東大正高校新聞部シリーズ

場違い

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第3部 マープルの死角

文鳥は間違えなかったか -Strangers on a bag- 後編

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 拝啓

 こんな変な形で手紙を渡させてしまって、ごめんなさい。
 面と向かって言えなくて、ごめんなさい。
 冒頭から謝ってばっかりで、ごめんなさい。

 お察しかもしれませんが、これはラブレターです。

 まだ4行しか書いてないのに、消しあとばっかりでごめんなさい。いつまでも決心がつかない意気地なしでごめんなさい。
 だけど、今日告白しなきゃ一生できない気がするから、これを書きました。

 本番の告白は、あなたに、面と向かって言わせてくれたら嬉しいです。

 放課後、部室棟Bの裏で待っています。
 こういうのって、体育館裏とかがベタだけど。あそこはタバコの吸い殻とかがたまにあるから……あなたにはちょっと行きにくい場所かもしれませんが、どうか部室棟Bまで、お願いします。

 敬具



 ふと窓を見やると、どんよりとした雲が空を覆っていた。昼間なんかはいい天気だったのに。
 自分の精神状態を情景描写されている気分だ。

 空乃と、忍と、下邨と、柿坂先輩と、渡良瀬先輩と……目の位置に穴を開けたコーヒー屋の紙袋を被ったキヨが、机の上に広げたその手紙を一斉に見る。
 一方、一足先にその手紙を確認した私は、頭を抱えてぶつぶつと呪言を唱える。
 ……また、体育祭のときみたいに、あっちこっち聞きまわって手紙の送り主と宛先を推理しなくちゃならないのか?
 キヨが、笑いを堪えているような声で言う。紙袋のせいでくぐもっている。

「小池、お前ついに告られるのか」
「しかもよ、この字的に、書いたヤツって女子だろ!」
「ど、同性からラブレター……」
「男前だとか言って茶化してたけれど……笑えなくなってきたわね」

 同級生の4人はみんな勘違いしているようだが……。
 これはおそらく、私に宛てられたものではない。

「いや、これは女子が男子に宛てたものだと思うよ」
「そうねー。1年はまだ学校に慣れてないから、気付かないのも仕方ないかもね」

 柿坂先輩と渡良瀬先輩には、それが分かっているようだった。

「どういうことスか?」
「この部分だよ、『あなたにはちょっと行きにくい場所かもしれませんが、どうか部室棟Bまで、お願いします。』」
「部室棟Bに行くのって、水泳部の女子更衣室の前を通らなくちゃいけないだろ? それを行きにくいって言ってるんだから、送り先は男子。そして、『あなたには』っていう部分から、自分にとっては平気だというニュアンスが取れるから、送り主は女子って分かる」
「ああ、そういうことですか」

 水泳部、という単語に、忍が反応する。
 首を回して、ここ1週間でずいぶんと日焼けした下邨の方を向く。

「そういえば下邨、水泳部はいいの? 夏の大会近いんじゃない?」
「最近、まったく顔見せれてなかったから、今日ぐらいはこっち出ようと思って。だいたい大会にメインで出るのは先輩だし、先輩らもロクにやる気ねーからな」
「サッカー部とかバスケ部はたまに表彰されてるの見るけど……そういや水泳部って全然タイトルないよね」
「ここ4年は、トロフィーやメダルどころか、賞状すら無いんだぜ? ……ぶっちゃけ言って、サボってもあんま何も言われんし」

 そう言って、下邨は唇を尖らせた。やる気のない水泳部に不満があるのだろう。

 ラブレターの方に意識を戻す。
 この手紙をよくよく読めば、話を聞く相手は絞れそうだ。

「それにしても、誰がこれを入れたんだろうね?」
「誰が入れたのかはもう分かってる、そこはさほど問題じゃない」
「相変わらずすごいなぁ」

 空乃は眉を下げて苦笑した。
 この頃、私が推理っぽいことをしても、ちょっとやそっとじゃ空乃は驚かなくなってしまった。名探偵だとか言っておちょくられたいワケではないが、なんかちょっと寂しい気もする。

「この手紙の冒頭、『渡させてしまって』って書いてるだろ」
「あぁそっか。本人が入れたと考えると、違和感あるね」
「さらに、『誰かに頼んでカバンの中に忍ばせた』という手口から、どのタイミングで誰が入れたかまで分かるはずだ。空乃にはな」
「え、私には?」
「3組以外のヤツは、あの場にいなかったから多分分からないだろうけど」

