東大正高校新聞部シリーズ

場違い

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第3部 マープルの死角

迷わぬ少女と祭囃子 -The 26 mile walk-

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 『8月19日の祭りに一緒に来てくれないかな?』

 8月12日にそんなメッセージが柿坂先輩から届いて10秒で『ゼッタイ行きます』と返信してからというもの。この1週間を、浴衣が似合うカラダになるための猛烈なるシェイプアップと、祭りの屋台を回るための資金繰りと、限られた予算の中でいちばん魅力的な浴衣およびかんざしなどの和風アイテム一式を入手することに費やした。
 夏休み中の自堕落な生活で身に着いた駄肉を削ぎ落し、しっかり整えたボディにぴっちりと浴衣を着用、髪上げて簪刺して、セクシーにうなじを出して、姿見の前に立って先輩に甘える練習をしていたところをお父さんに見られて笑われたりして、さて今日がいよいよ決戦の日だ。
 ちょっと大きめのきんちゃく袋に、財布と最低限必要なモノを詰め込んで、『今から出ます』のメッセージをハートたっぷりのスタンプと一緒に柿坂先輩に送って、私は玄関ドアを開けた。
 いざ鎌倉。
 愛する人は本能寺にあり。

「……でもなぁ」

 どうせ、ちょっと天然な柿坂先輩のことだ。
 新聞部1人1人を、私に送ったような個別メッセージで誘っているだけなんだろうなぁ。こうやって気合入れて、いざ祭りの行われている神社に到着してみたら、新聞部のみんな勢揃いで……。
 「これじゃ全然デートじゃないじゃーん!」とズッコけて、そしてなんやかんや、みんなと一緒に祭りを楽しんで、「こういうのも悪くないよな」とか言って帰ってくるのだろう。そういうオチ。

 何故か直前になってネガティブになってしまった。
 私は臆病な自分を笑うと、下駄でコンクリートの歩道をコツコツと叩きながら、夜の大正市を歩き続けた。
 祭りの行われている篤舟とくしゅう神社には、まだ1キロもある。



「いやぁ、小池さんが来てくれて本当に助かったよ。当日になって、新聞部みんな夏風邪引いちゃってて……」
「みんな、ウソ下手ですね……」
「え?」
「何でもないです、行きましょう!」

 篤舟神社の参道の入り口、色褪せた鳥居の下で私を待っていたのは、本当に柿坂先輩1人だけだった。
 私は気を遣ってくれたであろう空乃と忍と渡良瀬先輩に感謝し、本当に風邪を引いたのであろう下邨を憐れみ、たぶん前田さんと一緒に行くから嘘をついて断ったのであろうキヨに嫉妬の念を飛ばした。
 なんだかんだでキヨは、あれから前田さんとラブラブである。あれほど交際を渋っていたくせに最近は惚気までしてくる。割と本当に死んだらいいのに。

「けっこう人がいっぱいだな」
「知り合いもいるかもしれませんね」

 私ばっかり気合を入れていたらどうしようと考えていたが、柿坂先輩も浴衣姿だったので安心した。紺色、波模様が描かれた浴衣は先輩の長身にとてもよく似合っていて素敵だ。
 さて行こうか、と言って歩き出した柿坂先輩の手を握ろうと手を伸ばすが、臆病な私がそれを阻んだ。体温が0.5度くらい上昇して、汗が噴き出てくる。
 どうしたことだろう。普段はあんなに露骨に先輩への愛を示しているというのに、手を握るというたった1つのことが出来ないでいる。私は内心の動揺をできるだけ隠して、屋台を次々指差した。

「当て物屋、揚げ餅、ヨーヨー釣り……」
「まだ始まって1時間程度だけど、けっこう賑わってるみたいだね」

 にしても。
 なまじ開催場所が広いだけに、屋台の数も多く、所によってはホットドッグ屋とフランクフルト屋が隣接してたり、スーパーボールすくいとヨーヨーすくいが向き合ってたり、類似店舗の緊迫地帯が発生している。
 そんな中、私は当て物屋の屋台と千本引きの屋台を見つける。子供たちが、近所でもらったらしい金券の束を持って群がっている。

「千本引きと当て物って何が違うんでしょう」
「……千本引きの方が、こう。紐引いてるときの重さとかでワクワクするじゃん?」
「……当て物の方が、こう。箱の中をぐるぐる探ってる時のロマンがありません?」
「まぁ俺はどっちも好きなんだけど」
「私もです。子供の時とか、当て物と千本引きだけで金券使い切りました」
「俺も。ハイテク野球盤欲しさに、何回も念を込めて引いたよ」

 ふふふ、と2人笑いあう。
 けっこう似た部分があるのかもしれない。私も、音楽プレイヤー欲しさに何度も箱に手を突っ込んだものだ。

「ま、最近はもっぱら食ってばっかりだね」
「祭り屋台の食べ物って、どう考えても安物なのに、なんであんなに欲しくなるんですかね……」
「そりゃあ……アレだよ」

 柿坂先輩は懐から小銭入れを取り出しながら、溜め息を吐く。

「こんなメシ時に、ソースの匂い漂わせて、しかも周りの人らが食ってるサクラ効果もあるんだから……しょうがないよな!」
「私もです。ダイエットのために昼ごはんもヘルシー系だったので、もはや背中とお腹がくっつきそうです」
「あ、財布出さなくていいよ。奢るから」
「ええっ、いや、悪いですよ!」
「先輩としてカッコつけたいだけだよ。……カッコつけたいだけだから、厳しくなったら出してもらうかも」

 正直なところも素敵です、先輩。
 それじゃあ甘えちゃおうかな、と、2人ぶんのたこ焼きとお茶を先輩持ちで購入し、参道を外れた脇にある休憩所で広げる。
 輪ゴムを外してパックを開けば、提灯の明かりに照らされた8個のたこ焼きが、頭の上に鰹節と湯気を躍らせながら登場する。夏の夜空に消えていく湯気は、鼻孔に野暮ったいソースの匂いを運んでくる。

「先輩! ふーふーしましょうか」
「ええ、いいよそんな、子供みたいな」

 プランA、失敗! 続いてプランB。

「じゃあ先輩、はい、あーん!」
「え、ええ……」

 先輩は眉を下げて苦笑いしながらも、私の『あーん』したたこ焼きを、パクッと口の中に入れてくれた。プランBの成功を、心の中で盛大に祝う。
 だが、やはりアツアツのたこ焼きを1個まるまる一口に入れたのがマズかったのだろうか、先輩は口を抑えて上を向き、ハフハフと苦しい呼吸を始めた。

「あっ……は、はふい!!」
「大丈夫ですか!? 口移ししますか?」
「ふ……はふ…………!」

 もはや私の妄言を取り合う余裕もないらしい。
 無粋だが非常事態、冷たいお茶で冷やすしかあるまい。
 私が自分のお茶を差し出すと、先輩はこんな状況なのに、ちゃんと「ごめん!」と断りを入れてから、私の手からペットボトルを取って口に運んだ。紳士的なお人だ。
 お茶の海でたこ焼きを冷やし、無事に喉の奥へとしまい込んだ先輩は、ふぅ、と息を吐くと、死ぬかと思ったと笑った。

「すいません、こんなことになるとは……」
「き、気にしないでくれ。ていうか忘れてくれ」
「火傷とかしてませんか?」
「大丈夫……自分でもビックリしてるよ、俺ってこんなに猫舌だったのか」
「私、猫好きですよ。だから猫舌も好きです」
「どういう文脈の繋がりかな、それ」

