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第四章 二〇年前

10 封印と犠牲②

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「ちょっと時間掛かるけど、待っててちょうだい」

 そう言うと絵美子は目を閉じ、両手を胸に当て、囁くような声で歌のような呪文を唱え始めた。すると、ややあってから、倒れている〝あいつ〟の横に、何処からともなく突然、大きな黒い箱が現れた。

「何だこれ!」

 箱は二メートル程の大きさがあり、両肩の部分が最も幅広く、足先に向かって細くなっている。

「絵美子、これって棺?」

「そう、西洋型のね。ロワの吸血鬼やリビングデッドものにはよく出て来るでしょう?」

「これは望月が創り出したのか?」

「ええ、わたしの力」

 ──凄いや。

 百合子とは感嘆の溜め息を漏らし、それから〝あいつ〟を見やった。

 ──その絵美子でさえ倒し切れないあの化け物……どうなってんのよ。

「その化け物を棺に入れるんだな」

「ええ」

「よっしゃ。星崎、やるぞ」

「げえっ!?」百合子は再び〝あいつ〟を見やった。「嘘ぉ~……触りたくないんだけど……」

「仕方ないだろ。望月は疲れてんだ」

「大丈夫よ、わたしが──」

「いや、いい。休んでてくれ。ほれ、やるぞ」保は百合子の背中を軽く叩いた。「もしも起き上がりそうになったら、殺虫剤口に突っ込んでやれ」

「うう……」

 百合子が両腕を、保が両脚を持って〝あいつ〟を引っ張り上げた。体はあまり大きくはないが、想像以上の重さがある。人間と何ら変わらない皮膚の感触に、百合子は何とも言えない気分になった。
 慎重に棺の中に入れると、絵美子がやって来て蓋をした。

「しっかり閉まっているか、一緒に確認して」

 三人でしゃがみ込み、蓋を持ち上げようとしたりずらそうとしてみるが、ピッタリと棺に被さっており、ビクともしない。

「……うん」絵美子は百合子と保を見やり、笑いかけた。「封印完了よ」

「やったあ!」

「……っし!」

 三人は立ち上がると抱き合った。

「二人共、本当に有難う」

「私たちはほとんど何もしてないよ! 全部絵美子のおかげ!」

「ああ、お前のおかげで皆が救われた!」

 周囲が明るくなってきた。百合子と保は驚いて顔を上げ、安堵と不安が入り混じった表情で様子を窺った。

「大丈夫よ二人共。〝あいつ〟を封じたから、元の世界に戻れるのよ」

「良かった! あ、絵美子、戻ったら休もうね。まだ顔色が悪い」

「そうだな。あんな凄い事しまくって相当力を使ったはずだ。またぶっ倒れっちまったら大変だ」

「ええ」絵美子は頷いた。「そうさせてもらうわ」

 それからまもなくして、三人の視界が真っ白に染まり──……


「……よし、戻れたな」

「うん」

 コンクリートの通路、コの字型の校舎、曇り空、普段は気にも留めないような草花に、端の方に立つ木々。そして背後には、小さいおじさんたちがいた針葉樹。

「……終わったね」

「もう二度と封印が解かれない事を祈るわ」

「まさか……もうないだろう?」

「と、信じたいわ」

 力なく笑う絵美子の様子に、百合子は一抹の不安を覚えた。そもそも、何故封印が解かれてしまったのかは、まだわかっていない。その原因をはっきりさせたうえで再発防止に努めなくては、今回の苦労が無駄になってしまう。

「はあ……これで明日から安心して学校生活が送れるんだな」

「そうだね、いつも通りの」

「いつも通りの、代わり映えしない退屈な日々」保は満更でもなさそうに微笑んだ。

「さ、とりあえず教室に戻ろ」百合子は絵美子へと振り向いた。「体調はどう──」

 絵美子が膝から崩れ落ちる光景は、スローモーションで見えた。

「っ、絵美子!?」

「おい!?」

 保がしゃがんで抱き起こした。絵美子はただ眠っているだけに見える──血の気の失せた顔色と、呼吸音が聞こえない点を除けば。

「しっかりしろ!」

「え、絵美子……」百合子は崩れ落ちるように膝を突いた。「つ、疲れちゃったよね。うん。だからって、ここはちょっとさあ……ねえ保?」

「そ、そうだぞ……ほら、一回起きろって……な?」

 保は絵美子を揺さぶった。何度も何度も揺さぶった。
 しかし、二人は既に理解していた──絵美子が二度と目を覚さない事を。
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