 私が与えたヒントを基に、空乃は顎に手を当てて考え始めた。
 うーん、と唸って、

「今日、バレずにカバンの中に手紙を入れられるタイミングって言ったら……科学の移動教室のとき?」
「そう。3組と5組はほぼ全員、合同実験のために、休み時間の前に移動したからな。休み時間の終わり間際には教室は無人だったから、目撃されずに手紙を入れることができただろう」
「そうか! じゃあ手紙を入れた人は、ずっと教室の外で待ってた……あの……えと…………」

 謎が解けて非常にスッキリとした顔で、空乃が手を叩くが……すぐに声のトーンが落ちてゆく。
 頬に手を当てて、首を傾げた。

「なんて人だっけ?」
「……カミネだよ、教えただろ」
「喋ってもない子の名前なんて覚えてないよー」

 そう。おそらく私のカバンに手紙を入れたのは、カミネだ。教室の前で突っ立ってたのは、3組のみんなが移動して教室が空っぽになるのを待つためだったんだ。

「ということは……海蔵寺さんが、間違って入れたの?」
「そういうことになる……だけど」

 何故そんなミスが発生してしまったのだろうか?
 電話をかけてカミネに聞けば済む話だが、ここでちょっと整理してみることにしよう。私はいつも通りにスマホのメモ帳を開き、思考を始めた。

 今回の手紙を書いた人をA、宛先をBと置こう。
 カミネは、Aから、手紙を渡す役目を任される。
 おそらく、このときに手口も指定されていたのだろう。そうでなければ、こんな回りくどい手を使うよりも、直接渡した方が確実だし。
 誰もいない教室で他人のカバンを開けるところなんか目撃されたら、泥棒と間違えられる。わざわざそのようなリスクを負ったのには、理由があるのだろうか?
 そして……伝達ミスなのかわざとなのか、カミネは手紙を、本来の宛先であるBの元へは届けず、なんでか私のカバンに入れてしまった。
 私がすぐに気付いて、ここまで推理を進め、カミネに返せば丸く収まったのだろうけど……残念ながら、私はこの放課後までカバンを開けなかったので、この手紙に気付くことはできなかった。
 部室で私が手紙を発見して、その内容からここまでの推理を進めてきた。

 ……ここまで振り返ってきて、私はちょっとだけピンとくるものを感じた。

「大体分かったかもしれないな……手紙の書き手と、その宛先」
「ええ! ……いや、今回ばかりは嘘でしょ。情報、この手紙と移動教室のアリバイだけだよ?」
「…………」

 紙袋を被ったキヨはさっきから無言だ。恥ずかしいのだろうか、それとも。

「てか、カミネちゃんに電話とかした方がいんじゃねーの? ID知ってんだろ」
「そうだな。連絡つかないとちょっとめんどい」

 シュッシュッ、と軽やかに指で画面をなぞり、無料トークアプリを使ってカミネに電話をかける。
 書道部は今日、活動してるんだろうか。もし電話繋がらなかったら、またあの教室行かないとな……気まずいよなぁ……。

「……はい」
「あ、カミネ? 今大丈夫か」

 杞憂で済んだか。書道部のの先輩2人、元気にやっているといいが……。
 ともかく、今はこっちの件だ。
 電話しているときのマナーとして、とりあえず部室から出る。
 廊下をとことこ歩きながら、私は今回起こった面倒な事情を説明する。

「えーと……変なこと聞くけど、私のカバンにラブレター入れたの、カミネか?」
「………………」

 電話の向こう側から、小さいため息が聞こえてきた。
 ……予想が正しければ、ちょっと怒ってるのかな。カミネはワントーン下がった声で返事をくれた。

「あー……うん。迷惑かけてごめん」
「いや、いいんだ。それより、もともとの宛先、もしくは手紙の書き手にこれを送り届けたいから、教えてくれないか」
「…………」
「カミネは、誰から、誰に、どんな風に手紙を渡せって頼まれたのか」

 階段をどんどんと降りる。振動とかで、向こうに変な音が伝わっていないか心配だけど、どんどん降りる。
 カミネは、私からの質問に、なおも黙りこくっていた。
 無言の電話から、カラン、と軽い音が聞こえてきた。氷の音っぽい? 喫茶店にでもいるのかな。
 しばらくして、カミネは、ちょっといたずらっぽく笑いながら言う。