 その後、必要以上に慎重に、たこ焼きを1つ1つ丁寧に冷ましながらたこ焼きを完食した。先輩と思い出を作るつもりが、初っ端から、先輩にトラウマを作ってしまった。
 たこ焼きのことは忘れようと、私たちは趣向を変えて、お面屋さんを軽く冷やかすつもりで覗いた。5段に連なって、様々なお面が飾られている。
 たまに朝遅く起きたらやってるヒロインアニメとか、今年の新シリーズらしい紫色のライダーとか、所謂『流行りもの』が上3段。下2段には、定番のドラえもんとかウルトラマンとかがぶら下がっている。
 300円という値段は、お小遣いの限られている小学生にとっては手を出しにくいものらしく、お面を装着している猛者といえば、親子連れの小さな子供とか、ネタ半分でつけているカップルとかである。
 あのおじさんなんかは、売り物かどうかも怪しい大きな能面を顔いっぱいに張り付けているけれど……。と、観察していると、能面のおじさんがこちらに近付いてきた。
 色ボケも忘れて、恐怖の一心で柿坂先輩の和服の裾にしがみついて怯える私に、おじさんは能面を外して柔和な笑みを浮かべた。

「僕だよ、僕。教頭の阿良々木」
「あ、阿良々木先生!」

 私は素っ頓狂な声で、名前を復唱した。
 高校のパノラマ模型についての記事を書いた時に、阿良々木教頭にはたいへんお世話になった。私は「怖がってごめんなさい」と、意味の分からない謝罪をしながら何度もお辞儀する。
 いつの間にか貸してもらったらしい能面をひっくり返して観察しながら、柿坂先輩はにこやかに挨拶する。

「教頭先生も来てたんですね。家、この辺の地区なんですか?」
「ここよりは、もうちょっと学校に近いね。僕はもうちょい北、槍津やりづ地区んとこだよ」
「え? 槍津なら、ここよりもっと盛大な花火大会があるのに」

 たしか、昨日今日の2日に渡って祭りが開かれるはずだ。
 けっこう豪華な花火が見られる、らしい。見たことないけど。
 近場だし、その気になれば見に行けるのだが、如何せん私には行動力というものが欠如している。来年あたり、空乃たちに誘われたら行くかもしれないが。

「昨日は悪天候で花火中止になったらしいけど、昼間から屋台やっててずいぶん盛り上がってたね。僕もちょっと覗いたよ。……今日なんかはキレイに月も出てるし、花火も問題なく打ちあがるだろうから、きっともっと人が増えるんだろうね」
「ああ。あっちは昨日見たから、今日はこっちってことですか?」
「違うよ、小池さん。……教師って、そういう仕事だからさ」

 私は最初、その言葉がどういう意味なのか分からなかったが……遠くの方から聞こえてきた、馬鹿みたいに迷惑極まりない、若い笑い声を聞いて、やっと察した。
 阿良々木教頭は溜め息を吐いて、朗らかに肩を竦める。

「ま、そういうことだね。僕の他にも3人見回ってるけど、できるだけ怖いのを選んどいたから」
「う。もしかしてですけど、橋爪さんも……?」
「あっはは。『怖い先生を選べ』って設問で、彼を選ばない人がウチの学校にいるかな?」

 遠くの方で、さっき聞いた馬鹿の声が、悲鳴に変わった。
 阿良々木先生はいやに面白そうに笑うと、財布から100円ぶんの金券を2枚取り出して、それぞれ私と先輩にくれた。
 特に遠慮もせず、ありがとうございますとそれを受け取る私たちに笑いかけると、阿良々木教頭は再び能面を被った。

「僕にはあんまり迫力ってものがないからね。これをつけて生徒を怖がらせようという寸法だよ」
「まあ……少なくとも私には効果的でしたよ」
「はは。じゃあね、くれぐれも『鬼』に捕まるような真似はしないように」

 節度を守って遊んでくれたまえ、と笑って、教頭は参道を戻って行った。

「やっぱり今年もあるのか、教員の見回り……」
「ま、まぁ普通にしてれば問題ないでしょうし。そんなに悲観しなくても」
「自分はそうでもさ、同期のバカが捕まってるのを見ると、嫌でも気分下がるよ。さっきのも多分、うちのクラスのヤツだし……」
「せ、先輩! お揃いのお面買いましょうよ!」

 無理に話と視線を逸らして、私はお面屋のおじさんに「ライダーのやつ2つください」と言って、お金を出した。先輩も自分のぶんのお金を出して、お面を受け取る。
 ふふふ。お揃いのお面。ふふふ。
 ニヤけてしまうのを隠しながら、横向きにお面を装着。右側を歩く先輩がこっちを見たときに横顔が見えるように、顔の左側につける。こっちからも先輩の横顔が見えるように、さりげなく先輩の顔の右側につけてあげた。
 こんなに色ボケ絶好調なのに、何故だか、いつまでも手を握れない。嬉しくて幸せだがもどかしい、そんな思いを抱きながら、私は先輩と共に歩く。

「今年も迫力あるなー」
「和太鼓って、なんか心臓に響きますよね」

 参道を少し外れたところに立つやぐらには、大きな和太鼓とそれを叩くねじり鉢巻きのおじさんが。時折、流行りのJ-POPや、昭和のアニソンとかを挟みながら、太鼓演奏はずっと続いている。
 太鼓が1つドンと鳴るたびに、心臓の鼓動がシンクロして、大きく揺れる。アップテンポの演奏になると、胸の高鳴りは凄まじいものとなり、これはもしかして吊り橋効果とかが期待できるのではないだろうか。

「あ、咲ちゃん!」
「前田さん?」
「おい小鳥、ヤバいって……」

 太鼓の音色に足を止めていると、キヨと前田さんが連れ立ってこちらに来た。ちゃっかり手は恋人つなぎ。いつまでも手を繋げない私への当てつけか! と被害妄想してみた。
 キヨは私と先輩を視認するなり、顔を手で隠したり必死に足掻いていたが、やがて諦めたように、引きつった笑みで挨拶してきた。

「おはよっす……」
「ははは、まぁこんなことだと思ってたよキヨ、怒ってないさ。でも風邪なんてウソつかないで、正直に言ってほしかったな」
「すんません」
「『部活仲間に声をかけてもみんなが風邪をひいている柿坂先輩とは違って、俺にはカノジョがいるので、無理です』って、正直に、言ってほしかったなー」
「ううっ」
「やだもー、カッキーったら陰湿ー」

 とつぜん櫓の陰から現れた渡良瀬先輩に、私と先輩が目を丸くする。

「渡良瀬!? 風邪じゃなかったのか!」
「あー……アレね、えっと」

 渡良瀬先輩は、一瞬私の方にウインクしてすぐに柿坂先輩に向き直ると、自分の服装を指差した。
 動きやすそうな無地のTシャツに、半パン、腰にレザージャケットを巻いている格好だ。肩からぼろぼろのポシェットを下げている。屋台をやっている人は、みんなこんな感じの格好をしているから、おそらくポシェットの中身は売上金とかだろう。

「今年はちょっと、なんだかんだで屋台手伝うことになったからね。
 優しい優しい新聞部員たちのことだから、『渡良瀬先輩が汗水たらして働いてる中、私たちだけ遊ぶなんて申し訳ないです!』とか考えちゃうんじゃないかと思って、言わなかったワケよ」
「俺は思わないから安心してくれ」
「やだもー、カッキーったら薄情ー」

 と、そこまでで話を切って、渡良瀬先輩は前田さんの方に、ぐいっと体ごと視線を向けた。鷹に狙いをつけられた獲物の如く怯える前田さん。

「うわ、可愛い! キヨくんの彼女めっちゃ可愛いよカッキー!」
「知ってるよ。ああ羨ましいなぁ、俺も去年の文化祭の最終日ごろには彼女と屋台を回るって人生設計だったのになぁ」

 思わず柿坂先輩の足を下駄で踏みつけそうになる。
 ここにいるじゃないですか、彼女役! 羨ましいとか言わないでください!
 そりゃあ、どれだけダイエットしたり着飾ったりしても、前田さんの天性の可愛さには勝てるわけないけれど……と、勝手に私がモノローグで涙目になっていじけている間にも、会話は進行していく。

「あの、初めまして。前田小鳥です……」
「小鳥ちゃんかー。いいなー、名前まで可愛いなー」
「先輩、頼むからもうちょい抑えてください。今日いつも以上にテンション高くてめんどいっす」
「マジっす? 咲ちゃんもそう思うっす?」
「思うっす」
「もう酔っ払いのノリだよお前」

