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第八章
第六話 執念
しおりを挟むぽたりと落ちてきたのは、冷たい滴。
亮は愕然と、目を上げた。
「――月龍――?」
「蓮はおれのすべてだ。――頼む。奪っていかないでくれ」
亮の頬を濡らしたのは、月龍の目から溢れたものだった。
今まで瞳を潤ませていたのくらいは目にしたこともあるが、流れ出すほどの涙を、ましてそれを隠すこともできぬほど憔悴した月龍など初めてだった。
「今度こそ、必ず幸せにする。だから――お願いだ。今一度だけ、おれに機会をくれないか」
並々ならぬ想いに気づかぬ亮ではない。その上であえて、舌打ちを吐き捨てる。
「なにが頼む、だ。立派な脅しではないか」
亮が否と言えば、月龍は迷わず手に力をこめるだろう。
もし納得するふりをして、後日、実力行使に出ても同じことだ。蓮が亮に嫁ぐと噂にでもなれば、月龍は再び殺しに来る。
月龍の顔が歪んだ。柄を握りしめる手が、ぶるぶると震えている。落ちた涙が、再び亮の頬を濡らした。
「――一度だけだ」
月龍から目をそらし、床の白刃へと目を向ける。
え、と呻くような声が、月龍の口から洩れた。その声だけで、信じられない、とでも言いたげなのがわかる。
「機会は一度しかないと思え。今度蓮を泣かせたら――」
ぐっと細めた目で、月龍の顔を振り仰ぐ。
死の恐怖から承知したのではないと、示したかった。
亮が抱いているのは、蓮への愛情だけではない。月龍の憎しみだけでもない。
長く時を共にした月龍への信頼がまだ残っていることを――それに、一縷の望みを託すのだと、月龍に伝えたかった。
「わかっているな」
おれがもらう。
念押しの中に、声には出さない強い意思を潜ませた。
真剣な瞳に乗せた亮の気持ちを、月龍も察したようだった。表情が、複雑な感情を表している。
――やがて、重々しく首肯した。
「すまない。――感謝する」
倦怠感に苛まれているかのような、緩慢な動作だった。月龍は立ち上がり、腕で乱暴に目元を拭う。
悄然と立ち去る大きな背中が、亮の目にも痛々しかった。
「まったく――損な役回りなことだな、本当に」
ため息と共に愚痴を吐き出したのは、月龍の姿が消えてしばらく経ってからだった。
今更ながら、首につけられた傷がじわじわと痛みを訴えてくる。掴まえられた腕、倒されたときに打ちつけた背中も鈍く痛んだ。
気怠さを引きずりながら体を起こし、床に突き立つ懐剣を引き抜こうと柄に手をかける。
だが、力いっぱいに引っ張っても抜けなかった。
改めて見てみると、刃が二寸以上も床にめり込んでいる。このような技、どれほどの腕力が必要かなど、想像の範疇を越えていた。
ぞくりと寒気が走った。
思い知らされたのは、月龍の人並み外れた膂力の凄まじさ。
同時に、蓮へと向けられた執念じみた愛情の深さだった。
そう、蓮はこれほどまでに蓮を愛している。今度こそ、幸せにしてくれるに違いない。
――後日、無理にでも蓮を奪っておけばよかったと死ぬほど悔いることになるなど、このときの亮には知る由もなかった。
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