「……あなたのことだから、どうせ、もう分かってるんじゃない?」
「確信はないけどな」
「他言無用って言われてるから、私の方からそれは言えないわ。……よかったら、その予想を聞かせて」
「…………分かった」

 カミネは……手紙の書き手に、こんな風に頼まれたはずだ。

「『科学の移動教室で全員が出払ったあと、――くんのカバンに、これを入れておいてください』」
「…………正解」

 やっぱり、カミネは間違ったわけじゃなかったのか。
 私のカバンにあの手紙が入っていた理由は――



 電話を切って、ポケットに突っ込む。
 空を見上げた。
 夏に曇ると鬱陶しいな。なんで彼女は、よりにもよってこんな日を告白の日に選んだんだろうか。

 ポケットから握った手を出して、手持無沙汰になると、私は踵を返して部室へと戻ることにした。

「これだけあれば、2人を合わせられるはずだ」



 部室に戻ると、みんなはそわそわした様子で、私が部屋に入って来るなり空乃と忍が駆け寄ってきた。
 キヨがいないようだが……面倒だから帰ったのか?

「どう?」
「……準備は整ったよ。だけど、今日は手紙を渡すのは無理そうだ」
「……そう、なんだ」

 空乃はそっと目を伏せた。
 せっかく告白を決意したのに、そのラブレターを私のカバンに入れられたなんて知ったら……彼女は、どんな顔をするかな。
 柿坂先輩は、部外者が首を突っ込むみたいで悪いけれど、と謙虚な前置きを挟んで提案をした。

「今日渡すことが無理だと決まったのなら、とりあえず呼び出し先である部室棟Bの裏に行って、それを伝える必要があるんじゃないかな」
「そうですね。いつまでも待ち続けることになったら、可哀想ですし……」

 なんだかんだやってたら、もう時刻は4時半だ。
 授業が終わったのは3時すぎだから……彼女は、そんなに長いこと部室棟Bの裏で、来るはずのない告白相手を待ち続けていることになる。私のせいでさらに長く待たせることになってしまうのは忍びない。
 広げていたラブレターを、できるだけ綺麗に便箋にしまい直す。
 渡良瀬先輩が、いつもの微笑んだ顔をちょっと青くしている。

「ラブレターが届かなかった上に、無関係の私たちに読まれるなんてね……不幸とはいえ、なんて言ったらいいのか」
「今さらそれを言っても仕方ありませんよ。……とにかく、私はこれを持って部室棟Bに行くよ。時間も時間だし、今日はそのまま帰ろうかな」

 カバンを持って立ち上がる。
 お疲れ様です、と声をかけて部室を立ち去ろうとすると、空乃が慌ててあとからついてきた。

「わ、私も行くよ」
「なんで? 誰の色恋沙汰なのか、知りたいのか?」
「そんなわけないでしょ! 咲宛てのものだって勘違いしたとはいえ、勝手に他人の手紙を読んじゃったんだから、謝らないわけにはいかないよ」
「私も行くわ。秘密を知ってしまったのに、そのことを当人に黙ってるなんて、卑怯な感じがするし」
「……悪い、言い方がちょっと意地悪だったな。だけど駄目だよ」
「どうして?」
「関係ない人に自分の恋愛事情を知られた。あんたらなら、それを知ってどう思うんだよ? ……謝りたいって、それは相手のためじゃなくて、自分のためだろう」

 空乃も忍も、何かを言おうとしたが、何も言えなくて。苦い顔で、小さく頷くのみだった。
 ……私はなんで、こんな刺々しい言い方しかできなかったんだ。
 頭を掻いて、ごめん、と呟く。それでもいたたまれなくて、ドアを開けた。

「私も、この手紙の内容は読んでいないことにして、返す。たぶんそれが一番なんだと思う」
「……小池」

 私を呼び止めたのは、下邨だった。
 ここで下邨から声をかけられたのは意外だったが……よく考えれば、そう不自然なことでもないか。
 下邨は私に近付いてきて、空乃たちには聞こえないように言った。

「キヨにはまだ、帰らねーように言ってるから」
「…………」

 私は部室を出た。

 汗が出るほどではないけれど、蒸し暑い。曇り空がさっきよりも暗さを増しているのは、夜が近付いているからではなく、天候の悪化によるものだろうか。
 階段を降りる。
 降りながら、もう一度、今までの推理を確認する。
 ……私は空乃たちに嘘を吐いたのだ。これからラブレターの書き手と会うけれど、私は、手紙を読んでいないフリなどしない。
 きっちりと、私なりに落とし前をつけて。あいつに、落とし前をつけさせなければならない。

