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第四章
10 取引
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〝アイツ〟はフンと鼻で笑った。
「粋がるな、女。普通の人間よりも霊能力が高いというだけで、お前に出来る事など何も──ないと言っている」
ケイが勢い良く振りかざした右腕を簡単に避けると、〝アイツ〟はケイを蹴飛ばした。
「緋山!」
小さく呻いてカーペットの上に倒れ込んだケイの右手から、札を貫通させた矢が落ちた。凪はケイに走り寄ると庇うようにしてしゃがんだ。
「先に言っておくが、そんなちっぽけな玩具は我には効かん」
「だったら素直に刺されろよ」
「やってみるがいい」〝アイツ〟は右手を差し出した。「ほれ、やってみろ」
凪は自分の札に矢を貫通させると、素早く〝アイツ〟の懐に入り込んで喉に突き刺した。罠かもしれなかったが、〝アイツ〟自ら差し出した右手に馬鹿正直に攻撃するよりはマシなのではないかと判断したのだった。
「なっ……」
〝アイツ〟に刺さった矢と札は、急速に朽ちてゆくとボロボロと崩れ落ちてしまった。
「だから言っただろう、効かんと。……黒水晶か」
〝アイツ〟は凪の左手首のブレスレットを掴むと、あっさり引き千切って投げ捨てた。
「女も身に着けているな。お揃いだったのか。そりゃあ悪かったな!」
〝アイツ〟に片手で吹っ飛ばされ、凪は立ち上がったばかりのケイを巻き込みながら倒れ込んだ。
「悪い、緋山」
「そんな事いいわよ。それよりもこれを」ケイは薄い木で出来た形代を取り出した。「まだこれが残っているわ」
「まだ何かあるのか? 仕方ないから付き合ってやるが、あまり無駄な足掻きは──」
「光雅君の姿と声で喋るのやめてくれない?」
ケイは凪と共に立ち上がった。
「他の誰かにしてほしいわね。勿論、わたしたち以外で」
「断る」
「何でよ」
「気に入っているからだ、このガキの姿を」
「ふうん、なるほどね。元の姿があまりに不細工でコンプレックスなのね」
「何とでも言え。そんな口を利いていられるのも今のうちだ」
「あんたもね!」
ケイは形代を足元に落とした。すると次の瞬間、形代から全長六、七〇センチ程の真っ赤な目に真っ白な体毛を持つ鳥が現れ、あっという間に〝アイツ〟に飛び掛かると鋭い嘴で左目を突いた。〝アイツ〟の悲鳴に、ケイは思わず目を逸らして耳を塞いだ。
「緋山」
「わかってる。あいつは光雅君じゃない。でも……」
凪もケイと同じように形代を足元に落とすと、ケイの白い鳥と同じくらいの全長の、頭部に一本の角が生えた全身灰色の獣が形代から飛び出した。
「狛犬だ……」
狛犬は鳥を払おうと暴れる〝アイツ〟に突進すると右足に喰らい付いた。〝アイツ〟から再び大きな悲鳴が上がる。
〝アイツ〟は獣のように咆哮すると、執拗に顔面を狙っていた白い鳥を左手で引き剥がして姿見に投げ付けた。鏡面に叩き付けられ落下した白い鳥は、よろめきながらも立ち上がろうとしたが、再びカーペットに倒れ込むと動かなくなった。
「まずいわ!」
更に〝アイツ〟は身を屈めると、太腿に喰らい付いていた狛犬を引き剥がし、角をへし折り勢い良く踏み付けると、白い鳥の方へと蹴飛ばした。狛犬はピクピクと痙攣していたが、やがて白い鳥と同じように動かなくなった。
「ああ……」
「嘘だろ……」
「酷いじゃないか、ケイ、三塚。服が汚れちゃったよ」
〝アイツ〟は顔中と右足から血をダラダラと流しながらも、ニヤニヤと笑っていた。
「見てよケイ、おれの左の目玉、取れちゃいそうだ」
「……やめて」
「ほら、足もさ、中の肉どころか骨まで見えちゃいそうだ」
「やめて」
「友達だと思っていたのになあ……ケイの事は特別だったのになあ!」
「やめて!」
「やめろ!」
〝アイツ〟は下品な笑い声を上げた。「いやあ、ちっとも痛くも痒くもない。すっかり興醒めだ!」
──そりゃあ嘘だ。
凪は確信していた。白い鳥と狛犬に攻撃されていた時に〝アイツ〟が上げていた悲鳴は演技には聞こえなかった。本当にダメージになっていないのならば、何故血を流す? 何故傷は塞がらない?
