今はそうじゃない)

 逃避を始めようとする思考をぶんぶんと首を振って追い払う。唐突な悠斗の動きにシルがこてりと首を傾げて悠斗を見下ろしていた。

「やめる?」
「あ、違う違う。話したい」

 そう。話したいのは事実なのだ。
 だから改めて返事をすると、シルは分かったと答えていつもの無詠唱魔法を発動させた。

 顔が判別できない程度に遠くにいた人間を一気に階段下まで転移させるのは、びっくりするからやめて欲しい。男の人だって突然のことに拳を握りしめたまま目を白黒させている。

 驚く男と、困惑する悠斗。
 シルだけが、いつも通りに見えた。
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