唯一の恋

綾月百花   

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11   妊娠したかもしれません

3   遺言

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 翌朝、吐き気はなくなっていた。
 病院から帰ってきた記憶もない。
 響介に運ばれて部屋に寝かされたのだろう。
 時計を見て、自室のベッドで惰眠にふける。
 亜稀は既に学校に出かけただろう。
 響介も仕事に出かけただろう。
 朝寝坊して家に一人でいるなら、慌てて起きる必要もない。
 パジャマの上から下腹部に触れる。
 妊娠していたら困ると泣いていたが、いろいろ考える前は嬉しかった。
 亜稀に『もしかして妊娠したんじゃない?』と言われたとき、響介との赤ちゃんが産めると心が騒いだ。
 でも、いろいろ考えている間に、いろんな障害があることに、気づいていった。
(親近相姦って、秘密の関係?赤ちゃんは私生児?結果的にシングルマザーになるのかな?今のわたしは妊娠しても、子供を育てることができない)
 以前、足の手術をしたときに話しをした医師のことを思い出した。
 自分で育てられなくて、養子に出したと。
(無責任なセックスはしちゃいけない)
 毎日、抱き合うのが当然のように響介と抱き合ってきたし、響介は奈都が知らないうちから、精子を膣にシリンジで入れていた。奈都に排卵がなかったから、妊娠しなかっただけだ。
 響介に話して、もう辞めてもらおう。
 大企業を背負う響介には、ちゃんとした結婚をしてほしい。
 奈都は布団を頭まで被ると、泣いていた。
(響ちゃんは初恋の人だ)
 兄妹なのに、特別な感情をずっと抱いていた。だから、抱かれるのも嫌じゃなかった。
(忘れよう。この気持ちは持っていたらいけない)
 扉をノックされて、奈都は跳ね上がるようにビックリした。
「入るよ」
 響介の声だ。
 慌てて、涙を拭う。
「まだ寝てるのかな?」
 頭まで被ってる布団を捲られた。
 優しい眼差しと視線が合う。
「吐き気は収まった?」
「うん」
 奈都は頷いた。
 響介は久しぶりに部屋着にしている浴衣を着ていた。
「泣いていたの?」
 奈都は首を左右に振る。
「目が赤いよ」
 響介の指先が、目の下を撫でた。
 温かな指だった。
「食事は食べられそう?おかゆを作ったけど、一緒に食べないか?」
「響ちゃんが作ったの?」
「僕だって料理くらい作れるよ」
「知ってる。響ちゃんはなんでもできるから」
「僕はスーパーマンじゃないけどね」
 響介が奈都の頭をくしゃりと撫でた。
「着替えて、おいで」
 そう言うと、奈都の部屋から出て行った。


 奈都は顔を洗うと着替えてダイニングルーム入った。
 響介は奈都の顔を見るとにっこり笑った。
「似合うよ」
 響介が買ってきてくれた春ニットのワンピースを着ていった。少し寒いので、同色のカーディガンを羽織った。
 シンプルな白のワンピースだが、ハイウエストでスカートが二重に切り替えられ繊細なレースが裾についている。
「ありがとう」
 席に座ると、響介が土鍋からお粥をよそってくれる。
 卵粥だ。
 響介も自分の分をよそった。
「お食べ」
「いただきます」
 木のスプーンで掬って少しずつ食べる。
 奈都が食べ出すのを見てから、響介も食べ出した。
 鶏ガラスープで味付けられたお粥は温かくて、美味しい。ずっと食べてなかったお腹にも優しい。
「おいしい」
「お代わりするか?」
「少しだけ」
 響介がまたよそってくれる。
「僕はお腹空いてるから、いっぱい食べるよ」
 響介はお椀にたっぷりつけた。
 食べっぷりは亜稀と変わらない。
「ごちそうさまでした」
「もう食べないの?」
「もうお腹いっぱい」
「残りは僕が食べようかな」
 たくさんあったお粥は、ほとんど響介が食べた。
「お片づけするね」
 奈都は台所に置いてあるエプロンをすると、食器と土鍋をキッチンに運んでいく。
「お茶は日本茶にする?それとも紅茶?」
「響ちゃんが淹れてくれるの?」
「僕も飲みたいからね」
「響ちゃんが好きな方でいいよ」
 奈都は食器洗浄機に食器を入れて、土鍋は水でさっと洗い、布巾で拭くと底面を上にして、拭いたテーブルの上に置いた。本当は風通しのいい場所に置いた方がいいのだが、今、一番風通しのいい場所は机の上だ。
 まだ三月で寒いので窓は開けていない。エアコンをつけて暖かくしている。
 本当は仕舞ってしまいたいが、そのまま仕舞ってしまうと、カビが生えるので、土鍋の手入れは少し面倒だ。
 響介は紅茶を淹れていた。時間を計ってカップに注いでいる。
「奈都はいい奥さんになるね。土鍋の片付け方を知ってる人はそんなに多くないよ」
「お母さんが教えてくれたから」
「そうだね」
 三人で暮らしているのに、テーブルは六人掛けの大きなテーブルだ。
 二人で座ると、かなり広く感じる。
「蜂蜜は自分で入れる?」
「うん」
 響介が奈都の座る場所にカップを置いて、蜂蜜も置いてくれる。
 エプロンを外して、奈都はまた椅子に座る。
「冷めないうちにどうぞ」
「ありがとう」
 奈都は蜂蜜をたっぷり入れて、スプーンでかき混ぜる。
 口に広がる蜂蜜の味と、紅茶の香りが好きだ。だから毎日、飲む。奈都の楽しみだ。
「おいしい」
「紅茶を飲むときの奈都は幸せそうだね」
「僕の楽しみだから。あ、ごめんなさい。わたしの楽しみだから」
「家族の前だから、使い分けすればいいんだよ」
「うん」
「お茶を飲んだら、話したいことがあるんだけど、聞いてくれる?」
「大切なこと?」
「ずっと秘密にしておきたいけど、秘密にできないこと」
 響介はテーブルの上で両手を握って、真っ直ぐ奈都を見た。
 まるで祈っているようだ。
「わたしの体以上に秘密のことなんてあるの?」
「同じくらい秘密のこと」
 カップをテーブルに置くと、両手を組んで、組んだそこに額を寄せた。
「聞かないといけないことなんだね」
「そうだよ」
「聞くよ。ちゃんと受け止める」
 響介は紅茶を飲み干して、席を立った。
「準備をしてくるから、お茶を飲んだら仏間に来て」
「わかった」
 響介がダイニングから出て行ってから、奈都は顔を上げた。
 テーブルに置いたティーカップを手に持ち、口に運ぶ。
 甘い味が泣きたい気持ちをあやす。
 ゆっくりお茶を飲んで、カップを食器洗浄機に入れて、奈都は仏間に行った。