 その後も、柿坂先輩がキヨに冗談半分の嫌味を言ったり、前田さんと浴衣の褒め合いっこをしたり、それを聞いていた渡良瀬先輩が今度友達の家の呉服屋さんを紹介したげるよと言ってくれたりと、和やかに雑談した。

 仕事の続きがあるらしい渡良瀬先輩、早くキヨと2人きりになりたそうな前田さんと別れて、私たちはいったん、トイレに行くことにした。
 参道を櫓とは逆の方向に外れ、社務所とかおみくじ売り場とかの裏手。最近新しくしたらしいトイレで、特に足す用もない私は外に立って先輩を待つ。たまにぬるい風が吹いては、髪と草木をさらさら揺らす。
 浴衣の袖をちょっとずらして、左手首を内側に向けて腕時計を確認すれば、現在時刻は20時をちょっと回ったところ。
 小学生がちょっと減って、中学生がちょっと増えだす時間帯。
 花火まであと2時間。
 いまだ手は繋げていない。
 はあ、と溜め息を吐きそうになったところで、くいくい、と浴衣の裾が引っ張られるのに気付いた。

「あのですね。トモカネスミレって人、知らないですか」
「……知らないなぁ」

 私は冷や汗をかきはじめた。
 声をかけてきたのは、子供用の浴衣にミスマッチな大きいかばんを背負った、小学校5年生くらいの女の子。靴がひどく泥で汚れた運動靴なのを除けば、綺麗におめかししきっている素敵な子。赤いリュックサックから、ぼろぼろのキリンのぬいぐるみを大きくはみ出させた、おさげの愛らしい子だ。
 この『愛らしい』というのが問題である。
 小池咲という女子の容貌は、小学生の頃こそ『大人っぽい顔立ち』という表現で済ませられていたのだが、中学生ぐらいになると、徐々に目つきの悪さが目立ちだしてしまい、大して年も離れていない近所の幼稚園生や小学校低学年の子供に怖がられるようになった。
 こんな愛らしい子供を、このナイフみたいに尖った目つきで泣かせてしまったとなれば、罪悪感を感じるのは勿論、私の心に相当甚大なダメージが発生すること請け合いだ。

「……そうですか。あの、『友達以上恋人未満』の『友』にね、『示談金』の『金』で『友金《ともかね》』って書くんだけど、ホントに知らないですか? すみれはひらがなです」
「嫌な例えだなぁ……。説明してもらって悪いけど、知らないな。このへんに住んでる人なのかな?」
「うん。あ、ちなみにこんな顔だよ」

 女の子は背中からリュックをおろすと、はみ出たぬいぐるみを押しのけて中を漁り、大きなスケッチブックを取り出した。
 開いて見せてくれたその顔は……小学生にしてはけっこう上手く描けてると思うけれど、さすがにただの似顔絵だから、『黒いおさげ髪の若い女性』ということぐらいしか分からなかった。

「ごめん、見たことない」
「……そうですか。お手数おかけさせていただきました」

 とりあえず、怯えられることもなく会話が終われて一安心だ。知らないなりに頑張って敬語を使おうとしているのがとても可愛い。
 私が別れの挨拶を言おうとしたところで、手拭いを丁寧に畳みながら先輩がトイレから出てきた。

「お待たせ」
「あ、先輩。急ですけど、友金すみれって人、知りませんか? この女の子が探してるみたいなんですけれど」

 と、私が「私のかれ……じゃなくて、先輩だよ」と言って柿坂先輩を紹介すると、女の子は柿坂先輩にぺこりと一礼してから、スケッチブックを掲げた。
 腕を組んで、うーんと唸りながら観察し、友金友金……と何度も名前を復唱した先輩だが、やはり心当たりはないようで、首を振った。

「役に立てなくて悪いね」
「いえ。人見知りのせいで全然他の人に話しかけられなくて、やっと話を聞けたのに収穫がなくて、正直けっこう凹んでいますが気にしないでください」
「気にするなっていう方が無理だね」
「……運営の人に言って放送かけてもらう?」
「いえ。それほど切迫してるわけでもありませんので」
「難しい言葉知ってるんだね」

 女の子はさっきから、基本的にニコニコしている。たしかに、あんまり『切迫してる』感じはなさそうだ。
 迷子ってことではないのだろうか。『祭りで探し人をする子供はすべからく迷子である』というのは偏見だが、それにしたって、この子はなぜ友金すみれという人を探しているのか。
 自分の子供のころも、近所の祭りに行って10時くらいまで遊びまくっていた気がするけれど、この子は1人なんだろうか? それとも、友金さんと合流して、いっしょに回る予定だったとか?
 推測は尽きないが、それよりもまず先に考えねばならないことがある。
 さて、今は午後8時なわけだが……。柿坂先輩と顔を見合わせる。

「あのさ。その友金さんって人、絶対お祭りに来てるのかな?」
「はい。詳しいことは言えませんけど、約束しましたから。来年も来ようって」
「……見つかるまで探すんだ?」
「はい!」

 緊急会議。後ろを向いて、柿坂先輩とヒソヒソ話す。

「……どうする小池さん? こんな遅い時間に、こんな小さい子1人でお祭りをうろうろしてたら、危ないんじゃないかな……」
「そうですね。でも、なんか大事な人っぽいですし、諦めろって言うのも酷かと」
「そうだよね……1つ、方法はあるけど」
「まあ、それしかないでしょうね」

 柿坂先輩と2人きりのお祭りデートでなくなってしまうのは少し惜しいけれど、女の子の事情を鑑みれば、そんなこと言ってる場合じゃない。
 私は女の子に向き直ると、目線を合わせて、できるだけにこやかに言う。

「見つかるまで、私たちと一緒に回らない?」
「なんなら、俺がお金とか出すよ」
「ほ、本当ですか?」
「本当本当。遠慮しなくていいよ」
「申し訳ないですよ、遠慮させていただきます。でもあと1回誘ってくれたらお言葉に甘えます!」
「……そういうプロセスが必要なんだね」
「お母さんから、『1回目は遠慮するのよ』って教わりました」
「じゃあ、もう一回。遊んだり食べたりするお金は出してあげるから、俺たちと一緒に回ろうか?」
「すいません、ではお言葉に甘えます!」

 なんとなく教養が裏目に出ているフシがあるけど、いい子だなぁ。

「そういえば名前言ってなかったな。俺は柿坂十三郎」
「私は小池咲」
「私はともか……噛みました。もう1度チャンスをください」
「与えよう」
「3、2、1、キュー」
「私は友近奈通ともちか なつっていいます。小学校5年生です。よろしくお願いします!」

 奈通ちゃんは、弾けるような笑顔でそう言って、私と柿坂先輩の手を握った。
 まるで親子のようだと舞い上がりながらも、私も子供だったら素直に手を繋げたのかなぁ、なんてくだらないことを考えてしまった。

 通りに戻ると、ちょうど正面に射的の屋台が見えている。
 ちらりと見ると、奈通ちゃんは射的に興味津々、目を輝かせて肩を上下させている。

「射的、やる?」
「とてもやりたいです」
「よーし、じゃあいっちょやるか! どれ狙うんだ?」
「うーん……あ。あの、大きいクマのぬいぐるみがいいです」

 4段あるうちの最下段、中央に、そのクマは屹立していた。テディベアのように座っていればいいものを、何故か絶妙なバランスで立っていた。
 先輩に、3人ぶんの代金600円を払ってもらい、高校生の私ですら手に余る長い銃を持つ。しかし奈通は随分射的に慣れているようで、短い手に余る銃を、しっかり安定して構えられていた。
 数秒の作戦会議の末、先発は柿坂先輩となった。6発のBB弾が込められた長銃をゆっくりと獲物に向けて、腰と連動させるように銃口を落とす。

「頑張ってください」
「ああ、任せろ」

 引き金を引くと、愛らしいクマの脳天を射抜かんと、1発のBB弾がその銃口より放たれる。
 一直線を描いて景品の羅列されている棚まで届いた弾丸は、しかし発砲時の衝撃で少し銃口が上がったせいか、クマの頭上を掠めるのみにとどまった。
 いつもは柔和で優しい目を、鋭く尖ったものに変え、歴戦の勇士の如き貫録を以て先輩は舌打ちをした。かっこいい。私が景品になってあの鋭い目で睨まれたい。ハートを撃ち抜かれたい。