 カミネが書き手から頼まれて、手紙を、宛先通りにカバンの中に入れた。
 そう。カミネは……文鳥は、間違えてなどいなかった。
 では、何故、手紙は私のカバンの中などに入っていたのだろうか……?
 考えられる答えは1つ。告白される相手である男子が、自分のカバンに入った手紙を出して、私のカバンに入れたのだ。
 科学実験の前の休み時間……いや、ひょっとしたら、ちょっと休み時間をオーバーしていたかもしれない。

 その間の時間に、それができた人物とは――

 カミネとの電話を思い出す。


「他言無用って言われてるから、私の方からそれは言えないわ。……よかったら、その予想を聞かせて」
「…………分かった」
「『科学の移動教室で全員が出払ったあと、冬山くんのカバンに、これを入れておいてください』」
「…………正解」


 宛先はキヨ。冬山清志。

 1階に降り、いくらか人の気配のする部室棟Aを進む。
 左折、女子更衣室の前を通って、部室棟Bへ。この裏に、彼女はいる。手紙の書き手はいる。

 ……書き手は、何故、こんな回りくどいことをしたのか?
 おそらく、自分で直接渡したら、キヨに受け取ってすらもらえない心配があったからだろう。
 キヨの過去のことはあまり知らないから、この情報から推察はできない。

 ……書き手は、何故、自分の手で手紙を入れなかったのか?
 おそらく、それが物理的に不可能だったから。
 科学の実験での移動教室において、普通の生徒は、休み時間終了ののチャイムよりも数分早めに教室を出れば間に合う。教室に残ってみんなが出るのを待って、そのあとでキヨのカバンに手紙を入れ、急ぎ目に科学室に向かえば済む話だ。
 それができなかった唯一の人物。
 早く科学室に向かって、準備を手伝わなければいけなかった人物。
 日直だった人物。

 ……書き手は、何故、カミネに手紙の配達を頼むときに。
 『科学の移動教室で全員が出払ったあと、のカバンに、これを入れておいてください』などという言い方をしたのか?
 何故、『のカバンに、これを入れておいてください』ではなかったのか?
 ……まぁ、これはこじつけかもしれないけれど。それでも私は、キヨのことを冬山くんと呼ぶ女子生徒に、1人だけしか心当たりがない。

 部室棟Bは、思ったよりも静かだった。まだ部活が終わる時間ではないからか。
 部室棟Bの裏側に回って、進む。生い茂った草の先っぽが、浅めの靴からはみ出た足首を、チクチクと突く。
 やがて、私は書き手の前で立ち止まると、頭を下げた。

「ごめん、こんなことになってしまって。……前田さん」
「あはは……咲ちゃんが謝ることじゃないよ」

 前田小鳥さんは、華奢な腕を自分の腰に回して、力なく笑った。

 私は、読まずに放られた手紙を差し出しながら、どんな顔をしていいか分からず、ずっと下を向いていた。彼女が無理に笑っているから、自分のどの表情が正解なのかが分からなくなった。
 前田さんは、その手紙を優しい力で押し返した。

「もういいよ。たぶん、それが答えってことだろうし」
「…………もっと前から、カバンの中を確認しておけば」
「もー、謝ることじゃないって言ったでしょ? それに、こんな風に突き返されちゃうなんて、私が悪いんだよ」
「………………」
「咲ちゃんなら、私がなんでこんな方法で手紙を渡そうとしたのか、分かるんじゃない?」

 前田さんは、何故、こんな回りくどいことをしたのか?
 問題は最初の問いに返る。

「……自信ないし失礼だけど、いいかな」
「うん」
「前田さんは……一度キヨに告白して、断られていたんじゃないかな。だから、手紙を渡すことすらできなかった」
「……ふふ。正解」

 そんなに無理をして笑わないでくれ。
 陰った空のせいで、光は少なく、暗く微笑む顔はいっそう哀しく映った。

「正確にはね、告白すらできなかったの。6月頃だったかな、2人で遊びに行こう、ってトークアプリで誘ったら……キヨくんも、雰囲気を察したんだろうね。返信が返ってこなくなっちゃってさ」
「………………」
「咲ちゃん、よかったね! 今なら、私があの時、『この中なら咲ちゃんがタイプ』なんて言った理由も分かるでしょ? 気になってたもんね」