 響介はまだ来ていなかった。
 奈都は仏壇の前で線香をあげる。
 飾ってある遺影を一つずつ見ていく。
 遺影は四枚。祖父母に両親、棚の上にはいろんな写真が飾られている。祖父母の思い出の写真と両親の思い出の写真、あと母とよく似た女性と笑っている写真。
 いつも見慣れた写真だ。奈都の小さな時の写真もあるし、響介や亜稀の小さな時の写真もある。一番新しい写真は、奈都が初めて女の子になったときに、料理人が撮ってくれた三人が写った写真だ。ワンピースは直らなかった。リメイクしてスカートにしてもらったが、着る気にならない。半袖のピンクのワンピースもリメイクされて戻ってきたが、今年の夏に着るかどうかはわからない。三人の写真を手に持って見ていると、響介が入ってきた。
 スーツに着替えている。
 奈都はじっと響介を見つめた。
「お仕事行くの?」
「大切な話だから」
 奈都は頷いた。
 仏壇の前からずれて、響介の前に座る。奈都は、三人の写真を大切に持っている。
 響介は封筒を二通持っていた。
「一つは祖父の遺言でもう一つは父の遺言だ。読んだことはないだろう?」
「はい」
「僕が話すより、自分で読んだ方が理解できると思う」
 奈都は写真を足の横に置くと、響介から二つの封筒をわたされた。
「まず、祖父の遺言を読んで欲しい」
「はい」
 父の遺言を目の前に置いて、祖父の遺言を封筒から取り出す。封筒は父の遺書の隣に並べて置いた。
 10枚以上ある遺言のほとんどが会社、仕事関係だ。
 読んでもわからない。
「最後のページを開けてごらん」
 奈都は言われたとおり最後のページを開けた。
 最後の一枚に奈都の名前が出てきた。
「僕が祖父に頼んで書いてもらったんだ」
 奈都は顔を上げて、響介を見る。
「読んで」
 響介に言われて、奈都は遺言を読んでいく。
『奈都は特別養子縁組制度に基づき実子として金森家の子とした。実母は、鈴木亜香里 
当時十三歳。実父は藤岡猛 当時十九歳』
「特別養子縁組制度?」
「先を読んで」
「うん」
『金森響介が望んだ場合は、婚姻できるものとする』
「婚姻できるものとする?」
 奈都は声を出して、読んで、溢れてきた涙を拭う。
「わたしは本当の兄妹じゃないの?」
「ちゃんともう一度読んで。実子として金森家の子としたと書いてないか?」
 戸籍謄本を目の間に出される。
「奈都、見てごらん。奈都の性別の部分は空欄だが子になっているだろう?」
「うん」
「本当は知らさなくていい情報をわざわざ書いてもらったのは、僕が奈都を好きだった。幼い奈都も僕を好きだとお爺さまに頼んだからだよ」
「覚えてない」
「奈都は記憶をなくしてからも、時々不安定だったんだ。だから子供の頃の記憶が曖昧だったりしてるんだよ」
「うん」
 奈都はいったん受け入れる。記憶がないのも、曖昧なのも確かなことだ。
「わたしには母が二人いたの?」
「もう一人母親がいた」
 響介は写真の飾られた棚から写真を一つ持ってきた。
「母の隣にいる母によく似た女性が、奈都のママだ。奈都は記憶をなくして忘れてしまったけど、母の妹で、心臓が悪くて実子を持てなかったおばさんは、奈都を実子にしたかったけど、自分が長く生きられない体だからと、籍は入れずに奈都が生まれた日からうちで奈都のママとして療養していた。パパもいたんだよ。おばさんは結婚していたからね。パパの写真がないのは、いつもカメラマンだったから。パパの母親が奈都に会いに来たんだ。空港に向かう途中で事故に遭ったんだ。奈都は頭に大怪我を負った。生死を彷徨うほどの大怪我で奇跡的に助かったんだ。パパとママは即死だった。母はいつか奈都が思い出したときに、ママとの話をしたくて写真を飾っていた。たくさんの人に愛されていたってわかってもらえるように」
「思い出せないよ」