「次こそは!」
「がんばれ柿坂さん!」
「がんばれ先輩!」

 第2の弾丸は上手くクマの右肩を捉えたのだが、けっこう重量があるようで、ぴくりと右斜めへ後退するに留まった。進歩はしたが、このペースだと何発かかったものやら分からない。
 3、4発目も同様に胴体にヒットしたが、有効打にはならない。続く5発目では集中が切れてしまったのか、大きく外れて右上のキャラメルを撃ち落とした。おじさんからキャラメルを手渡されるも、当の先輩は苦い顔。
 さて、ラスト6発目にして、先輩は私の方に向き直った。

「1発1発当ててたらジリ貧だ。俺と小池さん、2発を同時に頭にヒットさせて、後ろへ倒して落とそう」
「う、うまく行きますか?」
「大丈夫さ。俺を信じて」

 作戦は次の通り。
 先輩と私が、同時にクマの脳天を狙って1発ずつ放つ。その後、ぐらついたクマをダメ押しするように、まだ弾の残っている私が2発目3発目を連射していき、一気に落とすというものだ。必要に応じて奈通ちゃんにも援護射撃してもらう。
 軍法会議終了。
 戦地に赴く武人の面構えで、私たち3人は片目を瞑り、墜とすべきクマの右目と左目の中点に狙いを据える。

「撃ち方よーい!」

 カチャリ。

「はじめ!」

 パァン! と鋭い発砲音。
 作戦通り、私と先輩の弾丸はほぼ同時にクマに着弾した。初めての共同作業にしては物騒だが、やはり運命の相手というべきか、息がピッタリである。
 射的用の銃にしては珍しい、1発1発リロードする必要のない銃であることに感謝しつつ、2発3発の引き金を引く。奈通ちゃんの正確無比な援護射撃が命中し、哀れなクマはついにその直立不動の姿勢を崩し、後ろに倒れて棚から落ちた。
 後ろに並んでいた子供や、いつの間にか立ち止まって見ていた数人のギャラリーたちが、おおっ、と歓声を上げる。

「おおっしゃ!」
「やったー!」
「ビューリホー……」
「やるやん兄ちゃんら。持っていきな」

 ガランガランと乱暴にベルを鳴らしながら、射的屋台の主であるねじり鉢巻きのおっちゃんが、落下したクマを拾って紙袋に押し込み、奈通ちゃんに渡してくれた。
 それだけでなく、棚の景品が減って来たらここから出してつぎ足すのであろう足元の段ボール箱からいくらかお菓子を取り出し、一緒に袋に入れてくれた。

「オマケや。祭りには食いもんの屋台いっぱいあるから、家で食うんやで」
「ありがと!」
「よかったな」

 めでたしめでたしといった雰囲気だが、まだ弾は残っている。奈通ちゃんは全弾撃ち尽くした先輩に一旦紙袋を預けると、再び銃を手にした。
 残った3発をぜんぶ外してしまった私を尻目に、奈通ちゃんは次々と小物の景品を撃ち落としていく。おっちゃんが目を丸くしながら、スナイパーやなぁ、とか言っていた。

「や、やばいな。すごい上手いじゃん」
「これ、俺たちがやらなくても、奈通ちゃんだけでクマ落とせたんじゃないのか……?」
「えへへ。まぁ、昨日のお祭りでも百発百中だったので」
「その背中に背負ってるやつかな?」

 先輩が、リュックからはみ出たキリンのぬいぐるみを指差すと、奈通ちゃんは「いいえ」と首を振った。うしろのリュックとキリンが連動して揺れる。
 景品を受け取っておっちゃんに手を振り、歩きながら続きを話す。

「去年、お母さんと一緒にお祭りに来た時に取ってもらいました」
「取ってもらったってことは、お母さんも射的がうまいんだ?」
「うん。なんか、ネットでは名の知れた……『ライフルマン』? らしいです」
「ライフルマン……?」
「中距離射撃に特化した兵種だよ。FPSって呼ばれる……えっと、シューティングゲームの話って言えば、分かるかな」

 シューティングゲームというと……宇宙で、戦闘機を操作して、敵の弾を避けながらビームを撃つみたいなアレだろうか? あれが得意だからといって射的も得意になるとは思えないのだが……。
 自分が思い描いているものと実物に大きな違いがある気がするが、先輩と奈通ちゃんはすでに次の屋台へと興味を移したようだったので、私は深く考えないことにした。
 奈通ちゃんと先輩は、千本引きの前で立ち止まる。

「千本引き……。私、千本引きで、一番豪華な景品が当たってるの、見たことないです」
「その話、あんまり大きい声でしない方がいいね」
「奈通ちゃん。大人はずるいんだよ」
「あ! なんかそのセリフかっこいい!」

 こういう素直さを取り戻したいものである。
 しかしながら、闇を知っていてもなお、こういった運頼みの当て物には妙に心惹かれてしまうものであり、けっきょく誰が言い出すともなく、自然に私たちは千本引きの屋台の前へと吸い込まれていった。
 1回の値段は50円と、良心的というか破格のものであったが、なんというか素直に喜べない。50円で儲けが出るような景品を用意してあるのかと勘ぐってしまう銭汚い自分が嫌だ。目玉景品を鼻息荒くして狙う、奈通ちゃんみたいなピュアさが足りない。

「お、スプラ2とスイッチのセットじゃん。箱、でけー」
「スイッチ! いいなー。持ってる友達がね、すっごい自慢してくるの!」
「最新のウォークマンもありますよ。この2つが狙い目ですかね」
「じゃあ私、えっと、そのウォックマン? 狙います」
「名前もうろ覚えのモノを狙うの……?」

 まあ、小学5年生ってマセてる年頃だし。意固地になってゲームを卒業しようとする子供の心理も、なんとなく分かるけれど。
 代金50円を金券で支払い、いよいよ引こうというときになって、うしろからちょいちょいと肩をつつかれた。振り向くと、頬に指が刺さる。
 大和撫子という言葉がこれほど似合う女子高生がいるだろうか……振り返ったところにいた藍色の浴衣姿のカミネを見て、私はそんなことを考えた。私の頬をぷにぷにしながら、カミネはくすくすと笑う。

「咲も来てたの」
「ああ。カミネは? 友達とかと?」
「うん。4人で回ってたんだけど、私がちょっとお面屋を見てるあいだに3人とも迷子になっちゃって。……困るわ」

 それは誰がどう判断してもカミネ1人が迷子だと思うのだが、若干天然なカミネは自分が迷子だとは毛ほども思っていないのだろう。1人で立ち寄ったというお面屋で買ったのだろう、グロテスクな亀のお面をつけて綿菓子をむしり食うカミネに、私は何も言えず苦笑する。
 カミネは私との挨拶を終えると、柿坂先輩に向かって先輩向けの丁寧な挨拶を行った後、私と先輩の間に入って手を繋いでいる奈通ちゃんに目を止めた。
 無表情のまま、しばらく右へ左へ首を傾げたあと、とても苦い何かを噛んでしまったような顔つきになる。

「……咲。何がどうなったのか知らないけれど、ものごとには段階ってものが」
「いやいやいやいや」
「とんでもない勘違いされてる」

 なんだ。養子か何かだと思われてるのか。発想がぶっ飛びすぎだろう。

「なんていうか……迷子みたいなものだよ」
「ああ。成る程」
「迷子じゃありません。産まれてこの方迷ったことなんかありませんよ」
「……あ、そうだ。カミネ、友金すみれって人、知らないか? この子が探してる人なんだけど」
「申し訳ないけれど。下神しもかみさんなら知ってるんだけどね」
「関係ねーだろ」