 空元気で手を叩く前田さんに、私は何も返せなかった。
 ……あの話をしていたときは、キヨもいた。おそらく、そのときから前田さんはキヨのことが好きで、その気持ちをごまかすために、あんなことを言ったんだろう。
 分かっても、それ以上何も言えなかった。
 前田さんは、必死に微笑んでいたけれど、最後にはその笑顔のまま、涙が零れた。

「……ごめん、やっぱキツい」

 足元に置いていたカバンを拾い上げると、前田さんは半ば私を押しのけるようにして、走って行った。
 ……彼女は、どこへ走って行ったのだろうか。
 部室棟の裏に1人取り残された私は、おもむろにスマホを取り出すと、ちょっと大きめに声を上げた。

「いるんだろ、キヨ」
「…………」

 律儀に紙袋を被ったまま、キヨは、前田さんが走って行った方からこちらへ歩いてくる。どうやら、紙袋のおかげで前田さんには気付かれなかったようだ。
 こいつは今、どんな顔をしているのだろう。
 今の話を聞いても、彼女の泣く声を聞いても、なんとも思わないようなヤツではないはずなんだ。

「嫌なら嫌ってハッキリ言ってやれよ。辛いだけだって分かってるだろ」
「……卑怯だよな」
「……何も、あんたを責めてるんじゃない。あんたにはあんたの理由があるだろうけど、でも……このままじゃ、諦めすらつかないぞ」
「…………嫌なわけはない」

 キヨは、紙袋を被り直した。
 蒸し暑かった風の温度が、少し下がったような気がした。雨が近い。

「だけど、好きでもないんだ。……てか、人を好きになったことがない」
「………………」
「好きでもないのに付き合うなんて、そんな器用なことできない。だけど嫌いでもないし、他に好きな人がいるわけでもないから、断る理由もない」
「しっかりしろよ」

 しょうもない理由で逃げていたなら、胸倉掴んで揺さぶっただろうけれど、私には分からないキヨなりの葛藤があったのだろう。
 だから、しっかりしろ、としか言えなかった。
 こんなに迷って、情けなくウロウロと歩きながら喋るキヨを見るのは初めてだ。
 やがてキヨは、くそっ、と掠れた声で、部室棟の壁を殴った。

「とりあえず付き合うなんて、失礼じゃないかとか。付き合ってやるみたいで上から目線みたいじゃないかとか。
 ……分からないんだよ。恋愛なんて、したことないんだよ」
「メソメソすんな。それも含めて、全部伝えてあげれば済むことだ」
「…………どうやってだよ? もう手遅れじゃねぇか!」

 私は、自分のスマホを差し出した。
 画面には、GPSキーホルダーの位置情報が映っている。

「……これは?」
「前田さんが今いる場所だ。追いかけろ」

 パスワードは0679、このアプリを開けばいつでも見られると伝えて、私は困惑するキヨに背を向けた。

「待てよ、なんでこんなの」
「向き合って話さないと、好きになることもできないぞ」
「………………」
「それに……相手が自分を好きじゃなくても、一緒にいるだけで幸せだよ」

 実体験を基にして言ったところで、どうにも恥ずかしくなる。

「で、でも……罰ゲームだし、今日1日は紙袋被らなきゃいけねーし……」
「はぁ!? 寝ぼけんな、いい加減殴るぞ!」
「う……」
「……そうやってまだ逃げるつもりなのかよ」
「………………」

 無言になったキヨから、頭の紙袋を奪い取る。
 露になった顔には、いつものちょっとムカつく無表情はなくって、ナヨナヨした情けない顔があった。
 チッ、と舌打ちをして、私は紙袋を頭から被る。紙に開いた穴から見える、目を丸くしたキヨに向かって、指を突き付けて言う。

「誰にもツッコまれなかったから黙ってたけど、私、ウノって言うの忘れてたんだ。だから本物の最下位は私なんだよ!」
「こ、小池……」
「……分かったら早く行け!」

 さすがに恥ずかしすぎて、私はその場から駆け出した。

 校門を出たところで立ち止まり、紙袋を外そうかいくらか逡巡したのち、かなり恥ずかしいが甘んじて罰ゲームを受けることにした、
 紙袋で顔を隠したまま、はぁ、と溜め息を吐く。……ムレるな、これ。

