キャンディは銀の弾丸と飛ぶ

園村マリノ

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第一章 驚異の少女(ガール・ワンダー)誕生?

#3 邂逅と決意①

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 八月二二日。
 千穂実は、浜波市郊外の水族館の敷地内にあるカフェで、週に二、三回のアルバイトをしていた。夏休みの思い出作りや人生経験を積むため……ではなく、アメコミ邦訳本代を稼ぐためだ。
 いつも通り、一七時に仕事が終わり、バイト仲間に挨拶してから店を出た。電車に揺られながら、次に優先的に購入するアメコミ邦訳本は何にしようか、友人の誕生日プレゼントはどんなものにしようかなどと考えているうちに──卒業後の進路に関してはとりあえず無視した──自宅の最寄り駅に到着した。
 途中で〈フレンドリーマート〉に寄り、千穂実の中でブーム到来中のスナック菓子を購入し、リュックに詰め込んだ。両手はなるべく空いていた方がいい。
 コンビニから歩いて約三分、緩やかな坂道を少し上ると横断歩道に差し掛かる。歩行者信号は赤。車は一台も走っておらず、千穂実以外の通行人の気配もなかったが、青になるまでスマホでSNSに目を通しながら待つ事にした。ずっと遠くの方でクラクションが鳴っている。駅の方は賑やかなようだが、こちら側はこんなにも静かだ。

 ──それにしても静か過ぎない?

 千穂実は指を動かしながら何気なく頭を上げ、

「──っ!」

 心臓部が跳ね上がるかというくらい驚き、危うくスマホを落としそうになった。
 確かに誰もいなかったはずなのに、いつの間にやら隣に男が一人立っていて、こちらをじっと見ているではないか──充血気味の

 ──えーっと……。

 状況を理解するのに時間が掛かった。金色に染めた長髪をだらしなく伸ばし、襟元がくたびれたシンプルなグレーの半袖Tシャツに、色落ちし、あちこちに小さな穴の空いたジーンズ姿の男なんて、浜波辺りを探せば何人かは見付かるだろう──四つ目でなければ、だが。

 ──何これ特殊メイク? それとも多指症みたいに生まれつき? だとしたらジロジロ見たら失礼だし──……

「なあ」

 今まで無言だった四つ目男が口を開いた。千穂実は我に返ると、凝視していた事を怒られるのだと思い慌てて謝った。ふと歩行者信号に目をやると青に変わったところだったので、チャンスとばかりに逃走しようとしたものの、「ちょっと聞きたいんだが」と引き留められ、反射的に足を止めてしまった。

「……何でしょう」千穂実はお人好しな自分を呪いつつ平静を装い、不快な思いをさせないよう、男の額の辺りを見ながら答えた。

 四つ目男はジーンズのポケットから折り畳まれた紙を取り出し、細長い指で開いた。

「ここいらで、コイツを見た事はないか」

 それは写真だった。遠巻きに撮影したらしく被写体は小さいが、写っているのは今話題の仮面のヒーローではないか。

「……この人、最近よく現れて人々を助けてる、あのヒーロー……」

「ヒーロー。そう、ヒーローだ。ヴィランではない」

 悪人ヴィランだなんて、この男はアメコミが好きなのだろうか。千穂実はほんの少しだけ気を緩める事が出来た。それでも四つ目が不気味な事に何ら変わりはなかったが。

「で、キミはコイツを直に見た事があるか」

「いえ……」

「コイツが主にどの辺りで目撃されているか……なんて知ってるか」

「うーん……確か主に浜波市内だったかと。舞翔でも何回か目撃されてるみたいですけど……」

 四つ目の男の視線が、千穂実から写真へと移った。男は何か考え事をしているようだったが、しばらくすると、右半分の目だけを器用に千穂実に向けた。気持ち悪いからやめてくれと言うだけの勇気を、千穂実は持ち合わせていなかった。

「コイツはサイドキックを連れていてもおかしくないんだが……そういう話を聞いた事はないか」

「サイドキックって、ヒーローの相棒の事ですよね。聞いた事はないです」

 ヒーロー、ヴィラン、サイドキック。まさにアメコミの世界だ。しかしこの四つ目男が結局何を言いたいのか、千穂実にはさっぱりわからない。

「あの……その仮面のヒーローって、本来ならサイドキックがいるんですか」今度は千穂実から恐る恐る聞いてみた。

 写真に向けられていた男の左半分の目がギョロリと千穂実に向けられ、そして四つ同時にスッと細められた。

「ああ、いるよ。生意気な女のガキが」

 四つ目男の声は穏やかなままだったが、その言葉や細められた四つの目からは憎悪が滲み出ているように感じられた。

 ──怒らせちゃった?

