冥合奇譚 ~月龍の章~

月島 成生

文字の大きさ
75 / 80
第八章

第六話 執念

しおりを挟む

 ぽたりと落ちてきたのは、冷たい滴。
 亮は愕然と、目を上げた。

「――月龍――?」
「蓮はおれのすべてだ。――頼む。奪っていかないでくれ」

 亮の頬を濡らしたのは、月龍の目から溢れたものだった。
 今まで瞳を潤ませていたのくらいは目にしたこともあるが、流れ出すほどの涙を、ましてそれを隠すこともできぬほど憔悴した月龍など初めてだった。

「今度こそ、必ず幸せにする。だから――お願いだ。今一度だけ、おれに機会をくれないか」

 並々ならぬ想いに気づかぬ亮ではない。その上であえて、舌打ちを吐き捨てる。

「なにが頼む、だ。立派な脅しではないか」

 亮が否と言えば、月龍は迷わず手に力をこめるだろう。
 もし納得するふりをして、後日、実力行使に出ても同じことだ。蓮が亮に嫁ぐと噂にでもなれば、月龍は再び殺しに来る。
 月龍の顔が歪んだ。柄を握りしめる手が、ぶるぶると震えている。落ちた涙が、再び亮の頬を濡らした。

「――一度だけだ」

 月龍から目をそらし、床の白刃へと目を向ける。
 え、と呻くような声が、月龍の口から洩れた。その声だけで、信じられない、とでも言いたげなのがわかる。

「機会は一度しかないと思え。今度蓮を泣かせたら――」

 ぐっと細めた目で、月龍の顔を振り仰ぐ。
 死の恐怖から承知したのではないと、示したかった。

 亮が抱いているのは、蓮への愛情だけではない。月龍の憎しみだけでもない。
 長く時を共にした月龍への信頼がまだ残っていることを――それに、一縷の望みを託すのだと、月龍に伝えたかった。

「わかっているな」

 おれがもらう。
 念押しの中に、声には出さない強い意思を潜ませた。
 真剣な瞳に乗せた亮の気持ちを、月龍も察したようだった。表情が、複雑な感情を表している。

 ――やがて、重々しく首肯した。

「すまない。――感謝する」

 倦怠感に苛まれているかのような、緩慢な動作だった。月龍は立ち上がり、腕で乱暴に目元を拭う。
 悄然と立ち去る大きな背中が、亮の目にも痛々しかった。

「まったく――損な役回りなことだな、本当に」

 ため息と共に愚痴を吐き出したのは、月龍の姿が消えてしばらく経ってからだった。

 今更ながら、首につけられた傷がじわじわと痛みを訴えてくる。掴まえられた腕、倒されたときに打ちつけた背中も鈍く痛んだ。
 気怠さを引きずりながら体を起こし、床に突き立つ懐剣を引き抜こうと柄に手をかける。

 だが、力いっぱいに引っ張っても抜けなかった。
 改めて見てみると、刃が二寸以上も床にめり込んでいる。このような技、どれほどの腕力が必要かなど、想像の範疇を越えていた。

 ぞくりと寒気が走った。
 思い知らされたのは、月龍の人並み外れた膂力の凄まじさ。
 同時に、蓮へと向けられた執念じみた愛情の深さだった。

 そう、蓮はこれほどまでに蓮を愛している。今度こそ、幸せにしてくれるに違いない。


 ――後日、無理にでも蓮を奪っておけばよかったと死ぬほど悔いることになるなど、このときの亮には知る由もなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

嘘コクのゆくえ

キムラましゅろう
恋愛
アニーは奨学金とバイトで稼いだお金で魔法学校に通う苦学生。 生活は困窮、他の学生みたいに愛だの恋だのに現を抜かしている暇などない生活を送っていた。 そんな中、とある教授の研究室で何らかの罰としてアニー=メイスンに告白して来いと教授が学生に命じているのを偶然耳にしてしまう。 アニーとは自分のこと、そして告白するように言われていた学生は密かに思いを寄せる同級生のロンド=ハミルトンで…… 次の日、さっそくその命令に従ってアニーに嘘の告白、嘘コクをしてきたロンドにアニーは…… 完全ご都合主義、ノーリアリティノークオリティのお話です。 誤字脱字が罠のように点在するお話です。菩薩の如き広いお心でお読みいただけますと幸いです。 作者は元サヤハピエン主義を掲げております。 アンチ元サヤの方は回れ右をお勧めいたします。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

幸せアプリ

青の雀
恋愛
結婚間近の同棲していた恋人に捨てられ、契約直前の仕事を同期男性に盗られたその日はまさに厄日かと思われた。 帰宅して、風呂上りにスマホでサーフィンしていたら、見覚えのないアプリがインストールされている! すぐに削除するつもりが……、次第にアプリの指示通り行動していたら、幸せが手に入るようになりました♡

二年間の花嫁

柴田はつみ
恋愛
名門公爵家との政略結婚――それは、彼にとっても、私にとっても期間限定の約束だった。 公爵アランにはすでに将来を誓い合った女性がいる。私はただ、その日までの“仮の妻”でしかない。 二年後、契約が終われば彼の元を去らなければならないと分かっていた。 それでも構わなかった。 たとえ短い時間でも、ずっと想い続けてきた彼のそばにいられるなら――。 けれど、私の知らないところで、アランは密かに策略を巡らせていた。 この結婚は、ただの義務でも慈悲でもない。 彼にとっても、私を手放すつもりなど初めからなかったのだ。 やがて二人の距離は少しずつ近づき、契約という鎖が、甘く熱い絆へと変わっていく。 期限が迫る中、真実の愛がすべてを覆す。 ――これは、嘘から始まった恋が、永遠へと変わる物語。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

処理中です...