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第一章 図書室の美少女

09 通話

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 長時間の自己主張を続けていた太陽は、一九時を廻る頃には完全に姿を隠していた。

「久し振りね。私よ」

 自宅のダイニングでホットコーヒーを飲んでいた女は、マグカップが空になる頃には決意を固め、一〇年以上振りにある男に電話を掛けていた。

「……何かあったか」

 男は挨拶を返すわけでもなければ懐かしむわけでもなく、無感情な声でそう応えた。警戒、そして緊張しているのが電話越しに伝わってくる。まあ無理もないだろうと女は思った。

「夢を見たの。凄く嫌な夢を」女は一呼吸置いてから続けた。「あの化け物の棺、空っぽになってた」

 重苦しい沈黙がその場を支配したが、女の予想に反し、早い段階で男の方から破られた。

「だから何だ。俺には……俺たちにはもう関係ないだろ」

「そういうわけにもいかないんだな、これが。夕凪には私の姪っ子が通ってるの」

 今年一七歳になる姪を、女はとても気に入っていた。引っ込み思案で人見知り、冷めているような印象を受けやすいが、実は芯が強く、心の奥底に熱いものを秘めている。最後に会ったのは、彼女が中学一年生の夏休み中だ。

「……何で入学させた」

「いや、そんな事言われても。実の親じゃないんだし、知ったの入学後だから。というか、知ってても止めなかったと思うわよ。だってまさか……封印が解けちゃうなんてさ」

 暗い森、枝葉が腕や脚を傷付けた感覚、からになった黒い棺とそのすぐ隣に落ちていた蓋、そして衝撃と恐怖の感情。夢を見たのは一週間以上前だが、女はそれら全てを未だに鮮明に覚えていた。

「夢は夢だろう」

「本気でそう思ってる? 実はあんたも見たんじゃない? 同じ夢を」

 男は答えなかった。

「あの化け物を倒さなきゃ。あんたも協力して」

「お前っ……自分で何言ってるかわかってんのか!」

 男の声は微かに震えており、怒っているようにも、怯えているようにも聞こえた。

「倒すって? どうやって! はもういないんだぞ!」

「確かに、はもういない」

 女のスマホを持つ手に力が入り、捲し立てるように早口になる。

「でもね、ほっといたらこの先、次々と不可解な事件や事故が起こるわよ。死人だって出るかもしれない。麗美──私の姪だって被害者になるかもしれない。そうなったら、少なくとも私は後悔する」

 男が何か口を挟みかけたが、女は続けた。

「それに……あの子の犠牲が無駄になっちゃう」

 再び重苦しい沈黙。今度は簡単に破られそうになかったが、女は自分からは何もアクションを起こさず、男からの返事を辛抱強く待ち続けた。
 やがて、男は小さな溜め息混じりに口を開いた。

「何かしらの策はあるんだろうな」

「策?」女は微かに笑った。「そんなもの、だってなかったでしょ、素人の私たち二人には」

「……それは──」 

「今すぐこの場で決めてとは言わない。近いうちに返事を頂戴。じゃ」

「お、おい──」

 女は一方的に電話を切った。

 ──ごめん。

 椅子の背もたれに体を預けるようにして、大きくゆっくり息を吐き出す。

 ──私だってさ、本当は嫌なんだよ。怖いんだよ、凄く。

 体勢を直してマグカップを手に取る。

 ──ブラックが飲みたい気分。

 暗いキッチンに向かい、明かりを点けずに二杯目のスティックコーヒーを淹れながら、そういえばあの子は、もう二度と会えない親友はコーヒーが苦手だったよなと、女は思い返した。
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