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【34】ハルボーン中佐 ー不運は幸運の始まりー

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 しかし不運は続くものである。
 清掃作業で入った上官室で、レストランで醜態を晒したあの死んだ目の中佐と遭遇してしまった。

 できればしばらく会いたくないと思っていたのに、まさかバイトで請け負った代理清掃中に会うとは!
 というか、上官は帰ってこない聞いてたのにっ。

 軍において、職務の委任は基本的に認められていない。
 代理清掃を頼んだ者も請け負ったダニエルも、始末書確定だ。

 これはヤバイ!なんとかこの状況を切り抜けられないだろうか。
 敬礼しながら、ダニエルは脳味噌をフル回転させた。

 くだんの上官、カイル・ハルボーン中佐は無表情で見下ろしている。
 ダニエルはゴクリと唾をのんだ。
 二メートルの巨体は山のようで、圧力が半端ない。

 ブラウンの短髪は綺麗にカットされ、垂れた切れ長の目元は冷徹さが伺えた。
 加えて眉は薄く、鼻は平たく、感情のない死んだ目とへの字の形の唇。

 顔のパーツそれぞれは整っているが、全てが合わさった時、陰鬱とした鉄仮面、もといフランケンシュタインみたいである。
 ロボットみたいな筋肉をしているから、余計にそう見えてしまうのかもしれない。


 ダニエルは沈黙に耐えかねて、素直に謝罪することにした。

「ダニエル・マッキニー、陸軍近衛団近衛隊第二分隊所属であります。今回、リンダ・カント准尉の代わりに清掃業務に就いております」

 ハルボーン中佐は「ふむ」と一呼吸おいた後、やはり「職務の委任は軍規違反だぞ」と指摘した。

「承知しております」
「ではなぜ違反したのだ」

「恥ずかしながら、金銭的に困窮しておりまして。カント准尉の清掃業務を引き受けるかわりに……」
「金銭を受け取る予定だったと?」
「はい」


 ハルボーン中佐はまたも「ふむ」と考えこむ。

「給与が足りてないのか?そこそこ貰えるはずだが……そういえば、レストランでも弟さんが金を貸してくれと言っていたな」
「……あれは、不肖の弟が競馬で借金を作りまして」

「それで金銭的に困窮しているのか?」
「い、いえ」

 なんだこの中佐、グイグイくるな。
 部下の借金事情を把握するのも上官の務めではあるけど。
 直属の上司じゃないし、家庭の問題を話さなきゃいけないなんて、どんな羞恥プレイ。

「ではなぜ困窮しているんだ?」
「…………来年妹のデビュタントが控えておりまして。その準備で実家が少々借金を」
「なるほどな」


 合点がいったと、ハルボーン中佐は頷く。
 それから何事もなかったかのように「清掃を続けたまえ」と言って、椅子に着席した。
 執務机に資料を広げ、報告書を作成しはじめる。

 驚き、ダニエルはポカンと口を開けて立ち尽くした。
 その不躾な視線に、ハルボーン中佐から「なんだ?」と言われてしまった。

「い、いえ。てっきり、”出て行け、始末書を準備しておけ”と言われるかと」
「そう言われたいのか?」
「滅相もありません!」

「なら早く仕事に戻れ」
「はっ!」
 ダニエルは敬礼して、仕事に戻った。

 怖い印象だったハルボーン中佐だが、実は部下の話をよく聞いてくれるいい上司だったみたい。
 始末書も見逃してもらえたし、不運じゃなくて幸運だったのかも。
 ダニエルは雑巾で応接用のソファを磨きながら、ホッと息を吐いた。





 それからはハルボーン中佐から直接、清掃の依頼がくるようになった。
 お給金もリンダが提示した倍以上の金額である。

 しかも今後は宮殿内の上官詰所や応接室を清掃してほしいという。
 新米で宮殿内部に入ったこともないダニエルは、喜んでその申し出に飛びついた。

 憧れのヴァリカレー宮殿に入れるなんて!
 なんて最高なバイトなんだっ。
 最早もはや、副業が本業を追い越しているが、そんなこと気にしなーい。

 あわよくば女王陛下の目に留まれないだろうか……なんて、分不相応な夢を抱いたりする。
 幸運(ラッキー)はそれだけじゃない。


 ハルボーン中佐は銀行ローンにも口利きしてくれるという。
 実は、、ダニエルは学資ローンを組んでいる。
 そのダニエルが、更にローンを組むのは難しいだろう。

 バイトの合間に何軒も何軒も銀行巡りをして、断られても融資してくれる銀行を探さなければならない。
 そう憂いていたが、ハルボーン中佐のおかげでこの問題も解決である。

 まさしく、棚からぼた餅!
 レストランでの出会いは不運ではなく、幸運の始まりだったのね。

 だが気がかりな事もあった。
「ハルボーン中佐は恩人です!」とお礼を言った時の中佐の表情が妙だったのだ。
 いつもと変わらぬ無表情だったが、彼のアイスブルーの瞳がゆれたのをダニエルは見逃さなかった。

 あれは一体、なんだったんだろう?
 無性に気になった。
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