「あ……ああ……」ケイはリュックを前で抱えると、怯えながら後ずさった。「もう嫌!」
「緋山……」
「無理よ! やっぱり勝てっこない!」
ケイは震える手でリュックを開けると、何かが入った半透明のレジ袋を取り出した。
「緋山?」
「最初から間違っていたんだわ、素人のわたしたちが悪魔退治だなんて!」
ケイはリュックを後ろに放るように置くと、今度はレジ袋の中から白い包みを取り出し、更に包みを開くとそのまま両手で〝アイツ〟に差し出した。
「これをあげるわ。だからわたしたちの事は見逃して。二度と歯向かう真似はしないから」
ケイの両手に乗っているそれは、一キログラムはありそうな牛肉のブロックだった。
「ほう、これはこれは……」
〝アイツ〟は牛肉のブロックを興味津々にじっと見つめた。
「ここに来る前、ある霊能者から、あなたが牛肉を好むらしいと聞いていたの。だから、もしもの時のために朝一で買って持って来ていたの」ケイは牛肉のブロックを突き出した。「取り引きしましょう。どうかこれで勘弁してほしいわ」
「我がお前たちを許すかどうかは……この牛肉の味と質次第だ。我の舌に合えば許してやろう……ただし女一人だけな」
〝アイツ〟は愉快そうに言った。
「わたし一人だけ?」
「当たり前だ。それはお前一人分だからな。それとも男、お前も用意してあるのか?」
ケイがチラリと斜め後ろに振り向くと、青い顔をした凪と目が合った。
「ないようだな。さあどうする女」
「……あなたの舌に合えば、わたしだけでも見逃してくれるのよね?」
「そう言ったはずだ」
「あはは……それで構わないわ」
ケイは今度は振り向こうとはしなかった。
「粋がるな、女。普通の人間よりも霊能力が高いというだけで、お前に出来る事など何も──ないと言っている」
ケイが勢い良く振りかざした右腕を簡単に避けると、〝アイツ〟はケイを蹴飛ばした。
「緋山!」
小さく呻いてカーペットの上に倒れ込んだケイの右手から、札を貫通させた矢が落ちた。凪はケイに走り寄ると庇うようにしてしゃがんだ。
「先に言っておくが、そんなちっぽけな玩具は我には効かん」
「だったら素直に刺されろよ」
「やってみるがいい」〝アイツ〟は右手を差し出した。「ほれ、やってみろ」
凪は自分の札に矢を貫通させると、素早く〝アイツ〟の懐に入り込んで喉に突き刺した。罠かもしれなかったが、〝アイツ〟自ら差し出した右手に馬鹿正直に攻撃するよりはマシなのではないかと判断したのだった。
「なっ……」
〝アイツ〟に刺さった矢と札は、急速に朽ちてゆくとボロボロと崩れ落ちてしまった。
「だから言っただろう、効かんと。……黒水晶か」
〝アイツ〟は凪の左手首のブレスレットを掴むと、あっさり引き千切って投げ捨てた。
「女も身に着けているな。お揃いだったのか。そりゃあ悪かったな!」
〝アイツ〟に片手で吹っ飛ばされ、凪は立ち上がったばかりのケイを巻き込みながら倒れ込んだ。
「悪い、緋山」
「そんな事いいわよ。それよりもこれを」ケイは薄い木で出来た形代を取り出した。「まだこれが残っているわ」
「まだ何かあるのか? 仕方ないから付き合ってやるが、あまり無駄な足掻きは──」
「光雅君の姿と声で喋るのやめてくれない?」
ケイは凪と共に立ち上がった。
「他の誰かにしてほしいわね。勿論、わたしたち以外で」
「断る」
「何でよ」
「気に入っているからだ、このガキの姿を」
「ふうん、なるほどね。元の姿があまりに不細工でコンプレックスなのね」
「何とでも言え。そんな口を利いていられるのも今のうちだ」
「あんたもね!」
