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4 兄から離れる覚悟
2 最悪なクリスマスプレゼント
しおりを挟む亜里砂はスマホで検索して、まだ間に合う大学を探した。
京都に見つけて担任に相談した。終業式のその日は授業がなく式だけだ。
推薦試験で受かっているので、他受験はできないと言われたが、すぐに書類は用意してくれた。受付までの時間があまりないので、その日に書類を作り、亜里砂は書類ができるのを学校で待っていた。学校帰りに銀行に寄ろうとした。
「そこに見えるのは、泣き虫亜里砂か?」
聞き覚えのある声が、亜里砂の名前を呼んだような気がした。
過去のトラウマで悪夢をよく見る亜里砂は、いつも生みの母の声を脳内で聞いている。起きているときに聞くことは、今までなかったが、一人暮らしになる不安から起きているのかもしれないと思った。
亜里砂は念のため人混みの間を見るが、やはり恐れた姿はいない。
気のせいかと思い銀行に向かって歩いて行く。
銀行に入る瞬間、背後から体を拘束されて、口も塞がれた。
(なに?誰か助けて)
体をよじってもがくが、誰もが見て見ぬ振りで通り過ぎて行く。
ビルとビルの間に引き込まれて、拘束を解かれた。すぐに逃げだそうとして、手を握られた。
「大きくなったな」
背後を振り向くと、見覚えのある顔がそこにあった。
「おかあさん?」
「亜里砂、綺麗になったな」
「出所したの?」
「出てきたばかりだよ。久しぶりのシャバの空気は壁の中より悪いな」
13年の懲役と10年の執行猶予だったと記憶している。
おかあさんを怖がる亜里砂に、父が何度も教えてくれた。
「今、銀行に行こうとしていたな?お金貸してくれる?」
「大学の書類」
亜里砂は時計を見て、走り出した。
銀行が終ってしまう。
ATMで受験料を下ろそうとして、通帳を取り上げられた。
「あんまり持ってないのな。あの唐変木、有名なデザイナーと再婚したんだろう。小遣いないのか?」
「余分にもらってないだけ」
「暗証番号は?」
「覚えてない」
鞄を取り上げられ、中から受験の書類を取りだして、それを破ろうとしてみせる。
「やめて」
「暗証番号」
亜里砂は仕方なく暗証番号を教えて、書類を返してもらった。
鞄にしっかりしまっているうちに、貯金は全部下ろされてしまった。
「返すよ」
空の通帳とキャッシュカードを手の上に置かれた。
「お金、返して。受験料払わないと間に合わないの。受験料だけでも返して」
「5歳まで育ててやったお礼は、この程度か?」
「育ててもらってないわ。いたぶられた記憶しか残ってない」
育ての母親はニコリと笑うと、亜里砂の手を引っ張り銀行から出て行った。
「煙草の痕残ってないじゃないか」
「お父さんが手術費を出してくれたの」
「あの家に帰って来なかった男が、まだ父親をしているのか?」
「おかあさんが逮捕されてから、ずっと一緒にいてくれている」
生みの母は、都会に溶け込むような普通の姿をしていた。
いつも派手やかな服を着ていたが、普通の服におとなしい髪型は、年相応に見える。
亜里砂の手を引き、コンビニに入ると菓子パンと煙草を買った。
煙草のパッケージを見て、震えが走った。
「手を離して」
コンビニのレジで声を上げると、生みの母は亜里砂から手を離して、睨んだ。
精算するうちに、コンビニを飛び出した。
地下鉄の駅まで走って改札口で、また手を掴まれた。
「走るの遅いのな。どんくささは昔と変わってないみたいだな」
「助けて」
駅員に助けを求めると、何人かが出てきた。
「どうかしましたか?」
「この人にお金を取られて、追われています」
駅員は生みの母を見るが、
「この子の母です。家出をする子でね。やっと見つけたんですよ」
生みの母は、ケロッと嘘をつく。
「ちゃんと家に帰るんだよ」
「違うの、ちゃんと調べて」
駅員たちは、亜里砂から離れていった。
「どうするつもりよ?」
「親子の再会ちゃんとしてないだろう?積もる話もあるだろう?」
「私はないわ。手を離して」
「昔は小さな手だったけど、大きくなったな」
亜里砂の手を握って生みの母は嬉しそうに笑った。
「どこに連れていくの?」
「公園でも行こうか?」
記憶を辿って歩いているのか、迷いながら亜里砂の手を引いていく。
「私、もう帰りたい。お母さんと約束しているの」
「お母さんか、亜里砂、お母さんってよく呼んでいたな」
「昔話はしたくないの」
「そんなに嫌われているのか?」
「嫌い」
生みの母は公園でやっと足を止めて、亜里砂を眺める。
「あの頃は泣いてばかりいたが、生意気な顔をするようになったじゃないか。私もおまえを嫌いだったよ。おまえのせいでムショにぶち込まれたし、おまえがいるから自由にできなかった」