 ……あとは、キヨと前田さんの問題だ。
 私は自分のカバンから折り畳みの傘を取り出して、最長まで伸ばした。
 そろそろ雨が降りそうだ。



「…………元気出して」
「……でもぉ、もう嫌だ、明日学校行けないぃ」

 夏の夜は遅くやってくるが、7時ともなればさすがに辺りは暗い。
 どうせ気にもしないだろうけど、私は親に、ちょっと友達に付き合って遅くなります、と敬語のメールを送った。

 高校から、自転車なら近いという具合の距離にある喫茶店で、私は……海蔵寺神音は、中学からの親友である前田小鳥と向かい合って座っている。
 意気地なしの親友が、ついに好きな人に告白するというので、それならと重い腰を上げて頼み通りに手紙の渡し人になってあげたのだが……まさか、告白すらさせてもらえないという結果になるとは。
 前にも1度、告白しようとして、勘付かれて距離を置かれたとは聞いていたが。

 私は、あの手紙を冬山に渡したときのことを思い出していた。


 みんなが移動し終わって、チャイムの鳴る1分前になっても、冬山は席を立とうとしなかった。
 私は我慢できなくなって、声をかける。もともと愛想がいい方ではないが、このときは1.5割増しでぶっきらぼうな物言いになっていたような気がする。

「……移動しなくていいの」
「自覚してるサボり魔だから。そっちこそ、もうそろそろチャイム鳴るぜ」
「…………」

 こいつは……こんな風に、小鳥の気持ちを踏みにじる気なのか。
 無表情で3秒間ほどにらめっこ、無慈悲にも、次の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。

「……読まずに捨てたら殺す」

 私は吐き捨てるように舌打ちして、手紙を捨て台詞と共に残し、走って自分の教室に戻った。
 親友の頼みもろくに叶えられないなんて。
 人生で一番、みじめな気分だった。


 回想を終え、目の前にうずくまるように座る小鳥を見る。
 ……私の前でこそ、「ダメだったー!」と、自虐っぽく笑うけれど。1人になってから、寂しく泣くのだろう。
 昔から小鳥は、そういうやつだった。

「……ごめん、手紙、結局手渡しみたいになっちゃって」
「神音のせいじゃないよ、謝らないで……って、もう何回言ったっけ?」
「4回」
「数えなくていいのよ、あはは」
「………………」
「咲ちゃんから教えてもらったんだけど、ここのカプチーノがおいしいんだって。そういえば、神音もいつの間にか咲ちゃんと仲良くなってたね」

 小鳥はさっきから、会話を途切れさせようとしない。
 いつもと同じお喋りだけど、明らかにいつもとは違うんだ。そして、それをやめさせたり、話の流れを切って変なフォローを入れる権利は、私にはないんだ。
 どうすることもできないなら、どうするか。
 適当な相槌を打って、ひたすらそのお喋りに付き合うだけだ。
 頬杖をついて、土砂降りの窓の外を眺めたら、あの憎い冬山の顔が浮かんできた。

「…………えっ」

 浮かんでいるというか、ホントに外にいる。そして、コンコンと控えめに窓を叩いて、呼びかけている。
 どういう風の吹き回しだ……咲がなんとかしてくれたの?

「小鳥」
「神音、ごめん、お代これね。私先に帰る」
「は? ちょっと……」

 小鳥はそれだけ言って、傘も持たずに喫茶店を飛び出していった。
 ……傘も持たずにっていうか、カバンも持たずに。

「……ウッソでしょ」

 雨の音と洋楽BGMが響く喫茶店の窓際テーブルにて。私は溜め息交じりに、そう嘆くことしかできなかった。



 ……私、なんで逃げてるんだろう。

「待ってくれ!」

 好きな人が、追いかけてきてくれたのに。
 今まで逃げられてばっかりだった冬山くんが、やっと近付いてきてくれているっていうのに。
 目に雨粒が入る。
 涙? 汗? 走っていると、どんどんわけがわからなくなっていく。もともと制御できていなかった自分の気持ちが、どんどん遠くへ離れて、銀河何光年とかの宇宙にとんだ。
 濡れている眼球のせいで、街灯が揺れているように映る。
 ネオンサインも、ぼやけて、永遠に広がって。

 ああ、なんで、こんなに泣かなくちゃいけないんだろう?