ケイは形代を足元に落とした。すると次の瞬間、形代から全長六、七〇センチ程の真っ赤な目に真っ白な体毛を持つ鳥が現れ、あっという間に〝アイツ〟に飛び掛かると鋭い嘴で左目を突いた。〝アイツ〟の悲鳴に、ケイは思わず目を逸らして耳を塞いだ。
「緋山」
「わかってる。あいつは光雅君じゃない。でも……」
凪もケイと同じように形代を足元に落とすと、ケイの白い鳥と同じくらいの全長の、頭部に一本の角が生えた全身灰色の獣が形代から飛び出した。
「狛犬だ……」
狛犬は鳥を払おうと暴れる〝アイツ〟に突進すると右足に喰らい付いた。〝アイツ〟から再び大きな悲鳴が上がる。
〝アイツ〟は獣のように咆哮すると、執拗に顔面を狙っていた白い鳥を左手で引き剥がして姿見に投げ付けた。鏡面に叩き付けられ落下した白い鳥は、よろめきながらも立ち上がろうとしたが、再びカーペットに倒れ込むと動かなくなった。
「まずいわ!」
更に〝アイツ〟は身を屈めると、太腿に喰らい付いていた狛犬を引き剥がし、角をへし折り勢い良く踏み付けると、白い鳥の方へと蹴飛ばした。狛犬はピクピクと痙攣していたが、やがて白い鳥と同じように動かなくなった。
「ああ……」
「嘘だろ……」
「酷いじゃないか、ケイ、三塚。服が汚れちゃったよ」
〝アイツ〟は顔中と右足から血をダラダラと流しながらも、ニヤニヤと笑っていた。
「見てよケイ、おれの左の目玉、取れちゃいそうだ」
「……やめて」
「ほら、足もさ、中の肉どころか骨まで見えちゃいそうだ」
「やめて」
「友達だと思っていたのになあ……ケイの事は特別だったのになあ!」
「やめて!」
「やめろ!」
〝アイツ〟は下品な笑い声を上げた。「いやあ、ちっとも痛くも痒くもない。すっかり興醒めだ!」
──そりゃあ嘘だ。
凪は確信していた。白い鳥と狛犬に攻撃されていた時に〝アイツ〟が上げていた悲鳴は演技には聞こえなかった。本当にダメージになっていないのならば、何故血を流す? 何故傷は塞がらない?
「あ……ああ……」ケイはリュックを前で抱えると、怯えながら後ずさった。「もう嫌!」
「緋山……」
「無理よ! やっぱり勝てっこない!」
ケイは震える手でリュックを開けると、何かが入った半透明のレジ袋を取り出した。
「緋山?」
「最初から間違っていたんだわ、素人のわたしたちが悪魔退治だなんて!」
ケイはリュックを後ろに放るように置くと、今度はレジ袋の中から白い包みを取り出し、更に包みを開くとそのまま両手で〝アイツ〟に差し出した。
「これをあげるわ。だからわたしたちの事は見逃して。二度と歯向かう真似はしないから」
ケイの両手に乗っているそれは、一キログラムはありそうな牛肉のブロックだった。
「ほう、これはこれは……」
〝アイツ〟は牛肉のブロックを興味津々にじっと見つめた。
「ここに来る前、ある霊能者から、あなたが牛肉を好むらしいと聞いていたの。だから、もしもの時のために朝一で買って持って来ていたの」ケイは牛肉のブロックを突き出した。「取り引きしましょう。どうかこれで勘弁してほしいわ」
「我がお前たちを許すかどうかは……この牛肉の味と質次第だ。我の舌に合えば許してやろう……ただし女一人だけな」
〝アイツ〟は愉快そうに言った。
「わたし一人だけ?」
「当たり前だ。それはお前一人分だからな。それとも男、お前も用意してあるのか?」
ケイがチラリと斜め後ろに振り向くと、青い顔をした凪と目が合った。
「ないようだな。さあどうする女」
「……あなたの舌に合えば、わたしだけでも見逃してくれるのよね?」
「そう言ったはずだ」
「あはは……それで構わないわ」
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