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【35】違和感 ー誰かに見られてる?ー

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 その日、ハルボーン中佐に連れられ、ダニエルは初めて宮殿内に足を踏み入れた。

 初めてのヴァリカレー宮殿!
 豪華絢爛な装飾・内装に圧倒されるんだと思っていたが、実際には恐れ多くて、内部をジロジロ見る余裕なんてなかった。

 正確には、ずっと俯いていたからハルボーン中佐のブーツの踵と真っ赤な絨毯しか見てない。
 だって、緊張していたんだもん!

 文官士官、貴族御婦人方……すれ違う人々はみんな優雅で品に溢れていて、田舎者の自分との雲泥の差だ。
 軍関係者の詰所つめしょに入れて、ホッとへたり込みそうになった。

 ハルボーン中佐は、「そんなに畏まらなくていい」って言うけど、ここで謹まなきゃ、何処どこで謹むんだって話よっ!?


「ここは女王陛下に謁見する際の将校達の待合室だ。掃除用具はここにだ」

 興奮冷めやらぬダニエルを無視して、ハルボーン中佐は淡々と説明を続ける。
 壁に埋め込まれたコートロッカーの隅に、箒ちりとり、雑巾、ワックスなどの備品が詰め込まれていた。

「廊下の角の使用人室から水を借りたまえ。それから暖炉側の壁には触れるな。特殊な塗料が使われている」
「はい」

 ドアの右手には大きな暖炉、その周囲には剣を掲げる騎士が壮大に描かれている。
 それを横目に、中佐の指示を聞き逃さないようダニエルは必死でメモをとった。

「まず初めに、なにか危険な品が置かれてないか、部屋中をくまなくチェックしろ」
「はい」

「次に、清掃だ。糸くず一つ残すな。埃なんて以ての外だ。窓は綺麗に磨いておけ」
「はい」

「それが終わったら本の整理を頼む。一ヶ月に一度は、机、本棚を水拭きから拭きして、ワックスをかけること。ソファーも同様だ。革専用のワックスがあるから、ソファーにはそれを使用してくれ」
「はい」

 待合室の中央にはローテーブルと革張りのソファ。
 正面は腰丈の窓が壁一面に並ぶ。
 窓と窓の間には重そうなカーテンが並び、糸くずが落ちてきそうね。
 左手には壁一面の本棚とコートロッカー、製図の束が入ったワゴンが備え付けられていた。

 部屋は大きくないものの、とにかく本が多くて埃っぽい。
 下働きの侍女達による清掃は毎日入るだろうが、これは骨が折れそう。

「他にもしてほしいことは色々あるが……ひとまずこれだけやってみてくれ」
「はい!」
 ダニエルがピシッと敬礼すると、ハルボーン中佐は小さく頷き、部屋を去っていく。

 一人残されたダニエルは、「うらぁぁぁ!やるぞぉ」と両手を宙に突き出し、気合を入れた。





 それからは週二日、仕事が休みの日にハルボーン中佐からの宮殿内バイトが入るようになった。
 銀行のローンも通ったし、嬉しい事づくめ、幸運って続くものね!
 そういえば前もこんな風に、思ったことがあったなぁ。
 ーーーなんだっけ?

 窓ガラスをを磨きながら記憶を辿ってみたが、思い出せない。
 それだけ自分には、幸せが多いってことだろう。

 両親との距離感は残念だが、ダニエルには理解してくれる友人、頼りにならない弟、心の支えになってくれるがいる。
 それに厳しく指導してくれるリック分隊長も、親身になってくれるハルボーン中佐もいるのだ。
 ダニエルは幸せ全開でガラスを拭き上げた。


「今日はソファーをやってしまおう」
 ハッピーパワーのまま、ダニエルはソファーのワックスがけに取り掛かる。
 独特の匂いを放つ茶色い脂を布に染み込ませ、革に塗り込む。

 暖炉側の座面を拭き終わり、本棚側の座面にとりかかろうと尻を突き出した、その時だった。
「ーーー!!!」
 毛虫を目にした時のような、寒気が混じった鳥肌がうなじから背中にかけて走る。

 恐る恐る、ダニエルは振り返った。
 そこには暖炉がぽっかり口を開けている。

 ダニエルは誰もいない室内で、幽霊を探すかのように目をこらした。
 理性が気のせいよと訴えるが、本能が心臓の鼓動を速める。
 信じられないことに、誰かに見られている気がした。

 おそるおそるカーテンの裏をめくる。
 当たり前だが、誰もいない。
 こんな場所に人が入るわけないとわかっていても、壁に並ぶコートロッカーを開けて中を確認せずにはいられなかった。

「き、きのせいよね……そうよ、気のせい!気のせい!!」
 わざと大声で、自分に言い聞かせる。
 だが肌をゾワゾワさせる無人の視線は、絶えず背中に感じたままだった。
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