 ここが田舎で、あんまり人通りがない場所でよかった。町中を、酷い顔を晒して走り回るなんて……誰かに知られて噂されたら、生きていけない。

 もともと運動神経のよくない私が無理をしたせいか、足がもつれて、思い切りコンクリートの地面に向かって転んだ。
 痛々しく擦りむいた肘に雨水が沁みる。だけど、その痛みもどこか遠い。感覚がないというほどではないけれど、現実味が無くて、痛さをあんまり感じない。
 私は、もうわけがわからなくて、地面を見つめたまま、ぽろぽろと涙を零した。


 それからほとんど覚えてないけど、気付けば私は、近くのバス停に設置された屋根付きのベンチで、冬山くんの予備のジャージを着せられていた。
 泣いてばっかりの私を介抱してくれたのだろうか、隣に座る冬山くんは、とても疲れ切っているように見える。
 雨は一向に止む気配がない。バス停の、虫が影をつくった明かりに照らされながら、

「…………もう無理」

 私は、泣きすぎて泣くこともできなくなって、そんなことを言ってしまった。
 感謝とか謝罪とかしなきゃいけないのに、その気力が湧いてこない。冬山くんが隣で、身じろぎした。

「……その、俺がいつまでも逃げてたせいで、ごめん」
「こっちこそ、いきなり逃げたり介抱してもらったり、ごめんなさい……」

 ……でも。

「だけど、冬山くんはもっと謝って」
「え?」
「い、いつまでも、返事も何もなしで、生殺しみたいな状態で1か月ずっと辛かったんだよ! 友達にも戻れなくて、もう、何回泣いたと思ってるの!」
「ご……ごめん、本当に」
「ああ、もう、謝ってほしいわけじゃないのに、意味わかんない、本当ごめん!」

 泣くこともできなくなった、なんて思ったのはどこへやら。私はまた、流れ出てくる涙を止められなくて、手の腹で頬まで落ちてきた大粒をあたふたと拭った。
 本当に面倒臭い、私。
 こんなので人と付き合ったりできるわけないじゃん。私と付き合ってくれるような優しい人、いるわけないじゃん。

「……前田さん」

 冬山くんは、ずっと泣いてばかりいる私の手を、急に両手で掴んできた。

「えっ?」
「正直に、今までの気持ちを全部言うよ」
「…………はい」

 すうっ、と深呼吸をして、冬山くんはまっすぐ私の目を見て、話し始める。
 ……ねえ心臓、ちょっとペース落としてくれないと、聞き終わる前に死んじゃいそうだよ。

「俺は、誰も好きになったことがない。だから当然、誰かと付き合ったこともない。
 だから、恋愛って、どういう気持ちですればいいのかとか、全然何にも分からないんだ。ドラマみたいなものとも違うんだろうし……でも、だからって軽い気持ちでできるものでもないと思うし。

 だから……俺は、前田さんの告白を断る理由はないんだけれど、でも、断る理由がないからって、OKもできないんだ。
 俺は前田さんのことが、異性としては好きでも嫌いでもない。今まで通りずっと友達の気持ちだった、それで上手くいってるんだから、付き合っても大丈夫かとも思ったけど、受け入れる勇気がなかった。

 そんな中途半端な気持ちで付き合ったら、もう友達に一生戻れないんじゃないかって。逆に悲しませることになるんじゃないかって。
 そう考えたら……俺は……逃げることしかできなかった」

 いつの間にか、私は泣き止んでいて、今度は冬山くんが泣いていた。
 言い切って、冬山くんが黙ると、雨の音しか存在しない時間が産まれる。

「……私のことを考えて、逃げてくれたんだね」
「結局こんなになるまで傷付けた」
「ううん、私は嬉しいんだ」
「…………?」
「形はどうあれ、好きな人に守ってもらえるって、一番嬉しいことなんだよ」

 私は、私の手を握る冬山くんの手を、もう一方の手で握り返した。

 やっと言える。

「あのね、冬山くん。そんなに気を遣わなくてもいいんだよ」
「…………」

 泣き虫な涙は、これで最後にしよう。
 告白するには向いていない、どうしようもない泣き笑いの顔で、私は真正面から冬山くんを見つめて想いを告げた。

「今は好きじゃなくても、付き合っていくうちに、絶対に女の子として好きにさせてみせるから。だから……冬山くん。
 好きです、私と付き合って」

 ……ずぶ濡れの体温と体温が重なって、私は、人生でいちばん幸せな瞬間を迎えた。
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