 あのクールなカミネが、いつになくボケている。お祭りで浮かれているというやつだろうか。
 その後も、前田さんとキヨに会った話などしつつ、無駄話もそこそこに、カミネを仲間に加えた4人で千本引きに臨む。カミネは何やらスピリチュアルな本で読んだラッキーナンバーである『18』にちなんで、右から18本目の紐を選んだ。私は特にこだわりもなく適当に選んで、先輩と奈通ちゃんは、むむむんと目を閉じ、カッと目を開いて「これだ!」と気合を入れながら1本選び取る。
 それぞれ己の信じるまま、霊感、直感、第六感を駆使し、千本あるのかどうか疑わしい無数の紐の中から1本を掴んだ。

「いっせーのーせ、で引くぞ」
「え? いっせーの、じゃなくて?」
「うわ出た、面倒くさいパターン」
「グダグダですね」

 『いっせーのーせ』では、ローカル的なタイミングの違いが生じるため、急きょ予定を変更し、新しい掛け声には『3、2、1、0』が用いられることとなった。

「じゃあ行くぞー」
「…………」

 祭囃子、太鼓の音色に心臓の鼓動を速められながら、私たちは掛け声を叫んだ。

『3、2、1、ゼロー!』

 ………………。


 私は数回遊んだだけで壊れそうなヨーヨー。
 カミネはボタンを押すと恐ろしく低音質なボイスが再生されるおもちゃケータイ。
 柿坂先輩はスヌーピーのマグカップ。
 奈通ちゃんは猫耳のついたリュックサック。

「………………」
「まぁ、こんなもんだよ」
「こんなものね」
「こんなもんですね」
「私は嬉しいですよ! かわいいー」

 ビニールに包まれた猫耳リュックサックに頬ずりしながら、奈通ちゃんは無邪気に喜んでいる。
 こんな笑顔を見せられて、「それ、こないだ空乃と行ったゲーセンで、在庫処分景品として段ボールに入ってるのを見たよ」などという事実を口にできるわけもなく、私は切ない気持ちで奈通ちゃんの頭を撫でるのだった。
 異様なしつこさでおもちゃケータイを押し付けようとしてくるカミネに無理やり別れを告げて、私たちはまだまだお祭りを歩く。
 ホットドッグにフランクフルト、イカ焼きたこせん揚げ餅屋台。芳香の暴力とでも言うべき危険地帯を、溢れ出る食欲を奈通ちゃんに悟られぬようどうにか潜り抜けた先、スーパーボールすくいの屋台で、知った顔を見つけた。
 水槽を挟んで話しかける。

「お。やっと来たねー、カッキ……」

 渡良瀬先輩の笑顔が固まり、きょとんとした顔になる。
 手のひらで奈通ちゃんを指し示し、

「この可愛い子、どなた?」
「初めまして、友近奈通です。小池さんと柿坂さんに、えっと、人探しを手伝ってもらってます」
「こんな時間に子供1人で歩かせるのはね。友金って人を探しつつ、まあ、遊び歩いてるってところかな」
「へえー。奈通ちゃん初めまして、渡良瀬秋華お姉さんですわよ。シューカって呼んでくれていいのですわよ」
「貴族の方ですか?」

 思わず噴き出した。貴族て。
 柿坂先輩は、ところで、と話を区切って、奈通ちゃんにスケッチブックを出すように言った。

「友金すみれっていう人を知らないか。この子の探し人なんだけど」
「こんな顔でございます、シューカ殿」
「貴族のイメージが微妙に間違ってるよ。えっと、どれどれ?」

 じいっとスケッチブックを見つめていた渡良瀬先輩だったが、残念そうに眉を八の字にして、首を横に振った。

「ごめんね、知らないや」
「そうですか。ありがとうございます、お仕事してるのに」
「うわ、気遣いできるいい子ー! お姉さんサービスしちゃう! 1回無料でやっていっていいよー」

 キミたちは払うモン払ってね、と言われ、柿坂先輩の財布から200円ぶんの金券が消えた。
 ポイには男用と女用があるのです、と講釈を始める渡良瀬先輩から女用のポイとザルを受け取って、私は久々のスーパーボールすくいを楽しんだ。14個とは、なかなか健闘できたのではなかろうか。
 7個すくった柿坂先輩、10個すくった奈通ちゃんと一緒に、すくったボールを袋に入れてもらって、私たちは渡良瀬先輩と別れた。
 しかし、すぐ隣の金魚すくいで、またもや見知った顔を見つける。
 今度は水槽を挟むことなく、同じ客として。

「あ、咲と先輩」
「黒部さんと源さん……み、みんな夏風邪ってのは何だったんだよ!」
「え、えへへ。夜になって治ったから、さっき急いで浴衣着つけて、一緒に来たんですよ。ね、忍?」
「え? ……あ、うん」
「今ちょうど、まだ回ってるなら合流しましょうかってラインしようと思ってたとこだったんですよ……」

 柿坂先輩は、その無理のある釈明に対して、しかしケロッとした笑顔で答えた。

「そっか。じゃあしょうがないなぁ」

 ピュアすぎる……。そんなところも愛しておりますが、先輩、絶対詐欺師とかに騙されないでくださいね。
 あとで聞いたところによると、忍は当初、体育祭の時にできた例の彼氏と一緒に回る予定だったらしいが、その彼氏が夏風邪を引いているらしく、それならばと空乃を捕まえて一緒に回ることにしたのだとか。
 空乃は空乃で(私に気を遣って断った手前、鉢合わせしたくないというのもあったのだろうが)、もともと来るつもりがなかったらしく、忍に誘われて急きょ浴衣を引っ張り出してきたらしい。

「渡良瀬にはもう会った?」
「あ、はい。挨拶したら金券くれました」
「……小池さんや前田さんにやらなかったのは、それぞれ俺やキヨに奢ってもらえってことか」
「あははー。ま、花持たせてあげてるってことですよ」

 小柄な空乃にぴったり合った、縞模様の地に菊模様の浴衣。キレイ系美人の忍に似合う、黒地にいくつか薔薇の咲いた浴衣。
 みんなけっこう、各々にぴったり似合った浴衣を着ているものだ。今日のために新しく浴衣を買って、その場しのぎで自らを着飾った私なんかよりも、自分らしく、素敵な浴衣を。
 突然にして自分の浅はかさに気付いてしまい、額を押さえた。

「そういえば……えっと、この子は?」
「ああ。まだ紹介してなかったね」

 本日何度目か分からない、『友金すみれ』さんについて知っているかどうか、いくつかの質疑応答を終える。今回も成果はなかった。
 駄弁りもそこそこに、私たちは目の前の金魚すくいの屋台に足を踏み入れると、看板に書いてあった1回ぶんの料金150円を、そこにいた係の人に渡した。

「……本当に今日は会いたくないヤツばかりに会う日だなぁー、パッツン女」
「げっ!」
「曽布川さん……!」

 私と空乃、柿坂先輩が青ざめるのを尻目に、何故か全く似合わない金魚すくいの屋台の運営などを任されている曽布川さんは、露骨に舌打ちした。
 曽布川さんとは、夏休み中の演劇部テスト公演の際に会っているが……やはり、何度会ってもこの人は慣れない。遭遇するたび、頭の中で不吉なBGMが流れ出す。

「人の顔を見て『げっ』とは、身長が低い人間は教養も低いらしいなチビ女」
「すいません。でも、なんで金魚すくいなんか? 金魚に爆薬でも仕込んでるんですか?」
「……お前、俺を何だと思ってるんだ」
「いやぁ……俺も似合わないと思うよ。ていうか曽布川くんには祭り自体全然似合わないよ、酷い言い方するようだけど」

 曽布川さんは、珍しく口元を隠して、恥ずかしそうな表情を見せた。

「俺だって……こんな、『陽側の人間』ばっかりが集まるような場所、好き好んで来たわけじゃない。ちょっと媚びを売ってるだけさ」
「媚びを? 誰に?」
「……この祭りの屋台は、地元の『ヤ』が管理している。聞いたことぐらいあるだろうパッツン女」

 聞いたことないし。そもそもヤクザに媚びを売る高校生ってどんなだよ。
 私たちのやり取りにキョトンとして首を傾げる忍を、できるだけ曽布川さんから遠ざける。しつこく「みんな知り合いなの?」と聞いてくるが、「知り合わない方がいい人だ」とだけ答えておく。
 と、ちょっと目を離した隙に、奈通ちゃんが無防備にも危険人物に近付いてスケッチブックを見せていた。止める間もなく、奈通ちゃんは声をかけてしまう。

