129 / 161
終章『赤き翼』編
第二十九話「嵐の前の」-2
しおりを挟む
最後の一日は、一見怠惰に見えるほど緩やかに過ぎていった。端から見れば、飯時にしか部屋を出てこない、引きこもりにでも見えたことだろう。
しかし、実際は僕の過ごした人生の中でも、最も濃密で、最も急峻で、そして何より、最も焦燥感に背を刺されるような――そんな時間だったと思う。
けれど、そんな時間も、いつまでもは続かない。
時計に視線を向ける。そろそろ、時間が近付いてきていた。
リトラとの約束の刻限。そして、僕にとっては――運命の時間が、訪れようとしている。
僕は懐に杖と霊符があることを確認して、書庫を後にする。たった一日がそこら缶詰めになっただけの場所には、大した感慨も湧かなかった。
しかし、それももう、二度と戻れぬ場所なのだと思えば――少しばかり、足は止まる。
【イットウ】の廊下に一人立ち尽くし、床に目を落として、記憶を辿る。
そんな中、ふと、柱に刻まれた傷の一つに目が留まった。擦れたような、凹んだようなその跡には、僅かながら見覚えがある。
『あんた、今日は早く起きなさいって言ったじゃない!』
記憶の中で、リタが叫ぶ。そうして、振りかぶられた拳を、僕は辛うじて躱すことができて――ああ、そういえば、この傷をこさえたときには、流石のオレリアも怒ってたっけ。
続いて、視線は天井へ。薄暗くなり始めた廊下を照らすため、魔術で灯されたカンテラが吊るされている。
『なんで私がこんな……あんた、もっと右に寄りなさいよ!』
『うるさいな……というかお前、飛べばいいだろ、飛べば!』
『こんな狭い廊下じゃ翼なんて出せないわよ! これ以上落としたら、オレリアに殺されるわ!』
そう、確か、前にリタと喧嘩した時にカンテラを落としてしまって、二人で交換したこともあったか。
あの時も、あいつは口うるさかったっけ。結局、うるさいってことで、オレリアにはどやされたのだったか。
それ以外にも、この廊下のあちこちに、僕とリタが過ごしていた、この三週間足らずの形跡が残っていた。
たった三週間。それだけのはずなのに、どうしてだろうか。よっぽど僕が単純なアタマをしているからなのか、理由まではわからないものの、一歩ごとに思い出が、僕に語りかけてくる。
この先、僕とリトラの戦いがどんな結末を迎えようと、変わりなく、僕とリタの関係は終わる。
出来損ないの死霊術師と、世界最高の万能少女の関係は、予定通りの破綻を迎える。
そんな、瀬戸際のひとときだったからのだろう。不意に、頭蓋の内側で、それは火花のように弾けた。
『――ここから先、私の私室だから。勝手に入ったら、消し炭にするわよ』
不意に思い出した、馴染みのある台詞に顔を上げれば、それは階段のすぐ脇、登った目の前のところにある、古びた木製の扉の前だった。
ここは、リタの部屋だ。結局、彼女はたったの一度も、僕を入れてはくれなかった。
恐らく、今は彼女も寝込んでいるはずだ。チャンス、ということではないが、最後に顔を見ておこうと思い、僕はドアノブに手をかけた。
リタの私室は、先ほどの資料庫が嘘であるかのように整頓されていた。
元々、あまり荷物を持たない性質なのだろうか、物の少ない部屋の中には、仕事用と思しきローブがいくつも駆けてある。
そして、その奥に視線を向ければ――穏やかな寝息が、僕の耳まで届いてきた。
部屋の最奥。そこには、見覚えのある少女が眠っている。
リタ。
リタ・ランプシェード。
世界最強の万能屋にして、僕をここまで守ってくれた少女。
……そして、僕のせいでこんなに傷つくことになった、小さな彼女だ。
近付けば、リタはここに帰ってきたときから何ら変わることなく、静かに眠っていた。
目覚める気配は、ない。いつ起きてくれるのか、それともずっとこのままなのか。眠り姫の物語のように、現実はそう上手くはいってくれない。
しかし、実際は僕の過ごした人生の中でも、最も濃密で、最も急峻で、そして何より、最も焦燥感に背を刺されるような――そんな時間だったと思う。
けれど、そんな時間も、いつまでもは続かない。
時計に視線を向ける。そろそろ、時間が近付いてきていた。
リトラとの約束の刻限。そして、僕にとっては――運命の時間が、訪れようとしている。
僕は懐に杖と霊符があることを確認して、書庫を後にする。たった一日がそこら缶詰めになっただけの場所には、大した感慨も湧かなかった。
しかし、それももう、二度と戻れぬ場所なのだと思えば――少しばかり、足は止まる。
【イットウ】の廊下に一人立ち尽くし、床に目を落として、記憶を辿る。
そんな中、ふと、柱に刻まれた傷の一つに目が留まった。擦れたような、凹んだようなその跡には、僅かながら見覚えがある。
『あんた、今日は早く起きなさいって言ったじゃない!』
