やさしい魔法使いの起こしかた

青維月也

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第一話 野望編

2 魔法使い殺し

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 皇八島は、八つの大島と四百を超す小さな島々で形成された群島国家である。
 魔法使いギルド本部のあるユフ島は、弓形を描くように南北に点在する島々の中で北から数えて四つ目、この国で二番目に大きな島だった。


 北西にトダ山脈、南西にソキ山脈、南はアカセ山脈と三つの山脈に囲まれた山間都市シノンに、全国に名高い魔法使いギルド本部は威容を誇る。


 壮大な山々に囲まれた美しい街のメインストリートを東に抜けると、突如、街並みにそぐわぬ堅牢な建物が現れる。それがギルド本部だ。


 無骨な作りで要塞を連想させる本部棟は玄関口にすぎず、皇八島全土に支部を置く魔法使いギルドの中枢は果てしなく広大だった。
 本部棟の他にも研究棟や居住棟、魔道具工場に、果ては魔法使いを育てる教育機関、魔法学校まで敷地内に収め、森や湖、山まで存在する。


 そのギルド本部に、氷室、と呼ばれる部屋があった。


 本部の建物奥深く、限られた人間しか入室を許されないギルド最深部――その部屋は、静寂に満たされていた。


 そこにはシノンの街の喧騒はおろか、ギルド内部の賑わいも届かない。
 窓ひとつない広い空間は氷で埋め尽くされ、夏だというのに吐く息は白い。まさしく氷室と呼ばれるに相応しい部屋だった。


 魔法で作られた巨大な一塊の氷は床から天井まで覆い、限りなく透明で美しい。
 その氷の中で、一人の男が眠っていた。
 黒いローブを纏った男は、まだ若いにも関わらず、髪は雪のように白い。


「まるで虜囚のようね……」
 炎司アナイスは氷の前に立ち、男を見上げた。


 彼女も男と同じく、魔法使いの証である黒いローブを羽織っている。裏地は赤。炎使いであることを示している。


 魔法には火、水、風、土と四つの属性があり、魔法使いは己が属性の色をローブの裏地で表していた。
 すなわち、火の魔法を使う炎使いは赤、水使いは青、風使いは白、土使いは黄色といた具合である。その属性の中で最も強い魔法使いが司と呼ばれ、ギルドの最高責任者を務めていた。


 そして、アナイスの見つめる先で眠っている男のローブの裏地は黒――。
 全魔法使いの中でたった一人、その男だけが、表裏漆黒のローブを纏う。


「氷よ、溶けなさい。最強の魔法使いを目覚めさせて」
 氷に触れた掌から魔力が注がれると、部屋一面の氷が見る見る溶けていく。


 厚い氷の中に閉じ込められ、まるで死んでいるかのようだった男が、息を吹き返して呼吸を始めた。
 瞼が小さく動き、アイスブルーの瞳がうっすらと開かれる。


「おはよう、セツ」
 男は覚醒にわずかの間を要すも、意識が明晰になるのにさして時間はかからなかった。
 

「アナイスか」
「ええ、そうよ」


 やや目つきの悪い両の目に、深いシワを刻んだ女性の姿が映る。
 男の記憶にある彼女より、シワは増え、かつては見事だった赤い髪もずいぶん白くなっていた。


「……何年だ?」
「ラギ王歴1624年、海月よ」


 アナイスは付け足す。
「前回裏切り者を処罰してもらったのが十八年前、私用があるとかなんとか言って、起こしてくれと言われてからは五年よ」


「五年……。あの子はもう十八か」
 セツがポツリと呟いた。


「誰ですって?」
 口元に小さく笑みを浮かべる男に、アナイスは怪訝に首を傾げる。


「いや、なんでもない」
 セツはそれ以上は口をつぐみ、感傷を封じたようだった。


 彼が目覚めさせられたのには、理由がある。それを、男は誰より知っていた。


「仕事よ、マスター・セツ」
「ああ、わかっている」
 わずかに残っていた眠気の残滓を振り払い、セツは立ち上がった。







 新しい着物は司が用意してくれたものだった。夏らしい紗の薄物で、色は浅葱。たもとのない袖は細く、腕に沿っている。灰白の帯、色の濃い細身のズボンを合わせるのが今風なのだろう。足元はサンダルだ。


 漆黒のローブを纏い、セツは本部棟を歩く。
 増改築を繰り返し、目覚める度に見知らぬ通路や建物が増えているギルド本部だが、本部棟だけは昔からかわらず、セツは迷わなかった。


 始業開始からそれほど時間は経っていないはずだが、忙しく立ち働くギルド職員や魔法使いが廊下を行き来している。
 

 まず、その白い髪が彼らの目を引いた。
 次いでローブの黒い裏地に気が付くと、魔法使いたちの顔色がかわる。
 気の弱い者が、ヒッと声を漏らした。


「魔法使い殺し……!」


 悲鳴のような囁きを、誰が漏らしたのか。


 そのたった一言に、周囲の空気は一変する。
 いつもとかわらぬ日常が、一気に緊張を孕んだものへと変容した。


「魔法使い殺しが目覚めた……!」
「最強の魔法使いが、裏切り者を殺しに行くんだ!」
 恐怖が漣のように広がり、魔法使いたちはセツに道を開ける。彼らは決して、セツと目を合わせようとはしなかった。


 青ざめ、畏怖の滲む声で囁き合う。
 ギルドを裏切るな。
 裏切れば、最強の魔法使いに殺されるのだ、と。


 魔法使いたちのおびえる視線を浴びながら、セツは眉ひとつ動かさない。


 最強でありながら魔法使い殺しと恐れられる男は、悠然と廊下を歩くのだった。
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