「すみません。友金すみれという人を知りませんか? こんなお顔の人なのですが」
「……2つ。これからの人生で役立つことを教えてやろう」
「友金さんのことですか!?」
「違う。……まず1つ、人に質問するときは、いきなり聞くんじゃなく、せめて名前を名乗るとか事情を話すとかしろ。……分かるか?」
「ええと、はい! 友近奈通っていいます、お祭りで会う約束をしている人を探しています、友金すみれという人を知りませんか?」
「よくできましたぁ」
「2つ目は何ですか!?」
「…………商売をやっている人間は、カネにならない話には応じないってことさ。友金さんについて質問したいのなら、まず金を払って1度金魚すくいをすべきだぜ」

 小学5年生の女の子に随分世知辛いことを教授するものだ。間違ってはいないから何も言う気はないが。
 「わかりました!」と、目をキラキラさせながら、奈通ちゃんは柿坂先輩に金魚すくい代をねだる。曽布川さんにまんまとしてやられる形になった先輩は、苦笑いしながらも、私と奈通ちゃんのぶんの代金を財布から出してくれた。本人は苦手だからやらないらしい。
 空乃と忍もそれぞれ代金を払って参戦。曽布川さんからポイと小さな桶が配られ、水槽の前に浴衣姿の猛者4人が出そろう。

「誰がいちばんすくえるか勝負ね」
「ふふ、私けっこう自信あるわよ」
「マジか。スーパーボールは得意なんだけど、金魚は動くから苦手なんだよなー」
「奈通ちゃん、ハンデいる?」
「いりません! 祭りの鉄人ですので!」

 鉄人ときたか。随分と可愛い鉄人がいたものだ。
 4人一斉、水面にポイを差し入れ、金魚との格闘を開始する。

「うわあ! このデメキンめっちゃ暴れる、やめて、破れるって!」
「1、2、3、4……」
「うわ、忍はやっ! ああくそ、全然追い付かない……」
「小池さん、端っこにいるあんまり動かないヤツ狙って!」
「……うわ、すくえた! すくえたよ奈通ちゃんマジありがと!」
「おのれデメキン……!」
「……………………」
「忍、すっごい集中してる」
「あっ、破けた。4匹かぁ」
「すごいじゃん。私とか2匹で精一杯だよ」
「うわあああ! デメエエエー!」

 わいわいきゃあきゃあと金魚をすくう私たちをよそに、呆れたように苦笑いをする男子たちを私は見逃さなかった。

「はは、女4人寄れば姦しい……ってやつかな?」
「3人寄れば、ですよ。こいつらのはそれより凶悪だが」

 最終的に、8匹をすくった忍が優勝となった。特に景品はない。
 持ち帰り用の袋を用意しながら、曽布川さんが気だるく言う。

「近頃は祭りも不景気でな。どれだけすくおうが、1匹もすくえなかろうが、持って帰ってもらうのは2匹までと決まっている」
「私はいいです。家が遠いので、持って帰る途中で弱っちゃいそうで」

 奈通ちゃんが即座に断るのに便乗して、私も断っておいた。ここから自宅まで、徒歩で1時間はかかる距離だ。金魚がかわいそうだろう。
 このあと、家が近い友達のところへ遊びに行くらしい空乃と忍は、金魚の入ったかわいい袋を受け取ると、すぐに私たちと別れた。友達の家に余っている水槽があるらしく、一時的に飼ってもらえるそうだ。
 帰り際、空乃が私の方へとてとてと寄ってきて、耳元に唇を近づける。

「じゃあね咲、がんばって」
「……気の遣い方が露骨だぞ」

 文句ありげなそのつぶやきが聞こえたか聞こえていないか、空乃はやけに楽しそうに、先を歩く忍の方へ走って行った。
 隣で、奈通ちゃんの髪がぴょこぴょこ揺れる。

「それで、お兄さん! 友金さんについて知っているんですか!?」
「悪いが、友金すみれという名前の人は知らないな」
「ええっ、そんな……ズルいよ! 知ってるようなフリして!」

 まんまと口車に乗せられる形となった奈通ちゃんが、ぷんぷん怒って曽布川さんに抗議する。
 だが、曽布川さんは無表情を全く崩さずに二の句を継いだ。

「一文字違いの苗字の人なら、前にこのへんで見たぜ」
「えっ、ああ……そうですか、ありがとうございます」

 今までの烈火の如き怒りはどこへやら。曽布川さんのその言葉を聞いた途端、奈通ちゃんは少し戸惑いながらも、いつものニコニコ顔に戻って礼を言った。
 曽布川さんはそれ以上私たちと話すつもりはないらしく、あまり流行っていない金魚すくいの屋台の屋根を見上げて、スマホをいじり始めた。
 ……何だろう。どうにも、頭の中で違和感がぐるぐると渦を巻いている。新聞部で謎に直面したときのような感覚に襲われるのだが、その謎の正体が、解くべき違和感の正体が分からない。
 対して柿坂先輩は、やけにスッキリした表情で、曽布川さんに一声かけた。

「ありがとう曽布川くん。今ので……確信した」
「……………………」

 無視を決め込まれても、先輩はなおも微笑んでいた。
 最後に曽布川さんに軽く挨拶をしておき、3人いっしょに、金魚すくいの屋台を離れる。

「さて。けっこう遊んだし、一度かき氷でも食べて頭を冷やそうか」
「うわあ、賛成です!」
「…………」

 柿坂先輩には、何か考えがありそうだった。
 今回、解決すべき問題の正体すら分かっていない私は、先輩にすべてを任せることしかできない。祭りに浮かれて、デートだとか色ボケていたせいで、いくつもの手がかりを見落としてきた私には、何もできることはない。
 無邪気にはしゃぐ奈通ちゃんを、どこか悲しく見下げる先輩の横顔を見て、私は何故だか申し訳なくなって、お面を顔の逆向けに付け直した。
 露店通りの一番奥、神社の本殿に最も近い場所に、かき氷屋はあった。この蒸し暑さに耐えかねてか、客足は順調なようで、私たちは列の最後尾に並んだ。

「何味にする?」
「この間テレビで見たんだけど、メロンとかイチゴのシロップって、全部同じ味らしいんですよ! だから宇治抹茶にします!」
「抹茶好きなの? 渋いな」
「いえ、苦くて嫌いです」
「……大人しく練乳味にしときなさい」
「あ! 練乳好きです!」

 雑談をして時間を潰していると、順番はすぐに回ってきた。
 練乳が好きらしい奈通ちゃんはもちろん練乳味、私はブルーハワイ味、先輩は宇治抹茶味をそれぞれ頼む。300円を財布から取り出した柿坂先輩が青い顔をしたので、たぶん小銭がもう無くなったのだと思われる。
 各々かき氷を受け取り、参道の外に設けられた休憩所の一角、大きめの机を陣取って、3人向かい合うように腰掛けた。
 荒く削られた氷を口の中に放り込むと、ブルーハワイの爽やかな甘みと氷の圧倒的清涼感が体を支配する。一気に汗が止まったような心地がして、私はほぅっとため息なんかをついてしまう。
 頭がキーンとしてギュッと目を瞑る奈通ちゃんに、自分のかき氷に全然口をつけようとしない先輩は、優しそうな、そして深刻そうな顔をして、言った。

「奈通ちゃん、友金さんのことなんだけど、ちょっといいかな」
「はい。何ですか?」
「……たぶん、なんだけれど。『友金すみれ』さんって、奈通ちゃんのお母さんなんじゃないかな」

 奈通ちゃんのスプーンストローを持つ手が止まり、かき氷の山に刺さったまま動かなくなる。
 私も、戸惑っていた。
 だから、黙ってしまった奈通ちゃんに代わって、質問を返す。

