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第六章
第三話 癒合
しおりを挟む心臓が早鐘のごとく鳴っては、亮の胸を苦しくさせる。罪悪感のせいか、蓮を抱ける高揚感なのかは、自身でも判然としなかった。
わかるのはただ、たとえ前者の感情が働いているのだとしても、月龍ではなく蓮に向けられたものであることだけだった。
蓮の肩を抱き寄せると、髪にそっと頬を寄せる。
鎮まれ、と自分の心臓に命じた。あまりにやかましく騒いでは、蓮に感づかれてしまう。
亮の想いを知れば、蓮は今すぐに腕の中から逃げ出すだろう。そうして自分がした頼みごとの残酷さに気づいて、二度と訪ねて来なくなる。
誰に頼ることもできず、ただひとり、涙で暮れる日々を過ごすことになるのだろう。
蓮の信頼に応えるには、私心など微塵も見せずに望みを叶えてやる他はない。
手を伸ばし、まだ涙に濡れる蓮の頬をゆっくりと撫でる。やんわりと促して上を向かせると、唇を重ねた。
胸に当てられていた蓮の手が、亮を押し戻そうとするようにぴくりと震える。
だがそれ以上の抵抗らしい抵抗はなかった。細い肩を小刻みに震わせながらも、蓮は不器用に、けれど懸命に、口づけに応えようとしている。
心底惚れた男とは違う相手の唇を、今、どのような気持ちで受け止めているのか。
想いを馳せるほどに、胸が痛くなる。
薄く開いた亮の目に、固く閉じた蓮の目尻から流れ落ちる一筋の涙が見えた。
「――それほどあの男が好きか」
無意識に発したのは、憎々しげな呟きだった。
答えなど、期待していない。他の男に身を任せてまで――おそらく蓮にとっては、死ぬより酷い恥辱に耐えてまで貫こうとする想いが強いことなど、聞くまでもなければ聞きたくもない。
唇を重ねたまま、蓮を抱き上げる。あまりにも華奢な体は、決して剛力ではない亮の腕力をもってしても容易かった。
もっともその軽さが、亮の胸により重さを感じさせるのだけれど。
臥牀に運ばれ、横たえられた蓮は身を固くしている。これから行われることを考えれば、緊張と不安、なにより恐怖を感じずにはいられないのだろう。
かたかたと震え続ける蓮が哀れで、亮の中で燃える月龍への怒りは、油を注がれた炎のように燃え上がった。
「怖いか」
蓮の上にゆっくりと体重をかけながら、耳元で囁く。
「大丈夫だ。男と女が愛し合うのは、なにも悪いことではない。罪悪感もいらない。――おれに任せていれば、大丈夫だから」
蓮の頬を撫で、逆の頬に口付ける。幾度も大丈夫とくり返し、優しく触れる亮に、蓮は小さく首肯した。
きゅっと固く閉じられた瞼に、唇を落とす。蓮自身に気取られぬほど自然な動作で、衣服を脱がしていく。
柔らかな肌に、直接指が降れた。きめ細やかな、上質の絹を思わせる滑らかな感触に、胸が締めつけられる。
物心ついた頃から、ずっと蓮を大切に思ってきた。今では恋慕の情をはっきりと自覚している。
自分の気持ちに気づいたあと、一体幾度、蓮を抱く夢を見ただろう。
それが今、現実のものになろうとしている。
望んだのは、このような形ではない。なかったはずだ。
けれど、わかっている。違う形で――望んだ形で蓮を抱ける日など、おそらく一生来ないであろうことは。
わかってしまうからこそ、じん、と目頭が熱くなる。
「――蓮」
そっと名を呼んで、彼女の髪を撫でる。
「なにも考えなくていい。お前は――」
お前のままでいい。
言いかけた言葉を、辛うじて飲みこむ。
そのままではいけないと月龍に言われたからこそ、蓮はここに来たのだ。
「――お前は、自分がよくなることだけを考えていろ。それが一番の上達法だ。閨房の術など、自ずとあとからついてくる」
悲しさも辛さも全部忘れて、ただ身を任せてほしい。そうすれば抱いている間だけは、自分のものだと錯覚していられるかもしれない。
しょせんは自分も、身勝手なのかもしれない。滲み出てくる虚しさと自嘲を、笑みへとすり替えた。
「安心していい。おれが、導いてやる」
大丈夫、ともう一度囁きかける。
亮の声が、微かでも安堵を与えられたのだろうか。指が、唇が触れる先から、蓮の力が抜けていく。
少なくとも蓮の体は、亮に従順な反応を示していた。
「だが知らんぞ」
亮はふっと、苦笑する。
「おれを知れば、他の男では満足できなくなる。――まぁ問題はないか。そうなればおれの后にしてやる」
ふざけた軽口を叩くのは、そうしなければ亮の方こそ涙を堪えられる自信がなかったからだ。
だが蓮は、彼女の緊張をほぐそうとした思いやりだとでも思ったのだろう。薄く目を開け、微かにほころんだ口元が「ありがとうございます」と動いた。
たしかに冗談めかして言いはしたが、半分以上は本気でもあった。
もし蓮が亮を選んでくれるのならば、もう月龍を失いたくないなどと甘いことは言わない。
月龍だけではない。王朝も、父王も、身分もすべて捨ててもよかった。
蓮が傍にいてくれるのなら、なにを失っても構わない。なにをしてでも、蓮を守ってみせる。
そうだ。あのような男のことなど、忘れさせてやる。
「蓮」
愛している。
心の中だけで加えて、ゆっくりと蓮の胎内に辿り着く。
痛みは、ないはずだった。体に負担など、かけたつもりはない。
なのに蓮は、急にくっと息を詰まらせる。
感覚が、月龍とのことを思い出させたのか。
そうして、今肌を合わせているのが月龍ではないと――何故今、こうして違う男に抱かれなければならないのかを、思い出したのかもしれない。
「泣くな」
蓮の涙に、口づけた。一瞬だけ覚えた優越感が、浅ましい幻想にすぎないと思い知らされる。
「辛いだろうが、堪えてくれ。おれに抱かれている間だけでいい。その後でなら――いくらでも、胸を貸してやる」
髪に、頬にと、口づけをくり返した。優しく、けれど確実に、蓮の中に体を埋める。
うんと頷いて、縋りついてくる蓮の小さな手がまた、切なさを誘った。深く、深く蓮を抱きしめながら、ふと、自分こそが泣いていることに気づく。
蓮に、悟られてはいけない。
彼女の肩に額を当て、顔を見られないようにする。
心痛を極めながらも、二人の体がゆっくりと溶け合っていくのがわかった。否定しようのない心地よさの波が、押し寄せてくる。
救いは、蓮も同じだったことだ。胸の苦しさが消えたわけではないのだろうが、次第に体が温まってくるのが、肌を通してわかる。
混乱の中、それでもひとつになっていくのを、互いに感じずにはいられなかった。
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