記憶の中で、リタが叫ぶ。そうして、振りかぶられた拳を、僕は辛うじて躱すことができて――ああ、そういえば、この傷をこさえたときには、流石のオレリアも怒ってたっけ。
続いて、視線は天井へ。薄暗くなり始めた廊下を照らすため、魔術で灯されたカンテラが吊るされている。
『なんで私がこんな……あんた、もっと右に寄りなさいよ!』
『うるさいな……というかお前、飛べばいいだろ、飛べば!』
『こんな狭い廊下じゃ翼なんて出せないわよ! これ以上落としたら、オレリアに殺されるわ!』
そう、確か、前にリタと喧嘩した時にカンテラを落としてしまって、二人で交換したこともあったか。
あの時も、あいつは口うるさかったっけ。結局、うるさいってことで、オレリアにはどやされたのだったか。
それ以外にも、この廊下のあちこちに、僕とリタが過ごしていた、この三週間足らずの形跡が残っていた。
たった三週間。それだけのはずなのに、どうしてだろうか。よっぽど僕が単純なアタマをしているからなのか、理由まではわからないものの、一歩ごとに思い出が、僕に語りかけてくる。
この先、僕とリトラの戦いがどんな結末を迎えようと、変わりなく、僕とリタの関係は終わる。
出来損ないの死霊術師と、世界最高の万能少女の関係は、予定通りの破綻を迎える。
そんな、瀬戸際のひとときだったからのだろう。不意に、頭蓋の内側で、それは火花のように弾けた。
『――ここから先、私の私室だから。勝手に入ったら、消し炭にするわよ』
不意に思い出した、馴染みのある台詞に顔を上げれば、それは階段のすぐ脇、登った目の前のところにある、古びた木製の扉の前だった。
ここは、リタの部屋だ。結局、彼女はたったの一度も、僕を入れてはくれなかった。
恐らく、今は彼女も寝込んでいるはずだ。チャンス、ということではないが、最後に顔を見ておこうと思い、僕はドアノブに手をかけた。
リタの私室は、先ほどの資料庫が嘘であるかのように整頓されていた。
元々、あまり荷物を持たない性質なのだろうか、物の少ない部屋の中には、仕事用と思しきローブがいくつも駆けてある。
そして、その奥に視線を向ければ――穏やかな寝息が、僕の耳まで届いてきた。
部屋の最奥。そこには、見覚えのある少女が眠っている。
リタ。
リタ・ランプシェード。
世界最強の万能屋にして、僕をここまで守ってくれた少女。
……そして、僕のせいでこんなに傷つくことになった、小さな彼女だ。
近付けば、リタはここに帰ってきたときから何ら変わることなく、静かに眠っていた。
目覚める気配は、ない。いつ起きてくれるのか、それともずっとこのままなのか。眠り姫の物語のように、現実はそう上手くはいってくれない。
0
あなたにおすすめの小説
最強の異世界やりすぎ旅行記
萩場ぬし
ファンタジー
主人公こと小鳥遊 綾人(たかなし あやと)はある理由から毎日のように体を鍛えていた。
そんなある日、突然知らない真っ白な場所で目を覚ます。そこで綾人が目撃したものは幼い少年の容姿をした何か。そこで彼は告げられる。
「なんと! 君に異世界へ行く権利を与えようと思います!」
バトルあり!笑いあり!ハーレムもあり!?
最強が無双する異世界ファンタジー開幕!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
娘を返せ〜誘拐された娘を取り返すため、父は異世界に渡る
ほりとくち
ファンタジー
突然現れた魔法陣が、あの日娘を連れ去った。
異世界に誘拐されてしまったらしい娘を取り戻すため、父は自ら異世界へ渡ることを決意する。
一体誰が、何の目的で娘を連れ去ったのか。
娘とともに再び日本へ戻ることはできるのか。
そもそも父は、異世界へ足を運ぶことができるのか。
異世界召喚の秘密を知る謎多き少年。
娘を失ったショックで、精神が幼児化してしまった妻。
そして父にまったく懐かず、娘と母にだけ甘えるペットの黒猫。
3人と1匹の冒険が、今始まる。
※小説家になろうでも投稿しています
※フォロー・感想・いいね等頂けると歓喜します!
よろしくお願いします!
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
アラフォーおっさんの週末ダンジョン探検記
ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。
そこには人外異形の生命体【魔物】が存在していた。
【魔物】を倒すと魔石を落とす。
魔石には膨大なエネルギーが秘められており、第五次産業革命が起こるほどの衝撃であった。
世は埋蔵金ならぬ、魔石を求めて日々各地のダンジョンを開発していった。
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる