【改稿版】コフィン・イン・ザ・フォレスト

園村マリノ

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第三章 影が差す

02 スケッチブック

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 第一美術室では、既に四人の部員が各々の作業に取り掛かっていた。

「ちょっと待ってて」

 五、六人用の大きな机六台のうち、左奥の一台に席を取って荷物を置くと、亜衣は美術室のドアから黒板を挟んで反対側にある、教師専用の準備室のドアの前まで向かった。

先生せんせー朝比奈あさひなさんと向井むかいさんを連れて来ましたよー!」

 ややあってから準備室のドアが開き、美術教師兼美術部顧問の中園がのそっと姿を現した。痩せ型で声が小さく、無愛想ではないが口数が少ない、年齢不詳の少々ミステリアスな男性だ。歩く時にあまり気配を感じさせず、気付くとすぐ後ろから製作中の作品を覗いており、生徒を驚かせてしまうという事が度々ある──麗美も一度椅子から転げ落ちそうになった──が、本人はわざとやっているわけではないらしい。

「……ああ」中園は亜衣を、それから麗美と千鶴を見てうっすら微笑んだ。

「お邪魔します」
 
 千鶴が頭を下げると、麗美も続いた。

「どうぞ、好きな事やって。使いたい道具があったらとどろきさんに聞いて」

「はい」

「というわけで轟さん、先生ちょっとお客さんに会いに職員室に行くんで、後はよろしく」

「はーい!」

 中園が去ると、亜衣は麗美たちにどんな事がしたいかと尋ねた。麗美は特に何も決めていなかったが、千鶴がちぎり絵をやってみたいと答えたので、一緒に挑戦してみる事にした。

「最初だし、とりあえずポストカードサイズでやってみよっか。折り紙と和紙、好きな方使って。どのみち全部準備室にあるから持って来るね。どんなイラストにするか考えながらちょっと待ってて」

「お願いします」

「準備室って、今先生が出て来た……?」

「ううん、もう一箇所の物置きみたいな方。あ、下書き用の紙なら黒板前の机の上にあるから勝手に使っちゃって」

 亜衣は美術部員候補二人──一年次から勧誘を続け、未だに諦めていない──を残し、美術室に隣接する美術準備室に移動した。六帖かそこらの室内には棚や大きな木製の古い机、大小様々な作品や美術道具、その他何だかよくわからない物までもが所狭しと置かれている。

「えーと……何処だ?」

 亜衣は苦笑すると、電気を消したまま、とりあえず目の前の机を物色し始めた。

「もう、いらないものはちゃんと処分した方が──痛っ!」

 亜衣は手を止めると、しゃがんで足元を確認した。どうやら机の下の大きな壺を思い切り蹴飛ばしてしまったらしい。白地に様々な果物や花が描かれているデザインで、綺麗ではあるが高価な品物には見えない。

 ──まあ、値打ちがあるならこんな所で埃被っちゃいないよね。

 また蹴飛ばしてしまわないよう、もう少し奥へ押し込もうとしたが、壺の後ろで何かがつっかえ、ビクともしない。覗き込んでみると、ビニール紐で縛った新聞紙の分厚い束が二つと、更にその上に冊子が一つ。
 亜衣は何気なく冊子を引っ張り出した。表紙は深緑色と山吹色の有名なデザインで、左綴じのリング製本だ。全体的に色褪せており、あちこちにシミや傷みがある。

「スケッチブックじゃん」

 一年に最低二回──それぞれ夏休みと冬休みの前だ──は美術部員が簡単に掃除しているからだろうか、埃はうっすらとしか積もっていない。

「どれどれ……」

 亜衣はそっと表紙を開いた。一番最初のページに描かれていたのは、リンゴの鉛筆画だった。

 ──まあまあの画力ね。

 ページをめくると、次はガラケーの鉛筆画だった。

 ──これ、結構前の生徒が使ってたんだな……。

 更にめくると、今度は青のボールペンで、某国民的人気アニメの猫型ロボットがいくつも落書きされていた。
 最後のページまでめくってみたが、落書き以降は未使用で、至る所に黄色っぽいシミがあるだけだった。

 ──勿体ないなあ。

 スケッチブックを閉じた亜衣は、裏表紙の右下に黒の油性ペンで名前が書かれている事に気付いた。

「……えっ?」

 その名前は、亜衣が知っている人物と同じだった。

 ──いや、流石に違うか。同姓同名の別人、だよね?

「せんぱぁーい!」

 ドアの向こうから、後輩の美月みつきが亜衣を呼んだ。

「ん、どした?」

「ちぎり絵用の折り紙と和紙、美術室こっちにありますよ!」

「え、マジ?」

「この間、藤田ふじたさんが使ったみたいで。お客さんのお二人に渡しておきました」

「なあんだもう!」亜衣は苦笑混じりの溜め息を吐いた。「どうも有難う! 今戻るよ」

 亜衣は机の上に平積みにされている美術雑誌の山の上にスケッチブックを置くと、何となくベタつく手に顔をしかめながら準備室を後にした。


 亜衣が美術室に戻ってから十数分後。
 緩衝材を入れた大きな紙袋を片手に、美術準備室にこっそり足を踏み入れる男子生徒がいた。

 ──きったねえなあ! 掃除くらいしろよ、アホ美術部員共が!

