常闇紳士と月光夫人

園村マリノ

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第一章

04 常闇紳士現る②

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「……はえっ?」

 舞織には、自分が間抜けな声を出したという自覚があった。恐らくは顔面も同じようになっているだろうが、鏡がないのでわからない。

「げ、月光夫人?」

「そう。常闇を照らす一筋の光のような存在に」

「いや、ちょ、待って待って!」舞織は遮るように両手を伸ばした。「今……伴侶、って言ったよね」

「ああ」

「それってその、プ、プロポー……ズ?」

「その通り」

「は……はああっ!?」

 舞織は、からかわれているのではないかと疑い、目の前の変人を凝視した。きっと堪え切れず、猫目を細めてニヤニヤと笑い出すに違いない。そしてそんな素振りを見せたなら、引っぱたいてやるつもりでもいた。
 舞織の予想に反し、常闇紳士は真剣な表情を崩さずにいた。それどころか、舞織が悲鳴に近い声を上げてから何も言わなくなった事に戸惑っているようだった。

「あ……あのさあ」舞織の方から沈黙を破った。「見守るとか、そういう話じゃなかったっけ? それが何? 何でそこまでぶっ飛ぶの?」

「一目惚れ、というやつさ。目を閉じて寝そべる君の姿を見た瞬間、二つの心臓がどちらも強く脈打った」

「心臓二つあるんだ!?」

「え、そこ気になるかい?」

「気になるよ! ああもう……何か調子狂う……」

 何となく目眩がするのは、酒のせいかこの男のせいか。舞織は再び窓際まで来ると、今度はためらわずに窓を開け、サンダルを中途半端に履いて外に出た。程良く冷たい外気が、興奮して熱くなりかけていた肌に心地好い。

「今日は満月だ」舞織の後ろから、常闇紳士が顔を覗かせた。「〈永遠の夜の世界〉は、名前の通り常に夜だ。太陽が存在しない代わりに、常に月が空に昇ったまま満ち欠けを繰り返しているんだよ」

「……その世界、人間はいるの?」

「元々は存在しないが」常闇紳士は舞織の横に並んだ。「私が知らないだけで、ひょっとしたら、別の世界から人間やその他の種族の伴侶を得た者も、ほんの少しはいるかもしれないがね」

「ふーん……」

 舞織は夜空を見上げた。満月にはもう雲はかかっておらず、つい数十分前に目にした時よりも若干輝きを増していた。

「月光夫人、ねえ……」

「今すぐに返事をくれとは言わないよ」

 舞織と目が合うと、常闇紳士はふわりと微笑んだ。

「次の満月の夜に答えを聞きたい。それまでに君を振り向かせられるように努力するよ。……それでいいかな?」

「は、はあ……」

「決まりだ。それじゃあ、次はいつ来ていいかな?」

「え、次? ……ああ」

〝それまでに君を振り向かせられるように努力するよ〟

 ──振り向かせる、って……よりによってこんなわたしを……。

 途端に気恥ずかしくなり、舞織は目を逸らした。

「別に……いつでもいいよ」

「本当かい?」

「うん、まあ……あ、でも、さっきみたいに急に現れるのはちょっと。わかりやすくしてほしいかな、なんて」

 そもそも今日はどうやって入って来たのかという疑問もあったが、きっとまた色々と突っ込まざるを得なくなりそうな予感がしたので黙っておく事にした。

「ああ、そうだね。すまない。気を付けるよ」

 常闇紳士がそう答えた直後、複数人の騒がしい声が聞こえてきた。舞織が手摺越しに見下ろすと、酔っ払っていると思わしき男女数人が大声で喋くりながら、アパートの前を通り過ぎようとするところだった。

 ──近所迷惑考えろっての。

 生まれ持った性格的なものだろうか。舞織は昔から、誰かと一緒に酒を呑むという行為の良さが、イマイチ理解出来なかった。例外は一人だけいたが、それはもう過去の話となってしまった。

 ──蓮……。

「さて、今日はもうおいとまするよ」

 舞織は我に返って振り向いた。

「そろそろ中に入った方がいい。その格好で風邪を引いてはいけないからね」

「あ……」

 舞織は、自分がノーブラのパジャマ姿だという事を今更になって思い出し、固まりかけた。もっとも、常闇紳士の口調からすると、変な意味で言ったわけではなさそうだったが。

 ──しかもその上すっぴんだし!

「それと、あまり酒を呑み過ぎないようにね」

「ん、ん……わかってる」

「ハハハッ、これじゃあ君の親御さんみたいかな」

 舞織は曖昧に頷いておいた。記憶違いでなければ、一度だってそんな言葉を掛けられた試しはなかったが、今ここでそれを話して気まずい空気にはしたくなかった。

「君を心配するからこそなんだ。許してほしい」
 常闇紳士は舞織の右手を恭しく取ったかと思うと、その甲にそっと唇を当てた。

「……っ!?」

「それじゃあ、また」

 常闇紳士は小さく手を上げると、まるで空気に溶け込むようにしてゆっくりと消えていった。

「……え、っと……」

 遠方からまだ聞こえてくる酔っ払いたちの声をぼんやり耳にしながら、舞織はしばらくの間その場に立ち尽くしていた。

 突然の──本当に突然過ぎる──奇妙な来訪者、常闇紳士。猫目。燕尾服。祖父。〈永遠の夜の世界〉。プロポーズ。月光夫人。
 舞織はもう一度夜空を、満月を見上げた。

「あー……しばらく酒は控えようかな」
 

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