「自由にしていたじゃない。男を連れ込んで、私をベランダに出してた。暑い夏も凍えるような冬も。叩いたり殴ったり、熱湯をかけたり」
「煙草を押し当てた」
「いやぁー」
手首を握られ、腕に煙草を押しつけられて、亜里砂は悲鳴をあげた。
膝が砕けて、地面に膝をつくと、生みの母は、また煙草を吸って先端を赤く燃やす。
「ぶち込まれている間も、おまえを焼きたくてウズウズしてた」
「変態」
「憎しみは愛情の裏返しって言われてるだろう」
「愛情なんて欠片もなかった」
「おまえのせいで私の人生は終わった。おまえも終われ」
「痛い!やめて」
亜里砂の手を掴んだまま、最初に焼いた場所から二つ並ぶように赤く燃えている煙草を押し当てられる。
「親子の絆だ。ずっと残しておけ」
「いやーっ、やめて」
「相変わらず、うるさい灰皿だ」
亜里砂の悲鳴を聞いて、公園に人が入ってきた。
「何かありましたか?」
「いいえ、何でもありません」
生みの母は猫なで声で、心配そうに覗き込んできたおばあさんに愛想良く笑うと頭を下げた。生みの母は声を潜めて、笑顔のまま亜里砂に言葉を告げると手を離した。
煙草の火は消えていた。
「帰っていいよ。そのうち、また会いに行くよ」
「もう来ないで」
亜里砂は鞄を掴むと腕を押さえながら、走って逃げた。
追いつかれるかもしれないと思い、通りの交番に助けを求めた。
「お父さん、助けて。おかあさんが私の手をまた焼いたの。助けて。なんで出所しているの?」
まず、父親に電話をした。
「交番だね。そこにいなさい」
「うん。早く来て」
交番の水道で、火傷の場所を流水で流させてもらった。
「出所してきたお母さんに、煙草を押しつけられたの?」
椅子を持ってきてくれた交番の警察官が質問をしてくる。
亜里砂は椅子に座って、水道から出る水で火傷を冷やす。
「お金も取られました」
空になった通帳を見せた。
「番号を教えたの?」
「脅迫されました」
火傷の痛みより精神的ショックの方が強い。意識が朦朧としてきて、水道にもたれかかる。
「大丈夫?」
「怖い」
「貧血、起こしてるな?」
「ベッドに寝かせようか?」
「いや、冷やした方がいいだろう」
「救急車を呼んだ方が良かったかもしれないぞ」
警官たちが相談している声が、遠くでする。
椅子から落ちかけた体を、支えられた。
「君は?」
「亜里砂の兄です。父がすぐ来られないので、代わりに迎えに来ました」
「いちおう、身分証明書を出してもらえるかな?」
友麻は免許証といつも持ち歩いている戸籍謄本を見せる。
名字が違うので、いつもスムーズにいかなくて、持ち歩くようにしている。
「再婚なんです。うちの両親は。僕は社会人になっていたので、旧姓を使っています」
「紅葉さん、お兄さんが迎えに来たよ。病院に連れて行ってもらいなさい。お母さんの指名手配はしておくからね」
「お願いします」
亜里砂に代わって友麻はお礼を言うと、貧血を起こしている亜里砂を抱き上げて、友麻は車の助手席に亜里砂を載せる。車のドアを開けてくれた警察官が「早く病院に連れて行ってあげてください」と言って荷物と氷の入った袋をわたしてくれた。
「ありがとうございます」
警察官にお礼を言うと、亜里砂の体にシートベルトをはめる。
「亜里砂、手を見せて」
「お兄ちゃん?」
意識が朦朧としている亜里砂のコートの袖を捲ると、すぐに火傷が見えた。
生々しく赤く焼けた火傷が二つ。中心は赤黒く焼けて中心から広がるように赤くなっている。
ビニール袋をハンカチで結ぶと火傷とコートの間に挟んだ。
「すぐに病院に行くから」
「お兄ちゃん、ごめんなさい」
「氷で冷やしているんだよ」
「うん」
友麻は見送ってくれた警官に頭を下げると、車を走らせた。
脂肪組織までしっかり焼かれた亜里砂は、緊急手術を受けた。
精神が不安定になった亜里砂は、手術の途中で全身麻酔に切り替えられまだ目覚めていない。
「なんで亜里砂だけ、こんな辛い目に遭うんだよ」
「辛い思いをさせている友麻が、それを言えるの?」
母に痛い部分を指摘されて、友麻はまた黙り込む。
父親の祐輔は、警察に被害届を出して、弁護士のもとに向かった。
「友麻は家に戻っていなさい。亜里砂の心の負担になるわ」
「わかった」
友麻は眠っている亜里砂の顔をしっかり見ると、席を立った。
「亜里砂を頼む」
「言われなくても、亜里砂は私の娘よ。さっさと帰りなさい」
亜里砂に会わせてもらえない友麻は、部屋から出て行った。
廊下には、亜里砂が目覚めるのを待っている警察官が控えていた。
亜里砂を傷つけた生みの母は、逃亡して見つかっていない。
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