「コイツの実力は認めている」四つ目が指先で写真を叩く。「コイツはパッと見、そんな強そうじゃないだろ。何処の舞踏会帰りだよって格好だしな」

 四つ目男はそう言いながら鼻で笑ったが、千穂実は愛想笑いすら出来なかった。

「しかしコイツは、実際のところなかなか恐ろしいヤツだ。オレは何度もコイツにブチのめされたし、一度なんてマジで殺られるかと思った。ある意味では尊敬するよ、ああ。だがな……ヤツのあのサイドキックのクソガキは別だ! あんのメスガキ!」

 四つ目男は怒りに任せて写真を握り潰した。

「あの細い首をへし折ってやりてえ! だいたいよお、女の分際で──おっと失礼」

 四つ目男は写真を丁寧に伸ばしてゆき、ある程度そうしたところで最初の状態と同じように折り畳み、ジーンズのポケットにしまった。
 千穂実は今更ながら、この四つ目男との長話は危険だと悟った。今すぐにこの場から立ち去りたくて堪らなかった。

「あー、その、力になれなくてごめんなさい。あの、わたしもう帰らないと」

「あのさ、何でオレがキミに話し掛けたかわかる?」

「え?」

 四つ目男は突然、千穂実の胸倉を掴んだ。

「キャッ!」

「何となく似てるんだよ、オマエとあのメスガキ! キャンディガールとかいう生意気な! つうか最初、本人かと思ったワケよ。ちげぇようだから残念だ。でもきっとオマエとあのガキは異世界の同一存在なんだろうよ!」

 千穂実が手を引き剥がそうとすると、四つ目男は今度は千穂実の首を両手で締め上げた。

「ぐっ!?」

「じゃ、憂さ晴らしにオメエを殺すわ!」

 ──はあ!?

 千穂実の体が少しずつ宙に浮いてゆく。爪を立て、足をバタつかせて必死に抵抗するが、四つ目男は動じない。

「う……ぐっ……」

 千穂実の意識が徐々に遠退いてゆく。

 四つ目男はニヤニヤ笑った。「ヒヒッ……死ね死ね!」

「やめろ」

 何処からともなく聞こえてきた第三者の声に、四つ目男は千穂実を解放すると慌てて周囲を見回した。

「……何処だ、何処にいやがる」四つ目男の声は震えていた。

 千穂実は尻餅をついたまま激しくむせ、吐きそうになった。涙目で四つ目男を見上げると、右手にナイフを持って何やら喚いていた。千穂実は、四月にショッピングモールで起こった通り魔事件を思い出し、身震いした。
 四つ目男は千穂実と目が合うと──勿論四つ全てだ──腕を引っ張って無理矢理立ち上がらせようとした。千穂実は抵抗したがナイフの刃先を向けられ立つように脅され、仕方なく従うと男の方に引き寄せられた。

「姿を見せろ! でないとこのガキブッ殺すぞ!?」

 ナイフの刃先が千穂実の首筋にピッタリと押し付けられる。

 ──嘘でしょ!?

 千穂実は大声で泣き出してしまいたかった。何でわたしがこんな目に合わなきゃならないんだ。バイトはいつもより若干客が多くて大変だった。その帰りに気色悪い四つ目男に話し掛けられ、首を絞められ、解放されたかと思えばナイフで首を切られそうになっている。

 ──わたし何か悪い事したっけ!?

「いるんだろ……オレをずっと追ってたんだろ……聞いてんのか? 姿を見せろって言ってんだ! でも近付くんじゃねえぞ!」

 沈黙と静寂。元々誰もいやしないのではないかとも思えたが、千穂実はすぐに否定した。首を絞められパニックになってはいたが、確かにあの時、第三者の声──低い男のものだ──を耳にした。

「そうかよ……じゃあこのメスガキがどうなってもいいってワケだなあ!?」

 ──じょ、冗談じゃない!

「助けて!!」千穂実は出せる限りの大声で叫んだ。

 その時だった。
 二人から一〇メートル程離れた、横断歩道の先の鉄筋コンクリート建築の三階建てアパートの物陰から、ゆっくりと姿を現す者がいた。目元以外を覆うシンプルなフルフェイスマスク、漆黒のボディスーツにマント、ブーツにグローブを身に纏っている。

 ──あ……。

 千穂実の心に、少しだけ希望の光が灯った。
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