「先輩、どういうことですか? 友金さんは、奈通ちゃんとお祭りで落ち合って、一緒に回る予定の人だったはずです。お母さんなら、そんな回りくどいことをする必要ないんじゃないですか?」
「……そうだね」
「というか、お母さんを探しているなら、やっぱり迷子じゃないですか。どこかではぐれたの?」
「違う。奈通ちゃんはむしろ、迷子とは対極の存在だ」
「えっ……」
「奈通ちゃん。君にとってこの祭りは、母親と会うための手段であって、こんなに遊び歩くつもりはなかったんじゃないかな?」
「…………もくひ、します」

 黙りこくっていた奈通ちゃんが必死に絞り出した言葉は、ほとんど認めているという意味を持つ言葉だった。
 柿坂先輩は、1つ1つ、今日の奈通ちゃんの言動を思い出しながら言葉を紡ぐ。

「金魚すくいのときに君は、家が遠いから金魚を持って帰れない、と言った。トイレ近くで初めて会った時から、君の靴はとても汚れていた。
 何より君は、射的の時に、『昨日のお祭りでも百発百中だった』と言った」
「……あっ、槍津地区の花火大会!」
「そう。昨日、あいにくの悪天候によって花火大会は中止になったが、露店は開かれていたんだ。あれだけ大きい花火大会だ、射的もあったことだろう。奈通ちゃんが言っていた昨日のお祭りとは、それのことなんじゃないかな?」
「もくひ!」
「それは君が思っているより便利な呪文じゃないよ」

 冗談めかして言いながら、先輩は追及の手を緩めない。

「友金さんと、『来年も来よう』って約束したんだよな。家が離れ離れになってもその約束を守ってくれると信じて、君はこの祭りに来た。違うかな」
「もくひします」
「はは、気に入ったのかな。
 ……君の背負っているリュックからはみ出ている、そのキリンのぬいぐるみ。去年、射的で取ってもらったと言っていたね。……お母さんに」
「…………も、もくひです」
「そっか……。お母さんに、見つけてもらいやすくするためですね」
「ああ。大きくて目立ちやすいぬいぐるみなら、思い出の詰まったぬいぐるみなら、親子を識別する目印として最適だろう。しかも、ちょうど去年にこの場所で取ったものらしいしな」
「………………」

 ついに、また黙り込んでしまった。ちびちびと、元気なくかき氷を食べる姿は、可愛らしくもあり、すこし可哀想でもあった。

「他にもいくつか、気になる発言があった。千本引きで、スイッチが欲しいと言っていたのに、名前すらうろ覚えのウォークマンを狙うと言ったね。家が遠く、ゲームハード1台を持って帰るのは辛いと判断したんだろう」
「もくひします!」
「……ダメだよ」
「う…………」

「結論をまとめよう。
 友近奈通は、現在槍津地区に、おそらくお父さんと一緒に住んでいる。昨日の花火大会にも、お父さんと行ったのかな。
 母親との約束を覚えていた奈通ちゃんは、約42キロ、フルマラソン並みの道のりを歩き、この篤舟とくしゅう神社まで来た。この周辺に住んでいる母親に、もう一度会うために。
 昨日の悪天候のせいで、地面がぬかるんでいて、靴はひどく汚れてしまった。
 お祭りでは、けっこう子供たちだけで夜遅くまで遊んでいたりする。奈通ちゃんはそれを利用して、どれだけ遅くなっても、このお祭りで母親を探し続けるつもりだった。俺たちという保護者ができたことによって、それはより容易になると思われた」
「…………でも」

 奈通ちゃんの涙が、解けかけている氷山を、さらに溶かした。

「こんなこと言いたくない。だけど、おそらく奈通ちゃんのお母さんは、今日このお祭りに来ていない」
「…………」

 奈通ちゃんから、笑顔が消えた。
 他でもない柿坂先輩の言葉だというのに、私は納得できなくて、なおも食い下がる。

「ちょっと待ってください! 小学5年生の女の子なんですよ、約42キロもあるような道のりを歩けるものですか?」
「……42キロは遠すぎる。子供がそんな道のりを歩いて、足に異常がないとは思えない」
「何を……」
「奈通ちゃん、靴と靴下を脱いでくれないかな。右足だけでいい」
「…………………」

 椅子に座ったまま、靴と靴下を脱ぎ捨ててさらけ出した素足には、酷い靴擦れの跡と、赤く出血した箇所がいくつかあった。
 私は俯く。歯噛みする。
 全く気付かなかった。一歩一歩歩くたびに辛かったはずなのに、奈通ちゃんの笑顔は完璧で、こんな怪我を微塵も感じさせなくて。

「執念……っていうのかな。君がお母さんに会いたいって気持ちは、とても自然なものだと思うし、尊重する」
「…………」
「だけど、もうダメだ。おそらく君は、お父さんに黙ってここまで来たんだろう。心配してるだろうし、捜索願が出されていてもおかしくない。ギリギリ、タクシー代くらいは出せると思うから、それに乗って家に帰るんだ」

 血の染み込んだ靴下を履き直し、パンパンと叩いて泥を落としてから靴を履く。奈通ちゃんは、柿坂先輩を睨んだ。
 その瞳には、涙と、嫌だという思いが滲み出ている。

「お父さん、離れてからずっと、全くお母さんの話してくれない。自分で会いに行かないと一生会えない!」
「………………」
「家から家に行くだけだよ? お母さんに会いに行くだけだよ? ……ねえ。おねがいだから、ゆるしてください」
「ダメだ! お母さんは……いくら待っても来ないぞ」

 自分のことのように胸を痛め、顔をしかめながら、柿坂先輩は言った。

「……僕も君ぐらいのときに、親が離婚した」
「…………だったら分かってよ!」
「分かりすぎるから言ってるんだよ!
 仕事が忙しくて、2年生の時の授業参観に来られなかった父親は、『来年は必ず見に来るから』って言ってくれた。だけど、次の年にはもう離婚して、どこへ行ったかも分からなくて、当然参観には来なかった……」
「先輩……」

 泣きじゃくる奈通ちゃんに、先輩はけして自分の涙はみせまいと下唇を噛みしめながら近づき、頭を撫でる。
 その仕草は、まるで空想上の父親のようだった。現実には絶対に存在しない、最高に優しく、非の打ち所がないような父親だった。理想の父親。

「奈通ちゃん。辛いことを言うようだけど、これから先、親に期待するな……。自分のことは自分で決めて、そして、いろんな人に優しくしろ」
「やさしく……? いろんなひとに?」
「……いろんな人に優しくしていれば、優しい人になれる。いろんなことを許せる人になる。だから、ちょっと無理をしてでも、優しくしてみてほしい。
 そして……お母さんのことは、悔いを残さないよう、きれいな思い出だけ残してさっぱり忘れてしまえ」
「…………いや、です」
「そう思う。……でもな、お父さんはきっと、お母さんの話をする君を見て、いい顔をしないよ。俺の母親も、父親のことを言った途端に、急に機嫌が変わる人だった」

 自分と同じ苦しみを味わってほしくない。自分と同じ過ちを犯してほしくない。
 自分よりも、上手く生きてほしい。
 自分と同じ境遇に置かれた人に対する、自然な気持ちだろう。後輩を思う先輩の気持ちであり、教え子を思う師の気持ちであり、なによりも、子を思う親の気持ちだ。
 ……けれども、その辛すぎる教訓を、まだ小学5年生である奈通ちゃんが素直に受け入れられるわけもなかった。

「それでも……私は……」
「奈通ちゃん?」
「…………ごめんなさいっ」

 いきなり椅子から立ち上がると、奈通ちゃんは、神社の出口へ向かって一目散に走り出した。

「奈通ちゃん!」
「まずい……」

 追いかけようと、私たちも同様に立ち上がるが、小柄な奈通ちゃんの姿が祭りで賑わう人ごみの中に消えて見えなくなってしまうのに、時間はかからなかった。
 呆然と立ち尽くす。
 不意に、ストン、と崩れ落ちるように椅子に座った柿坂先輩が、乱暴に拳で机を叩いた。

「……くそっ! 俺のせいだ……!」

 先輩が声を荒げるのを、私は初めて見た。
 どうしようもなくなって頭を抱える先輩に、私は、なんと声をかければいいのか分からない。ほとんど部外者に成り下がった自分が、軽々しく先輩を慰めてよいのか。くだらないことで、私はまたしても勇気を出せない。
 かき氷は、ほとんどストロースプーンですくえないほどに液体化していた。

