ボーイ・イン・ザ・ミラー

園村マリノ

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第一章 

06 騒音

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 凪との待ち合わせを翌日に控え、ケイはタンスからあらゆる夏服を引っ張り出し、鏡の前で合わせていた。
 あくまでも凪の相談事に乗るだけであり、デートするわけではないのだが、ダサい、一緒にいて恥ずかしい、などとは思われたくなかった。

 ──まあ、彼はそこまで気にしないかもしれないけど。

 コツ、コツ、コツ、コツ。

 外で階段を上る足音がした。

 コツ、コツ、コツ、コツ。

 足音はケイの部屋を通り過ぎた後もしばらく続き、やがて離れた所からドアを開閉する音が聞こえた。203あるいは204号室の住民だったのだろう。

 ──いつものとは違うみたいね。

 英田と昼食を取った日の夜に聞こえた大きな足音は、それから毎晩聞こえるようになった。時間帯にばらつきがあり、初めて聞いた時と同じように日付が変わる直前もあれば、深夜二時半頃や四時過ぎだったりもした。せっかく眠っていたのに目が覚めてしまうため、ケイにはストレスとなってきている。
 足音は必ずケイの部屋を通り過ぎた後に止む。隣人の英田が関係している可能性が高そうだが、英田本人の足音なのかはわからない。

 ──今までうるさかった事なんてなかったけどな……。

 少々気は引けるが、一度本人にそれとなく話してみた方がいいのかもしれない。仮に英田が関係しているのだとすれば、あの性格ならば逆ギレなどせず、素直に話を聞いて改善してくれるだろう。
 衣装を決め、皺を伸ばしてからハンガーに掛けていると、玄関のチャイムが鳴った。ドアアイから外を覗くと、英田が立っていた。

「こんにちは! 先日はごちそうさまでした」ケイは明るく出迎えた。

「ううん、こちらこそ……」英田の声には覇気がなく、表情も固く見えた。

「……どうしました?」

「あの……ちょっと話があるんだけど、いいかな」

「ええ、大丈夫ですよ」

 英田は周囲を見回すと声を落とし、

「内容が内容だから、ここだと……良かったら、またうちに来ない?」

「いいですよ……あ、それだったら、今度はこっちで話しましょう」

「あ、本当? ……じゃあ、お言葉に甘えて……」

 英田を部屋に通したケイだったが、服を散らかしたままだという事を思い出した。

「やだ恥ずかしい! 今しまっちゃいますね」

「緋山さんも断捨離中?」

「いえ、ちょっと明日着る服を選んでまして。あ、クッションに座ってどうぞ」

 ケイが服を片付けている間、英田は座りながらその様子をぼんやり見ているようだった。決して不愉快な視線ではなかったが、ケイは何となく落ち着かなかった。

「英田さん、オレンジジュースと麦茶、どっちがいいですか?」

「あ、いやそんなお構いなく!」英田は慌てたように手を振った。

「クーラーの温度は下げなくて平気ですか?」

「うん、平気平気。ありがとね」英田は今日初めて笑顔を見せた。

「悩み事ですか?」

 二人分のオレンジジュースの入ったグラスを運び、ローテーブルを挟んで英田の正面に腰を下ろすと、ケイは早速尋ねた。

「うん……まあ、そうだね」

「わたしで良ければ、なるべく力になります」

 ケイはリップサービスではなく本心からそう言った。五日前に語り合って以来、英田鈴蘭という人間を大切な友人だと思っている。英田自身がケイをどう思っているかはわからない。しかし、少なくともある程度は信用してくれているからこそ、こうやって相談を持ちかけてくれたのではないだろうか。

 ──でも、宗教の勧誘と借金の保証人は流石に無理だな……。

「有難う緋山さん。マジ優しい! あ、いただきます!」

 英田はオレンジジュースを一気に半分飲み、コップをローテーブルに戻すと同時に大きく息を吐いた。

「よっし……決心付いた。内容が内容だから、今の今まで迷ってたんだけどね」

「一体どうしたんですか?」ケイもオレンジジュースを口にした。

「緋山さん……ここ最近、夜中に外廊下を歩く足音を聞いてない?」

 ケイはハッとして英田を見やった。

「ええ。英田さんと一緒にお昼を食べた日の夜から、毎日聞こえます」

「本当!?」

「はい、ちょっと高めの大きい音で。日中ならまだしも、夜中にあれはちょっと迷惑ですね。寝ているのに、音のせいで目が覚めちゃうんですよ」

 そこまで言うと、ケイは英田の様子を窺いながら恐る恐る続けた。

「あの足音……英田さんですか? あるいはお友達とかご家族とか……」

 英田の表情が強張った。

「あ、その、あの足音、いつもうちの前を通り過ぎるとすぐに止んでいたから、てっきり英田さんに関係あるのかと。全然違ったらごめんなさい」

「……関係なくはないんだ。でもわたしの足音じゃないし、友達や実家の両親やおじいちゃんでもないはず。じゃあ誰かと聞かれてもわからない。わたしも迷惑してるし……凄く怖いんだ」

 どういう意味なのかと考えあぐねるケイに、英田は更に続ける。

「昨日、203の長田ながたさんと、204の白石しらいしさんに立て続けに会ったから、二人にも聞いてみたの……足音とドアノブをガチャガチャさせる音がうるさくないか、って。二人共、全然気付かなかった、聞こえた事はないって」

「……え、ドアノブ?」

「多分ね、一階の人たちにも聞こえていないんだと思う。緋山さんだって、聞こえたのは足音だけなんだよね」

「……すいません英田さん、ちょっとわからなくなってきました」

「だよね。ごめん」

「えーっと……英田さんが、何者かに嫌がらせされている……って事ですか?」

「まあ、そういう事になるのかな」

「何者かが夜遅くに英田さんの部屋まで来て、ドアノブを無理矢理回して……あ、もしかして、元カレさん……とか?」

「わたしも最初はそう思った。でも多分違うと思う」

 英田は残り半分のオレンジジュースを一気に飲み干し、グラスをローテーブルに戻したが、手はグラスを掴んだままだった。

「姿は全然見てないんですか?」

 英田は答えず、空になったグラスをじっと見ている。

「……英田さん?」

「いなかった」

 英田はグラスから手を離すと、掌に付いた水滴をTシャツの裾で拭き、ゆっくり話を続けた。

「緋山さんの言う通り、一回目は一緒にお昼を食べた日の夜だったけど、あの日から昨日の夜中までは足音だけだったからあんまり気にしなかったんだ。
 でも、今日の二時半頃は違った。足音が消えたと思ったら、ドアノブをガチャガチャいじられて。怖かったけど忍足でドアまで行って、ドアアイから覗いてみたら……誰もいなかった。ドアノブはガチャガチャ動き続けているのにだよ?」

 信じてほしいと訴えるかのように、英田は身を乗り出しかけた。

「あまりに怖すぎて、ちょっと悲鳴を上げちゃったらピタリと止んだ。警察に通報しようか迷ったけど、やめた。何か直感的に、警察がどうこう出来る問題でもないような気がしたんだ。
 ねえ、足音もだけど、ドアノブの音だってかなりうるさく響くはずじゃない? なのにわたし以外気付かない、聞こえないなんておかしいと思わない?」

 ケイは両腕にぞわぞわと鳥肌が立ってゆくのを感じた。 

「多分……相手は幽霊なんじゃないかなって」

 英田は不気味な程静かに言った。
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