 新倉康彦は、内心毒突くと共に小さく舌打ちした。

 ──しかし、本当にここにあるってのか? あの伝説の陶芸家の、本物の作品が。

 数日前、新倉は普段よりも二本早い電車で登校した。隣のクラスの菊池きくちと一緒に、最近サービス開始したばかりのスマホのソーシャルゲーム『ダーク・エンブレム』で遊ぶためだった。ところが教室に着いた直後、[MINEマイン]に菊池から届いたメッセージの内容に、新倉はガックリと肩を落とした。

〝ごめん、風邪ひいたっぽいから休むわ!〟

 新倉は自分以外には二人しかいない静かな教室で、一人『ダーク・エンブレム』をプレイしていたが、すぐに飽きてしまった。暇潰しとなるものを探すため、教室を出て第二校舎内を適当にうろついていると、一般コースの友人とバッタリ出くわした。

「あれ、何でお前ここに?」

「早く来過ぎちゃってさ、暇潰しに」

「何だ、俺と同じか!」

 二人は廊下の一角で雑談に花を咲かせた。ソーシャルゲームに漫画にアニメ、芸能人や動画配信者の話題でそれなりに盛り上がっていたが、次第に学校や進路に関する内容に変わっていった。

「美術とか音楽なんてさ、頭悪い奴らだけやっときゃいいんだよ。俺はもっと理数系に力を入れたいわけよ」

「新倉って、小学校の先生になりたいんだったよね。だったら美術や音楽も大切なんじゃ」

「んなもん、わざわざ授業で学ばなくたって出来ちまうもんだろ?」

「そりゃあ新倉が賢いからだよ」

「いや、別に俺は全然、そんな……」上辺だけで謙遜する新倉の口元は、緩みを隠し切れていなかった。

「そういえば、美術で思い出したけどさ」

「ん?」

「前に中園先生から聞いたんだ。第一美術室の隣の準備室に、緑川竜胆みどりかわりんどうの本物の陶芸作品があるって」

「え、竜胆の!?」

 新倉は思わず前のめりになった。緑川竜胆とは、一九九〇年代に活動し、優れた作品を世に送り出した伝説の陶芸家だ。彼が伝説と呼ばれる理由は複数ある。

「竜胆はたった一〇年程の活動の間に、一〇作も完成させちゃいない。しかもそのうちの四作の行方は今もなお不明のままだ。どの作品にも高値が付いてるが、特にその四作は一作で数億から数十億の価値があると言われてるんだぞ。何でそんなに価値があるかって? 竜胆がもうこの世にいないからだ。三〇代後半で交通事故死しちまった」

「新倉、大興奮だね」

「いや、別に俺はそんな興味ないんだけどさ、祖父じいさんと親父が骨董マニアで、ガキの頃に散々収集物やらテレビの特集やらを見せられて。竜胆の本物も欲しがってたな。その準備室にある作品、どんなやつだ? タイトルは? まさか世に出回ってないやつじゃないだろうな!?」

「そこまで聞いてないよ、そんなに興味なかったし。先生も同じみたいで、だから準備室に放置してあるって」

「おいおい、それでも美術教師かよ……」

 友人から話を聞いて以来、新倉の頭の中では常に竜胆と美術準備室、そして山積みの万札の束がチラついていた。

 ──あいつの話が、そして中園の話が本当だとしたら……。

 やがてある事を思い付いた新倉は、それを実行すべく、今日こうして美術準備室に侵入したのだった。

 ──もし本当にこんな場所に放置されているのなら……俺が助け出してやんねえとな!

 そう意気込んだものの、準備室内の想像以上の惨状に、一体何処から手を付ければいいのかわからなかった。つい数十分前に下見に来た時は鍵が掛かっていたし、準備室のドアには窓がないので中まで確認出来なかった。下手に物音を立てて侵入がバレてしまっても厄介だ。

 ──こんな散らかりようじゃ、仮に作品が見付かっても傷んでそうだな……。

 紙袋を足元に置き、正面の机に手を伸ばした新倉は、雑誌の山の上のスケッチブックに気付いた。
 何となく惹かれて手に取り、何気なく裏表紙を見ると、右下に名前が書いてあった。それは、新倉に準備室の話を教えてくれたあの友人と同姓同名だった。

 ──え、これ、あいつの……?

 その時、準備室のドアが開いた。驚いた新倉が落としたスケッチブックは、紙袋の中にすっぽりと入った。
 慌てて振り返ると、出入口を塞ぐようにして、あの友人が立っていた。両手で何か大きな物体を抱えながら、無表情で新倉を見据えている。

「いや、あの、これはその──え?」

 友人は、抱えている物体を新倉に見せ付けるように差し出した。それは全体が瑠璃色で、下部に乳白色で鳥や植物が非常に細かく描かれている壺だった。

「な……おい、それってまさか……」

 新倉は、テレビや雑誌などで、何度かその壺の写真を目にした事があった。

「未だ見付かっていないっていう、竜胆の『安寧』じゃねえのか!?」

 友人は答えず、大事そうに壺を抱え直すと、意地の悪い笑顔を見せた。

「貸せ!」

 新倉が両手を伸ばして近付こうとすると、友人は素早く体を引いた。そして軽やかな動作で身を翻すと、壺を抱えたまま逃走した。

「あ、待て!」

 新倉は体育の短距離走以上に全力を出して追い掛けた。クラスどころか二年生全体で速い方だろうと自負していたが、友人との距離はこれっぽっちも縮まらない。

「待て! 待て、俺の──」

 ──俺の……数十億!!

 走る二人の周囲に他の生徒たちの姿はなく、声や物音も一切しなかった。もう何十メートルも走り続けているのに、ずっと廊下が続いていた。
 友人を、いや竜胆の壺を追うのに夢中になるあまり、新倉はそれらの異変に全く気付いていなかった。
 
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