「…………携帯鳴ってるよ」
「え?」

 不意に先輩から指摘されて、私はようやく、持っているきんちゃく袋の中でスマホが着信音を鳴らしていることに気が付いた。
 重低音の利きすぎた、この不吉な着信音……間違いなく、曽布川さんに個別に設定してある着信音である。ちなみに柿坂先輩には『Can't take my eyes off you』、空乃には一時期パンのCMでかかっていた変な踊りの歌、忍には彼女がやたら気に入っていた『Girl A』を設定してある。
 今はそんなことどうでもいい。指紋認証して、送られてきたメッセージを開いた。

「………………先輩」
「…………」
「おい! ウジウジ黙ってんじゃねーぞ!」
「え、ええっ?」

 私は愛しの柿坂先輩になんてことを言っているのだろうか。だけど、なんだか楽しくなってきた。
 今なら、なんでもできそうだ。
 私は強引に柿坂先輩の手を握ると、かき氷を放置したまま、奈通ちゃんが走って行った神社の出口へ向かって走り出した。
 そろそろ祭りもクライマックスだ。ラストスパートを始めた祭囃子に心臓と脚を急かされながら、私はずんずん走る。

「小池さん? 急にどうしたの!?」
「いいからついてきてください! ほら、チンタラしてないで走って!」
「ええっ、ちょっと待ってって!」

 私たちは、祭りの喧騒にしばしの別れを告げた。
 夜は短い。こんな裏技を使わないと、親子の再開も果たせないほどに。



「やっぱりな。その足でろくな距離歩けるワケないと思ったんだ」

 神社からそう離れていない、静かな石の小道。
 奈通ちゃんは、ひどく擦りむいた膝を見つめながら、ぼろぼろに涙を流してぺたりと座り込んでいた。
 私たちを見るなり、また逃げるために立ち上がろうとするので、私はそれを手で制する。

「いいんだ。……会いに行こう、お母さんに」
「え?」
「友金さんの知り合いが、ついさっき、友金さんのお家を教えてくれたんだ。疲れていてお祭りには来られなかったみたいだね」

 ……と、いうことにしておきますよ。曽布川さん。
 あのあと、犯罪スレスレの手段を用いて、流行っていない金魚すくいの合間にテキパキとスマホで調べてくれたらしい曽布川さんに、密かに感謝の念を送った。
 演劇部の時も、同じようなことをしてくれたっけ。まずい、意に反して曽布川さんの好感度がどんどん上がってしまっている。
 奈通ちゃんは一時的に泣くのをやめて、キョトンとしていたが。

「…………おかぁさん……」

 すぐにまた、今度は違う理由で泣き始めてしまった。

 もう歩けない奈通ちゃんを、柿坂先輩がおんぶして歩く。その隣に連れ立って、私も歩く。奈通ちゃんがひどく嗚咽を漏らすものだから、ときどき背中をさすってあげる。
 みんな祭りに出ているのか、元から田舎だからか。見慣れない夜の町は閑散としていて、さっきまで人ごみの中にいたせいか、蒸し暑いはずなのに、少し肌寒さを感じるほどだ。

「……さっきはごめんな」
「…………いえ。私のため、ですよね」

 柿坂先輩の絞り出すような謝罪に、奈通ちゃんは、久しぶりの笑顔で答えた。

「俺は、父親と母親を諦めてしまったけれど。奈通ちゃんがそうする必要はないからさ……」
「はい。でも……。時間が……もどらないかな」
「……そうだね」

 ぽつぽつと会話をしながら住宅街を歩き、古いアパートの一室に、友金さんの部屋を発見する。もう30分くらい奈通ちゃんをおんぶしている先輩は、エレベーターがないことにぶつくさ文句を言いながら、階段を上っていく。私も後ろから奈通ちゃんの背中を支えてフォローしつつ、ついていく。
 目的の4階に着いた。
 私たちについて説明するのも面倒だし、ひょっとしたらアパートの人たちから不審者扱いされる可能性さえあるため、ここでお別れする。
 奈通ちゃんは、今までで最高の笑顔を浮かべてお辞儀した。うしろのキリンがぐでんと前に倒れてくる。

「今日は……本当に、お世話になりました! ありがとうございました!」
「俺も楽しかった。元気で」
「またね。10月ごろに、私たちの東大正高校で文化祭があるから、よかったらまたそこで会おう」
「はい! ……それでは」

 手を振りながら、奈通ちゃんは廊下を進む。
 緊張の面持ちで402号室のドアの前に立つ奈通ちゃんを、私たちは邪魔にならないように、階段の陰から見守ることにした。
 インターホンを押して、数秒、流れてきた声を聞いた途端に、奈通ちゃんはまた泣き出して。
 ずっと言っていた、ずっと言いたかった。これからも言いたい言葉を。

「ただいま…………お母さん!」



 星空広がる片田舎の空に、花が咲く。
 ひゅるるる、と上がって、パンと咲く。
 咲いては散って、またすぐに次の花火が打ち上げられ、絶え間なく黒いキャンバスが火花で彩られる。
 赤、白、黄色、青、全色複合。また、パチパチと連続で炸裂するものも。ああ、ちょっと型崩れしてるけれど、あれは何かのキャラクター花火かな。
 不意に、こっそり、横を見てみる。
 空を見上げる柿坂先輩の顔に、花火の色がすこし反射する。その横顔はいつもよりも、ずっと、色っぽく艶があるように見えて。私は頬が赤くなるのを自覚しながら、花火に見惚れる先輩の表情を目に焼き付けるように、見つめる。
 最後の特大花火。
 神社の方から、大きな歓声が聞こえてくる。それが止んだら、祭りが終わる合図。

「……終わったね」
「綺麗でした」
「思いがけず穴場を見つけたな」

 神社近くの公園、ジャンボ滑り台の上に登って、私たちは花火を見ていた。
 いつもよりも少し高い視点から見る花火は格別なのに、先輩と見る花火というだけでも特別なのに、それでもなんだか、今日の花火はいつもより儚く、切ないような気持ちを与えた。
 祭りは特別な日だ。今日限りの特別な日だ。
 花火は、それに終わりを告げる。盛大に轟かせて、響かせて、少しだけ余韻を遺して消えていく。

「奈通ちゃんは……大丈夫、なんですかね」
「お母さんと一緒に花火を見てたさ。多分、ね」
「……たとえ1夜限りだったとしても、お母さんと良い時間を過ごしていてほしいです」
「うん。…………そうだね」

 嘘のような静寂。嘘のような2人きり。
 終わってしまった会話が、私を焦らせる。
 ……せっかく先輩と2人きりなのに、このまま何事もなく帰ってしまってもいいものなのか? これは、何かのチャンスなのではないか?

「小池さん? どうかした?」
「あっ、え、いえ!」

 先輩の顔がいつもより近い。先輩の声がいつもより甘く聞こえる。
 そんなせいで、変な妄想ばっかりが浮かんでしまい、私は耳まで真っ赤になって、態度には表れない程度に取り乱す。両手で顔を隠す私を、先輩は訝しんでやしないだろうか。
 勇気を。
 勇気を出すんだ小池咲。
 待っていたって、こんなチャンスは二度と来ないぞ。

「あっ、あの! 先輩、もしよければ、これから……」
「これから?」
「わ、私の家に…………」

 何を言うんだこの口は。いくらなんでもいきなりそれはないだろう!
 最悪だ。今すぐ自分の口を縫い合わせたい。耳を塞ぎ目を閉じ口を噤んだ人間になろうと考えた。
 先輩はしばし反応に困っていたが、頬をかきながら、

「……ええと、家まで送る、ってことでいいのかな?」
「……………………はい」

 あともうひとつお願いできるなら、どうかこの汚い私を殺してください。
 花火よりも真っ赤に染まった自分の顔をお面で隠しながら、私は柿坂先輩と連れ立って、帰路についた。

 手をつなぐことには成功したので、誇ってもよいだろうか?
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