 奈都は頭に触れる。その手を掴んで、響介は奈都の手にママの写真を持たせる。
「思い出せなくても、覚えておいて。奈都にはママもいた。だから、奈都には母親は三人いたんだよ」
「うん」
 奈都は実母と実父を指でなぞる。
「あ、藤岡亜香里、足の手術してくれた先生?幼い頃に子供を手放したって。今は幸せかって聞かれた」
「近くに住んでいたから、時々、うちを覗き込んでいた人だね。話したことはなかったけど、僕は気づいていた。奈都の手術の時確認した。その人だよ」
 手術中に話してくれた言葉を思い出し、胸が温かくなる。
 今も愛されている。
 足も綺麗に治してくれた。
「手術室に生みの母親だけじゃなくて、父親もいたんだ」
「そうなのか?」
「うん。紹介された。手術着を着ていたから顔は見えなかったけど」
 母に頭を撫でられ、父に手を握られた。
 あれが、あの二人の最大の愛情表現だったのだろう。
 響介は奈都の手から祖父の遺言を受け取ると、封筒に戻した。
 ママの写真を足下に置くと、父の遺言を開いた。
「父はまだ若かったから、自分がいきなり死ぬとは思っていなかったから、たいしたことは書いてないんだ。仕事についてのことが大半だ。最後のページを開いて」
 奈都は最後のページを開いた。
 祖父と同じ文面が書かれていた。
 違うのは実母に『藤岡亜香里(旧姓鈴木)』と訂正されていた。
『奈都の性は空欄のままだが、女性として育てている。幼い頃の奈都は天使のように可愛らしかった。そのまま育ててやりたかったが、すまない、私たちの不注意で奈都を混乱させてしまった。今は男装していても奈都は可愛いから私には女の子にしか見えないんだ。もし奈都が男として生きたいと思ったら、その時点で金森家の男子として教育してほしい。奈都が体の手術をしたいと言ったら、全面的に援助してやってほしい。生まれたばかりの時に女性の体に手術するつもりだったが、直前で私が迷ってしまった。両性を持って生まれた理由がどこかにあるのかもしれないとね。性別は自分で決めなさい。今もし悩んでいるなら、すべて私の責任だ。自分を責めないでくれ。奈都を愛しているよ。響介が望んでいるように響介が奈都を嫁にしたら可愛い娘を他の誰かに取られずにすむ。響介しっかり奈都を守り奈都の心を掴み取りなさい。兄弟仲良く金森家を繁栄させなさい』と書かれていた。
 父らしい文面だ。
 記載された日付を見ると、亡くなる三日前だった。
「お父さん」
 奈都は遺言書を抱きしめてから、そっと目の前に差し出す。
「奈都は自由だよ。男になっても女になっても好きなように生きていい。でも、どちらの性を選んだとしても、僕を伴侶に考えてほしい」
「響ちゃん」
 響介は奈都の手から父の遺言を受け取ると封筒にしまった。
「わたしは女として生きます」
 心のまま奈都は宣言した。
「奈都、僕との結婚は?」
 奈都は俯いた。
「子供はできないかもしれない。できたとしても、わたしみたいな子供が生まれたらどうするの?」
「二人で育てればいい。どんな子でも愛せる。僕は奈都を愛し続けたんだよ。信じられない?」
 響介の両手が奈都の両手をしっかり握った。
 奈都は顔を上げて響介を見つめる。
 優しくて真剣な眼差しに、心が騒ぐ。
 本当は欲しい。愛されたい。
 誰にもわたしたくない。
「いいの?ほんとに」
「おいで」
 響介が両手を開いた。
 奈都が抱きついてくるのを待っている。
 心が浮き立つ。
 受け止めて欲しい。心も体も全部、響介に抱き留められたい。
「響ちゃん」
 奈都は響介に抱きついた。響介の手が背中を抱きしめてくる。
 宝を抱くように、しっかり包みこまれる。

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